第二話 誘惑的彼女。〔7〕※
校舎裏の体育倉庫は、校舎から結構な距離がある。
とりあえず帰りの準備を済ませてから、僕はあさひを連れて倉庫に向かっていた。
施錠を済ませてから職員室に鍵を返し、そのまま帰れるようにするためだ。
萌さんと待ち合わせなのだし、もう遅れるわけにはいかない。
隣で他愛のない雑談をしているあさひの話を聞き流しながら、たどり着いた倉庫。
この学校に体育倉庫は二つあり、こちらの倉庫は部活でもあまり使われない。
放課後にはだれも居ないはずだったが、けれども僕は倉庫の前に人影を見つけ出した。
「……佐藤?」
訝しむように僕が呟いたその時、向こうも僕に気が付いたようだった。
春名先生に固執していて、今朝のホームルームでも余計なことを言っていたあいつだ。
佐藤は、最高に機嫌の悪い視線で僕を見ていた。
僕のクラスの男子生徒は皆、仲が良い。
僕も当たり障りなく全員と仲よくしているが、佐藤だけは例外だ。
僕だけが春名先生のいじめに加担しないことが不満なようで、佐藤は常に、僕を目の敵にしているのだ。
「お前を待ってたんだ、沢田。……春名ちゃんのお願い、聞いてあげたんだろ?」
人を不快にするような皮肉な笑みを浮かべ、佐藤が僕を睨む。
おそらく廊下での春名先生とのやり取りを聞いていて、嫉妬したのだろう。
悔しいのなら自分が助けてやればいいのに。
絡まれるのに慣れた僕は、いつものごとく無視することに決めた。
けれども何も言わず戸締りを済ませようとする僕の態度が不満だったのか。顔をゆがめた佐藤が、僕の手からカギをひったくった。
太刀打ちする暇もなかった。スリのように鮮やかな手際だったのだ。
続いて佐藤は、まだ扉の半開きだった倉庫の中に僕を強く突き飛ばす。
油断していた僕は、あっけなく倉庫の中に押しやられて尻餅をついてしまった。
「修ちゃん! 大丈夫?」
焦ったように僕を呼んだあさひが、一緒に倉庫の中に飛び込む。
ほこりっぽくて薄暗い、狭い倉庫の中は不快そのものだ。
「ここ、あんまり人来ないし。このまま閉めれば、朝までずっと閉じ込められたままかもな」
ふんと笑い、まるで宣告のように冷たい声で佐藤は吐き捨てた。
続いて、重たい音を立てて体育倉庫のドアが閉ざされる。
間髪入れず鍵を閉める音が響き、そこで僕は最悪な事態を悟った。
倉庫のカギは、内側からは開かないのだ。
つまり僕とあさひは、倉庫に閉じ込められてしまった。
小さな小窓しかないので、そこから細い光が入ってくる意外、ずいぶんと暗い。
急いで立ち上がり扉に手をかけてみても、やはり開かなかった。
扉の向こう側からは物音一つしない。
佐藤はもう行ってしまったのだろう。
どうしたものかと僕は考えこんだ。
「閉じ込められちゃったみたいだね」
切羽詰まった僕と対照的なあさひが、けろりとした声音で言った。
普通の女の子なら怖がりそうなものだけれど。
さすがはあさひ。マイペースなものである。
けれどもこんなほこりっぽい倉庫に閉じ込められ、あさひを巻き込んだことが申し訳なかった。佐藤とあさひは全く関係がないのだ。僕はあさひを見て口を開く。
「ごめんあさひ、こんなことに……」
「ううん、私は全然いいよ。修ちゃんと一緒だし、それに……」
そこでいったん言葉を切って、あさひがそっと僕を見上げる。
狭い暗闇の中で、あさひのまなざしが神秘的にも見えて、心が騒ぐ。
「こんな展開、……ちょっとドキドキしちゃうよね?」
くすっと小さく笑い、あさひが例のダークな表情を浮かべた。
二人になったことで、あさひの秘められた『変態的』な部分が目を覚ましてしまったようだ。
瞬時に呼び起される、今朝の夢。
冷や汗が僕の背中を伝っていく。
そんな僕の内心になんか構ってもいない様子のあさひが、マイペースに話を続ける。
「修ちゃんが春名先生と話してるとね、面白くないんだ。だって完全に負けてるんだもん。……だけど私だってこれでも、四つのうちの上から二番目なんだよ」
なぜここで春名先生が出てくるのか?
やきもちという意味かもしれないが、やけに遠回しな言い方だ。
あさひの言いたいことは、唐突なうえ意味深でよくわからなかった。
相槌も打たずに黙って聞いているしかない僕の手を、あさひがそっと取る。
「ねぇ、修ちゃん。……触ってみる? ちょっと恥ずかしいけど、修ちゃんなら――」
遠慮がちに告げたあさひは、衝撃的なことに僕の手を――なんと自分の胸に押し付けた。
驚きのあまり体をこわばらせ、固まる僕。手は持っていかれたままだ。
掌からダイレクトに伝わってくる、やわらかなあたたかさにひどく戸惑う。
ほこりっぽい倉庫の暗闇と、親密な部屋の狭さに、煽られるようだ。
ほのかに赤く染まった頬をして、あさひがじっと僕を見つめる。
少し潤んでいるようにも見える、透明な瞳。早鐘のような僕の鼓動。
暗闇でおぼつかない視界には、あさひしかいない。
動揺のあまり、頭の中が真っ白になる感覚だった。
無意識のうちに、掌に全神経を集中させてしまう。
あさひと付き合っているときは大切にしすぎて、手を出す勇気もなくて、キス一つすらできなかった。
「ねぇ……別れても、私は修ちゃんのものだよ……?」
あさひの声がひどく妖艶な響きを帯びていて、びくりとした僕は、思わず押し付けられた手を動かしてしまった。
一瞬反応を示してから、あさひは僕を見て微笑んだ。
僕の手の動きに抵抗することなく、触れられるままに形を変える。
あさひはあまりにもやわらかな『女の子』で、それを実感してしまうと、ざわりとした強い感情が走る。
一年以上付き合っても、決して手を出さなかったのに。
人よりも強いはずだった僕の理性は、今や姿を消しかけていた。
超☆変態的彼女。 第二話 “誘惑的彼女。” 完