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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

泡沫夢幻の恋

 町外れの、人気のない小さな公園。

 特に遊具があるわけでもないこの公園に、あんまり人は立ち寄らない。

 狭い公園の中にぽつんと大きな桜の木が一本植ってる。この桜の木は本当に大きくて、この公園の空の四分の一程度は、この桜の木の葉っぱに隠れている。

 俺はこの公園が好きだった。

 小さい頃から何かあった時、1人になりたい時、ふとした時にここに立ち寄ってきた。

 もっとも、そんだけ来ててもここに先客がいるところは見たことないけど。

 でも、そんな公園に毎回来てしまうのはちょっとした訳がある。


 あれは、小さい頃、本当に小学生になったすぐぐらいだった気がする。

 俺には弟がいるんだけど、親が弟にばかり構ってて、それで俺が拗ねて家出してこの公園に来たの。で、ずっとこの桜の木の下で泣いていたの。

 そしたら、多分20代前半ぐらいの、すっごくかっこよくて優しい男の人がいて、ずっと俺の話を聞いて、頭をぽんぽんしてくれて俺を家に帰すように説得してくれたんだ。

 一目惚れってわけじゃないけど、もう一回会ってみたい人なんだよね。

 でも、それ以降、その人を見ることはなかったの。次の日お礼をしようと思って公園に行ってもいないし、こうしてちょくちょく来ては桜の木の下でぼーっとしてるんだけど、未だに会えてない。

 今日もまた、あの時のことに思いを馳せながら、桜の花びらの絨毯の上で微睡む。

 春の風に頬を撫でなれて、だんだんと瞼が閉じていく。

 俺はそこで記憶が途絶えた。


 「ん…?」

 誰かに頭を撫でられている感触がして、意識が覚醒していく。

 「あっ、起きた?こんなところで寝てたら風邪ひくよ〜?」

 頭の上から優しくて、安心して、それでいてどこか間延びしたような、そんな声が聞こえてくる。

 「えっ!?」

 そこでようやく自分の置かれている状況に気づいた。

 なんか、このぽわぽわな人(仮)に膝枕され、挙句頭を撫でられていたらしい。

 思わず撫でてくれていた手を跳ね除けて起き上がってしまう。

 「わっ、びっくりした」

 「えっ!?誰ですか!?」

 飛び退きながら咄嗟に聞く。

 こんだけ動揺してても敬語が出てくる俺すげぇ。

 「俺は涼。青柳涼あおやぎりょう。久しぶりだね、大ちゃん」

 「ええっ!?」

 なんでこのぽわぽわな人(仮)…じゃなかった、涼さんは俺の小さい頃の呼び名知ってんの!?

 しかも、久しぶりって…どこかで会ったことあったっけ…?

 俺、記憶力悪いけどさ、人の顔なんてそう忘れないし…しかもこんなイケメンさん。

 俺が腕を組んで百面相していると、それを見て涼さんがふわっと笑った。

 あれ…?

 この笑い方、どこかで見たことあるような…。

 「覚えている?俺たち、一回ここで会ってるんだよ」

 そう言って涼さんは、懐かしそうに目を細めて、桜の木を見上げた。

 こんなところで会った人といえば、1人だけ…ってまさか!

 「あの時のあの人!?」

 言われてみれば雰囲気とか声とかそっくりじゃん!

 なんで俺今まで気づかなかったんだろう!

 「あの時がどの時かわかんないけど、多分その人だよ。大ちゃんが言ってるのはきっと、小さい頃、大ちゃんがわんわん泣いて俺が慰めてた時のことでしょ?」

 本当にあの人だった。

 「でもそのわりには全然見た目変わってないですよね?」

 そう、俺が気づかなかった理由は多分これ。

 俺は今高1で、あれから数えても軽く10年は経ってる筈なのに、なんで見た目があの頃と変わってないんだろう?

 いや、もしかしたら声とか体格とか変わってるのかもしれないけど、それでも、ぱっと見わからないレベル。

 普通、人間だったら10年も経てば、相当老けるはず。なのに、涼さんはホントに昔の俺の記憶の涼さんと変わってない。

 「うーん…大ちゃんはさ、俺がこの桜の木の妖精って言ったら信じる?」

 「ええっ!?」

 なんていうか…色々衝撃が大きすぎる。

 ここであの時の人に会えたっていうのも驚きだし、涼さんが桜の木の妖精だなんて、もっと驚く。

 「嘘って思うかもだけど、ホントだよ。…信じてくれる?」

 「…うん。信じる。だって涼さん、俺を騙すような人じゃないもん!」

 「良かった!」

 俺がそういうと、少し悲しそうな表情から一変して、ホントにぱあって字幕がつくぐらいの笑みで抱きついてきた涼さん。

 もうなんていうか、涼さんっていうより、涼ちゃんっていう感じかも。

 「…なんか涼ちゃんいい匂いする?」

 「ん〜?自分ではわかんないや」

 涼ちゃんの首元に顔をうずくめて、匂いを確かめる。

 ん〜、なんだろ…。

 「ちょ、大ちゃん、恥ずかしいよ…」

 「あ〜!桜の香りだ!」

 「俺の話聞いてた!?」

 ごめんなさいあんまり聞いてないです。



 2人で桜の木に背を預けて、隣に座る。

 特に、これといって内容のある話はしてないけど。

 「そういえば、大ちゃん、あの時さ……大ちゃん?」

 「ん、いやなんていうか、その、大ちゃんって、呼び名、変えられる?」

 「えっ、もしかして嫌だった?」

 あーもう!

 俺の語彙力のなさが悔やまれる。

 完全に涼ちゃんがしゅんとしてしまった!

 「いやあのそうじゃなくてね!」

 いや、あの、だってさ、俺もう高校生だよ?

 高校生なのに、大ちゃんって…なんかさ、恥ずかしくない?

 「あー、そういうこと?じゃあ、大希だいきくんって呼んだ方がいい?」

 「ええっ!なんで分かったの!」

 まさか心の声ダダ漏れ?

 それはそれで…直さなきゃ。

 「あはは、そうじゃないよ」

 「ほへ?」

 「だから、心の声は漏れてないよって」

 「じゃあなんで!?」

 いやホントになんで!?

 妖精に透視能力なんてないよね?…いや、もしや俺が知らないだけでほとんどの人はその能力を知ってるとか?

 「ふふっ、そうじゃないよ。妖精ってね、考えてることがわかるんだよ」

 「すごっ!」

 「さすがに、深層心理までは見えないけどね」

 深層心理?

 なにそれ…マジわからん…。

 「あ〜、なんか、心の底で本当はこう思ってる、みたいなことのことかな?」

 「妖精さんってホントすごいんだね…じゃなくって!俺の名前覚えてるの!?」

 「うん、まあ…だって、ここにくる人少ないし…ああ、あの子また来てるな〜って思いながら見てたよ?」

 えっ、それじゃあ俺ずっと観察されてたの?

 なんか…恥ずかしい…。

 いや、特にやましいことをしていた訳じゃないけどさ!

 自分の行動が全て見られていたと思うとなんか、ね?

 「いやー、あの時小さかった子がこんなに大きく…」

 「もうっ!子供扱いしないでよ!」

 なんか、小さい子扱いされてるみたいで納得がいかなかったので涼ちゃんを突いてみる。

 わかりやすくくすぐったがってたから、面白くなってどんどんくすぐってみる。

 「わははは…ちょ、大輝くんもうギブアップ!」

 すごくくすぐったそうに身を捩ってギブアップを求めてくるから、手を止めてあげると、涙目で肩で息をしている涼ちゃん。

 「涼ちゃんくすぐり弱いんだね。なんか意外かも」

 なんか、妖精ってわりとなんでもできるイメージがあるから、涼ちゃんの弱点がくすぐりって意外だった。

 「はあはあ…そりゃそうだよ。普段こうやって人に触られることないもん」

 「へぇ〜そうなんだ。ねえ、涼ちゃんは今までどこか行ったことあるの?」

 「ううん。俺、1人だと桜の木からあんまり離れられないんだ。今回みたいに、大希くんがいたら、色んなところ行けるんだけど、」

 ふと興味が湧いて聞いてみる。

 ほら、妖精ってどんなところでもひとっ飛びでいけそうじゃん?ファンタジーの生き物だし……ファンタジーって言っても、現実にいるんだけど。

 でも、帰ってきた答えは予想外のものだった。

 まさか、そんな制約があるとは…

 俺がいればどこにでも行けるんだ…じゃあいろんなところ連れてってあげたいな。

 「へぇ〜、あっ、じゃあせっかくだしさ、うち来ない?」

 だって涼ちゃんにいろんな景色見せてあげたいし!

