5.大賢者の決断
俺たちは、レンガ造りの建物に入っていった。
植物のつるに覆われていて、かなり古い建物だ。
入り口は厚い鉄の扉で塞がっていたが、その扉の一部に、人が入れるくらいの穴が開いている。
こんな鉄の板に、どうやって穴を開けたんだろう。
触ってみると、溶かして開けたようにも見える。
戦いの準備はしてないと言ったのに、リンプーは構わず入っていく。
こいつは、見かけによらず戦えるのだろうか?
ふと、疑問に思う。
「中世ヨーロッパ風って言うけど、レンガはそんな時代からあったのかな?」
「何を言ってるニャー。
レンガは、メソポタミア文明の時代からあったニャ」
「でも、レンガ造りの建物って、明治時代以降が多い気がするんだけど」
「それは、日本人の感覚だニャー。
木がたくさん生えるような温暖な気候で、木造建築が進んだ日本の方が特殊なのニャ」
「へー、そういう解説を聞いていると、なんか、ホントに大賢者みたいだな」
「みたいじゃニャくて、本当の本当に大賢者ニャン」
建物の中に入ると、長い廊下があり、入ってすぐと突き当りの右側にドアが一つずつある。
天井が、すごく高い。
外からは2階建てかと思ったが、そうでは無かった。
廊下の左側は、建物の外壁の壁だ。
廊下の長さの半分以上は、溝のように数メートル低くなっていて、溝に降りれるような梯子が付いている。
「外から見て、出入り口は一つしか無かったし、窓も無かった。
奥のドアの方に行ったら、あのヤマネコが手前の部屋に隠れていた場合、建物の外に逃げられるニャ。
段差の上り下りをしていたら、完全に見失うニャ。
まずは、手前のドアを開けて確かめニャいと」
「なあ、リンプー」
「何ニャ?」
「俺が魔法使いになったとたん、お前と話せるようになったよな」
「うん」
「それでリンプーは、こっちの世界に来ても言葉の心配はいらないって、言ってたじゃないか」
「確かに、言ったニャ」
「お前との意思疎通って、魔法なのか?」
「まあ、そんなもんだニャー。
こっちの世界は、魔法の媒体になる魔素の濃度が濃いのニャ。
だから、話す時は空気だけでなく、魔素も振動させてる。
空気の振動、つまり音だけ聞いていたら異種族の間で言葉は通じないけど、魔素の振動の方は、魔力のある者には通じるのニャ」
「そうすると、そのエーテルってのがあれば、魔法使いは誰とでも言葉が通じるってことか?」
「ありていに言うと、そうなるニャ」
「じゃあ、あのねこの怪物と言葉が通じないのは、どういうことなんだ?」
「二つ考えられるニャー。
一つは、あいつが何も考えていない可能性。
魔素による伝達は、思考の伝達だから」
「海に浮かんでいた時に、テレパシーみたいに感じたのは、思考の伝達だけを行っていたのか」
「せいかーい(正解)。
二つ目は、意思伝達に魔素の振動以外の手段を使っているか、あるいは振動の帯域が違うか。
多分、帯域の違いだろうね」
「帯域って?」
「携帯とかWi-Fiでも、何ギガヘルツ帯とか言うニャ。
電波も帯域を合わせれば、コミュニケーションが出来るようになる。
周波数帯域の違う電波はつながらないように、帯域の違う魔素の振動は、聞き取れないのニャ」
「ふーん。こっちは魔素が濃いってことは、地球は薄かったのか?」
「うん。魔素が薄くなって、魔法も廃れたんだろうね。
地球ではバベルの塔が神に破壊されてから、言葉が通じなくなったっていう話があるそうニャけど、その頃から魔素が薄くなったんだろうね」
「何だか、難しい話を始めたな。
ホントに大賢者みたいだな」
「だーかーらー、ホントに大賢者ニャン」
そう言いながら、リンプーはドアを開ける。
観音開きのドアを押し開いて部屋に入ると、いた。
ヤマネコの怪物だ。
チューブおやつを咥えている。
「おっ、ちゃんとチューブおやつを食べてないニャ。
賢いニャ」
出入口一つの部屋の中に逃げ込んで、逃げ道を塞がれた怪物は野獣の咆哮で威嚇してくる。
「ガルルルル」
リンプーも、それ位では怯まない。
「フーッ」
また、にらみ合う。
俺は、(魔法の帯域、帯域)と考えて、ヤマネコの方を注視する。
『ザッザザ…… コ、コ……』
(もう少しかな?)
『このエサは、失えない』
(おっ、つながった)
『おーい、ヤマネコさんで良いかな?』
『何だ、貴様?』
『このねこみみ少女、リンプーの連れなんだけど。
そのチューブおやつ、こいつが楽しみにしていたやつなんだ。
返してやってくれないか?』
『い、嫌だ』
『そこを何とか』
『ダメだ。子供が3匹、お腹を空かせて待っている』
『そうか』
思念から言葉に切り替える。
「おい、リンプー」
「何ニャ? この大事な時に、話しかけるんじゃニャい」
「このヤマネコ、お母さんみたいなんだ。
おやつを子供に食べさせたいみたいなんだけど、諦めてやれないか?」
「ええーっ? アタイ、これを楽しみに今まで生きてきたんだよ」
リンプーが目をウルウルさせながら、俺の方を見る。
「それはちょっと、大げさすぎるだろう。
大賢者なら、大局を見て戦いを避けるべきじゃないか?」
「ううーっ、アタイの、アタイのマグロ海鮮ミックス」
うつむいて、涙をこらえているようだ。
可哀そうになってきた。
リンプーが思案の末に、小さくつぶやく。
「いいニャ」
「えっ?」
「子ねこたちのために、涙を呑んで諦めるニャ」
「偉いぞ、リンプー!
さすが、大賢者」
「にゃははー、そうかニャー」
ヤマネコさんに、再度リンクする。
『行って良いそうだ』
『ありがとう。この恩は、必ず返す』
ヤマネコの怪物は去って行った。
「良いことをしたら、気持ちいいだろ?」
リンプーからは、返事がない。
ガタッ
部屋の隅に落ちているボロ布から音がする。
「わ、わた……」
近付いてみてみると、ボロ布と思ったのは、魔術師が着るようなフード付きのローブだった。