断章1B. 夜明け前
ある日、トモヤのお兄さんという人が、部屋にやって来た。
「おい、トモヤ。
お前会社を辞めてもう一年も経つけど、働く気は無いのか?」
「えっ、いや、あの……」
トモヤがキョドっている。
「お前の部屋には楽しそうなものがいっぱいあるんだな。
俺たち家族持ちには、遊びに使う金も時間も無いってのにな。
そこにいるねこも、エサ代とかかかるんだろ。
親のすねをかじって、ホント、良い御身分だな」
『何を言ってるんだ。
トモヤは、心と体を壊すほど働いて、その時貯めたお金で、色んなものを買ったり、アタイを養ったりしてくれてるんだよ』
頑張って言ってみるが、トモヤにも、お兄さんにもアタイの声は届かない。
「すまない。兄貴。
俺、何社か面接には行ってみたんだよ。
でも、前の会社の上司が言ってたような精神論を、いきなりぶつけて来られるんだよ。
それで、……」
お兄さんとやらは、トモヤの話を遮る。
「それで、どうしたというんだ?
お前の言う精神論というのは、世の中の一般論なんじゃ無いのか?
今の世の中、甘いことを言っていたら会社自体生き残れないからな」
「いや、面接で失敗とかしても、合格にしてくれる会社はあるんだ。
でも、ネットで調べたら、超ブラック企業だって。
すぐに人が辞めるから、どんな奴でも雇う会社なんだって、……」
「だから、どうしてネットに書いているから、ブラック企業なんだよ。
みんな生き残るために競争しているんだ。
大なり小なりブラックじゃ無きゃ、勝てないんだよ。
みんな、我慢して頑張っているんだ。
どうしてお前だけ、頑張らなくても良いって思えるんだ?」
「そ、それは、……」
「もう良いよ。お前が甘えた考えだってことが、よく分かった。
良いか、トモヤ。
若いうちの苦労は買ってでもしろって言うんだ。
苦労した経験はな、将来何をするにしても糧になるんだ。
お前みたいに逃げてばかりじゃ、何も残らない」
トモヤのお兄さんは、言いたいことをまくし立てて、部屋を出て行った。
父上に、トモヤを甘やかさないように言って来るそうだ。
「なあ、オヤジ、トモヤの奴は、ありゃあダメだ」
階段を降りながら大声で叫んでいるのが聞こえる。
一階の居間で、少し父上と話をしていたお兄さんが、乱暴に玄関のドアを閉める音が聞こえる。
どうやら帰ったようだ。
『なあ、トモヤ。
アンタの兄さんは、若いうちの苦労は買ってでもしろって言ってたけど、間違いだよ。
苦労は金払ってでもしない方が、真理なんだから』
アタイが話しかけても、何の反応もない。
あーあ、トモヤの奴、ふさぎ込んじゃったよ。
そっとしておいてやるか。
アタイは、ソオーっと部屋から出て行った。
あの兄さんとやらは、偉そうなことを言う割に、ドアをきちんと閉めることも出来ていないのな。
居間の方に行くと、トモヤの父上が座椅子に座って、ボーッとしている。
あの兄さんの剣幕にやられて、父上もダメージを受けたんだろう。
仕方ない。父上も、たまには癒してやろう。
アタイは、父上の膝の上に乗って、猫なで声を出してみた。
父上は、アタイの頭を撫でて癒されているようだ。
「なあリンプー。
兄妹3人の中で、トモヤだけ挫折してしまったな。
でも、あいつは優しい子なんだ。
優しいから、他人の踏み台にされちゃうんだな」
『さすが、父上。
トモヤのことをよく分かってらっしゃる』
あれ? 何か父上にはアタイの言葉が伝わってるような気がする。
「トモヤのことを分かってやれるのは、リンプー、お前だけなのかも知れないな。
ワシは、もう長くない気がするんだ。
みんなの踏み台にされても、ささやかな楽しみを見つけて、元気に生きて欲しいんだ。
厳しい世の中だけど、笑顔で生きてくれたら嬉しいな。
ワシがいなくなったら、トモヤの話し相手になってやってくれな」
『任せろ。アタイがトモヤの面倒を見てやるよ。
言葉は、通じないけどね』
兄上が来た次の日から、トモヤの元気がまた少し落ちた気がした。
前の日までは、ゲームとアニメが半々だったのが、毎日ほとんどアニメを見ている。
買い物にも、あまり行かなくなった。
アタイは、アニメを見ているトモヤの横に座った。
一緒に見て、将来のためにトモヤの研究を始めた。
なるほど、トモヤはねこみみのツンデレ美少女が好きなんだ。
それで、いつでも「~~ニャー」とか言う子が良いんだな。
声優は、この佐倉李依とかいう子が好きなんだ。
愛称は、リエネルか。
って、こんなこと覚えても、何の役に立つんだよ。
やめやめ。
本人の言葉通り、父上が亡くなった。
お通夜とかお葬式とかで、親族がやって来て、トモヤも少し元気に振舞っている。
人間、やることが出来たら元気になるもんなんだ。
と思ったけど、甘かった。
また、トモヤの膝の上で、水滴攻撃を食らうことになった。
「リンプー。結局俺、オヤジに何もしてやれなかったよ。
親孝行一つできずに、家に引きこもって、心配かけただけ。
天国で出会ったら怒られるだろうな」
『トモヤの父上は、トモヤが優しいこと、優しいから上手に生きられないことを、ちゃんと分かっていたよ。
トモヤが、ささやかな楽しみを見つけて、元気に生きて欲しいって。
トモヤ、自分の人生なんだから、自分が好きなように生きて良いんだよ』
言葉さえ通じれば、言ってあげられるのに。
アタイが、トモヤを本物の冒険に連れて行ってあげられるのに。
トモヤが飛び上がれるように、心に翼を授けてあげられるのに。
希望の翼で、飛び上がって欲しい。
調子に乗ったっていいい。
太陽に近付き過ぎて、羽根を焼かれて墜落しそうになったって、アタイが助けてあげるし、無理だったとしても、一緒に落ちてあげられるのに。
ささやかどころか、人類史上なかった位、ドキドキワクワクさせてやるのにさ。
クソッ、アタイの胸をこんなに苦しくさせて、トモヤ覚えてろよ!