 ということで誘ってみた。

 俺、一人暮らしだから帰ってももちろん1人で、ちょっと寂しいんだよね。

 「えっ?いいの?でも、お邪魔じゃない?」

 「ううん!俺、一人暮らしだからむしろ寂しいからきて!」

 「じゃあお邪魔しようかな」

 少し戸惑ってたけど、許可を得られたので早速、涼ちゃんの手を引いて公園を出る。

 不思議だ。

 こうしてちゃんと手も握れるし、あったかいのに妖精さんなんて。

 「うー、迷子になりそう…」

 「大丈夫!俺についてきてね〜」

 「ふふっ、はーい」

 公園から徒歩10分程度のところにあるマンションの一室が俺の家だ。

 親が気を遣って、家賃とかは払ってくれるから、それなりのセキュリティの所に住めている。

 「お邪魔しまーす」

 「はーい、あっ、ちょっと散らかってるかも…」

 俺の部屋は至ってシンプルな造りで、テレビと正面にソファとローテーブル。端の方にベット。なんとなくオシャレにしたくて観葉植物とか置いたりしてみてるけど、あんまり世話は出来てないんだ。

 「あっ、ねこ〜!かわいい、白猫ちゃん?もふもふ〜」

 えっ、涼ちゃんには白猫の霊か何か見えてるの!?

 「ねえ、大輝くん。このねこの名前、なんていうの?」

 「どのねこ!?」

 「あーあ、バレちゃった」

 そう言いながら、ぼんやりとシルエットが浮かび上がる。

 ホントにいた、白猫ちゃん。…え、なんで。

 「ええーーー!?」

 「あれ、そっか。今日会ったのが、ほぼ初めてに近いもんね、俺たち」

 いや説明になってないよ涼ちゃん!

 その後、涼ちゃんの説明を聞くと、要するに、妖精はどんな植物にも宿れるんだけど、その姿は様々で、涼ちゃん曰く本来なる姿が反映されているんだとか。だから、涼ちゃんだと、人が妖精になって桜の木に宿ったから人型だし、この白猫ちゃんだと、白猫が妖精になってうちの観葉植物に宿ったってことらしい。

 で、一回妖精がはっきり見えた人はそれから妖精が見えるようになるんだって。

 だから、今日涼ちゃんとはっきり喋ったし、なんなら触っちゃったから、それでこの白猫ちゃんも見えるようになったらしい。

 「ねこなのに人間の言葉わかるんだ…」

 「ねこ以前に私は妖精だもん」

 「俺たちにとっては、大事なのは妖精としての能力だから、見た目はほとんど気にしない子が多いんだよね。それでも、人は憧れるらしいけど」

 「ふーん…あっ、白猫ちゃんに名前をつけてあげよう!ねーねー、どんなのがいい?」

 「かわいいの!」

 どうやらこの白猫ちゃんは女の子らしい。なんか、少しお茶目な感じかな。あと、甘えたさんみたいな。

 ねこの割にはツンデレじゃないみたい。

かわいいのか〜難しいな。

 …俺、彼女いたことないし。

 「じゃあ、…ゆりちゃん!どう?」

 「ゆりちゃん?」

 「そう!この真っ白な毛並みがゆりの花の色みたいだったからゆりちゃん!」

 俺が考えつく前に涼ちゃんが思い付いた。

 でもかわいいし、いっか。

 白猫ちゃん…もといゆりちゃんも頷いているっぽいし。

 「まさか大希くんが誰か連れてくるなんて…この人どちら様なの?」

 ゆりちゃんが、上目遣いのポーズ的なのを決めながら聞いてくる。

 そういえば、まだ涼ちゃんのこと紹介してなかったな。

 そう思って口を開こうとしたんだけど、涼ちゃんの方が早かった。

 「はじめまして、ゆりちゃん。青柳涼です。ゆりちゃんみたいに、桜の木の妖精なんだよ。よろしくね」

 そう言いながら涼ちゃんはまたゆりちゃんをもふもふと撫でた。

 「もしかして…」

 気持ちよさそうに目を細めると、何かに気づいたようにふと目を開けてそう呟いた。

 特に主語は言ってない筈なのに、やっぱり妖精さんには何か通じるものがあるのか、涼ちゃんは少し悲しそうに目を伏せて、でもそれからすぐに笑って、人差し指を唇に当ててシーってポーズをしてた。

 ゆりちゃんはそれを見て、心配そうな目を向けていたけど、俺には何が何だか。

 「よしっ!とりあえず夜ご飯食べよ!あー、でもゆりちゃんはどうしよう…」

 2人の会話に割り込むのは諦めて、会話の流れを断ち切るようにそう切り出す。

 けど、言ってから気づいた。

 ねこに何を食べさせればいいのか…。

 悩んで、なんでも教えてくれる四角い箱に頼ろうとスマホを出すと、2人…っていうか、1人と1匹?はきょとんとして、声を揃えていった。

 「俺たち、食事はいらないよ?

 「私たち、食事はいらないよ?」

 「ええっ!?じゃあ普段どうしてるの?」

 もう何度目かわからない爆弾発言に心臓止まりそう…。

 妖精って、案外そういうの気にしないのかも…。

 「人やねこの姿をしてても元は植物だから、水さえあれば生きていけるんだよ」

 「味覚はあるんだけど、無理して食べる必要はないんだよ?」

 「そうなんだ〜…」

 ん〜じゃあ、俺と涼ちゃんの分だけ作って、申し訳ないけどゆりちゃんにはお水で我慢してもらおう。

 「ね、涼ちゃん!何食べたい?」

 「ん〜?大輝くんが作ってくれるならなんでもいいよ」

 そう言ってふわっと笑う涼ちゃん。

 いやイケメンすぎ。でもやってる相手俺だよ!?

 誰が得するのよ?!

 でも、なんか…心臓撃ち抜かれた気分。

 いやそうじゃなくて!

 何作るかだよ!

