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 誰かが私を呼んでいる。

 そう思いつつも、デッキに一人で行くことはしなかった。


 あの時、父がいなければきっと私はあの勢いのまま海に落ちていた。

 

 私は死ぬためにこうして船に乗ったわけではない。


 私はうかつにデッキには近づかないように、船旅のほとんどを船内で過ごした。


 海の向こうの国、セディナ国まではグリーン領を出てから約3日の旅と聞かされていた。私は船内でステンが厳選した本を読んで過ごし、なるべく海には近づかなかった。


 それでも波が船にあたる音が聞こえるたび、本から意識が浮上してしまう。なんの意味もないただの自然現象だ、と自分に言い聞かせながらも、時々その天候や風とは違い不自然に聞こえる波の音に、どうしても意識を持っていかれてしまう。


 結局船旅最終日になっても、ステンからの宿題はほとんどこなせずにいた。


「この3日間、船酔いで使い物にならなかったってことにして頂戴」


 私はため息をつきながらパタリと本を閉じた。

 アンナがいれてくれたお茶を口に運び、その優しい甘さに浸る。

 

 アンナは何か言いたげに口を開いたが、その口は何も音を発することなく閉じられた。

 

 もう一度本を読もうとしたとき、ドアがノックされ続いて父の声が聞こえた。


「ラウタ、ちょっといいかい?」


 その言葉を聞いたアンナが立ち上がり扉へと向かった。


「どうぞ、お父様」


 私がそういうと、アンナがすっと扉を開けて父を部屋に入れてくれた。そして父に続いて庭師のジョンも部屋の前で一礼してから父に続いて入室した。


 アンナはそのまま追加分のカップを取りに部屋から出て行った。

 きっと合わせてお茶菓子も追加してくれるだろう、つい口元がゆるむ。


 しかし、父は頻繁に私の部屋を訪ねてくるが、庭師のジョンまで父に付き添ってくるのははじめてだ。

 要件を聞く前に私は二人にソファを勧めた。


 父と私と同席するのを渋るジョンを父と二人で半ば強引に座らせると、私も父の向かいの椅子に腰かけた。

 ちらりとジョンを見ると緊張からか、石のように全身を固まらせていて、同じくそれに気づいた父は笑った。


「何もそんなに緊張することないだろう! 君は一体何年グリーン家に勤めているんだい」


 父に笑われたジョンは顔を赤らめてうつむいてしまった。

 もともと社交的ではないジョンは、父の並んで座るなんてとても平常心ではいられないのだろう。


 ジョンは父と母がまだ新婚だったころに雇われた庭師だ。妻子はおらず、結婚するにもギリギリの年齢だが本人にその気はないらしい。


(顔はイケメンなのにね。せめてその長ったらしい前髪さえ上げればなぁ)


 ジョンはなんといっても引っ込み思案で、とても社交的とは言えない。しかしジョンは庭師としては非常に腕がよかった。特に母がジョンの作る庭が大好きなのだ。


 しばらくすると、アンナが追加のお茶とお茶菓子をもって部屋に入ってきた。お茶菓子は私が好きなマドレーヌだ。


 ここぞとばかりにアンナを手伝おうとするジョンを、今度はアンナが強引に座らせて3人でお茶を楽しむ。アンナの入れたお茶とマドレーヌの組み合わせは絶品だった。


「さて、本題に入ろうか」


 そう父が切り出すと、私はカップをテーブルに置いた。


「もう後すぐでセディナ国につくわけなんだが、ラウタに知っておいてほしいことがいくつかあってね」


 父はそういうと、一枚の小さな手帳を胸ポケットから取り出し、テーブルに置いた。


「まず基本的な通訳はジョンがいるからいいとして」


 父のその言葉にジョンはまたうつむいてしまった。

 ジョンの丸まった背中をアンナがたたく。小さく口が動いたので「しゃんとなさい」と怒られたのだろう。


「生活スタイルとかは大きく変わりない、マナーとかはそのメモを読んでいてくれればいいだろう」


 メモというには部厚すぎるそれを父は指さした。

 父の「読んでおけ」は「読んで理解して行動しろ」であるため、私は思わず表情が曇る。

 もっと早くに渡してよ、と思わないでもないが、父の性格上仕方ないのであきらめてその手帳を手に取った。


「ひとつだけ、私たちになじみのない習慣がある」


 父は淡々と話し始めた。


「セディナ国には神様がいるんだよ」


 父の言ったことが理解できずフリーズする私を横目に父は紅茶をすすった。

 それ以上何も言うことはないと言わんばかりにマドレーヌも食べ始めた父をみて、私の眉間にしわが寄る。

 

