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私はアンナと手をつないだまま、大通りをさらに奥へと進んでいた。
先ほどの失態のせいで、アンナは少し警戒モードに入ってしまったようだ。あのフルーツ屋での柔らかい表情は今はもう見受けられない。
(失敗ね、私はただアンナにもっと楽しんでほしかったのに)
アンナにはいつも自由がない。朝は誰よりも早く起きて、夜は一番最後に寝る。普段はメイドの仕事にいそしんで、休みの日は自ら率先して私の護衛をかって出るのだ。
私は前から、アンナにはもっと自分の人生を謳歌してもらいたいと思っていた。前世の時から彼女は私に縛られ続けている。
(私がいなければ結婚だってできたはず。私がいなければ、前世であのような悲惨な最期を迎えることはなかったはず。私がいなければ、私が)
「姫様」
急に名前を呼ばれて顔を上げると、アンナはにこやかに微笑んで優しい表情で私を見ていた。
「もう少し大通りを進むと、小型のナイフを扱うお店があるそうです。私、そこに行ってみたいです」
いままで一度もなかったアンナからのお願い。
「うん………! 行こう、行こう! アンナが行きたいところ全部!」
私は前のめりになってそう答えると、アンナは嬉しそうに笑った。
私はアンナの手を握り返すと、アンナもやさしく握り返してくれた。それが妙にうれしくて、今にもスキップしそうな軽い足取りで私は大通りを進んでいった。
アンナの目当てのお店は大通りを進んで、さらに少し入り組んだ道の先にあった。
正直に言うなら、明らかに一般向けでないそのお店でアンナは少し興奮気味にナイフを選んでいた。アンナの表情はさながら、ドレスかアクセサリーを選ぶ女性のように輝いているのに、その手に握られているのは切れ味の鋭いナイフである。
(そのナイフの餌食になる人に少しだけ同情しちゃう)
私は小さくため息をついて、暇つぶしにあたりをきょろきょろと見渡した。あまり日の入らない細い道に、大通りほど多くはないが、明らかに一癖も二癖もありそうな店主たちが数件店を構えている。
(私、こんなところに来ていいのかしら)
ふと、来た道を振り返ると、フードをかぶった人物と目が合った。
その人物は目が合うなり、くるりと方向を変えて逃げるようにしてきた道を戻っていく。
(何、あの人)
そう思った時、ふと昨日から感じる視線のことが頭に浮かんだ。直感がそいつを追えと伝えてくる。
私はアンナの代わりに持っていたフルーツの袋を手放して走り出した。
袋の落ちる音がしてふり返ったアンナが叫ぶ。
「姫様!」
アンナもきっと後ろから追ってきていると思う。私は振り返ることなくその人物を追った。フードをかぶった謎の人物は私が追ってきていることに気づいたのか、相手も大通りに戻るなり走りだした。
「ごめんなさい! 通して」
人と人を縫うようにして人混みを避けると、もうフードの人物はそこにはいなかった。
辺りを見渡しても、屋台が数件あるだけでフードをかぶった不審な人物は見当たらない。
(おかしいわ、絶対こっちに走っていったのに)
納得がいかないものの、アンナが探しているのもあって私は早々に諦めて、さきほどのナイフ屋に向かって歩き始めようとした瞬間。
「危ない! よけて!」
数人の怒鳴るような大声にびっくりして顔を上げると、暴走した馬が目の前にいた。
よけなければ死ぬ、そう思ったが足がうまく動かない。
(死ぬ……!)
そう思った時、暴走した馬車の奥の屋根の上にフードをかぶった人物がいるのに気がついた。フードから除く顔はまだ幼さの残る青年の顔だった。
その人物は何かをつぶやいて、右手を伸ばした。すると彼を包むように風が起こり、彼のフードは落ちた。
青年の顔はとても整っていて、私は逃げることを忘れて見つめてしまった。
その瞬間の出来事がやけにゆっくりに感じて、私が逃げなければ、ということを思い出した瞬間。私は何かに突き飛ばされた様に転び、幸運なことに道に積まれていた藁の山に突っ込んだ。
それとほぼ同時に馬は屋台に突っ込んで倒れた。
私はうるさい心臓の音を聞きながら、さっきの屋根の上をみた。
そこにはもう何もなかったのに、私はその屋根をただじっと見ていた。
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