 俺は冷蔵庫を開けて、残ってたもので何ができるか、頭の中でシュミレーション。

 一人暮らし始めるようになってから、なるべく自炊する様にしたんだよね。頼むと高いし。

 でも、ちょっと前まで全然包丁握ってなかったから、作れるのはまだ少ないんだ。

 レタス、豚肉、人参、…野菜炒めでいっか。

 肉とかは、常温で置いておくとダメになっちゃうからしまっておいて、先に米を研ぐ。

 向こうでは、涼ちゃんとゆりちゃんがじゃれてる。

 …少し、胸が痛むのは気のせいにして、炊飯器のボタンを押す。

 次、野菜と肉を食べやすい大きさに切って、炒める。

 味付けは…まあ、いつも通りでいっか。

 絶対に使うことのないと思われていた、俺のと対になっているお茶碗と、こちらも俺のと対になっているお椀を食器棚から出す。

 買った時からどっちも二組セットだったんだけど、あんま気にせずに片方だけ使うつもりで買ってたんだよね。

 軽く菜箸で混ぜながら野菜と肉に火を通していく。

 「よし、こんなもんかな」

 「できたの〜?」

 「うん、簡単なものだけど」

 キッチンに涼ちゃんがやってきた。俺より涼ちゃんの方が背が高いから、後ろからでも簡単に覗き込めるんだよね、なんかずるい。

 「美味しそう〜。ね、早く食べよ?」

 「うん、じゃあこれ持ってって」

 「はーい」

 野菜炒めを大皿に盛り付けて、涼ちゃんに持っていってもらう。その間に俺はお茶碗にご飯をそよう。

 涼ちゃんがどれだけ食べるかわからないから、とりあえず俺と同じ量。

 「はい、どーぞ」

 「うわ〜ありがとう!いただきます」

 「どう?」

 正直、人に自分の作った料理食べてもらうの初めてだったから、すっごくドキドキした。

 でも、涼ちゃんは

 「すっごく美味しいよ!」

 って言ってまた笑ってくれた。

 その後もパクパクと食べ進めていってて、ホントに喜んでくれたんだな〜ってよくわかる。

 俺も一口食べてみる。…ん、今回のは上出来かも。

 ふと視線を上げると、目の前には口いっぱいにご飯を食べている涼ちゃん。

 ホントにほっぺが膨らんでリスみたい。

 「あっ、涼ちゃん。ほっぺにご飯粒ついてるよ」

 「えっ、どっち?」

 俺が気づいてそう言うと、慌てて箸を置いてほっぺを触り始める。

 だけど、涼ちゃんが触ってるの、ご飯粒がついてる方と逆なんだけど、気付きようのない涼ちゃんは必死に逆側を触ってる。

 「ほら、こっち」

 俺は机の反対側から腕を伸ばして、涼ちゃんのほっぺについていたご飯粒を取ってあげた。

 「あ、ありがとう」

 ほんとりと桜色に染まる涼ちゃんのほっぺ。

 恥ずかしそうに少し俯きながらお礼をいう涼ちゃん。

 かわいい。

 そう思った俺の感情を、なんら疑うことなく受け入れたことに、俺は驚いた。

 ああ、もしかして俺は、もう涼ちゃんのことを好きだったのかもしれない。

 そう思うと今までの行動全てが一気に恥ずかしく思える。

 俺も涼ちゃんと同じぐらい、いやそれ以上に赤くなってたかも。

 「このバカップルめ…」

 と、ある意味恨めしそうに、ゆりちゃんが呟いていたことに俺たちは気づいてなかった。



  「お風呂上がったよ〜。ねえ、涼ちゃんどこで寝る?」

 「えっ、いいよ?俺ソファでも平気だよ」

 お風呂から上がって、タオルで髪の毛を拭きながら聞く。

 涼ちゃんはテレビを興味深そうに見ていたけど、俺が声をかけるとすぐにこっちをむいて答えてくれた。

 きょとんと、っていうよりなんか当たり前みたいに答えてるけど、普通じゃないから!

「お客さんだからベットで寝て!ほら、いいから!」

 立ち上がって動こうとした涼ちゃんをぐいぐいとベッドの方に押す。

 床でゆりちゃんがとことこついてきてる。

 なんていうかゆりちゃん、あの植物の持ち主である俺じゃなくて、涼ちゃんに懐いちゃったっぽいんだよね。

 納得がいかないというか、なんというか。

 そんなことを思っていると、ベッドに潜り込んだ涼ちゃんの手を引かれて、俺も必然的にベッドの中に引き摺り込まれる。

 「一緒に寝よ、?」

 何この妖精、可愛すぎない?

しかも腕引っ張られてきたから見事に今、俺は涼ちゃんの腕の中。

 完全に抱きしめられてる状態です。

 身長差のせいで、見事にすっぽり腕の中に収まっている俺。お陰で逃げようにも逃げられないし、そのせいで、なんていうか…色々ヤバい。

 破壊力とか可愛さとか俺の感情的な問題とか…。それもヤバいし、何より恥ずかしくてお互い顔が見れてないっていうのが一番ヤバい。

 「おやすみ、大希くん」

 視界の端から覗くと、そう言ってふわっと笑う涼ちゃん。

 なんか、余裕あって悔しい。

 そう思った俺は、少し顔を出して涼ちゃんのほっぺにキスを落とす。

 「おやすみなさい、涼ちゃん」

 そう言って顔を反対側に向ける俺。

 恥ずかしさのあまり布団に潜っちゃったせいでわからなかったけど、その時の涼ちゃんの顔は、真っ赤だったらしい。

 ちょっと見てみたかったかも、なんて。



 朝、カーテンの隙間から入る光で目が覚めた。

 布団の中でもぞもぞ動く。

 …あれ?

 昨日抱きしめられて寝たはずの涼ちゃんがいない。

 慌てて起きて目を擦ると、ベランダへ出る窓のカーテンが少し開いてるのが見えて、ベッドから出てとりあえずカーテンを閉めようと動くと、ベランダに涼ちゃんがいるのが見えた。

 静かに近寄ると、ちょうど朝日に照らされた涼ちゃんの横顔がすごく綺麗で、なんで今カメラ持ってなかったんだろうなんて的外れなことをつい思ってしまう。

 しばらくその美しい光景を目に焼き付けて、ようやく俺は涼ちゃんに声をかけた。

 「涼ちゃん?」

 「あ、大輝くんおはよう。起こしちゃった?」

 ベランダの手すりに腕をついて体重を預けていた涼ちゃんがゆっくりとこっちを見て、挨拶してくれる。

 「ううん、今起きたところだよ。こんなところでどうしたの?」

 「ん〜…幸せに浸ってた、かな」

 それって、今までこんな場所で朝日なんて見たことがなかったから、なのかな。

 ちょっと残念、だったかな。

 …って、何が残念なんだよ、俺!

 「さ、戻ろっか」

 そう言って涼ちゃんは踵をかえして、部屋の中に戻っていった。俺もすぐに後を追う。

 なんていうか、珍しい朝になったな。

 多分、あの横顔は一生忘れないかも。



 今日は日曜日。

 朝、あんなこともあって早く起きたけど、本当はいつもこんなに早く起きていない。

 だからせっかくだし、どこかに出かけようかと思って涼ちゃんに聞いてみる。

 「今日はどうするー?せっかくだからどこか出かける?」

 言ってから気づいた。

 これだと、出かけるか出かけないかを聞いてることになってしまう。

 どうしよう、俺は出かける気満々なんだけど、これで出かけないって言われたら俺超手持ち無沙汰になるんだけど。

 そんな俺の戸惑いの表情に気づいたのか、涼ちゃんはふっと笑って、出かけるって答えてくれた。

 「ありがとう!ね、どこいく?」

 「大希くんの好きなところでいいよ。俺、そういうのあんまり知らないし」

 「うーん…あ、じゃあ!」


 俺たちが来たのは水族館。

 券売機でチケットを俺と涼ちゃんの分を買おうとすると、何故か涼ちゃんに止められた。

 「待って、」

 「ん?どうしたの?」

 「チケット、一人分だけで平気だよ?」

 「え、なんで?」

 すると、後ろの人が、俺の隣にいた涼ちゃんにぶつかった。

 けど、何も言わずに、なんなら振り向きさえせずに行ってしまった。

 何あの人!

 人にぶつかってるのに謝りもしないなんて!

 「今、大希くんには俺が見えてるけど、他の人には見えてないの。だから、チケットは1人分で平気ってわけ」

 「へー、なんかお得な気分」

 「そう?」

 たしかに周りの人には涼ちゃんが見えてないみたい。

 今も、こいつ1人で何話してるんだって目で見られてるし、改めて考えるとホントに不思議な光景に見えてるんだろうな、きっと。

 でも、そんな周りの目も気にならないくらい楽しんでるっていうのが自分でもわかるくらい、浮き足立ってるのがよくわかる。

 「ほら、行こ!」

 「うん!」


 「へ〜、魚、初めて見た。こんなに種類があるんだね」

 最初の淡水魚の水槽のところからもう視線が魚に釘付けな涼ちゃん。

 桜の木から離れたことがなかったから、魚も見たことなかったらしく、興味深そうに解説のプレートを目で追っていた。

 「っていうか、涼ちゃんは文字読めるんだ」

 「そりゃね。昔はよく人がいない時に姿を見せては本を読んでたんだよ」

 「へ〜って、その本どうやって手に入れたの?」

 「えっとね、昔、大希くんが来てくれるようになったころよりずっと前に、俺の話し相手になってくれてた人が貸してくれてたの」

 なんか、涼ちゃんの姿を初めて見たのが俺って思い込んでたのが恥ずかしい。

 そっか、そうだよね。

 何も、人の姿を見せたのが俺だけなんて言ってないしね。

 「へー、そのわりには全然外の世界を知らないんだね」

 勝手に自分が一番をもらっていたと勘違いしていたことを隠すようにそう言い捨てる。

 「でも、こうして出かけるなんてことなかったから、新鮮で楽しいよ」

 軽く嫉妬しかけてた俺の心は、その一言だけで沸くように盛り上がる。

 なんか俺単純すぎない!?

