第三話 Desire~あさひの場合~〔3〕
高校に入学したら、すぐに数人の人に告白された。
先輩や同学年の人。だけどみんな全く知らない人とか、顔を見たことある程度の人で。慣れた作業みたいに、私はその都度作り笑顔で断った。告白されたって全然嬉しくなかった。だって私は知ってたから。その人たちはみんな、私の幻想を見てるってこと。
断って傷つける回数だけが増えて、寧ろ後味が悪い。
昨日断った人は、律儀に気にしないでなんて苦笑いしてくれて、それが逆に痛くて。
「昨日また告白されたんだって? 中学の時以上じゃない。これで何人目ー?」
朝出会うが早いか、朝の挨拶もそっちのけのなっちゃんが、指折りしながら浮かれた声で数えている。中学の仲良しグループの中で、なっちゃんだけが同じ高校に入学した。その上同じクラス。
「さすが、あさひは違うね。噂になってるみたいだしね、可愛い子が入ってきたって。うらやましいな」
にっこりと微笑むなっちゃんは、いつもそんなことを言う。
そんななっちゃんに、曖昧に微笑み返すしかない私。
するとなっちゃんが、何気なく核心に触れた。
「でもどうして誰とも付き合わないの? もしかしてまだ、先輩のこと――」
「違うよ、私って理想高いんだから」
触れられたくない話題をすばやく逸らし、とっさに切り返す。
冗談めかして笑うと、なっちゃんもまたー、なんて言っておかしそうに笑った。
……私が可愛いなんて、そんなのただのまやかしなんだ。
私にしてみれば、なっちゃんの方がよっぽどうらやましかった。
適度に可愛くて、適度にさばさばして、男友達とも気さくで。
常に先入観だけが先行してしまう、損な私とは大違い。
きっとなっちゃんなら、『普通の恋愛』ができるんだろうな。
いつもそんなことを考える、後ろ向きで可愛くない私。
何気ない毎日が過ぎていく中、出会いは唐突にやってきた。
5月。……あれは、一年生の文化祭の当日だった。
「ちょっと、あさひのためにやってるようなものなんだよ、メイド喫茶。この文化祭の目玉だって、男たちが騒いでたんだから」
私にそう言ったのは、同じクラス、学級委員の藤木さん。
腰に手を当てて顔をしかめながら、私を半ば睨みつけている。
眼鏡の向こう側の強気な瞳は、彼女の気の強さを物語っていた。
この数週間ずっと同じことを言われ続けては断り、そのやり取りを繰り返してきた。そして当日になってもまだ、私を説得しようとしているのだ。なっちゃんは面白がって攻防戦、なんて言っていたっけ。
だけどこればかりは絶対に嫌だ。
メイド喫茶なんて、つまりは愛想を振りまくこと。
猫をかぶって愛想を振りまくのは毎日やってるし、もうこりごりだった。
私はかたくなに、手の中のふわふわした布地をしっかりと握る。
「いやなの。私は着ぐるみがいい」
結局その主張を押し通し、私は着ぐるみ役を勝ち取った。
入り口で入場券を渡すだけの、気楽な仕事。
難を言えば暑いってことだけど、そんなの気にしない。
顔を見られなければ、男の子に話しかけられることもないし。
着ぐるみを着て入り口に立っても、案の定、誰も私に気付くことは無くて。
気が楽だな、なんて思いながら淡々と仕事をこなす。
はじめは着ぐるみになり切ってはじけてみたけど、暑くてすぐに疲れてきた。
そんな時、中から出てきた男子生徒三人組が、「次、どこ行くー?」なんて言いながら近くの壁に寄って雑談を始めた。その会話の中で、
「安藤あさひ、居た?」
という台詞が出てきたので、疲れてやっつけな仕事になりつつあった私は思わず反応する。
また私の話題だ、と思った。全然知らない人たちなのに。
別にもういいのに、その時 たまたま人があまり来てなくて。
音をシャットアウトすることもできなくて、することのない私の耳に、その会話はまだ入ってくる。
「居なかった。休憩中? 楽しみにしてたのに」
「あの笑顔がいいよなー。明るいし可愛いし、純粋だし」
三人のうちの二人が、そんなことを話しながら盛り上がっていた。
また、噂だけで私のイメージを作り上げてる人たちだ。
仕方ないのはわかっていたけど、ちょっと嫌な気分になる。
するとそれまで黙っていたもう一人の男子生徒が、二人に口を挟んだ。
「話したことでもあるの?」
盛り上がる二人とは温度差があるような彼は、こちらに背中を向けていて顔が良く見えない。
「見ればわかるじゃん」
二人組のうちの一人がどうでもいいとばかりに言葉を返す。
と、さすがに温度差の彼も話を流すかと思ったら、まだ彼は引き下がらなかった。
「そういう先入観って、失礼なんじゃない?」
彼の発したその一言は、あまりにも意外で。
私は思わず、着ぐるみの内側で目を丸くした。
盛り上がる二人組は彼の台詞なんて相手にしてなくて、彼はそんな二人をやれやれと見守っている。あの二人よりも、寧ろ私のほうが彼の言葉をしっかりと受け止めていた。
彼にとっては、何でもない一言だったかもしれない。
だけど私にとってその一言は、いわば救世主の台詞みたいで。
瞬時に芽生えた、名前も知らない人への興味。だけどどうしていいかわからない。
そうやって私が何もできずにいると、ついに目的地が決定したらしく、三人組が動き出してしまった。
一番気になる、遠ざかる背中。まだ顔もよく見ていないのに。
焦っていた私は、咄嗟にその男子生徒の手を掴んでしまった。
ふとした顔が、私を振り返る。
着ぐるみの小さな穴越しに、その人の顔をしっかりと見た。
当然だけど、やっぱり知らない人だ。突然着ぐるみに手を掴まれて、びっくりしている様子だった。
「え……誰?」
戸惑い気味の声に問いかけられ、私は はっとした。
我に返って、そしてまた焦る。私、何がしたいんだろう。
彼の手をつかまえたまま、何もできずにいる私。
よっぽど律儀なのか、彼はされるがままに私の前に留まっていた。
「沢田ー? 何やってんだよ、置いてくぞー」
離れた所からついに飛んできた、二人組の声。
呼ばれたのはきっとこの人の名前だ。
……沢田くん。名前を知れた。
このままじゃ迷惑をかけてしまうってわかってたけど、なぜか手を離せなかった。つかまえておきたい、って。
「うん、すぐ行くよ」
私の内心なんて当然知らない沢田くんは、手をつかまえられたまま顔だけ振り返って返事をした。そして再び私を見る。着ぐるみの内側に居ても、どきりとした。
「あの……どうかした?」
問いかけられても、何も言葉が出ない。
私は思いつめたままに、手を離して身をひるがえした。
走り抜ける廊下。沢田くんはきっと、わけのわからない奴だと思っただろう。
隠れ場所とばかり女子トイレに駆け込み、着ぐるみの頭だけ外す。
押さえつけられていたせいで髪が乱れていた。
「沢田くん」
と、呟いてみる。鏡に映る自分の頬が、見るからに熱い。
もう誰も好きにならない、という自分自身で作った決まりが、じわじわと胸を焦がした。