第一話 秘密はヒミツ〔6〕
初夏とはいっても、もう日は落ちかけていた。
あの後帰ることになった僕を、あさひは玄関先まで見送ってくれた。
けれどじゃあね、とだけ言ったあさひは、そのまま家の中に引っ込んでしまった。
――“また明日ね、修ちゃん!”
いつもの別れ際のあいさつ。こぼれんばかりの満面の笑顔で。
あさひはいつもそう言って、決まったように僕の頬にキスをする。
それももう無くなってしまったのか。
別れたのだから当然かもしれないが、なんだか少し寂しくなった。
なんだか少し気落ちしたまま、僕は帰路をとぼとぼと歩く。
とその時、背後から誰かが駆けてくる足音。
「待って!」
振り向くと同時に、すごいボリュームのその声が僕の耳を突き抜ける。
頭に響きそうなほどの大きな声。驚くべきはその声の主である。
さっき出逢ったばかりのその人物は、どうやら僕を追ってきたらしい。
その人物――萌さんは、立ち止まった僕に安心したのか、膝に両手をついて荒い呼吸を繰り返す。
「どうしたの?」
おそるおそる、僕は問いかける。よっぽど全速で走ってきたのだろうか。
息を整えるのに夢中な萌さんは、何も答えなかった。
僕があさひの家を出てから少したっているし、それなりの距離を歩いたから、それも当然か。
そのまま、何十秒か経過した後。
やっと落ち着いた様子の萌さんが、視線を僕に向けてきた。
「あさひに……何したの?」
萌さんは前触れも何もなく、食い入るように僕を見つめながら問いかけてきた。
どきりとする。でもやましいことなんて何もないはずだ。
断わっておくが、何かされたのは僕のほうである。未遂だったが。
何も言えない僕に、けれど萌さんはたたみかけるように再び問いかけてきた。
「あさひが変なの。笑ってるのに……なんか、笑ってなかった。ねぇ、何したの修二郎」
どうやら萌さんが問いたいのは、僕が思っているようなことではなかったらしい。
気丈に振舞っていたが、やっぱりさすがのあさひも堪 えていたのか。
別れたばかりなのだし、仕方がないのかもしれないが、少し胸が痛んだ。
「……昔から、男はみんなあさひが好きだったの」
唐突に、萌さんがぽつりと話し始めた。その表情に、小さな陰り。
僕に対して話しているというよりも、ただ過去を思い返しているように感じられた。
「あさひに近づくための道具として、利用されたこともあるわ。だから男は大嫌い。でも男はみんなあさひに夢中なの。私なんか相手にされないくらい」
言って、萌さんはあさひに負けず劣らず 長いまつげを伏せた。
はっとするような大人びた表情。――やっぱりこの子、すごくきれいだ。
「……まぁ、そんなことはどうでもよくて。私が聞きたいのは、あさひのこと」
気を取り直すような言い回しで、萌さんは再び僕をまっすぐに見た。
わざわざ追いかけてきたのだ。よっぽどあさひのことが気がかりだったんだろう。
誠意をもって答えなければと思った。きちんと萌さんに向き直って、僕は口を開いた。
「ごめん。あさひのことについては、今はそれしか言えない」
納得はしてないだろうが、萌さんは小さく、わかった、と返してきた。
あと、これは言っておかなければ。本人はどうでもいいと言っていたが。
さっきの話しぶりからして、多少なりとも心の傷になっているようだと感じたから。
「あのさ、相手にされないなんて事ないよ。萌さんも十分、可愛いと思うよ」
笑みを浮かべながら言って、萌さんの頭にぽんと手を置いてみる。
驚いたように目を見開いた萌さんは、一瞬ぴたりとその動きを止めた。
しかしすぐに我に返ったように、僕の手をすごい勢いでぱしっと払いのけた。
「な、何すんのよ! なれなれしくしないでって、言ったでしょ!?」
真っ赤な顔をしているくせに、僕を突っぱねて見せようと躍起になっている萌さん。
思わずこっそり笑ってしまった。やっぱり、大人びていても年下である。
多分さっきの話からしても、男に対する免疫があまりないのだろう。
……さっきあさひに手玉に取られていた僕も、人のことは言えないのだが。
なんて、そんなことを考えていると。
「朝七時十分、安藤家の玄関に集合」
唐突に萌さんがそう宣言するので、飲み込めない僕は萌さんを見返す。
まだ少し頬の赤い萌さんは、ぶっきらぼうにぷいと顔をそむけながら話を続ける。
「物分かり悪いのね。命令してんの。あさひの本物の笑顔を取り戻すまで、必ず朝迎えに来ること。……一分でも遅れたら承知しないから。わかった? 修二郎」
有無を言わさない、萌さんの強い口調。例にもれず、頷くしかない僕。
あさひと萌さん。正反対のようで似ている二人。
初夏の夕暮れ。あまりに密度の濃い一日に、どっと疲れが押し寄せる。
この二人に振り回される日々を連想して、僕は深いため息をつくのだった。
超☆変態的彼女。 第一話 “秘密はヒミツ” 完