 俺が内心葛藤してると、淡水魚から海の魚の展示になり、それに合わせてか照明も若干暗くなる。展示を分ける境目となっているトンネルを抜けると、まず最初に出てきたのはくらげのコーナーで、水槽の中のカラフルな照明を際立たせるためか、今までよりより一層天井の明かりが暗くなる。

 「大希くん、手繋いでいい…?」

 「っ、うん!」

 暗い照明でも分かるほどに顔を赤く染めた涼ちゃんが、恐る恐る手を出してくる。

 俺は至って平静に見えるように手を取ったけど、内心心臓バックバク。

 ねえ、涼ちゃん。

 そんな思わせぶりな態度、取らないでよ。

 勘違い、しそうになっちゃうから。

 俺は、握った手に、ぎゅっと力を込めた。


 ドッキドキの海の魚のコーナーを抜けて、俺たちはイルカショーを見に行くことにした。

 「ねえ、イルカショーってどんな感じなの?」

 手は握ったまま、涼ちゃんが俺を覗き込んで聞いてくる。

 あざといな〜。

 こういう一つ一つの仕草が、俺をドキッとさせてくる。

 「大希くん?」

 「あ、うん。えっと…大抵は、飼育員さんのホイッスルに合わせてイルカがジャンプしたり、プールの中をぐるぐる回ったりするんだよ」

 「へー、なんかすごそう…」

 「あ、ほら、始まるよ」

 段々とポップスの音楽が流れてきて、飼育員さんとイルカがプールサイドへ出てくる。

 観客席側にも、人は相当いて、いろんなところから楽しそうな話し声が聞こえる。

 「あ、涼ちゃんこれ持ってて」

 さっき入り口で買ったレジャーシートをカバンから取り出して広げ、角を涼ちゃんに持ってもらう。

 「レジャーシート?なんで?」

 そっか、そういうのも初めてなんだ。

 なんか嬉しい。

「イルカがジャンプする時にすごい水跳ねるから、みんなこうやってレジャーシートで防水してるんだよ」

 そう言って俺もレジャーシートの角を持つ。

 するとすぐに、飼育員さんのアナウンスと共にイルカショーが始まった。

 最初からイルカが大きなジャンプを飛び、水飛沫が跳ねる。

 「うわっ!」

 隣で涼ちゃんが、初めて見たイルカの迫力に声を上げていた。

 イルカが、もう一回さっきよりも大きなジャンプをすると、再び水飛沫が飛んできて、そのたびに声を上げる涼ちゃん。

 「かわいい…」

 思わず、本音がポロリと溢れる。

 ヤバいと思って口を抑えるけど、本人はこっちに見向きもせずイルカに見入ってたから気づいてないみたい。

 良かったと思って、口を抑えていた手を外す。

 本来なら、好きな人に見向きもされないで他のものに見入ってるとか、悲しむべきなんだろうけど、今回はむしろイルカに感謝する。

 すると、アナウンスが入り、イルカショーのクライマックスが伝えられる。

 そっか、俺が慌てたり焦ったりしてる間にもうそんなところまできてたんだ。

 最後の演目は、天井から吊るされているボールをイルカがジャンプして揺らすという、わりとよくある演目だが、この水族館のは他の所より若干高い位置にボールが設置されているのか、今まで以上に助走をとってイルカがジャンプに差し掛かる。

 「わーーっ!」

 大きいジャンプの反動で今まで以上に水飛沫が飛ぶ。

 再び涼ちゃんがレジャーシート越しに目を輝かせてイルカを見る。

 俺はそんな涼ちゃんを眺めて1人幸せな気分に浸ってみる。

 そうしている間にイルカショーは終わっていた。

 「終わっちゃったね、イルカショー」

 「うん。次どこ行く?」

 「中はもう見終わっちゃったしね。ん〜…あ!」

俺は水族館を出て、とある場所に涼ちゃんを連れて行くことにした。



 俺は涼ちゃんの手を引いて、駅まで歩いた。改札を通って、家に帰る方向のホームの電車に乗り込む。

 「え?どこ行くの?」

 「んふふ〜、着くまで内緒」

 「え〜、教えてよ」

 家の最寄駅の7つほど手前の駅で降りる。

 実はこの駅、高校の最寄駅で、電車通学の俺は毎日使っている駅だ。

 改札を出て、普段なら右に曲がるところを左に曲がって路地を抜けていく。

 「本当にこっちに何かあるの?」

 「うん!とっておきのところ!」

 細い曲がり角を抜けた先に見えてきたのは、夕陽に照らされた海。

 「うわぁ…綺麗…」

 「ふふ、綺麗でしょ。俺のお気に入りの場所なの」

 そう言って浜にしゃがみ込む。

 田舎の海だから、休日でも人は全くいない、俺たちだけの貸し切り状態。

 「海、ちょっと入ってみない?」

 「え、入れるの?」

 「うん、浅瀬なら平気だよ」

 「入りたい!」

 靴下と靴を脱いで丁寧に横に並べると、一目散に海に向かって走っていく涼ちゃん。

俺も後を追うように走る。

 と、ふと浜辺にピンク色の何かを視界の端に見つけて、俺は気になって足を止め、それを手探りで探してみる。

 すると、少し砂を掘ったところに桜色の貝殻が寄り添うようにして二つ埋もれているのを見つけた。

 この貝も元は一つの貝だったのかな、なんて思いながら掘り起こしていると涼ちゃんが走りよってくる。

 「何かあったの〜?」

 「ん〜と、はいこれ、あげる!」

 「ん?貝殻?すごい!綺麗な色」

 掘り起こした貝殻を砂を払って涼ちゃんにあげる。

 俺も片方をもらうことにした。

 「ふふっ、涼ちゃんの桜の色と一緒だね」

 「そうだね!お揃い!」

 2人で空に貝殻を掲げてみる。

 夕焼けの空に桜色の貝殻がよく映える。

 この景色を知ってるのは、俺と涼ちゃんだけ。

 そう思うと、嬉しくて仕方がなかった。



 あの後少し浅瀬で遊んで、暗くならないうちにまた電車に乗って、喋りながら帰ってきた。

 「ただいま〜」

 「おかえり〜。楽しんできた?」

 「うん!楽しんできたよ!」

 ただいまって言うと、ゆりちゃんがリビングから歩いて出迎えてくれる。

 涼ちゃんは嬉しそうにゆりちゃんを抱えてリビングに行った。

 涼ちゃん、ゆりちゃんをもふもふするのが好きらしくってよく撫でてるんだよね。

 なんか複雑。

 「ご飯どうする?何か食べたいものある?」

 手を洗いながら今日の夜ご飯のメニューを聞く。

 「じゃあ、カレー?っていうの食べてみたい!できる?」

 「もちろん!待っててね!」

 人参とジャイガモ、豚肉などを手際よく切って、火の通りずらいものから炒めていく。

炒めたら水を入れて煮込んで、そこにルーを入れて終わり。

 慣れると案外簡単にできるカレーを、俺はよく作っている。

 カレー美味しいしね!

