第4話 人形の視点
「え、あの……本当に行くんですか?」
カルムティルドとパペティアーナが美術館に行った翌日。昼も過ぎたころ。
学園の正門の前。馬車でやってきたカルムティルドを前にしながら、リモーティアはまだ信じられない思いだった。
自分のような人間が、同年代の異性と美術館に行くということに、なんだか実感がわかなかったのだ。
ふわふわとした気分のままに馬車に揺られ、やってきたのは昨日と同じ高級洋服店だった。
「あの……カルムティルド様? なぜ洋服店に来たのでしょうか?」
「リモーティアさん……まさかその格好で美術館に行くおつもりですか?」
リモーティアは普段着だった。つば広の帽子に身体を覆うローブ。いつも通りの怪しげな格好だった。カルムティルドの指摘通り、このまま美術館に入ろうとしたら警備の者に職務質問を受ける羽目になるだろう。
「わたしお金あんまりもってませんよ!」
「心配しないでください。プレゼントします」
「そんなのダメに決まってるじゃないですか!」
「昨日、パペティアーナに服をプレゼントしたじゃないですか。それと同じと考えてください」
「人形に服を買うのは当たり前のことです! でも、女性に服を贈るのは特別なことです!」
「リモーティアさんはよくわからないことにこだわりますね」
「こ、こんなことしていたら、またエクセーシア様に浮気者と言われてしまいますよ!」
リモーティアはそこまで言って、ハッとなって口を閉じた。
失言だった。エクセーシアの名は迂闊に出すべきではなかった。
カルムティルドは目を伏せた。
「エクセーシアさんのことは心配しないでください。彼女は自宅謹慎中です。まだしばらくは顔を合わせることはないでしょう」
リモーティアはエクセーシアの現状を初めて知った。
姿を見かけてないと思ったら、そんなことになっていたとは。でもあれほどの大騒ぎを起こしたのだ。そういうこともあるのだろう。
「リモーティアさんも、僕のことを浮気者だと思っているのですか……?」
責める口調ではなかった。深く沈んだ声だった。
リモーティアはそんな有様を見て、とにかくに答えることにした。
「エクセーシア様から、カルムティルド様は浮気者と聞かされてしました。けれどパペティアーナとのおつきあいの中ではそういう方には思えませんでした。でも……今の服をプレゼントする流れは女性の扱いに慣れているように思えました」
はっきりと伝えると、カルムティルドはそっぽを向いてつぶやいた。
「……慣れてなんかいませんよ」
その横顔は大人びて見えた。それなのに、その仕草はすねた子供のようで、リモーティアはどう接するべきか戸惑った。
「僕は子供っぽい見た目のせいで、年上の女性がやたらとかまってくるんです。それがエクセーシアさんには気に入らなかったみたいなんです」
その光景はリモーティアにも想像できた。カルムティルドは整っているが、顔に幼さを残している。そのまっすぐな気性も好まれることだろう。年上の令嬢たちもきっと悪気はなかっただろうけど、ついついそんな感じで接してしまうのだろう。
「ただ年上の女性からかまわれることが多かっただけなんです。それで浮気になるのなら、世界中の赤ん坊はみんな浮気者ってことになってしまいますよ」
だんだん愚痴になってきた。
そこでリモーティアは口をはさむことにした。
「……わかりました。エクセーシア様から事前に聞いていたあなたと、これまで接してきたあなたは違いました。あなたは真っすぐで素直な方で、浮気をするような人とは思いません。でも、そんなあなたが、当たり前に女性に服を贈るのは、何故なんですか?」
「僕はあなたの研究に協力することにしました。そのために、僕なりに、『今できる精一杯の、全力』であたっただけです」
「今できる精一杯の、全力……」
その言葉はよく知っていた。リモーティアがいつも心がけていることだった。
いつの間にかカルムティルドはリモーティアのことを見ていた。彼は何かに納得したようだった。
「やっぱり、あなたが言ってくれた言葉だったのですね……」
カルムティルドは、そう、かみしめるように言った。
カルムティルドとパペティアーナがつきあい始めて一週間ほどした頃のことだった。カルムティルドが魔法を見せてくれることになった。
学園の練習場に行き、カルムティルドは標的のカカシに向けて炎の魔法を放った。
公爵家の子息だけあって、その魔力はたいしたものだった。大きな炎の魔法が出た。しかし精度は低く、ろくに的に当たらなかった。
