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海を越えようといった私に父は何とも言えない微妙な顔を返した。
「ラウタ、女性は船には乗れないよ」
その父の言葉に今度は私が間抜けな声を出した。
私の反応を見るなり父はやれやれと言わんばかりに頬杖をついた。
「知らないとは言わせないよ」という視線を父は痛いほど私に送ってくる。
言われてみれば確かに女性の船乗りは存在しないが、私が知らないだけだと思っていた。
まさか、船に女性が乗れないなんて。
「そこを何とか………なりません?」
首をかしげてかわいらしくお願いすると、父は頭を抱えた。
「いいかい、ラウタが乗るってことは船から作らないといけないんだよ?」
「わかってるかい?」と恨めしそうに父は私をみつめる。
その父の視線に目を潤ませて見つめ返すと、父は大きなため息をついた。その口元はしっかりと緩んでいるので、私の作戦は成功だ。
「15歳の誕生日プレゼントだよ」
「ありがとうございます! お父様!」
勢いよく父に抱き付いて、その頬にキスをする。
「やれやれ、早くこのおてんば娘をテオが貰ってくれないかな」
父はそういいながら私の頬を片手でぎゅっと挟んだ。そして父の顔は嬉しそうに笑った。
その顔をみて私も微笑み返すと、父は手元のベルで人を呼んだ。
父は早速グリーン家専用の船をつくるため準備を始めた。
執事と話をしているのを横目に私はソファでお茶を飲んでくつろいでいた。
私はふとある考えが浮かんだ。
「船でしたらフロトー家に頼むのがよいと思いますわ。あちらにはマリア様もいらっしゃいますから、きっと円滑にうまくいくと思いますわ」
実際のところ貴族用の船というのはあまりない。
貴族の子たちが海外に留学する際使われるちょっと豪華な船がつくられるだけで、基本的には漁船や貿易船がメインだ。そもそも貴族が個人の船を持つということが今までなかったのだ。グリーン家の人間ですらあまり海を越えることはない。ましてグリーン家の人間は意外にもケチな性分なので、そんな使うか使わないか微妙なものにお金はかけない主義である。
まして、ほかの領土の貴族が船を持とうものなら、維持管理費をたんまり受け取るつもりであるので、貴族には船が復旧しなかったわけだ。
以前のエリック殿下の留学も結局ほかの貴族と同じ寄り合いの船だった。
これがエリック殿下ではなくジェラードであればまた違っただろうが。
「確かに、フロトーなら船にも詳しいし何より自社の船を持っているからな。よし、その方向で話を進めてくれ」
そういって父は執事に一枚の書類を渡した。
『いつも御贔屓にありがとうございます』
というマリアの声が聞こえてきそうである。
私が口元を緩ませると、父はそれを見たのか『仲良しで何よりだ』と笑った。
*~*~*~*~
聖歌隊の練習の合間、教会のリサの部屋にマリアとリサを読んで、しばらく領地をあける話をした。
「それで領主さまのご意向により急ぎ船を造らせましたけれど、出航はいつになさるおつもり?」
「一か月後の日曜日には出航しますわ」
それを聞いたマリアとリサは大きな声を上げた。
「二人とも、品がないですわよ」
私が少し眉間にしわを寄せて文句を言う。
「ラウタ様は常識がないですわ!」
リサが前のめりになりながらそういうと、マリアは大きなため息をついた。
「今から一か月後の日曜日はラウタ様の15歳の誕生日ではありませんか」
この国では5の倍数の誕生日を特に盛大に祝う習慣がある。もっと言うと、15は成人も兼ねているのでこの国で人生で最も意味のある日が15歳の誕生日なのだ。
「誕生会は出航の一週間前にしますから、ご安心ください」
ラウタの誕生会となればかなりの大掛かりなイベントである。民にいきわたるお金も増えるので、そこはしっかり対策を練ってある。
「当日の神のお言葉は? 15の成人式は2か月後ですよ!」
リサは耐えきれなくなったのか私の肩をつかんで大きく揺さぶった。
「神殿行事は帰ってきてからいたしますわ」
リサに揺らされながら私は答える。
聖歌隊に入っている私が言うことではないが、グリーン家はあまり信仰深くないのだ。
日本人の書いた小説だからだろう、神殿行事を中心に考えていない。そこは教会育ちのリサとは大きく認識が異なる。
私を揺さぶるリサの手をマリアが止める。
マリアはさみしそうな表情をしながらも「ラウタ様が決めたことなら仕方ないですわ」と言ってくれた。
思い返せば、私がラウタをやり直すことになってからはじめて、マリアのもとを離れることになる。
なんだか言い表せないような気持になって、私はマリアとリサの手を取ってぎゅっと握った。
「お二人に、聖歌隊を任せますわよ」
