25
私たちがセディナ国につくと、港はグリーンよりも大勢の人でにぎわっていた。
父に荷物のチェックが下りるまで下船してはならないといわれ、船の上から大勢の人が行きかう港を見ていた。
ただ漠然と港を眺めていると、ある一人の男がギターらしきものを背負っているのが見えた。
思わず駆け出して船を降りようとした私の肩を誰かが掴んだ。
誰よ!と勢いよく振り返ると、モーリッツが私の真後ろに立っていた。
淡々と名前を呼ばれ、小さく返事をすると、眉ひとつ動かすことなくモーリッツは言った。
「旦那様に何と言われましたか?」
「積み荷のチェックが終わるまで降りてはいけないと」
「それに一人の行動も?」
「………してはいけません」
しょんぼりと肩を落とした私を見て、モーリッツは大きなため息をついた。
「ここはグリーン領ではありません。お願いですから、一人で飛びだすなんてことしないでください」
小さく返事をすると、船員に呼ばれたモーリッツは急ぎ足でこの場を去った。去り際に、「そこから一歩も動かないでください」と言い残して。
私はため息をつくと、船の端にもたれかかった。
空高く飛ぶ鳥を見て、その自由さが少しうらやましく感じた。
モーリッツは少し心配性なところもあるが、決して私のことをいじめたくて言っているわけではないことぐらい私にもわかる。
大事なグリーン家の一人娘なのだ。モーリッツからしてみれば、グリーン領から出すこと自体内心はらはらしているに違いない。
しばらくたって、積み荷のチェックが終わったのだろう。父が船に戻り、私の手を取った。
「もう降りても大丈夫さ。さぁ、行こうか」
父はエスコートのつもりだろうが、握り方は完全に子供を見失わないためのそれだ。
先ほども一人で駆け出そうとした事実があるので、反抗できないところもあるが………。
(にしても周りの視線が痛い)
いい年して手をつながれている羞恥心からか、見知らぬ土地にいるからか、いつも以上に周りからの視線を感じる。
あまりの視線の多さに戸惑っていると、父はささやくように言った。
「船から女性が下りてきたからね、珍しいんだよ」
『女性は船に乗らない』
父が言っていたことを思い出して、納得する。
こうして船から女性が下りてくることが珍しいのだ、そしてこの視線というわけか。視線の理由が分かった私は特に気にすることもなく歩いた。
父に手を引かれながら馬車に乗り込む。
馬車に揺られて向かったのはこちらの滞在先であろう屋敷だった。
こちらでの滞在は父が若いころセディナ国でお世話になった人の家にお世話になると聞いている。どうも、若いころ修業と称してセディナ国に留学した時の友人らしい。
グリーン領の屋敷よりはもちろん小さいものの、6人で2週間の滞在には十分な広さだった。屋敷につくと、父と同い年ぐらいの男性が出迎えてくれた。
「どうぞお待ちしておりました」
丁寧に頭を下げる男性に父は笑顔で答えた。
「2週間世話になるよ」
私が馬車から降りようとすると、男性は手を貸してくれた。少しだけ白髪のまじったの淡い金色が太陽でキラキラと光った。
その手を借りて馬車から降りて礼を言う。すると、父が男性を紹介してくれた。
「こちらはザシャ・ハーバー。この屋敷の主人で僕の友人だよ」
私は自分の名を名乗り、一礼する。
「なんて礼儀正しいお嬢さんだ。主人と言ってもこの屋敷には私しかいないがね」
恥ずかしそうにはにかむザシャさんの後ろには、とても一人で管理しているとは思えないほど手入れの行き届いた庭が続いている。その庭のさらに奥には外壁からして手入れされていることが伝わる屋敷が見える。
このすべてを1人で管理していると聞いて、唖然とした。
「こんなところで立ち話もなんだ、屋敷へどうぞ」
屋敷の前にある庭は形の整えられた木々、美しく咲く花々でとても美しく彩られている。ジョンも興奮を抑えられないのか、今までに見たことないぐらいにキラキラと輝く目で、庭のあちこちに視線を巡らしている。
そんなジョンの興奮に気づいたのか、ザシャさんはにこりとわらってジョンに話しかけた。
