第5話 人形と花束
夏季休暇の最終日。リモーティアはある場所に呼び出された。どこかに行くときは、カルムティルドが馬車で迎えに来てくれた。でも、この日はリモーティアに来るように手紙が来たのだ。
リモーティアはいつもと違う誘いに、ちょっと首を傾げつつ、でもワクワクした気持ちで、パペティアーナを連れて出かけたのだった。
「ここで待つように言われましたが……」
学園のほど近い場所にある丘陵。その頂上には一本の立派な木があった。
そこが待ち合せの場所だった。時間は昼過ぎ。まだ暑い時間帯だった。いつもはローブ姿だが、この日はさすがに制服だけだった。木陰で涼を取りつつ、カルムティルドの到着を待った。
いつもは行く場所を事前に教えてくれた。でも今日はここに、リモーティア本人が来るようにという指示だけだった。人形関係の話には間違いないだろうからと、パペティアーナも連れてきた。
待っている間、暇つぶしにパペティアーナと話して自律動作の確認をした。
細かな改修を重ねたおかげで、前より応答速度が向上し、動作もより滑らかになった。その副次的効果として消費魔力も減少し、稼働時間も大幅に伸びた。
実りある夏季休暇だった。そんな感慨にふけっていると、こちらに歩いてくるカルムティルドに気がついた。
彼は、なぜか花束を持っていた。
「こんにちは、カルムティルド様」
「こんにちは、リモーティアさん。来てくれてうれしいです」
夏季休暇中、どこかへ出かけるときはスーツを着ていることが多いカルムティルドだったが、今日は学校の制服姿だった。
暑い日中とはいえ、汗をずいぶんかいている。まるで走ってきたかのようだ。でも歩いてきたのは見ているし、息も乱れてはいない。ただ、妙に緊張しているようだった。
なんだかおかしな状況に首を傾げていると、カルムティルドは真剣な目で見つめてきた。その迫力に圧され、リモーティアは思わず半歩引いてしまった。
「リモーティアさん!」
「は、はいっ!」
「この花束を、どうか受け取ってください!」
そう言って差し出されたの、は真っ赤なバラの花束だった。
「ええと……はい、わかりました」
なんだかよくわからなかったが、とりあえずリモーティアは受け取った。
ふわりと上品なバラの香りが香った。そう言えば、先日カルムティルドと訪れた薔薇園も楽しかったなあ、なんて、束の間思い出にふけった。
そんな一瞬の回想から戻ってくると、驚き目を見開いたカルムティルドの顔があった。
「受け取ってくれるんですね!?」
「ええ、ええと……ありがとうございます?」
何を言うべきかわからず、とりあえずお礼を言ってみた。
カルムティルドは空を仰ぎ、顔を両手で覆ってしまった。なにかまずいことをいってしまったらしい。
不安な気持ちで見守っていると、カルムティルドは両手を下ろし、視線を下げ、深いため息を吐いてから語り始めた。
「……そうか。リモーティアさんはこの場所のことを知らないんですね……」
「この場所……?」
学園のほど近い場所にある丘陵。その頂上にある大木。生徒に人気の場所と、どこかで聞いた覚えがある。でもリモーティアはそれ以上のことを知らなかった。
「学園には伝説があるんです。この木の下で、男の子がバラの花束を渡す。女の子が受け取ってくれたら、二人は一生幸せに添い遂げることができるという伝説が……」
「え!? じゃあわたしが受け取ったらマズイじゃないですか!」
リモーティアは慌ててパペティアーナを遠隔操作した。
パペティアーナは花束受け取ると、ぎゅっと大事そうに抱きしめた。
これでよし。そう思っていると、カルムティルドが、
「違ああああう!」
今まで見せたことのないような荒々しさで、パペティアーナから花束をひったくった。
「君に! リモーティアさんに! この花束を受け取ってもらいたいんです!」
「ええっ!? でもさっきの話を聞いた限りでは、花束を渡すのは告白みたいなものじゃないですか。なんでわたしに渡そうとするんですか!?」
「だから、告白なんです! 君のことが好きなんです!」
この場所の伝説。
カルムティルドわざわざこの場所を指定したこと。
花束を持ってきたこと。
それをリモーティアに渡したこと。
その意味をようやく理解した。
リモーティアは顔がどうしようもなく熱くなるのを感じた。
「え? え? 嘘ですよね? カルムティルド様は婚約破棄が失敗したショックで、人形が好きになったんですよね? だからわたしの研究に協力してくださったんですよね?」
