第三話 Desire~あさひの場合~〔2〕
思い返したくない記憶。忘れたい思い出。
中学三年生の時。――付き合ってる人が、いた。
◇ ◇ ◇
「好きになるってことは、イコール抱きしめたいってことだと思わない?」
それは恋の話をする時、決まって持ち出す私の持論だった。
みんな受験生、でも昼休みくらいは受験より恋の話。
いつものように、数人の女子グループでお弁当を囲んで。
みんながきょとんとして私を見守っている中、私はマイペースに話を続ける。
「抱きしめてキスして、全部知りたいって」
「あさひ、それってちょっと変だよ。女がそういう所出すと、男は引くの。男って、純粋な女が好きなんだから」
すかさず、私と特に仲が良かった梨子ちゃんが、苦笑いをして言った。
するとみんな梨子ちゃんに同意したようで、今度はその横にいたなっちゃんが「そうそう」と頷きながら、神妙な顔で私を指差す。
「特にあさひ、あんたは駄目よ。男たちは、可愛いあんたに夢を抱いてるの。見た目通りにピュアな、純粋な女の子であってほしい、って」
それは、決め台詞のように的確なインパクトを持って、私の心の中に沈んでいった。
みんながだよねー、なんて同意して笑う中、
「確かにー。あさひがそうじゃなかったら、私たちだってがっかりするもん」
と、誰かが言った。そのままその話は流れていって、話題が変わって。
にぎやかで楽しい昼休みが終わっても、ずっとちくちくと残る、胸の中の違和感。
「……でも私、そんな子じゃないのにな」
ひとりぽつんとつぶやいた言葉は、誰の耳にも届かなかった。
私、そんな子じゃない。夢を抱いてるなんて、そんなの勝手だ。
エッチなことにだって、興味あるし。
相手が好きな人なら、ためらいなくしてみたいって思うし。
純粋って、何? 女だったら、そうじゃなきゃいけない決まりなの?
心の中、いつもそんな疑問を抱えて。
あの時の私はまだ、何もわかってなかったんだ。
当時の私は、彼氏だった高校生の佐川先輩に夢中だった。
萌ちゃんの友達の、お兄さんってことで知り合って。
卒業式の日に告白されて、付き合うことになった私の初めての彼氏。
いつものように、帰りに先輩の家に寄っていたその日、だけどいつも通り私にキスをする先輩の様子が、ちょっと違った。
首筋に降りてくる、先輩の熱い唇。
何をされるのかわかったし、特に戸惑いもなかった。
私のはじめてが先輩とってことが、寧ろ嬉しくて。
すると私が普通にしていたのが不思議だったのか、顔を離した先輩が訝しむような顔をする。
「怖くないの? あさひ。俺、お前を抱こうとしてるんだけど」
はっとした私の脳裏に響く、なっちゃんの声。
――“特にあさひ、あんたは駄目よ”
……そんなことない。きっとそんなことない。
何度も自分に言い聞かせて、私は迷いを振り切った。
きっと怖がって見せたり、恥じらいを見せたり、私はそうするべきだってみんな思ってたんだ。可愛い可愛い、いつも受身な理想の女の子でいるべきだって。だけどそんなの違う。ぶりっ子するより、自然体でいる方がずっと素敵なはず。
「全然怖くないよ。私、先輩が好きだから。先輩のこと、知りたいな」
にっこりと笑って、私は本心を告げる。
先輩は面食らったような顔をしたけど、何も言わなかった。
先輩が私の制服を脱がそうとするから、抵抗を示さず協力する。
積極的すぎかなと思いつつも、ためらいなく先輩を抱きしめて。満たされた気持ちで、私は先輩を見上げた。
瞬間、どきりと冷たく高鳴る鼓動。
いつも優しい瞳で、私を見つめていてくれた先輩。
だけど今、先輩は信じられないほど冷たい瞳で私を見下ろしている。
「へぇ……お前ってそんな女だったんだ。お前のこと純粋な奴だと思ってたのにな」
その瞳と同じに冷たい声には、優しさのかけらも見えなくて。
「お前には失望したよ、あさひ」
先輩のその台詞は、私の心に深く突き刺さった。
まるで頭を強く殴られたような衝撃に、私はただ言葉を失う。
今まで優しいと思っていた人は、ひどく意地の悪い目をして微笑み、私の頬に手を当てた。
「そんな顔をするなよ。ここまできたんだ。遊び相手くらいにはしてやるって」
かっとした私の手のひらが、思わず先輩の頬を打っていた。
そのまま乱暴に服を着なおして、鞄をひったくるようにつかんで部屋を飛び出す。
靴のかかとを踏んだまま家を出て、道をしばらく走って。
息が上がってきたころに振り向くと、――先輩は追ってきていなかった。
――“純粋って、何? 女だったら、そうじゃなきゃいけない決まりなの?”
心の中に渦巻いてた疑問が、鋭い痛みに変わって。
一切の表情を放棄して、立ち尽くしたまま、こぼれ落ちていく涙をただ呆然と放置する。
――“男たちはあんたに、夢を抱いてるの”
その瞬間、私はやっと思い知った。
ああ……そうなんだ。そういうことなんだ。
私のままではいられない。私は、私だから。こんな外見だから。
だから、みんなのイメージ通りでいなくちゃいけない。そう演じなきゃいけない。
私はそのままじゃ、誰にも好きになってもらえないんだ。
そのまま走り去る自分の心が、ひどく冷めていくのを感じて。
もう誰も好きにならないって、私は固く決心していた。――あの、繊細で優しい笑顔を見つけてしまう日まで。