19
パーティーの翌日、私は帰りの馬車で物思いにふけっていた。
胸に残る気味悪さは、あのジェラードの一言。
『ラウタ嬢、君は必ず僕を好きになる。これは決められた未来だ』
あれは自分に対する絶対的自信か、それとも。
「ジェラード王子にも、前世の記憶があるのか」
馬車の中で私のつぶやきだけが響く。
私に前世の記憶があるのだ、ほかの誰かにあったとしても不思議じゃない。
そう考えると、こうして税金の取り立てやジェラード王子の婚約が早まっているのも納得できる。
本来であれば王族や侯爵以上の貴族の結婚は16で成人した後、2年間は王都で政治を学んでからだ。それを前倒してまでジェラード王子が防ぎたいことがあるとすれば、それは戦争による自身の死だろう。
今の早い段階から税金で民の力をそぎ、反乱を防げば戦争にだって勝てると思っているのだろうか。
税金の使い道も、ジェラード王子の結婚のためとなれば誰も反対できない。
「馬鹿は死んでも治らないっていうけど」
私は大きなため息をつく。
前世での戦争の敗因は民の反乱ではない。
ジェラードが女性を王宮に維持するために国防費を割いたところに根本的問題があった。給料や経費を削減されて多くの兵士たちがやめていったのに、それをジェラードは止めなかった。むしろ、「むさくるしい男どもが城からいなくなって済々した」と笑い飛ばしたのだ。
自分の身が誰に守られているかもわからない、愚か者。
その兵士たちの多くが隣国で雇われ兵士として戦争で我が国に牙をむいた。碌な護衛などいない王をとらえるなど、たやすいことだっただろう。
それで、今回戦争になっても身代わりとして私を皇后にしておこうといったところか。
きっと自分が死んだのは、私がジェラードの居場所を吐いたか、私も王宮から逃げたと思われているんだろう。
いくらジェラードに前世の記憶があったとしても、自分が見ていないことはわからないのだ。
我が国は海と敵国に囲まれているといっても過言ではない。小説の中でも戦争をちらつかせる場面もあったからか、立地的に素晴らしい国とは言い難い。
東にはグリーン領が収める大きな湾があり、南には大きな人類未開の砂漠。そして西には隣国とその同盟国の小さな国が並んでいる。
この国から逃げるにはグリーン領の港を使うか、北に行くしかない。
しかし北は深い森があり、奇襲を仕掛けるにはもってこいの場所だ。
あの戦争で隣国側がすでに北の森を占拠していることを知らなかったのか、知っていてもなお逃れられると信じていたのか、彼はわざわざ自分から罠に掛かりに行ったのだ。
そもそもこの国は小さな国であり、隣国から虎視眈々と狙われる運命にあるのだ。隙を見せたら終わり、それを知っているからこそ歴代の王は西の国防を、自らの生活を犠牲にしてまで守ってきたというのに。
現国王とそのバカ息子ときたら。
父が大きなため息をつく理由もわかる気がする。
「前世の記憶があっても馬鹿は馬鹿なのね」
そもそも前世の記憶があったとして、なぜ自分のことを好きになってくれると思い続けられるのだろう。城の中で女性を侍らせ、仕事は私に押しつけ、やりたい放題やった記憶を忘れたとは言わせない。
(私なら申し訳なくて二度と顔を合わせられないわ)
私はジェラードの首を見たときの気持ちすら忘れられないというのに。
「姫様、つきましたよ」
声をかけられて顔を上げると、もう屋敷についていた。
長いこと物思いにふけっていたようだ。
馬車から降りると、前を走っていた馬車から父が下りてくる。
そして屋敷のほうを見るなり、小走りで駆け寄っていった。
父を目で追うと屋敷の前には一人の見慣れない男性が立っていた。
ピシッとしたスーツを身にまとい、ピンと伸びた背筋からは何やら厳しい雰囲気を感じる。
「お帰りなさいませ、ラウタ様」
テオに声を掛けられ、テオのほうを見ると、いつも通り優しく微笑んでいた。
「ただいま、変わりないかしら」
いつも通り私の左手に口づけを落とすテオにそう尋ねると、テオは「ラウタ様がいらっしゃらないこと以外には」と答えた。
「あなたがいない屋敷は静かでいけませんね」
「たった二日でしょう」
「たった二日でもです」
「やっと会えました」と満足そうに微笑まれてしまえば、何も言い返させなくなる。
そういえば、と男性の方を見ると何やらすごい剣幕でこちらを見ていた。
でもその顔はどこかで見たことある顔だった。
「紹介が遅れてすまない、ラウタ。こちらはステン・ルンド君、ラウタの家庭教師だよ」
そう紹介されて男性はすっと頭を下げた。私も礼を返した瞬間思い出した。
彼は小説でも登場していた私の家庭教師だ。小説では悪役令嬢としてジェラードに夢中でヒロインを邪魔しようとするラウタを後押しする、ラウタにゲロ甘な教師役役。
『ラウタ様をないがしろにするとは! 国王とはいえ大罪です』
小説の中ではそんなことを言っていた彼だったが、前世ではそんな様子はかけらもなく、何ならスパルタ教師だった。
ラウタの所作が美しく、前世で父の右腕として王政にかかわるべく見せた数々の手腕も、彼なしにはできなかったことだ。
(なんか、前世の時よりもっと厳しくなっている気がするですけど)
恐る恐る顔を上げれば相変わらずステンは私をにらみつけている。
「60点、及第点といったところです」
顔を上げるなりいきなりステンは私にそう言い放った。
前世でもよく言われていた、その採点。
「あなたはグリーン家の令嬢です、その人の顔色をうかがうような態度は今後一切やめたいただきたい。貴族とは第一印象が大切です。そのように顔色を窺っていては、すぐに利用できる人間だと思われます」
彼言うことはもっともだ、もっともなのだが。
(前世であなたの顔色をうかがうのが癖だったのよ! あなた少しでも私が間違ったこと言うと、『意味がありませんな』とか言って教師をほっぽり出して帰ろうとするから!)
