第三話 Desire~あさひの場合~〔6〕
間違いだってわかったんだから、すぐに出るべきなんだ、きっと。
だけど私は息をひそめて、彼をじっと見つめてしまっていた。
寝顔に胸がきゅんとする。可愛いって思った。
――キスしたいな。抱きしめたいな。
この人のこと、もっと知りたい。全部知りたい。
一番近くに、行きたいな。このままベッドにそっと入り込んで一緒に眠ったら、目を覚ました彼はどんな顔をするだろう。
ふとその時、ベッドのカーテンが空く音がして、私はびくっと体を震わせた。
空いたのは別のベッドのカーテンみたい。となりに寝ていたらしい生徒が教室に戻るみたいだった。
やがて扉の開け閉めの音と、生徒が出て行った気配、そして続けざまにもう一人出ていく気配。一つのベッドは空いていたはずだから、今のは先生が席を立ったんだ。
心に、強い緊張が走り抜けていく。
つまり今、保健室には沢田くんと私ふたりだけなんだ、って。
沢田くん……は、起きる気配がない。しっかりと眠り込んでいる。
だから私は、はやくここを出て、空いているベッドに入って休むべきなのに。
動こうとしない私の足。
それどころかそっと彼に近づいて、前髪に触れてしまった。
猫っ毛な私の髪よりもしっかりとして、さらりとした髪の毛。
「沢田、くん」
そっと呟くように呼んでも、もちろん夢の中の彼には届かない。
彼が目を覚まさないのをいいことに、今度は違う呼び方で呼んでみる。
「修二郎くん」
どうしよう。好きすぎて、おかしくなってしまいそう。
そんな時だった。沢田くんが、ふと身じろぎしたのは。
「ん……」
小さく声を出しながら、沢田くんが寝返りを打って、寝ぼけているのかまた戻った。
見つかってしまう。でも動揺したまま動けなくて。
なすすべもなく、とても近い距離でその瞼が開いていくのを見ていた。
しっかりと交差する視線。その時、やや気だるげな瞳は私を確かに映した。
「っ……!」
声にならない悲鳴を上げて、私は踵を返して逃げ出した。
また、逃げ出す私。文化祭の時と同じだ。だけど今日は……顔を見られてしまった。
勝手に触れようとした罰が当たったんだ。
気づかれてしまった。よりによって、沢田くん本人に……!
保健室を飛び出して、授業中で人気のない廊下でやっと立ち止まる。
一人になって、涙がこみ上げた。彼も――私のこと、軽蔑した目で見るのかな。
この気持ちだけは、守りたかったのに。