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「なに? なにがあったの?」「馬が店に突っ込んだぞ!」「女の子は無事!?」「女の子が一人逃げ遅れていなかった?」「何かにつきとばされた様に見えたけど……」「でもあんなところに藁なんてあったかしら」
人混みの中で聞こえた、周りの会話ざわついた会話でアンナは背筋が凍り付く感覚がした。人の多さに何が起こったのかアンナは理解していなかったが、話題の中心の女の子が自分の主でないことを心から祈った。
「姫様! お願い、通してください! 姫様!」
いつも通りの、はぐれたことを悪びれない返事が返ってくることを祈りながら、ひたすら、主人を呼び続けた。いっこうに帰ってこない返事に焦る気持ちを抑え、アンナは人混み中を騒ぎの起きた方へ向かった。
人を押しのけて進むと、アンナはきらりと視界に銀髪をとらえた。アンナはすぐさまその銀髪は主だと認識すると、目の前の人間を追いやって駆け出した。
「姫様!」
アンナが主人であるラウタのもとに駆け寄ると、数人の住人がラウタの手当てをしていた。
ラウタは何が起こったのかまだ理解しきれていないように呆けていたものの、少し擦り傷が膝にあるだけで大きな目立った傷はない様だった。
よかった、とひざから崩れるアンナをみて、ラウタはようやく現状を理解したようだった。
そんなラウタにアンナは怒る気にもなれず、自身の震えを抑えるのでやっとだった。
それでも震えの止まらない手を、ラウタはそっと握った。そして、アンナにだけきこえるほどの小さな声で「ごめんなさい」とつぶやいた。
「帰りましょう、姫様」
アンナがそういうと、ラウタはおとなしく首を縦に振った。
*~*~*~*~
私はアンナに支えられながら屋敷に帰ると、様子がおかしいことに気づいた父が駆け寄ってきた。
「どうしたんだい!? 一体何が………」
どう言い訳しようかと、思考を巡らす前にザシャさんが声を上げた。
「ラウタ嬢は疲れているようだよ、まずは休ませてあげよう」
父の言葉を遮るようにしてザシャさんは私に部屋に戻るように勧めた。
父は一瞬ザシャの顔を見るなり、素直にザシャさんの申し入れを受け入れた。一瞬二人の間の空気に違和感を覚えたものの、父は私をやさしく抱き上げると、そのまま私を部屋まで送り届けた。
部屋までの道中、珍しく父は何も話さなかった。相変わらず廊下は塵一つない。
怒られるだろうな、と頭のすみで考えながら私はおとなしく父に抱かれていた。
父はまるで繊細なガラス細工を置くかのように、そっと私をベッドに横たえると、温かい手で私の頭をなでた。
心配してだろうか、父についてきたザシャさんは部屋の隅で不安そうな表情で私をみつめている。
アンナではなく、モーリッツがベッドの横に水差しを置いた。
それを見てふと、アンナのことが心配になる。
(きっと、今回のことを自分のせいだと思い込むわ。アンナのことだから自ら罰を所望するでしょうし、釘を刺しておかないと)
私は眠気で動きが悪くなった脳みそを必死に動かして、父に訴える。
「起きたらすべて話すから、アンナを叱らないで。あと、お願いがあるの」
私は父の手のぬくもりを感じながら、重たくなった瞼に耐えながら私は父の耳元でささやいた。
「あのね、-----」
それを聞いた父は分かった、と一言返して私の目の上に優しく手をのせた。
その一瞬で見えた父の顔は酷く悲しそうに見えて、何か言おうとしたのにその言葉は父の言葉によってかき消されてしまった。
「今は眠りなさい」
その言葉を聞くなり私はそのまま眠りに落ちるように瞳を閉じた。
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