戸惑いながら言葉を並べるリモーティアに対し、カルムティルドはまたしても、空を仰いで顔を手で覆った。先ほどと違うのは、耳まで真っ赤になっていることだった。
リモーティアはおろおろするばかりで、どうしていいかわからなかった。
そうこうするうちに、ようやくカルムティルドは手を下ろし、
「ごめんなさい。焦り過ぎました。事情をちゃんと話します……」
観念したように、そう、語りだすのだった。
公爵子息カルムティルドは、幼いころから伯爵令嬢エクセーシアとの婚約関係にあった。
エクセーシアは優れた令嬢だったが、嫉妬深く、その愛情は重かった。
カルムティルドは幼いころから年上の女性からかまわれることが多かった。エクセーシアはそれが気に入らないようで、ことあるごとに嫌味を言われた。
それでも、貴族の家同士の婚約だ。我慢するしかなかった。
学園への入学前は家同士の付き合いだったが、学園に入学すると接触する機会が増えた。エクセーシアと毎日のように接することとなり、嫌味を言われる機会も前より増えた。エクセーシアは、授業における班決めで、カルムティルドが他の令嬢と一緒になる事すら、不愉快なようだった。
そんな重苦しい一年が過ぎ、二年に上がった春。そんなときに、パペティアーナと出会った。彼女は天真爛漫で朗らかで、気取らず気さくに話しかけてきてくれた。カルムティルドのことを深く理解してくれていた。エクセーシアも何故か彼女とのつきあいだけには口を出さない。必然的にカルムティルドはパペティアーナとの恋にのめりこんでいった。
彼女との間にある物こそ、真実の愛だと思った。
「今できる精一杯の、あなたの全力を見せてください」
パペティアーナがくれたその言葉を支えに、遂にカルムティルドはついに、エクセーシアとの婚約を破棄することを決意した。
しかしその決意は無残にも打ち砕かれた。
パペティアーナは人形であり、それはエクセーシアによって用意されたものだったのだ。
絶望に打ちひしがれた。何もかもどうでもよくなった。
それでも。
それでもカルムティルドは、パペティアーナの笑顔を忘れられなかった。彼女に感じた愛情が、うつろな偽物だったなんて思いたくなかった。
もう一度、確かめたいと思った。悲しくても苦しくてもつらくても。もう一度、パペティアーナと向き合わなければならないと思った。
そこでカルムティルドは、パペティアーナの製作者であるリモーティアの元を訪ね、パペティアーナともう一度交際をすることを申し込んだ。細かな事情を話すわけにもいかず、研究に協力するためと説明した。
リモーティアは人形が大好きな研究者で、彼に対する悪意は感じられなかった。リモーティアと接するうちに、パペティアーナのあらゆるところに、彼女の意思がこめられていることがわかった。
自分が真実の愛を感じていた相手は誰だったのか。
夏季休暇でいろいろな場所を訪れ、リモーティアと過ごす時間を重ねるたびに、確信は深まっていった。
「僕が真実の愛だと思ったものは……パペティアーナを通して、君のことを感じていたんです。リモーティア、君のこと好きです……」
まっすぐに向けられた好意。まぶしかった。暖かった。嬉しかった。
初めてのことに、リモーティアは心をゆさぶられた。どうしていいかわからない。
うれしい。
そんな言葉が心に浮かんだ。それでいっぱいになりそうになった。
でも、それを押し留めるものがあった。彼女は言わなければならないことを思い出した。
喜びに身を任せるわけにはいかなかった。
「それは違うんです! 実はっ……!」
絶対に話さなければならないはずなのに、それを口にしようとすると胸が苦しくなった。苦しすぎて言葉が出ない。
だってそれは、カルムティルドの好意を振り払うことになるからだ。
でも、それを黙っているわけにはいかなかった。それは人形の作り手としていけないことだ。人形に対する裏切りだ。
リモーティアはぎゅっと胸を押さえて、言葉を絞り出した。
「パペティアーナの『制御魔導書』はっ……あなたの心を動かしたパペティアーナの言葉のほとんどはっ……エクセーシア様が書いたものなのです! それに愛情を感じたというのなら、それはエクセーシア様の愛情です! わたしのものではありません!」
言った。言ってしまった。
胸の奥がずきずきと痛んだ。
立っていられず、膝を折った。
リモーティアは必死にこの胸の痛みを押さえつけようとした。