「あ、あはは。おかしいなあ。いつもはもっとちゃんとできるんですよ?」
明らかに緊張によって焦っていた。
つき合い始めた女性の前だ。あたり前のことだろう。
どうにか落ち着かせたいところだったが、パペティアーナの自律機能では対応できそうになかった。
だからリモーティアは遠隔操作で、カルムティルドにこう伝えたのだ。
「形にこだわらないでください。今できる精一杯の、あなたの全力を見せてください」
かつて、リモーティアはただ高性能の人形を作ろうと思っていた。
誰にでも認められるような、美しくて高性能で素晴らしい人形を夢見ていた。
高すぎる理想を目指して、未熟な彼女は失敗を繰り返していた。心が折れそうになったのだ。
それではダメだと、彼女は考え方を変えた。とにかく今の自分に可能な、最高の人形を作ろうと決めたのだ。
そして幻影魔術による表面の偽装や魔導書による制御能力の切り替えと言う、画期的な制作方法を編み出したのだ。
そして、一般に人形を広めるため、低コストな人形を作るという目標も定まった。一気に道が開けた。
だからリモーティアは、今できる精一杯の、全力を心がけるようになったのだ。
その言葉を受け、カルムティルドは落ち着きを取り戻した。
そして、魔法を放った。恐ろしく研ぎ澄まされ精密に制御された炎の魔法は、炎と言うより光線だった。
そして見事、標的のカカシの中心を穿ったのである。
「僕はそれまで、小さな自分が嫌でした。自分を大きく見せたいと思っていました。でも、あの一言で余計なことを考えるのをやめました。とにかく『今できる精一杯の、全力』今を尽くす。その言葉に、救われた気持ちになったんです」
「そうですか……」
今できる精一杯の、全力。
ありふれた言葉の組み合わせ。込めた意味も、特別なものではない。リモーティアに大切な言葉ではあるけれど、他の人に価値があるとは思えない。
そんな風に喜ばれても、どう受け止めたらいいのかわからなかった。
「そんなわけで、今できる精一杯の全力でリモーティアさんの服を買います」
「なんでそうなるんですか!?」
「そもそもこれは、パペティアーナさんと同じ状況をリモーティアさんが体験するという検証です。彼女が服をプレゼントしたのですから、あなたも同じ体験をしなければなりません」
「え、そうですか……そうなるの、かなあ……?」
「さあ行きましょう!」
そう押し切られて、リモーティアは洋服店に連れ込まれてしまった。
「うう……着飾られてしまった……」
美術館の前。リモーティアはよくわからない後悔を感じていた。
洋服店の店員は、高級店舗の店員だけあって優秀だった。服選びに不慣れなリモーティアに対し、少ない言葉で適切な服をチョイスした。
とにかく地味に。なるべく安く。そんなリモーティアの要望から選ばれたのは、白のブラウスに明るめの青のスカートだった。デザインとしては派手さはないが、いい服と言うのはシンプルなものほど作りの良さで際立つものだ。彼女の持つ知的な雰囲気を見事にマッチしていた。
店員たちによって髪を整えられ、軽いメイクまでしてもらってしまった。この至れり尽くせりっぷりは、さすがは高級店と言った感じだった。普段は研究室にしか居場所がない外見だったが、今のリモーティアはどこに出しても恥ずかしくない立派な令嬢だった。
パペティアーナの時と違い、服は一着に抑えた。人形にお金をかけることには躊躇いはないが、自分に対してとなると途端に財布の紐がきつくなる。リモーティアはそういうタイプの人形好きだった。
「大丈夫ですよ。買った時にも言いましたけれど、よく似合ってます」
「か、からかわないでください!」
カルムティルドの言葉に、思わず大声で言い返してしまう。周りの注目を集めてしまい、リモーティアは真っ赤になって縮こまった。
「とにかく落ちついてください。これは実験の検証です」
「……そうですね。実験には真剣に対応しなければ」
とにかく、リモーティアは深呼吸した。少しは頭が冷えた。でも落ち着かない気分だけはどうにもおさまらなかった。
「パペティアーナを遠隔操作していたときと比べて、気分はどうですか?」
「昨日はウキウキしてましたが、今日はなんだか落ち着かない、ふわふわした気分です……」
「さっそく昨日との違いが見つかってよかったですね。それでは、入りましょうか」