 「はい、どうぞ!」

 「すごい!大希くん色々作れるんだね!」

 「そうでもないわね」

 「ゆりちゃん、俺が否定する前に切り捨てないでよ!」

 涼ちゃんの足元で丸まっていたゆりちゃんがむくっと起きあがって会話に参加してくる。

 事実だからあんまり反論できないのが悔しい。

 「それでも美味しいよ。ありがとう、大希くん!俺、こういうのは出来ないから」

 「いいよ別に!涼ちゃんはお客さんだもん、これぐらいするよ?」

 そう言いながらスプーンを口へ運ぶ。

 やっぱカレー美味しい。

 「…ねえ、明日、大輝くんは高校ある?」

 ふと、手を止めて涼ちゃんが聞いてくる。

 その様子に疑問を持ちつつも俺は明るく答える。

 「それがね!明日創立記念日らしくて、休みなんだ!」

「そうなんだ。じゃあ明日は思う存分お家でゆっくりできるね!」

 そのセリフを聞いたゆりちゃんがまた不安そうな目線を涼ちゃんに向けながら、何故か俺の膝にぴょんと飛び乗ってきた。

 不思議に思いながら、また他愛のない話をして、穏やかに夕食は終わった。


 あのゆりちゃんの不安げな視線の意味を考えながら、ささっとお風呂に入って、また2人で布団に潜る。

 でも、上でゆりちゃんが丸まってるから実質3人に近いかも。…ねこだけど、喋れるし。ってよくよく考えたら今この家には妖精が2人…1人と1匹、いるんじゃん。

 なんていうか、みんな喋れるし、なんなら涼ちゃん人の姿とってたから忘れそうになってた。

 「…ねえ」

 「ん?」

 そんなことを延々と考えていると、ふと涼ちゃんが声をかけてきた。

 「…ううん、やっぱりなんでもない。ごめんね、変に声かけて。おやすみなさい」

 「涼ちゃんがいいならいいけど…おやすみ」

 俺は、疑問を持ちながら眠りについた。

 隣で涼ちゃんがもぞもぞ動いてたような気がしたけど、気のせいだったのかな。



 大希くんが眠りについたのを確認して、布団から顔を出す。

 「…ごめんね、大希くん」

 しばらく大希くんの寝顔を眺めてたけど、俺は大希くんのふわふわの髪を少し避けて、大希くんの唇を奪う。

 俺からのキスは、これが最初で最後。

 ねえ、神様。

 もしいるなら、少しだけ、本当に少しだけでいいから。

 この時間に浸らせて。



 「ん〜…よく寝た…」

 昨日起きた時は俺より涼ちゃんの方が早く起きてたけど、今日は逆らしく、涼ちゃんの方がまだ寝ていた。

 「ん…おはよう、大希くん」

 「おはよう。起こしちゃった?」

 「ううん、起きたばっかり」

 2人でベッドから出て、ぐっと伸びをする。

 キッチンに立って朝ごはんの準備をする。

 俺の朝ごはんって、いつも食パンにジャム塗って野菜とか卵焼きとか作ってるだけだから、なんか凝ったもの作りたいな〜って冷蔵庫を物色する。

 パンケーキミックス、卵、牛乳、…

 朝からパンケーキってなんかおしゃれだよね、重そうだけど。

 パンケーキミックスと牛乳と卵をさっくり混ぜて焼くだけ。なんて簡単な…わけなかった。危うく焦げかけた。

 「あっぶね〜…」

 「大丈夫?なんかすごい物音したけど…」

 「うん、多分…おそらく…平気、なはず」

 本当に焦げかけたから味の保証はないけど、レシピ通りだから多分味は美味しいはず。

 「はい、出来上がり」

 綺麗に見えるようにお皿に盛って、涼ちゃんのところへ持っていく。

「どう?美味しい、かな」

いただきますと手を合わせて、涼ちゃんが早速フォークを手に取る。

「うん!美味しいよ!」

 良かった。

 俺も一口食べてみる。…すごい、ふわふわだ。今までこんなにふわふわになったことなかったのにな…メレンゲとかも入れてないにしてはマジで上出来。

 メープルシロップをたっぷりかけて、美味しそうに頬張っている涼ちゃんがすごく可愛く見えて、思わずじっと見つめてしまう。

 …なんていうか、改めて涼ちゃんをじっと見ると、すごい綺麗な顔立ちなんだな。本当に、見惚れちゃうぐらい整った顔立ちで、アイドルにでもなれちゃいそう。

 「大希くん?俺の顔に何かついてる?」

 「っ、あぁいや!なんでもないから!」

 「そう?」

 「うん!ホントに、なんでもない!」

 誤魔化すようにパンケーキを頬張る。

 …ホントに誤魔化せてるかは怪しいけど、まあ、その場しのぎぐらいにはなるでしょう。…多分。

 「あ、俺お皿下げちゃうね」

 俺らはあっという間にパンケーキを平らげ、俺はお皿を洗おうと席を立つ。

 流しに立って、今日はどうしようか、なんて予定を立てながら食器を洗う。

 家でゆっくりするって話だったし、2人でゲームとかいいかも。あ、あと普通のボードゲームとかでも面白そう。

 まあ、時間はたっぷりあるし、やりたいことを一つずつやっていこう。

 この時の俺は疑わなかった。

 涼ちゃんがずっと居てくれるって、信じて疑わなかったんだ。


 あの後、2人でゲームしたり、テレビを並んで見たり、涼ちゃんの要望通りゆっくりのんびり過ごしていた。

 お昼ご飯は、冷蔵庫にあった余り物の野菜とかハムとかがあったからそれでサンドイッチを作った。

 2人でソファに並んで座りながら、サンドイッチをつまんでいると、ふと空の雲行きが怪しくなってきた。

 「今日雨降るのかな?」

 「…どうだろうね」

 窓の外を眺めながら呟くと、涼ちゃんがどこか悲しげに俺の問いに答えた。

 「ねえ、次何する〜?」

 「ん〜…ちょっと疲れたし、お昼寝!」

 「お昼寝?」

 「うん!だめ?」

 お昼寝って、可愛すぎでしょ…。

 しかも、首を横にこてんって傾げながらだめって上目遣いで聞いてくるのは…色々と反則。あざとすぎる。

 「もちろんいいよ!」

 多分、これで断れる人はいないと思う。

 マジでヤバいもん、涼ちゃんの上目遣い。

 「ふふっ、やった〜!はい、どうぞ!」

 涼ちゃんがぴょんぴょんと跳ねるように喜んだ後、姿勢良くソファに座って、自分の膝をぽんぽんと叩いている。

 「…ん?まさか俺がそこに寝るの?」

 「うん!なんか、大希くん疲れてるんじゃないかなって思って…」

 「えっ、それじゃあ涼ちゃんが休めないよ?」

 そう言って2人で普通に寝ることを提案したんだけど、結局涼ちゃんの押しに負けて、涼ちゃんに膝枕してもらうことになってしまった。

 っていうか、こんなの逆に休めないよ!

 心臓がバクバクいってて、すっごくそわそわしてたんだけど、涼ちゃんが優しく頭を撫でてくれてて、結局すぐに眠りに落ちてしまった。少し空けていた窓から、生ぬるい風が吹き込んできた。


 「ん…?あれ…」

 夕方、窓から差し込む西陽に起こされて、目を開けてみると、俺は涼ちゃんの膝枕ではなく、ソファに寝てた。しかも、ブランケットまでかけられていた。

 「涼ちゃん?」

 ソファから起き上がって、ぐるっと周りを見てみても涼ちゃんの姿はどこにも見当たらない。リビングじゃないところにいるのかと思って、キッチンとか寝室とか覗いてみても、居なかった。

 「家にはいない…?じゃあ、どこに…」

 玄関に行くと、涼ちゃんの靴がなかった。

となると、涼ちゃんは外に行った可能性が高い。でも、涼ちゃんがなんの目的もなく闇雲に外に出るとは思えない。

 「涼ちゃんどこ…?」

 一回リビングに戻って改めて考えてみる。

でも、どうやって考えても、辻褄が合わない。

 「大希くん」

 頭を悩ませていると、ゆりちゃんがトコトコと寄ってきて俺に声をかけてきた。

 「あっ、ゆりちゃん!涼ちゃん知らない?」

 「多分…公園にいると思う。早く行ったほうがいいと思うよ」

 「ありがとう!行ってみる!」

 そう言って俺は玄関まで走って、急いで靴を履いて外に出た。

 「涼ちゃん……!」

 信号を待つ時間すらもどかしい。

 沈みかけの夕日を直に浴びながら、公園に向かって一直線に走っていく。

 運動は苦手な俺だけど、今回だけは過去一番の速さで走っている気がする。

 ここを曲がれば公園が見えてくるはず……!

