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エリック殿下がなくなったと父から聞かされて、王都も含めグリーン家も例外なく喪に服した。しかし、ちゃんと喪に服したのはグリーン家のみだった。国王もほかの貴族も形式だけで、エリック殿下の葬式は王族とは思えないほど簡素で質素なものだった。
普通の貴族ですら、三日三晩蝋燭をともし、親族は棺に寄り添い続けるのに、私が葬式に赴いたときには遺体のないただの箱を置いてあるだけだった。花はしおれ、蝋燭はきえ、寄り添う人どころか、誰も居なかった。
(国王も皇后もいらっしゃらないなんて、なんて悲しい)
あの出港式でみたエリック殿下は、威張り散らかすあの王子とちがい穏やかなやさしい人だった。
「エリック殿下はとても優しい方でしたのね」
私がそうつぶやくと、父は頭をなでてくれた。
あの出港式でのエリック殿下は、王宮で受けた待遇をちっとも気にせず、朗らかで、私たち聖歌隊の歌をほめてくださった。
王という立場にさえ生まれていなければ、きっともっとたくさんの人に愛されたはずだ。
「エリック殿下は、私の歌が聞けて良かったと、そういってくださいましたのよ」
そうだね、と父は私の話に相槌を打つ。神父すらいない葬式の誰も座っていない椅子に両親と私が座る。神を模した石像だけが、彼の遺体のない棺を見守っていた。
父はたくさんエリック殿下の話をしてくれた。私が倒れたとき真っ先に心配してくれたこと、何回かお見舞いに来てくれたこと、勉強もダンスも得意で成績は常に優秀だったこと、民のことを考えられる素晴らしい王子だったこと。
聞けば聞くほど、この場に私たちしかいないのが悔やまれる。
本当ならば、昼夜を問わずこうして遺体に寄り添ってみんなで思い出を語らうものだ。
こんな3人なんてさみしい数でなく、親族、友人、みんなで故人の人柄を共有することで、故人の生きた証を示し、故人の魂を天に送る。それが本当の葬式のはずだ。
それなのに、王子ともあろう人間がこんな誰にも送られないなんて、母親が違うだけで、なんて理不尽。
殿下の思い出話を語る、父の横顔は悲しみに満ちていた。その話を聞く、母の顔も涙さえ流れていないものの、悲しみに染まり、それと同時に二人の顔には悔しさも滲んでいた。
何とも言えない両親の表情に胸の奥がぎゅっと掴まれたような気分になる。
どうしようもないことだった。10歳のラウタでは、エリック殿下の暗殺を止めるなんてできない。
そう頭の中で言い訳しても、心の声は違った。
(もっと何かできたのではないの。本当にあれはベストだったと胸を張って言えるかしら、ラウタ)
そう問いかける心の声に返事をしてくれる者はいない。確かに、エリック殿下がいればあのジェラードが王にならずに済む、そう思っていた。けれど、まだ10歳の自分にできることはないと、エリック殿下が亡くなることを覚悟していたのも事実だ。
私の心は問い続ける。あれは自分の逃げだったのではないか、歌を歌うことで頭がいっぱいで、聖歌隊を盾に、エリック殿下のことから逃げただけじゃないのか。
(ほんと私って自分勝手ね。エリック殿下が亡くなるのは仕方がないと言っておきながら、実際に亡くなったら悲しくなるなんて)
本当に自分は愚かだ。
*~*~*~*~
それから一か月の喪が明けた最初の日曜日。
ミサをおえて、聖歌隊の面々との別れ際、マリアが声をかけてきた。
「ようやく少しは立ち直れたようね」
「そんなにひどい顔していたかしら」
「えぇ、歌にも気合が入ってなくて、何度ひっぱたいてやろうと思ったことか」
マリアが右手を握りしめているところを見ると、本当にひっぱたかれる寸前だったのだろう。
私はマリアに謝罪をすると、まぁ仕方がないわよね、とマリアは言った。