なんだかカルムティルドに圧倒されっぱなしだった。このまま戸惑ってばかりも嫌だったので、覚悟を決めてリモーティアは美術館の中へと入っていた。
とはいえ、昨日パペティアーナと視覚を共有して見たばかりである。新しい発見なんて無いだろうと思っていた。
でもそれは、まったくの間違いだった。
美術館と言うのは、美術品の魅力を引き出すことに特化した施設である。照明、配置、芸術品の並びに至るまで、すべてが演出されている。
パペティアーナと共有していたのは視覚と聴覚のみだった。
五感で感じる「美術館という空間」は、まったくの別物だった。
芸術品には様々な感情が込められていた。ほとばしる情熱。ほの昏く燻る情念。底知れぬ闇。鮮烈な輝き。パペティアーナを通しては、見えなかったものを感じた。
そこで、リモーティアは人形の視覚の精度が思ったより高くないことに気づいた。
例えば油絵だ。人形の視覚でも何が描かれているまではわかった。だが油絵は立体物だ。その表面は絵の具が重ねられ、表面は均一ではない。その微妙な凹凸は、人形の視覚では捉えら切れていなかった。それらの細かな違いを感じ取ると、絵の印象は大きく変わった。驚くべき情報量があった。
昨日は美術品より、それを運営する人々に目が行った。今日は様々な美術品に夢中になりながら、リモーティアは美術館の中をめぐっていった。
「来てよかったです! カルムティルド様、ありがとうございます!」
昨日と同じく、美術館の後は、隣接した喫茶店に寄った。
そこで席に着くなり、リモーティアはカルムティルドへ感謝の言葉を贈った。
「わたしは芸術なんてわからないから、美術館なんて退屈な場所だと思っていました。でも今日は、素敵なものをいっぱい見ることができました!」
「リモーティアさんはもともと人形作りをしているくらいだから、芸術的素養は十分あったんだと思いますよ。喜んでもらえてよかったです。僕も新たな発見があって楽しかったです」
夢中になって様々な芸術品を楽しむリモーティア。それについていき、ともに見て言葉を交わしたことで、カルムティルドもまた、いくつかの芸術品の新たな魅力に気づくことができた。彼にとっても充実した時間をすすことができたのだった。
その後、紅茶とケーキを頼み、二人で軽食を楽しんだ。
食べるうちに考えがまとまったのか、リモーティアはふたたび人形について語り始めた。
「今日のことで思ったんです。普段わたしたちは感情で物を見ていますけど、人形を通すと理性で物を見ることができるんじゃないかって……」
「それは面白い視点ですね。人間と人形……言われてみれば、見えるものが違うのも当たり前なのかもしれません」
「今までわたしは、自律型の人形を作ることを目標にしていました。遠隔操作はあくまでその補助でした。でも、遠隔操作型の人形も可能性があるように思えてきたのです。なんだかいろいろ思いついてきました! 忘れないうちにまとめたいです! カルムティルド様! 学園まで送っていただけますか!」
「ええ、わかりました」
二人は学園に戻るべく、馬車に乗り込んだ。
「今日は本当にありがとうございました!」
「あ、ちょっと待ってください!」
学校に着くなり研究室へ駆けだそうとしたリモーティアを、カルムティルドが呼び止めた。
「なんでしょう!?」
「今日みたいに、いろんな場所に行って実験をしたいと思うんです。夏季休暇中、お誘いしてもいいですか?」
「ええもちろん! こちらからお願いしたいくらいです!」
「いつ頃なら大丈夫ですか?」
「今日のことをまとめていろいろ試したいので、そうですね……三日後くらいなら平気です!」
「わかりました。そのころに使いの者を出します」
「はい! お待ちしています!」
今度こそ立ち止まらず、リモーティアは学園の中、研究室へ向けて駆けだしていった。
その後ろ姿を、カルムティルドは楽しそうに眺めていた。
そして彼女の姿が後者の中に消えると、控えていた執事に届け物を頼んだ。
リモーティアは今日プレゼントしたブラウスとスカートを着て研究室に行ってしまった。洋服店で脱いだ帽子やローブは馬車に残したままなのだった。
こうして夏休みの間、リモーティアとカルムティルドは様々な場所に行き、いろいろな発見をしたの。
リモーティアは、研究室にこもって技術を追求することこそ、人形の性能を高める唯一の手段と思っていた。しかし、世の中の様々なものに触れ、感じ、考えることが可能性を広げる。
この夏、そのことを知ったのだった。