 ジョンは隣で父と私の顔を交互に見て小さい声で「よろしいでしょうか」といった。


「お父様の代わりに説明してくれる?」


 私はそうジョンに優しく話しかけると、ジョンはおずおずとしながらも父の数倍丁寧に説明してくれた。


「私たちの国では神様はあくまで信仰対象ですが、セディナ国では王政の目付け役が神様なのです。神様は兵士や平民に紛れて人々と同じように暮らしています。時には道端の花や、野良犬野良猫に扮していることもあるのです。そして王の政治が気に入らないと王に病やけがをさせ、王座から引きずり下ろすのです」


 なかなか容赦ない神様だが、正直セディナ国だけでなくこちらの国の面倒まで見てほしいものだ。

 そうすれば、私が悩む前に現国王とジェラード共々王位継承権をはく奪されるのに。


「私たちとは神様の感覚が異なりますので、下手なことは口になさいませんようお気を付けください」


 私は了承の意を込めて頷くと、ジョンは安心したように表情を緩めた。

 ちょうどジョンが話し終えたタイミングで、ドアがノックされモーリッツの声が聞こえる。


「セディナ国を視認いたしましたので、ご報告を」


 モーリッツの言葉を聞き、父はソファーから立ち上がり、私にデッキに行こうと誘った。

 私が返答に渋っていると、父は強引に手を引いて私を部屋から連れ出した。


 しぶしぶながらデッキに出ると、グリーン領を出た時とは異なる鳥が空を飛んでいた。

 グリーン領ではカモメのような白い鳥が多く飛んでいたのに対し、今は尾羽の長い薄黄色の鳥が空を優雅に飛んでいた。


 その姿は美しく、そして私たちの船を歓迎しているように周りを囲んでいた。

 私がデッキに足を踏み入れると、さんさんときらめく太陽が海をまるで宝石のように反射させた。


 私は思わず父の手を振りほどくと、私はデッキの先まで小走りで歩みを進める。

 

 私はデッキの最端にたどり着くと、大きく息を吸った。


『Na Na Na ~』


 私の声は大きな海に吸い込まれたように聞こえた。

 海に誘われたときと同じ感覚。まるで、待ち望んでいたと言わんばかりに頭上を鳥がせわしなく飛んだ。

 海では魚が跳ね、クジラの声のような低い動物の声が小さく聞こえた。


『私いつからこんな風になってしまったの?

 頭をからっぽにしよう

 むかしにもどったみたいに


 私いつからこんな臆病になったの?

 今を楽しまなくちゃ

 むかしにはもどれないのだし』


 海の匂いも、波の音も、鳥の鳴き声も、そのすべてが私の身体を潤すようだった。

 知らず知らずのうちに聖歌隊で身に着けた、他人(みんな)がついてこれる音程を捨てて叫ぶように歌う。


『Ah~Ah~』


 海の音に混ざって、聞きなじみのある、ギターのような音がする。

 きっと幻聴だろうけれど、その音がひどく心地よくてその幻聴をリードに私は歌いつづける。



 デッキの奥の方では、ライナーの横でジョンが目を見張っていた。


「旦那様、これは………」


 ジョンが言葉を失うのも無理はない。

 夢中で歌うラウタにはわからない、ラウタの周りの風だけが異常なようにまい、あるはずのない楽器の音までかすかに聞こえているのだ。それは人ではない何かの力によるものなのは明らかだった。

 ラウタの歌が盛り上がるにつれて、幻聴のような楽器の音も大きくなっていく。


「モーリッツ、帰りの積み荷を厳重に確認しろ。何一つ不審なものは持ち帰るな。コバエ一匹船に近づけさせるな」


 ライナーは厳しい面持ちでモーリッツに命じた。


「神など持ち帰ってたまるか」


 まるで苦虫を噛みつぶしたようなライナーの表情とは反対に、モーリッツは表情を崩すことなく「かしこまりました」と一礼した。


「やはり、旦那様がおっしゃっていた、神様が姫様を迎えに来たということでしょうか」


 そうつぶやいたアンナはライナーの一歩後ろから、自然と戯れ、あるはずのない楽器を奏で、楽しそうに歌うラウタを見つめていた。

 まるでこちらとは一線を画すラウタの姿は、美しくも恐ろしくもあった。


「ラウタが海に落ちそうになったときから考えてはいたが、そのまさかのようだ。

 予定より5時間も船が速くついた。こんなことあり得ないと船長も言っていたからな。この国の言う神とやらが、海になってラウタを迎えに来たとでもいうのだろう」


 ライナーはそういうと、踵を返し船内へ向かった。

 モーリッツとアンナもそのあとを追う。 


「アンナ、ラウタから目を離すな。俺はラウタの行動を制限するつもりはないが、ラウタを危険にさらすつもりもない。まして、この国に置いていくなど」


 船内の暗い廊下の中、少ない明かりがライナーの顔を映し出す。

 それはいつもラウタに見せる優しい微笑みとからは程遠く、悔しそうに唇を噛みしめ、強い嫌悪の表情だった。


「いくら神がラウタを気に入ろうが、ラウタは俺の娘だ」

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