その言葉を聞いて二人は大きくうなずいてくれた。
「これで本格的に養子の話を蹴れますね」
リサは嬉しそうに言った。
私が「養子?」と聞き返すと、リサは困ったように笑った。
「どうやら私を養子にしたいという話があるそうなんですよ。ガイスト男爵から」
ガイスト男爵は王都に居を構える、男爵の中ではかなり上位の貴族だ。
確か、養子をとらずとも男児女児ともにいたと記憶している。
私が男爵の意図をつかみきれずにいると、マリアがまるで毛虫でも見つけたときのような顔をした。
「ラウタ様とわたくしにジェラード王子から求婚が来たことをかぎつけたらしく、側室に自分の娘を差し出したところ、陛下に断られたそうですよ。そして、あのちんけな頭で精一杯考えたのでしょうね。将来的に第一王妃にラウタ様、第二王妃にわたくしが選ばれれば、その友人であるリサは話し相手として王室に呼ばれ、いずれは側室ぐらいには選ばれるだろうと」
「それで、私に養子になる話が来たわけです」
リサは「貴族って色々考えてるんですね」と苦笑いした。対してマリアはまるで自分のことのようにお怒りのようだった。日に日に私の口の悪さが映っているようで、フロトー家の方々には心底申し訳ない気持ちになる。
しかしなるほど、まず私が第一王妃になる可能性が限りなく低いことをほかの貴族たちは知らないわけだ。しかし、私の記憶にあるヒロインの苗字はガイストではなかった。たしかヘルなんとかだった気がする。
それに、ガイスト男爵は分家だったはず。
「でもガイスト男爵って分家ではなかったかしら。本家の方はどうお考えなのでしょう?」
私がそう尋ねると、リサは「あー」と情けない声を出しながら視線をそらした。対してマリアがカッと目を見開き「それなんですの!」と私に顔を近づけた。
私はその勢いに思わず後ずさりつつも、マリアはそんなことお構いなしに話し始めた。
「養子になったリサが側室にでもなって子でも授かってしまえば分家のガイスト男爵のほうが上になってしまうでしょう? 今本家のヘルマン侯爵には年ごろの娘がいらっしゃいませんから。でも孤児を家に入れるのも嫌だからってガイスト家にいるように言ったんですのよ! そして側室が決まったらヘルマン家に養子いなるそうです。ほんと貴族の方って自分勝手ですのね!」
貴族である私を前に酷い言いようである。
まぁ今回はマリアの言い分に全面的に賛同するが。
しかしヘルマン侯爵か、言われてみれば『リサ・ヘルマン』ヒロインの名前はそんな感じの名前だった気がする。
前世では直接的な関わりがなく、直接名前を聞いていないから前世の彼女がどうであったかわからないが、少なくとも小説のヒロインはきっと教会で孤児を経てガイスト家、そしてヘルマン家に引き取られたのだろう。小説では何かのパーティーでヒロインとジェラードは出会うはずだった。
まぁ、今回のジェラードとリサの出会いは私のせいで最悪だったわけなのだが。
「でも、私たちみんなで嫁ぐならそれもそれで楽しそうですわね」
もし、前世のあのジェラードとの結婚生活にマリアとリサがいたのなら、ジェラードに押し付けられた仕事もきっと悩まされることもなかっただろうし、屋敷中にいた女性たちの美しさもこの二人の美しさを前にかすんでいただろう。そうすれば、前世ももう少しは気楽だったかもしれない。
「あら、今度は王家でも乗っ取るおつもりですの?」
一枚かませろと言わんばかりにマリアはにやりと笑った。
「まぁ、嫁ぎませんし、養子にもなりませんけれど」
リサはそういうと自慢気に微笑んだ。
「それに今の私には正直養子になるメリットないですしね。聖歌隊のおかげでお金は十分ですし、教会の一室を間借りしているのでこれ以上勉強に恵まれた場所もないですし、養子のほうが待遇が悪くなる可能性の方が大きいですからね」
リサのいうことはとても的を得ていた。小説でも養子のリサはろくな待遇を受けていなかった。
小説では聖歌隊はないのでリサの収入はなく、教会ももっと貧しく、リサが養子になることを条件に教会はヘルマン侯爵から多額の資金援助を受けていた。しかし、今は聖歌隊のおかげで教会は小説よりずっと裕福だ。リサが養子なる必要はなくなったというわけだ。
「第一、私ジェラード殿下大嫌いですから」
そう言い切ったリサの笑顔たるや。
あまりのすがすがしさにマリアと私は顔を見合わせて笑った。
「今でこそ私とマリア様にこだわってらっしゃるようですけれど、もうしばらくすれば王都内の適当な貴族で落ち着いてくださるでしょうよ」
(前世ではあれだけ女遊びが激しかったのだから)
心の中でそう付け加えて私は笑って言った。
実際にジェラード王子は私が出航するその日までなんの音沙汰もなく、影すら現さなかった。
遅くなりました。お読みいただきありがとうございました!