第一話 秘密はヒミツ〔3〕
身の危険を覚える状況である。
まさかこんな展開になるなんて、昨日までの僕なら考えるどころか信じることすらできなかっただろう。ここに他人がいなくてよかった。人が見たら、あさひが僕を押し倒しているように見えるだろうか。
……“ように見える”? そうじゃない。まさに押し倒されているのだ。
まさか男の自分が押し倒される日が来るなんて、夢にも思わなかった。
しかも、その相手がまさか――
緊迫した状況の中、のんきにそんなことを考えていると、ふとあさひが僕に向かって手を伸ばした。
びくりとして身構える僕。
あさひが、掌で僕の頬に触れる。
「どうしたの? そんなにおびえた顔して。ねぇ……、修ちゃん?」
僕の頬を撫でながら、あさひがくすりとダークな笑みを浮かべる。
あの純粋なあさひと同一人物だなんて信じられない。
しかもその色気と言ったら、そこらのグラビアアイドルなんて目じゃない。
動悸がした。僕だって男なのだ。
しかも、目の前にいるのは大好きな彼女。
ドキドキしないわけがない。
けれどもそれ以上に、動悸の理由の半分を占めるこの恐怖心。
狙われた獲物の心境とは、まさにこれだろう。
「私ね、修ちゃん。外見がこうだから……いつも、ピュアな子だって思われるんだ」
僕の心情を知ってか知らずか、あさひがマイペースに僕の首筋を撫でながら話し始めた。
「私、みんなが思ってるような子じゃないのになって、ずっと思ってた。私らしくいたい。だけど、それじゃだめだってことに気付いたの。人って、イメージを大切にするから。いかにも純粋な私が、純粋でなかったら、……失望するの」
話しながら、あさひの瞳が、少し哀しげな色を映した……ように思えた。
すぐに元のダークな笑みに戻っていたからだ。僕の気のせいだったかもしれない。
それにこの状況、あさひの表情がどうとかいっている場合ではない。
何も言えない僕、けれどもあさひは手を休めることなく、まだ続ける。
「だから、本当の私を秘密にした。表の顔は、純粋で可愛らしい私。だけど本当はね……」
言葉を切り、僕の耳元に唇を寄せるあさひ。
何か耳打ちされるのかと思ったら、あさひは僕の耳に音を立ててキスをした。
ぞわりとする。どうすることもできず、なすがままの僕。
すると頬を撫でていたあさひの掌が、とうとう僕の首筋を伝ってワイシャツの襟の内側をくすぐる。
――もうだめだ。あきらめるしかない。観念した僕はそう悟った。……その時だった。
ぴたり、とあさひの動きが止まったのだ。まるでビデオを一時停止したときのように。
何事かと思いあさひを見ていると、やがてあさひは身を起こし、僕も元のように座らせられると、身なりを整えられた。
あまりに手早いので、やはりされるがままの僕。
「あ、あさひ?」
僕が問いかけると、厳しい顔をしたあさひが静かに、と言わんばかりに、その可憐な唇に人差し指を立てた。僕がまた何か言おうと口を開こうとしたとき、急に部屋のドアから大きな音がして、驚いた僕は体をびくつかせてしまった。
物音は、どうやらドアを開ける音だったらしい。よっぽど乱暴に開けたんだろう。
「あさひー。ただいま。……ん?」
ドアを開けた人物が、僕を見て不思議そうな顔をする。見覚えのない女の子だった。
他校の……見たところ高校生だろうか、制服を着ている。
あさひに押し倒されたと思ったら、突然出てきた知らない女の子。
展開についていけない僕は、ただ瞬きを繰り返した。