1.主人公、魔法使いになる
30才の誕生日を目前にしたある日、オヤジが死んだ。
年の離れた兄と姉が、遺産を分割した。
二人は随分揉めていた。
俺は巻き込まれたくなかったので、黙っていた。
いくら入っているのか知らないが、貯金通帳は姉貴のものになった。
俺の今住んでいる実家は、兄貴のものになった。
兄貴は家を売ってしまったので、一週間以内に出て行くように言われた。
俺がもらったのは、飼いねこのリンプーだけ。
少し前に拾ってきたトラねこだ。
40年以上サラリーマンとして働いてきたオヤジ。
定年退職して、ここしばらくは年金生活だった。
さっさと家を出て行った兄たちと違って、俺はずっと脛をかじり続けていたわけで、まあ何ももらえないことに文句はない。
可愛いリンプーは、元々俺の飼いねこだったと思うけど、まあいいや。
親が亡くなって、長男が家財一式、もう一人の兄弟が現金、末っ子にはねこ一匹。
そんな話、どこかで読んだ気がするな。
このねこに長靴を買ってやったら、魔王を倒して来て、俺は幸せになれるのかな?
当然だが、そんなお伽話のようなことが、起きたりはしない。
兄貴も姉貴も、俺を引き取るかどうかでも揉めていた。
そりゃそうだよな。
でも、心配しなくても二人の世話になる気は無いよ。
オヤジが亡くなってしまった以上、もう俺には味方は一人もいない。
別に、こんな世界で長生きしたいとも思わない。
自殺する勇気もないけどな。
俺は、一階の居間で話し合っている兄たちの話には加わらず、2階の俺の部屋にあるベッドに腰掛けた。
この部屋は、子供の頃からずっと俺の部屋だ。
俺のような奴を、子供部屋オジサンと呼ぶらしい。
ネットで得た豆知識だ。
どうやら結論が出たようだ。
俺の部屋のドアをノックもせずに開けると、姉貴が入って来て言った。
「じゃあ、私たちは帰るから。
子供たちの教育に悪いから、今後あんたと関わることは無いと思ってね」
以前、甥、姉貴の息子に、ゲームを教えたのを根に持っているようだ。
兄貴が、去り際に言った。
「俺たちは、お前の面倒まで見る余裕はない。
もう良い年なんだから、自分のことは自分の力で何とかしてくれよ。
頼むから」
一人になって、考え込む。
この家に住み続けることも出来ない。
さてどうしようか。
ふと思い出すと、今日は30才の誕生日だ。
小学生の頃から使っている勉強机の本だなには、マンガやアニメの雑誌が積んである。
本だなの空いたスペースに、美少女フィギュアやねんどろいどが所狭しと飾ってある。
同人本や人形は、処分するしか無いな。
いくつかはネットオークションで売れば、それなりの値段はつくんだが……
ため息が出る。
買った時は、すごく尊く感じたんだが、今は手放しても別に惜しくない。
でも、好きだったモノも、今まで生きてきた証も、住む場所さえ、すべて手放すことになるんだ。
なんだか、考えるだけで息苦しい気がする。発作だ。
ゴホッ、ゴホゴホッ
俺は、生まれつき気道が細いのか、緊張したりプレッシャーが強くかかると、息が苦しくなる。
咳が止まらなくなるのだ。
咳止め薬を喉に噴霧する。少し多めに摂取する。
良くないとは分かっているんだが、こうしないと苦しさが和らがない。
ゴホン、ヒューッ、ヒューッ
少し頭がボーッとするが、収まったようだ。
ベッドの横の壁には、声優の佐倉李依ちゃんのポスターが、俺に向かって微笑んでいる。
リエネル、今の俺の空虚な心を埋めてくれるのは、君だけかも知れない。
トラねこのリンプーがサッとやって来て、膝の上に乗ってくる。
「特別に、私をモフモフする権利をやろう」
とでも言っているようだ。
リンプーを膝の上に載せて、あごの下をモフモフしていると、声が聞こえる。
「ご主人、ご主人」
周りを見回してみるが、誰もいない。
「誰かいるのか?」
「こっち、こっちですニャ」
声のする方を確かめる。
自分の膝の上だ。
ええっ? リンプーが喋っているのか?
咳止め薬を摂取しすぎて、幻覚を見ているのだろうか?
俺は、自分の頬をつねってみる。
痛い。
夢じゃないみたいだ。
この、俺の膝の上で気持ちよさそうに仰向けになっているトラねこが喋っている。
そうとしか考えられない。
話しかけて、確かめてみる。
「リンプー、お前か?
どうして急に、人間の言葉が話せるようになったんだ?」
「アタイは、人語を話せるようには、なって無いよ。
ご主人が、アタイの言葉を分かるようになったんニャ」
「どういうことだ?」
「ご主人は、30才の誕生日を迎えて、めでたく魔法使いになられたのニャー。
おめでとう!
ワー、パチパチパチー」
「なぜだろう? 全然うれしくない」
「どうしてニャ?
魔法使いになって、アタイの言葉が分かるようになったんニャよ。
こんなにめでたいことは、一生に一度あるかないかだよ」
俺が魔法使いになった?
俺は、自分の手を見てみる。
自分の体を、あちこち触ってみる。
何の変化もなさそうだ。
何か変わった所は感じられないが、ねこの言葉だけ分かるようになったようだ。
「そうか、俺は魔法使いになってしまったのか。
ところでリンプー。お前に伝えないといけないことがある」
「何ニャ?
聞いてやるから、話すと良いニャ」
「良いいニュースと悪いニュースがある。
どっちから聞きたい?」
「良いニュースしか、聞きたくないニャ」
何だよ、こいつ。
「良いニュースはな、リンプー。
お前は正式に俺のペットになった。
オヤジが死んで、遺産の中からお前だけが俺のモノになったそうだ」
「アタイは、モノじゃ無いし。
ちっとも良いニュースじゃないね。
プンスカ」
「じゃあ次、悪いニュースな。
この家を遺産相続した兄貴が、家を売っちまったそうだ。
週末には、俺たちはこの家を出て行かなきゃならない」
「この家を出て行って、どうするニャ?」
「まだ、決めてない」
「まあ、アタイは朝晩のキャットフードと時々マグロの刺身が食べられたら、何処に行こうと構わないニャ」
「だから悪いニュースだって言ったろ。
俺は、金を持ってない」
「そ、それって……
時々もらえるお刺身とか、お寿司の切れ端とかは?」
「もちろん無い。
というか、朝晩のキャットフードも怪しいかもな」
「そ、それは無いニャー!
ぐれてやるニャー!」
「ハハハ、ぐれてもお腹は一杯にならないぞ」
リンプーのあごの下をモフモフしてやる。
飼いねこと話が出来て、こんな風に可愛がってやれる。
幸せなひと時だ。
これで、このまま住む所に困らないなら最高なんだけどな。