 「涼ちゃん!」

 公園の入り口から叫ぶ。

 桜の太い枝の上に座りながら目を閉じていた涼ちゃんが、ゆっくりと目を開き、俺をまっすぐに見てくる。

 「見つかっちゃった」

 そう言いながら、数十センチもあるようなところからふわっと飛び降りてくる涼ちゃん。

 「なんで突然いなくなっちゃったの?」

 危なげもなく着地する涼ちゃんに、ずかずか近づきながら質問を投げかける。

 「だって…言うと、離れづらく、なっちゃうから…」

 困ったように微笑みながら、途切れ途切れに答えてくる涼ちゃん。

 泣きそうな顔をしながらそう言ってくる涼ちゃんをよく見てみると、体が全体的にうっすら透けてきているように見える。

 「まさか、離れづらくって、そういうこと…?ねえ、嫌だよ、そんなの…」

 若干怒りを覚えていた俺も、その単語だけで、一瞬で悲しさが溢れてくる。

 信じたくなくて、抱きつきながら問いかける。抱きついた涼ちゃんの体が、どんどん冷えていってるのが分かる。

 「大希くん。これ、俺のことを忘れないおまじない」

 そう言って、俺の手に何かを乗せた涼ちゃん。涙でぼやけた視界で、手に乗せられたものを見てみると、あの日の海で拾った、桜色の貝殻の片割れだった。

 「忘れないように、じゃなくて、ずっといてよ…」

 泣きながら、どんどん消えていく涼ちゃんに抱きつく俺。

 消えないようにって、ぎゅっと力を込めて抱きついていても、どんどん涼ちゃんは消えてゆく。

 「ごめんね…大好きだよ」

 そう言って涼ちゃんは、まるでシャボン玉のように消えてしまった。

 桜吹雪がふわっと舞う。

 俺はその中で1人、泣き崩れた。



 あれから四年。

 また桜の季節がやってきた。

 俺も大学一年生になり、高校からの友達とキャンパスを歩く。

 カバンには、あの時の桜色の貝殻の片割れだけを、ストラップにしてつけている。

 もう片方は、涼ちゃんのだもん。俺がつけちゃ意味ないんだ。

 実はあの後、ゆりちゃんから教えてもらった話によると、植物に宿る妖精は、花が散ってしまうと、その姿を維持できなくなるらしい。ゆりちゃんは常緑樹な上、そもそも花を咲かさないやつだったから、定義上葉っぱがあれば、存在維持できるらしくて、今でもゆりちゃんはちゃんとうちにいる。

 でも涼ちゃんは、落葉樹でさらに花を咲かせる桜だったから、花が散ると同時に消えてしまう。あの時みたいに。

 ちなみに、あの後、あの桜の木は切られてしまった。前々から、近隣住民から大きすぎて困ると、色々苦情がきていたらしい。

 それを前から知っていたから、涼ちゃんは最後にって、俺に姿を見せたのかな。今までだって、見せようと思えば見せれたっぽいし。

 今では確かめる術もないから、真相はわかんないけど、そうだったらいいな。

 友達の問いかけに上の空で答えながら歩く並木道。この並木道に植わってるのは、桜じゃないのがちょっと残念。

 …桜だと、思い出して悲しくなっちゃうから、それはそれでちょっと困るけど。

 そんなことを考えて歩いていると、前から来た人とぶつかってしまった。

 「あの、これ、落としましたよ」

 その人に声をかけられた。

 振り返ると、その手にはストラップが。

 「すみません、ありがとうございます!」

 そう言って、お辞儀をして頭を上げると、そこには俺のずっと会いたかった人がいた。

 「……やっぱり、大希くんだ」

 「涼ちゃん……!涼ちゃん!」

 友達もいるし、普通に通っていく人もいるけど、そんな人目なんて気にせずに、涼ちゃんに抱きつく。

 あったかさ、ふわふわな触り心地。

 全部変わってない。

 「涼ちゃん…会いたかった……!」

 嬉しさのあまり、涙がぽろぽろ溢れてくる。

 「大好き……!」

 「俺も、大好きだよ。…ねえ、大希くん。俺と、付き合ってくれますか?」

 四年前に芽生えた恋心、逢えたら伝えたいと思っていた言葉が、思わず口から溢れる。 

 すると涼ちゃんが、俺の目をまっすぐにみて、そう聞いてきてくれた。

 そんなもの、答えなんてもちろん決まっている。

 「喜んで!」

 俺たちは桜の木の下で、唇を交わした。



 無事に付き合えた喜びに浸りながら、2人で帰る家路。涼ちゃんの家がここって決まってるわけじゃないけど、なんかあっさりと2人で帰ることになっちゃった。

 「こうして歩いてると、四年前を思い出すねー」

 「そうだね。もうあれから四年も経つんだね」

 「ホント、時の流れは早いねー」

 家の鍵を開け、何気なくただいまとおかえりのやりとりをする。

 なんか、新婚さんみたい。

 「大希くんおかえりなさい。…あっ、涼ちゃん!」

 俺たちの足音を聞いて、ゆりちゃんがリビングからとことこやってくる。俺がゆりちゃんを最初に見たあの日以降、こうして帰ってくるたびお出迎えしてくれるから、すっごく癒されるんだよね。

 ゆりちゃんは玄関までやってくると、すぐに涼ちゃんの存在に気付き、飛びついた。

 「わっ、ふふっ、久しぶり、ゆりちゃん」

 「涼ちゃんこそ、記憶残ったんだね」

 「え?記憶?なんの話?」

 1人会話に置いてかれている俺。それとも、妖精さんたちの世界観が独特なだけ?

 「あはは、違うよ。妖精ってね、輪廻転生するの」

 涼ちゃんが説明してくれたのによると、妖精には輪廻転生の仕組みがあって、その妖精が死んでしまうってことはつまり、その植物としての寿命が尽きてしまうことらしい。

 涼ちゃんの場合は、木を切られてしまったから、その植物としてはもう再生不能だったんだとか。

 でも、妖精は輪廻転生するから、場合によっては前の記憶や容姿、性格など全てが引き継がれることもあるらしい。

 そしてその前世の姿がどれだけ残るかというのは、自分を知っていた人物、つまり妖精として関わってた人物と、どれだけ親密な関係にあったか、というのが強く影響してくる。

 涼ちゃんの場合は、俺や同じ妖精のゆりちゃんと関わっていたから、記憶も姿もそのままで転生できたらしい。

 「…あれ、でもあの並木道って桜じゃなかったよね?」

 「別に桜に決まってるわけじゃないからね。その時々によって宿る木は違うんだよ」

 「へえー、じゃあ今は何に宿ってるの?」

 「ツツジだよ。赤のツツジ。常緑樹だから、これでずっと大希くんと一緒にいられるよ!」

 赤のツツジ、という単語を聞いた瞬間、ゆりちゃんがにやにやしたのは、気のせい…じゃない気がする。

 でも、そんなことに気を取られているうちに、涼ちゃんに飛びつかれて、こっちはこっちでめちゃくちゃ心臓がばくばくいってる。

 「ちょ、涼ちゃん!」

 「あっ、ごめん、」

 俺が慌てて止めようとすると、涼ちゃんがしょぼんとしてすぐにパッと離れる。

 言ってから気がついた。これじゃあまるで俺がくっつかれるのを嫌がってるみたいに見えちゃう?

 「いや!違うよ!その、くっつかれるのは全然構わないんだけど、あの、心の準備が…」

 言ってるうちに段々恥ずかしくなってきて、最後の方がモゴモゴとなってしまったけど、それでも至近距離にいる涼ちゃんにはばっちり聞こえてたみたいで、2人で揃って顔を赤くしている。

 「…男子高校生?」

 「初心うぶなんです!」

 ゆりちゃんのツッコミとも言える呟きは、否定できない部分があって、なんか悔しい。

 だって、初恋なんだもん、仕方ないじゃん!耐性ないんだよ!