何度屋敷から出ていこうとする彼を引き留めて教えを乞うたことか。
「ステンは父親に似て手厳しいな」
父は楽しそうに笑うものの、私にとっては笑い事ではなった。
これから待ち受けているであろう地獄を想像して顔から血の気が引くのを感じる。
誰かに助けを求めたくて、母をちらりと見ると「素敵なレディになりますわね」なんて満面の笑みを返されてしまい、こちらとしても逃げ場がなくなる。
「レディ・ラウタ。私はあなたがグリーン領の令嬢だからと言って手加減するつもりはありません」
スパっと言い切る彼に懐かしさを感じる。
確かに厳しい人だったが、彼が居なければ前世のラウタはいない。
前世では何度も逃げ出したくなって、何度も父に泣きついたりしたものだったが。
(次は負けません)
「当り前です。わたくしも、先生から知識を搾り取ってみせますので。そのつもりで、どうぞよろしくお願いいたします」
そう言い切ると、私は改めて自分ができる最大限美しい礼をした。
*~*~*~*~
そうはいったものの、ステンの授業は厳しいなんてものじゃなった。
初回の授業でできるところを見せたくて、前世の記憶を最大限利用したことがだめだったのだ。
「ではラウタ嬢にお聞きしましょう。現在の住民税のもととなった人頭税を導入させたのは?」
「えっと、4代国王ルンデル陛下です」
「えっと、ではありません。これぐらいスッと答えられなくてどうするのですか」
ステンは大きなため息をつく。
正直に言うと、そもそも私は勉強は得意ではないのだ。前世の記憶を細切れにして披露していれば急激に授業が難しくなることは無かったろうに。
前世で一度もほめてくれなかったステンが、今回ならほめてくれると思ったのだが。
『なるほど、多少のお勉強はされていたようですね。では予定より難易度を難しくしていきましょう』
ほめるどころか、地獄への片道切符を押し付けてきたのだ。
「では、人頭税がなぜ廃止されたのかご説明ください」
ステンはそういうとじっと私の顔を見つめた。
(この顔をしているときは私の力量を測っている時)
そうわかってはいても、前世では歴史の年表を丸々覚えていたが、歴史の背景までは理解していなかった。
ぐぬぬ、と下を向き黙りこくる私にステンは諭すように語りかけた。
「ラウタ様、歴史とは年表を覚えることではないのです」
想像していたより、優しい声色で思わず私が顔を上げると、ステンは前世でも見たことないような優しい顔をしていた。
「過去の人類が如何にして今の国を作り上げたのか、過去の記録から過ちと努力を知り、二度と同じ悪夢を繰り返さないために歴史を学ぶのです。人類が成長するために、歴史はあるのです」
私はステンの言葉を胸に刻む。
(そう、同じ過ちは二度と繰り返してはならない)
私は決意を込めてステンの顔を見る。
「わかりましたわ先生」
そう答えると、ステンは満足そうに笑った。
「では授業に戻りましょう。人頭税が廃止された理由としては………」
*~*~*~*~
「本日はここまでにいたしましょう」
ステンがそういうと、テオが紅茶とお菓子をもって部屋に入ってきた。
テオが紅茶の準備をしていると、父も部屋にやってきて満足そうにうなづいた。
「良く学んでいるようだね、ラウタ」
そういって私の頭をなでる。
先ほどからステンはテオが気になるらしく、その手元をじっと見つめている。
「ライナー様、一つよろしいでしょうか」
ステンはテオの顔をちらりと見て言った。
「ん? なんだい?」
「わたくし、ずっと気になっていたのですが」
ステンにしては珍しく、言いよどむ彼を父がせかす。
「ラウタ様より、彼の方が100倍出来が悪そうですので、私が稽古をつけても?」
その発言に父と私の笑う声が重なる。
テオはまさか自分に流れ弾が当たるとは思っていなかったのか、目をぱちくりしながら「僕ですか!?」と聞き返していた。
「聞けば、あなたはラウタ様の婚約者だそうですね。それなのに、部屋に入るときの礼から紅茶を入れる仕草まで、使用人のそれと同じです! 領主になってから指導を受けているようではだめです! そもそもあなたダンスは踊れますか? その背筋ももう曲がっていますよ! 大体………」
ステンの大説教大会が始まってしまって、父が「分かった! 分かったから!」とステンを制した。
「テオも今日から指導してやってくれ」
その一言でステンは満足そうにうなづいた。
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