そもそも最初から、カルムティルドの想いを受け取るなんてできないのだ。彼はエクセーシアと婚約しているのだ。結ばれることなど、あってはならないのだ。
頭ではわかっている。理解している。それなのに、苦しくてたまらなかった。
「リモーティア、それは違います。僕にはわかります。君と過ごして分かりました。僕の心を動かしたパペティアーナの言葉は、君が遠隔操作して言ってくれたことなんです。今の僕には、それがわかります」
「でも、あなたはエクセーシア様と婚約されてます! わたしなんかを好きになってはいけないんです……ダメなんですっ……!」
「エクセーシアさんとの婚約は、もう解消されました」
あまりの予想外の言葉に、リモーティアはいつのまにか伏せていた顔を上げた。
跪く彼女の驚きの顔を、寂し気なカルムティルドの苦笑が迎えた。
「え? どういうことなんですか……?」
「エクセーシアさんはやりすぎたんです。伯爵令嬢である彼女が、公爵子息である僕を、計画的に陥れた。夜会の場で恥をかかせた。これはとても許されることではありません。両親は激怒しました。伯爵家との話し合いの末、婚約解消ということになったのです」
事情を知り、リモーティアは茫然とつぶやいた。
「だから、あんな計画はやめて、素直に想いを伝えるべきだと進言しましたのに……」
貴族の爵位は絶対だ。下位の者が上位の者に逆らえば、ただではすまない。言われてみれば当たり前の結果だった。
でも、リモーティアは止めることができた。『制御魔導書』を作っていた時。あのときエクセーシアをもっと強く止めていれば、そんな悲劇は避けられたかもしれない。
カルムティルドはリモーティアをまっすぐに見つめた。
「リモーティア。エクセーシアのことは気にしなくていいんです。あなたは彼女の命令に従っただけです。あなたが負うべき責はない。だから、お願いします。どうかこの花束を受け取ってください」
そうして差し出された花束を、今度は阻むものはなかった。せいぜい彼女とカルムティルドとの爵位が離れているということぐらいだ。男爵令嬢と公爵子息。でも、別に前例がないことでもない。
そもそもが、そんな問題ではなかった。
カルムティルドと言う一人の男性のまっすぐな告白を、リモーティアと言う少女がどう答えるか。ただそれだけの問いかけなのだ。そのことがわかって、もはや逃げ場はないことを悟った。
好きか嫌いかでいえば、好きだ。カルムティルドは人形の研究には理解があるし、優しい。この夏季休暇はいろんな場所にいっしょに行った。楽しかったのは、新しい場所に行けたという興奮だけでなく、彼がいっしょにいてくれたからだと、リモーティアにもわかっている。
でも、この告白にはどう答えればいいのかわからない。うれしいけれど恥ずかしい。どきどきして、どうしようもなくなる。受けてしまったら自分はどうなるか。このドキドキで倒れてしまうのではないかと思う。心臓がうるさすぎて考えがまとまらない。
でも、答えなければならない。
そこで彼女は自分が何者なのか思い出した。
彼女は人形の研究者であり人形を使うものなのだ。
そして心を決めた。
遠隔操作でパペティアーナを動かした。日々改良を続けたパペティアーナは、素晴らしく俊敏かつ滑らかに動き、カルムティルドから花束を奪い取った。
そしてリモーティアはその後ろに隠れた。
「リ、リモーティア!? いったいどういうつもりなんですか!?」
カルムティルドが悲しそうな声で叫んだ。その顔は絶望に歪んでいる。
告白を受け入れてもらえないと考えたのかもしれない。でも違う。違うのだ。
「わたし、こういうことは初めてで、どうしていいかわからないんです! 嫌じゃないんです! 嬉しいんです! でも、でも! 受け止めきれないんです! だから……!」
パペティアーナの陰から、おそるおそるカルムティルドの様子をうかがいながら、リモーティアはひっそりと告げた。
「もう少し、人形越しのおつきあいを続けても……いいですか?」
言葉を受けて、カルムティルドは戸惑うように目を彷徨わせた。
その視線はリモーティアとパペティアーナの間をいったりきたりした。
やがて眼を閉じ、大きく息を吐いた。
そしてゆっくりと目を開くと、リモーティアとパペティアーナの二人を視界におさめ、まっすぐ見た。
呆れたような、でもさっぱりした顔で。
「……そうですね。僕たちは、そこから始めるべきなのかもしれませんね」