「良ければ後で庭を紹介させていただけるかい?」
それを聞いたジョンは首が取れそうな勢いで何度もうなずいた。
父の友人ということで、そこまで父と歳は変わらないだろうザシャさんはとても落ち着いていて、いい意味で年老いた老人のような雰囲気を醸し出している。
屋敷の中に入り応接室に通されると、ザシャさんはお茶を取りに退出した。手伝いますといったモーリッツとアンナをたしなめ、私たち6人は応接室でザシャさんを待った。
いつもとは違いもてなさせる側に慣れていないアンナたちは落ち着きなく椅子に座っている。
応接室の窓から見える庭も美しく、色とりどりの小さな鳥たちが鳴く声が聞こえる。
窓から庭を眺めていると、ちらりと人影が見えた気がした。誰かいるのかと、席を立とうとしたとき、応接室の扉があき、ザシャさんがお茶とお茶菓子を持ってきてくれた。
お茶を入れるぐらいさせてくれと、あきらめず名乗り出るモーリッツとアンナをを強引に座らせると、慣れた手つきでお茶を入れてくれた。
「口に合うと良いのだが」
そういって渡されたカップからはほんのりとりんごの匂いがした。
一口のむと、りんごの香りとともに紅茶の豊かな香りが鼻を抜けた。
あまりのおいしさに父の顔を見上げると、父は笑いながら「気に入ったようだよ」とザシャさんに言った。
それを聞いたザシャさんは嬉しそうに微笑むと、お菓子もどうぞ、と勧めてくれた。
ザシャさんが勧めてくれたお茶菓子からクッキーを選び、一口かじるとほろりと優しく砕け、ふんわりとした優しい甘さが口いっぱいに広がる。アーモンドの風味の生地は紅茶の美味しさをより引き立ててくれた。
あまりのおいしさに言葉を失っていると、リックが身を乗り出してザシャさんの肩をつかんでいた。
「このお菓子はあなたが作っているんですか!? どうやっ」
まだリックが言い切らないうちに、慌てたモーリッツがリックの肩をつかみ力いっぱいザシャさんから引き離す。横でアンナがリックをしかりつけると、リックはしょんぼりと肩を落とした。
リックがあまりのおいしさに無礼を働いたことを謝ると、ザシャさんはちっとも気にしていないようでニコニコと楽しそうに言った。
「いやいや、にぎやかでうれしいですな」
「しばらくうるさいかもしれないが」
「いつも静かなところだ。たまにはうるさいぐらいがちょうどいいさ」
父と話すザシャさんは本当に穏やかで、この屋敷全体がゆっくりと時間が流れているように感じる。
お茶を飲んで少しゆっくりしたところで、ザシャさんが屋敷内を案内してくれた。
とても一人で住んでいるとは思えないほど、屋敷は隅々まで清潔にされており、十数人メイドや執事を雇っているグリーン家と比較しても負けないほど、手入れが行き届いていた。
廊下には生き生きとした花が生けられ、窓ガラスはどこをみてもぴかぴか、廊下にも埃一つないのだから驚きだ。
もちろん台所も手入れが行き届いており、それだけではなく数多くの機器までそろっており、リックは大喜びで「僕はここで寝ます!」と宣言したほどだ。
一通り屋敷内を案内し終えたザシャさんは、庭に連れて行ってくれた。
ジョンはキラキラと目を輝かせ、ザシャさんの説明を真剣に聞いている。普段庭に興味のない父やリックまでザシャさんの説明に聞き入っているようだった。
私も初めて見る花やいつもとは違う色の花に興味深々で、庭中の花をザシャさんに聞いて回った。
「この花はセディナ国でしか咲かない花でね、今はピンクの花だけど古い文献によると………」
ザシャさんの説明の途中、誰かの視線を感じて私は庭の奥を見つめた。
その視線の先には誰も居ない。
「姫様、どうかされましたか」
私の異変に気付いたアンナが声をかけてくる。
(気のせいかしら)
私はアンナに「なんでもないわ」と返し、ザシャさんの話に戻った。そんな私を父が一歩離れたとこでじっと見つめていることに、私は気づくことはなかった。
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