 「…大希くん、全部聞こえてる……」

 「…あっ、…そうだった……」

 妖精さんは、心の中が読めちゃうんだよね。つまり、心の中であろうと下手に惚気ると、全て涼ちゃんに筒抜けになってしまうということだ。 

 2人で顔を真っ赤にして、その場で固まってしまって、かれこれ10分ぐらい経っていた頃。時計は既に5時を指していた。

 「…あ、夜ご飯どうしよう」

 せっかく再会できたんだし、なにより付き合えた記念の日になるんだから、夜ご飯も豪華にしようかな。

 「何作ってくれるの?」

 「ん〜…あ、ハンバーグは?」

 「なにそれ?食べたことないかも」

 「じゃあ余計食べてみなきゃだね!作るからちょっと待ってて」

 「うん、楽しみにしてるね!」

 ひき肉を発見したからハンバーグを提案してみたんだけど、涼ちゃんはハンバーグ食べたことなかったらしい。

 まあ、考えてみれば当たり前なんだけど。

 というわけで、早速玉ねぎを微塵切りにしていく。

 俺もこの四年間で、相当料理の腕は上がったんだよ。友達の瑞樹みずきってやつに味見してもらいによく家に招いてたら、あいつ必ず家についてくるようになったんだよね、一時期。

 閑話休題それはさておき

 ささっと玉ねぎに火を通し、他の材料と一緒に手早く混ぜる。実は混ぜすぎると重くなっちゃうから、これも難しいんだよね。

 「今は何やってるの?」

 「ん?これはね、形作ってるの。涼ちゃんもやる?」

 「いいの?やる!」

 いつもの如く、後ろから俺の手元を覗き込んでいた涼ちゃんが、横にやってくる。

 必然的に、2人でキッチンに並ぶ形になって、なんか恥ずかしい。

 「ん〜…こんなもん?」

 涼ちゃんが、手のひらサイズのハンバーグを形作る。俺も同じ方法でやるけど、涼ちゃんと俺では手のサイズが違うからか、涼ちゃんが作ったのの方が、ひと回り大きくなった。

 「そしたら、こうやって空気を抜くの」

 ハンバーグを叩いて空気を抜いていく。

 慣れていないからか、ゆっくりやる涼ちゃんがなんか可愛く見える。

 正直ずっと見てられるけど、あんまりやり過ぎても意味がないので、ある程度のところで涼ちゃんを止めて、作ってもらったハンバーグのタネをフライパンで焼いていく。

 「おお〜。なんかすごい」

 「そう?やってると段々できるようになるよ」

 俺も、最初の頃は、料理本片手にフライパンと睨めっこしてたからね。

 今では、ちょっとした料理なら目分量でやるようになったからね。さすがに、ハンバーグとかは分量守るけど。

 両面にちょうどいい具合に焦げ目がついてきたところで、水を加えて蒸し焼きに。ここからは蓋を閉めちゃうから、どうなるかは最後までお楽しみかな。

 焼けるのを待っている間に適当にサラダを作る。

 ダメになりそうな食材から、ある程度食べやすい大きさに切って、適当にドレッシングをかける。

 「こんなもんかな」

 「俺持ってく〜」

 涼ちゃんが出来上がったサラダを、リビングのテーブルに持って行ってくれる。

 少しして、水分を飛ばすために蓋を開ける。うん、いい感じ。

 ソースをかけて、お皿に盛り付けて、ご飯とハンバーグをテーブルに持っていく。

 「わあ、すごい!美味しそう」

 「ふふっ、召し上がれ」

 2人でフォークを手に取り、ハンバーグを一口食べる。

 「おいしい!」

 それだけ言うと、次々と残りを口に放り込んでいく涼ちゃん。ほっぺが膨らんでて、相変わらずリスみたいでかわいい。

 食べ終わって、お皿をシンクに持っていってリビングに戻ってくると、ソファにちょこんと座って待ってる涼ちゃん。

 かわいいな、なんて思っていると、ふと涼ちゃんが口を開いた。

 「ねえ、大希くんって、何学部?」

 「え?俺は自然科学科だけど、どうして?」

 「涼ちゃんの学校に、一回ついていってみたいな〜って」

 うわ、あざとい。っていうか、かわいい。

 二言を言わずに頷いてしまった俺は、相当甘いと思う。

 まあ、元々俺は普通に文系の学部に進もうと思ってたんだけど、涼ちゃんがきっかけで、植物に興味を持ったから、理系に進路変換したんだよね。

 …つまり、俺が自然科学科にいるのは、涼ちゃんのおかげ、になるのかな。

 そんなこともつゆ知らずな涼ちゃんは、純粋に来たかっただけなんだろうけど、俺としてはちょっと恥ずかしい。

 「…いいよ」

 …やっぱり、俺は涼ちゃんには、とことん甘い。



 結局、涼ちゃんと大学に向かってる。

 俺、よくオーバーサイズの服を着るから、涼ちゃんに貸しても全然問題なかった。…ちょっと、違和感はあるけど。

 今日は一限と二限、その後少し図書館で、レポートの資料でも集めようかなって思っていたけど、涼ちゃんが来るなら予定変更で、終わったらちょっとお洒落なカフェにでも行こうかな。

 「そういえば、最初キャンパス内にいたけど、キャンパスにツツジなんてあったっけ?」

 「うん、あるよ。隅っこの方にあるから、あんまり人は来ないけどね」

 キャンパスに向かって歩きながら、ふと気になっていたことを聞いてみた。

 ツツジなんて有れば、すぐに気づくと思ってたけど、そういうことなら納得だ。ちなみに、詳しい場所も聞いてみたんだけど、相当端の方だった。しかも、俺が在学している自然科学科とは真逆の方だから、見つけられないのも無理なかった。

 「そういえば、俺は授業中どこにいればいい?」

 うーん…。

 普通に周りの人から見えてないなら、講義室にいてもなんら問題ないと思うけど、それだと俺が喋っちゃいそうだから、別のところに居てもらおうかな。

 「あっ、じゃあ、ツツジのところにいてよ。それなら俺、授業終わった後に迎えに行くから」

 「うん、分かった」

 キャンパス内で涼ちゃんと別れ、俺は講義室へ、涼ちゃんは言っていたツツジの方へ歩いていった。

 「あっ、大希」

 「瑞樹じゃん、もう味見役はいらないからね」

 「ちぇ、残念」

 そう、こいつはこの前までしょっちゅう家に来ていた瑞樹。

 瑞樹には幼馴染がいて、そいつが料理男子だったから、俺も一時期その人に料理を教えてもらっていた。…ちなみに、瑞樹は全く料理ができない。

 現実味のない噂話をしてくる瑞樹を横目に歩いていると、ふと桜の木の近くを通り、思わず足を止めてしまう。

 「大希?」

 「あ、なんでもない。今行く」

 なんか、これじゃあ俺ばかり過去に囚われてるみたいだな。涼ちゃんは、ちゃんと現在いまを生きているっていうのに。

 「最近、よく桜見てるよな、お前」

 「えっ?!そんなに見てる?」

 「目につくたび見てる」

 嘘でしょ。

 確かによく見てる自覚はあったけど、そんな頻度で見ているとは。

 「ほら、講義遅れるぞ」

 「あ、うん。今行くから」



 「どうしようかな」

 大学の授業は1コマ90分。

 今日は2コマ受けるって言っていたから、最低でも3時間は待つ計算だ。

 大希くんに、ツツジのところで待っててって言われたから、素直にベンチに座って待ってるんだけど、生憎3時間も暇を潰せるような暇つぶしの手段を持っていない。

 さすがに3時間ベンチで座ってるほどの忍耐力はないから、少しキャンパス内をお散歩でもしようかな。

 こう見えても、ツツジに宿ってから涼ちゃんに会うまでは、よくこうしてキャンパスの中をお散歩していたから、わりと歩き慣れてるんだ。

 講義中とはいえ、課題とかで大学に来てる人はわりと多くて、よくベンチとかでパソコン作業をしている人を見る。

 心の中でお疲れ様ですって呟きながら、俺はある場所へ向かう。

 俺が涼ちゃんと再会する前、暇な時によく行っていた場所だ。

 そう、図書館。

 この大学の図書館は一風変わっていて、普通だとレポートとかに使う参考資料用の本しかないけど、ここは、たまに一般開放しているというのもあり、普通の物語や漫画なども置かれている。

 最近読んでいた物語の続きの巻を迷わず手に取り、近くにあった椅子に座って本を開く。

 この物語は異世界もので、引き込まれるような世界観だから、俺はよくこの話を読んでいた。

 そこからはもう本の世界。

 全然周りの声なんて聞こえずに、本に集中していた。

 

 ふと、本から顔を上げて時計を見てみると、読み始めた時間からもう2時間近く経っていた。

 本当に、これを読んでいると時間を忘れてしまうみたい。

 別に、まだまだ時間的には平気だったけど、ちょうどキリもよかったから、本を棚に戻して席を立つ。

 図書館を出ると、ちょうど一コマ目の講義の終わる時間だったからか、人がまばらに歩いていた。

 「あ、」

 「え?」

 すると、目の前を歩いていった二人組の男の人のうち、1人と目が合った。

 え、なんで?