そう、答えたのだった。
新学期が始まった。
夏季休暇の前と同じく、パペティアーナは授業に出て、リモーティアは研究室から操作している。
そして休み時間や放課後になると、カルムティルドとのおつきあいが始まるのである。
「それで、演劇の鑑賞券を手に入れたんです。人形をテーマにした演劇だから、きっと君も気に入ると思います」
最近、カルムティルドの距離が近い。これまではテーブルをはさんで向かい合わせに座っていたのに、今はベンチで隣に座って、ぎゅっと手を握って語りかけてくるのだ。
「でも、鑑賞券は一回分しか取れませんでした。夏季休暇の時のように、二回行くことはできません。一回だけですから、パペティアーナにはお留守番してもらいましょう」
パペティアーナの瞳にぐっと顔を寄せてきて、耳元で囁くように語りかけてくる。
近い。近すぎる。カルムティルドの翠色の瞳が、触れるほどに近く感じられる。パペティアーナの遠隔操作を通してすら、彼がすぐ近くにいるように錯覚してしまう。
リモーティアは限界を感じた。遠隔操作を切って、パペティアーナを自律動作に切り替えた。
「あー、無理無理! 心臓がもちません!」
最近、カルムティルドは距離感を詰めてくる。人形を通した付き合い。共有するのは視覚と聴覚。その二つを通してアプローチを図るなら、なるほどカルムティルドのやり方は正しい。とても正しい。正し過ぎて、とてもリモーティアの心臓がもたない。まだドキドキしていた。
しばらくは自律動作でごまかすことにした。
ひとまず、紅茶を淹れて一服した。気持ちも落ち着いたので、そろそろふたたびパペティアーナを遠隔操作に切り替えようとしたところで、廊下からカツカツという靴音が聞こえてきた。
何事かと思っていると、研究室の扉が叩かれた。
「リモーティアさん! 僕とのおつきあいの時は、自律動作に切り替えないって約束しましたよね!? またやったでしょう!」
「な、なんでこんなに早く来れるんですか!? 切り替えた瞬間に気づかなければ、こんなに早くたどり着くはずはっ……!?」
『制御魔導書』は日々改良を重ねている。短時間ならバレないはずだ。
「好きな人の事なんですから、すぐにわかるに決まってるじゃないですか! もう扉を開けますよ!」
まっすぐにそんなことを言われて、ようやく落ち着かせた心臓がまたドキドキし始めた。
どうしようかと迷ううち、研究室の扉の鍵が空けられてしまった。遠隔操作の時は鍵をかけているが、カルムティルドは合鍵を持っているのである。
扉が開くと、パペティアーナを引き連れて、カルムティルドが入ってきた。
「ごめんなさい……」
もう打つ手が無くなって、リモーティアは素直に謝った。
「別にいいですよ。それじゃあ、出かけますよ」
「え、どこにですか?」
「先ほど演劇のお話をしましたよね? 演劇は街の中央劇場で行われます。入場にはドレスが必要です。買いに行かなくてはなりません」
「ちょっと待ってください、そんな急に勝手に決められてもっ……!」
「ちゃんとパペティアーナには許可をもらいましたよ」
カルムティルドはにこりと笑い、パペティアーナは自律動作でうなずいた。
やられた。おそらくカルムティルドは自律動作の回答パターンを利用して、了承させたのだ。
始めに約束を破ったのはリモーティアは、これに異を唱えることはできなかった。
カルムティルドに手を取られ、リモーティアは仕方なく立ち上がる。
「パペティアーナ、所定の位置に移動後、機能停止!」
パペティアーナは一礼すると、研究室の隅、いつも彼女が眠る椅子へと座った。幻覚魔法が解け、彼女は少女から人形の姿へと戻った。
リモーティアはドレスを買いに行くことになってしまった。たぶん夕食もいっしょにとることになるだろう。今日はもう研究をできそうになかった。
人形越しのつきあいなんて提案をしてしまったせいか、カルムティルドはかえってグイグイ来るようになった。
ドキドキしてたまらない。もう少しゆるやかに関係を進めたい。
そう思いながらも、うれしいという気持ちがわき上がってくる。
リモーティアは、カルムティルドにこうして手を引かれるのが、好きなのだ。
いつも新しい場所へ連れて行ってくれる、彼のこの手が好きでたまらないのだ。
終わり
最後まで読んでいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたなら幸いです。