「私はたいそうな身分ではないから葬式には出向かなかったけれど、それは酷かったと人伝に聞いたわ。私たちの歌をほめてくれた人が、そんな待遇を受けるなんてショックですわよね」
マリアはそういうと、私の頭にそっと触れる。
「でもねラウタ様、エリック殿下が貴方の歌が好きだとおっしゃったのだから、私たちはそれに恥じないように歌うべきだと思いますわ。この国の誰も彼の死を悲しまないのなら、私たちだけでも彼の弔いをしましょう」
そういってマリアが私に手渡したのは一枚の詩だった。その詩は、主を失った人々の悲しいだけではなく、その悲しみを乗り越えていく、強く美しい詩だった。
「私には音はつけられないから、それはラウタ様に任せますわ」
そうマリアはいうと、使用人を連れて屋敷に戻る馬車に乗り込んだ。
私も迎えに来た馬車に乗ると、アンナは私が手に持っている詩を不思議そうに見た。
「マリアが書いた詩よ。エリック殿下に捧げるの」
「マリア様は熱心な信者とうかがっております。どんな事情があれども、死者があのような扱いを受けることに思うところがあったのでしょう」
エリック殿下が亡くなってすぐにジェラード殿下に王位継承権が渡された。それは万が一、エリック殿下が生きていた場合、エリック殿下に継承権は戻るという条件付きだったものの、エリック殿下の遺体も捜索せずに葬儀を行ったのだ。そんな条件に意味などないのだろう。それか、自分が殺すよう命じたのだから、遺体がなくても死を確信しているのか。
そこまで考えて私は考えるのを止めるように頭を振った。
(やめましょう、こんな考え。せっかくマリアが素晴らしい詩を書いてくれたのだから、それに見合った音を付けなければ。これは私たち聖歌隊の初めてのオリジナル曲になるのだし)
私は詩の書かれた紙をいとおしくなでた。
家につくと私は早速詩にメロディーをのせ始めた。
マリアの詩はとても美しく、エリック殿下への直接的な表現はなく、普通に聞けば神への祈りをささげる立派な詩だ。直接的にエリック殿下を讃えれば、現国王のどんな反感を買うかわからない。それに、たった一度出港式で見かけただけの殿下を、こんな小さな聖歌隊が弔うなんて誰も思わないだろう。
全体のコード進行を決めて、メロディーをのせ、地球では慣れ親しんだ行為を淡々とこなす。
久しぶりに曲が書ける。ずっと待ち望んだものだったはずなのに、どうしても胸が痛くてたまらない。
ピアノで音を奏でながらも、頭ではエリック殿下の死がぐるぐると回り続けている。
この歌は、こうしてラウタとしても歌が作れることは、エリック殿下の死の上に成り立っている。私は本当に、こうまでして歌を作りたかったのか、歌を歌いたかったのか。
(誰かを犠牲にしても、私は幸せにはなれないわ)
気付くのが遅すぎたのだ。ダン、と強くピアノをたたく。
(なんて最低なの、ラウタ。姫野唄は曲のためにも、絵のためにも誰かを犠牲にするなんてことはしなかったわ)
すべてを投げ出してめちゃくちゃにしてやりたい気分になる。
前世の地獄から解放されて、ラウタとしてやり直せることに浮かれていたのだ。あれだけひどい目にあったのだから、少しぐらいいい思いをしていいと、誰かを踏み台にしてもかまわないと、そう心のどこかで思っていた。自分の好きなことをするためなら、誰かを犠牲にすることに何の疑問も、躊躇いもなくなってしまっていた。
私は、ラウタ・グリーンは、ずっと姫野唄の延長だと思っていた。でもラウタでいる時間が長くなるにつれて、姫野唄ではなくなっていたのだ。平和を想う歌を書き、美しさを伝える絵を描いていた姫野唄は、確実に今の私からは遠ざかってしまった。
(じゃあ、私はいったい誰なの)
それは急に床が崩れ落ちるような感覚だった。
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