25.処女航海
サウスパース港から出て行く間は、船はスージーの魔力で進んだ。
ある程度沖合に出た所で、帆を張る。
確かに最初ドックから港まで航行したが、あれは試運転と言って良いだろう。
ちゃんと帆を張って船を走らせるのは、これが初めてになる。
俺は船の専門家じゃ無いので、細かい定義は知らない。
だから勝手に言うけど、ここからがレヴィー号の処女航海だ。
さすがは、プロの船員たちだ。
しかも6人一組で雇ったのが良かったのか、船員さん5人の素晴らしいチームワークで、あっという間に2本のマストに帆を張ってしまった。
ゼロさんの操舵も素晴らしく、俺たちの船レヴィー号は、水の上をすべるように進んでいく。
なんといっても驚いたのは、帆船は向かい風の方角に進んで行けることだ。
帆船なんて乗ったことの無かった俺は、実は知らなかった。
真っ直ぐ逆風に向かうことは出来ないが、斜め、斜めにジグザグに進んでいくことで、結果的に向かい風に向かって進んでいる。
こういう事一つとっても、プロの船員を雇った価値はあった。
そして、洋上で作業が落ち着いてくると、船員さん達はデッキブラシで甲板掃除を始める。
「カモメの奴らは、思いっきり無賃乗船しやがるからな。
本当に無賃乗船なら良いんだが、代金としてフンを落としていきやがるから、しっかり掃除しないと、デッキはすぐに汚くなってしまうんだ」
船員の一人、ラウールさんが、教えてくれる。
この人は、元軍人らしくキッチリした性格のようだ。
「へっ、下らねえ。
無賃乗船なんざ、させなきゃ良いんだよ」
そう言うと、オレンジ色の丸い耳のネズミ獣人がナイフを投げる。
バサバサッ
船室の屋根に止まっていたカモメたちは、蜘蛛の子を散らすように飛び去る。
「おーい、アンヘル。
カモメは、いざとなったら非常食になるんだから、追い払っちゃダメなんだなあ」
少しテンポがゆっくりした大男、ディエゴさんが、アンヘルさんに注意する。
面接の時、ミディアム卿の日記の余白にメモったものを見ながら、俺は少しずつ船員さんの名前を覚える。
一日目は、何をするにも新鮮な感動があって、あっという間に太陽が沈んだ。
帆を降ろして、錨を降ろす。
夜の間に無茶して航行する船にぶつけられないように、信号灯を灯す。
マストに一人見張りを置いて、最初の晩御飯だ。
1日目の晩御飯のメインディッシュは、ハムステーキだ。
この船のコック、スープラ君が一人で10人分作って、デッキ上のテーブルに並べる。
スープ、パン、サラダと、『トラねこの憩い亭』で食べたのと、ほとんどそん色ない食事が並ぶ。
セリカちゃん、じゃなかったスープラ君は、なかなかやる。
海の上に浮かぶ船。
甲板上に並んで固定されたテーブル一つ一つに、ランタンがセットされて周りを仄かに照らしている。
波のせいか、わずかに揺れて、光と影も揺れる。
夜の海の幻想的な風景。
潮風に吹かれながら食べる夕食。
クルージング中の夕食って、前の世界では大金持ちの道楽のイメージだ。
船員さん達は、大衆食堂のオヤジたちのように食べているので、テーブルマナーとか気にしなくて良いのも助かる。
晩御飯の後、数時間マストの見張り台に登って見張りしたこと、揺れる船のベッドで寝ること、冒険の一日目は、本当に何もかもが初体験だ。
ベッドには、リンプーが待っていた。
と言っても、ねこの姿だけどね。
彼女は、さっそく船員たちの人気者になっていた。
でも、夜は俺が独り占めだ。
エッチな意味じゃ無いぞ。
船室には、10人分のベッドが並んでいるんだから。
『どうだにゃ? 異世界の航海は?
ワクワクしたかニャ?』
『ああ、リンプーありがとう。
この世界に連れて来てくれて。
こんな生きていることが実感できたのは、いつ以来だろうって感じだよ』
『それは、良かったのニャ』
『ところでリンプー。
何で、初航海のことを処女航海っていうのかな?
船に性別なんて無いだろうに』
『船に性別は、あるニャ。
英語では、船は全部女性なのニャ。
例えば、”戦艦大和、彼女は沖縄の海に沈んだ”
とか、書かれるんだニャ』
俺たちの会話は、誰にも聞かれることは無い。
しかもリンプーは、大賢者。
ネット要らずで、俺だけ退屈知らずだ。
まるで、なろう小説の題名みたいだな。
翌朝も興奮冷めやらず、日の出前に目が覚めた。
朝ご飯は、昨日港で水揚げされていた魚を焼いたものだ。
日の出とともに、抜錨する。
錨を上げて、出発だ。
基本的に、船長の俺はあまり航行の仕事をしないで良いんだが、錨の巻き上げは、俺も含めて6人でやった。
外海に出たら、錨を降ろすことは、あまりないみたいだけど。
錨の上げ下ろしは人力なので、俺も多少は活躍できた。
ゼロさんは片足が無いので、杖が無いと歩けない。
基本的に、こういった力仕事は出来ないのだ。
2日目のお昼過ぎには、小さく見えていた陸地が全く見えなくなった。
360度、見渡す限り全て水平線になった。
デッキ掃除や見張り、帆の向きの操作など、余裕をもって交代できるようになってきた。
チラホラと休憩している船員が、目に付くようになってきた。
俺は、操舵室に戻って、ミディアム卿の日記帳をゆっくり読む。
最初にこの日記を読んでも、特に何も感じなかった。
でも、実際の船で追体験できると、すごく面白い。
潮の香りも、カモメのフンの匂いも、風を受けた帆の音も、マストの軋みも、何もかもが単なる言葉じゃ無くなってくる。
これからずっと何十日間も続く、別に何でもない日常の風景のはずなんだけど、涙があふれてくる。
多分、俺、今すごく感動しているんだ。