 他の人に俺は見えてないはずなのに、と思っていると、目が合った人がもう1人の人に耳打ちをして、こちらへやってきた。

 「あの、涼さん、ですよね?」

 「え、あ、はい?」

 「よかった。あ、俺たち大希の友達で、涼さんの話よく聞くから、気になって」

 詳しい話を聞くと、2人は涼ちゃんのお友達さんで、瑞樹みずきさんとれんさんというらしい。しかも幼馴染なんだとか。

 せっかくなので、場所を移動して少し話をすることにした。


 「はい、どうぞ」

 「あ、ありがとうございます」

 やってきたのは大学内のカフェテリア。

 瑞樹さんはコーヒーを、廉さんは紅茶をそれぞれ頼んでいた。

 俺にも何がいいか聞かれたんだけど、よくわからなかったから廉さんと同じのでって言った。

 「ねえ、同い年だしさ、その堅苦しいのやめない?」

 「え、はい!あ、じゃなくって…うん!」

 他の人と会話することがほとんどないから、全然慣れなくて、めっちゃ慌てて思わず敬語になっちゃったけど、それも笑って見ててくれる2人は本当に優しい人たちなんだなってよくわかった。

 「っていうか、2人ともなんで俺のことが見えるの?」

 そう、ツツジの妖精に生まれ変わったって、俺自身が意図して姿を見せない限り相手に見えないのは変わってないし、相手が見えるんだとしたら、過去に妖精と関わったことがある人だけなんだけど…。しかも、1人だけじゃなくて、2人も見える人がいるなんてそうないことだから、めちゃくちゃ理由が気になってたんだよね。

 そう思って聞くと、2人は顔を見合わせた。

 「普通の人でも、見えるんじゃないの?」

 「え?いや、そんなことはないんだけど…。2人は、過去に妖精と関わってるんじゃないの?」

 するとまた2人は顔を見合わせて悩み始めた。

 まあ確かに、自ら姿を見せても、自分が妖精っていう人はそういないから、会ってたとしても、その人が妖精だって気づかなかったっていう可能性はあるけど。

 「あ、もしかして」

 廉さんがそう呟くと、瑞樹さんに何か耳打ちしてから、思い当たることについて話してくれた。

 「昔、幼稚園の頃ね、ずっと花を見てる子がいて、その子はずっと1人だったから俺らが声をかけたんだ。その子、次の年には全く見なくなっちゃったから、たまにどうしたんだろうなとは思ってるんだけど…」

 話を聞く限り、恐らくその子は花に宿っていた妖精だったんだろう。花とかに宿ると、人間の姿でも少し見た目が幼く引っ張られるし、意図せず姿を見せてしまうこともある。

 それに花だと、一年草だから、一年しかその植物には宿れない。だから、妖精の中でもあんまり喜ばれないんだ。

 「やっぱりあいつ妖精だったんだ」

 「やっぱりって?」

 「いや、お前の話を聞いた時から、もしかしたらって思っていたんだよ」

 「…恐らく、その子は妖精だよ。でも、もう会えない」

 相手が聞きたがっているなら俺が別にどうこういうことではないけど、こうやってハッキリ断言させてしまったのは、ちょっと悪かったかもしれない。

 2人の顔色が、若干暗くなってしまった。

 「…ごめん」

 重い空気に耐えられず、思わず謝ってしまった。

 「いや、いいよ。わかってはいるし。…これを目の当たりにした大希は、相当辛かっただろうな」

 瑞樹さんが、突然そう言った。

 これを目の当たりにしたって、どういうことだろう?

 俺が頭上にハテナマークを浮かべていると、廉さんが付け足すように言った。

 「俺らの時はまだ小さい時だったけど、こうして自分の意思で好きになった人とやむを得ずに離れて、次は会えるかすら分からない。それって相当辛いんじゃないかって、そう言いたいんだよ、きっと」

 そっか、俺は転生出来るって知ってたけど、大希くんは何も知らずに待っていてくれたんだよね。

 …なんだか、そう考えると今すぐ大希くんに会いたくなってくるな。

 そんなことを考えていると、廉さんと目があって、廉さんがふっと微笑んだ。

 「大希に会いたくなった?」

 「うん…って、ええっ?なんで分かったの?」

 もしかして、廉さんは妖精だったとか?

 いやでも、廉さんからそんな気配は感じないし、でも俺の心を正確に読んだし…。

 「廉は昔っからこうなんだよ。周りをよく見ているから、視線や表情でそれとなく気づくんだと」

 「へえ、すごいね!」

 俺は妖精だから心が読めたけど、そうじゃない人間が、しぐさや目線、言葉だけでその人が思っていることを読み解くのは、相当高度な技が必要になる。それを簡単にやるなんて、よっぽど周りを見ているんだろうな。

 「ほら、彼氏さんのお出迎えだよ」

 「えっ?…あっ、大希くん!」

 廉さんに言われて背後を振り返ると、カフェテリアの入口で大希くんがきょろきょろしていた。

 俺が名前を叫ぶとすぐに気づいて、心なしか、いつもよりも荒々しい感じでこっちに歩いてくる。

 「もう!なんでふたりと一緒なの?」

 「あの、そこで会って…」

 そのまま何も言わずに、俺の手をひいたままキャンパスを出て行く大希くん。

 「ちょ、あの、大希くん?」

 どんどん歩いていってしまう大希くんに慌てて声をかけて止める。

 すると、確かに大希くんは止まってはくれたけど、一向にこちらに目を合わせようとしない。もう一度声をかけようとすると、微かに何か言っているのが聞こえて、思わずもう一度聞き返してしまう。

 「え?」

 「…だから、!涼ちゃんが俺から離れていってしまわないか不安なの!」

 「ふぇ?」

 回答が予想外すぎて、思わず変な声が出た。なんかもっとこう、怒られるのかとばかり思って身構えてたから、対照的な単語が出てきて驚いた。

 「だから!その、俺男だし、涼ちゃんが自由になったら、きっと家出ていっちゃうかなとか、もっと色んな人と関わるようになるから、その中で可愛い子いたり、とか…」

 「…それって、嫉妬?」

 「そうだよ!悪い?」

 そう言って顔を背けた大希くんの瞳は、怒っているどころか不安で揺れていた。

 そんな大希くんを安心させるように言葉を紡ぐ。

 「ねえ、大希くん。赤のツツジの花言葉って知ってる?」

 突然そんなことを言ったからか、大希くんはぽかんとして俺を上目遣いで見てくる。

 「赤のツツジの花言葉は、恋の喜び。俺はそんな喜びを教えてくれた大希くんから、絶対離れないし、他の人のところに行くつもりもないよ」

 そう言って、俺は涼ちゃんに抱きつく。

 背中に回した手にぎゅっと力を込める。

 「俺も、涼ちゃんを絶対離さない!」

 夕日に、2人の影が重なった。


 今度こそ、何があっても絶対離さないから。

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