18
会場の割れんばかりの拍手に聖歌隊は丁寧にお辞儀をした。
鳴りやまない拍手の中、頭を上げると目の前にはジェラード王子が立っていた。
うえ、と嫌な顔をしそうになるのをぐっとこらえ、満面の作り笑顔で再度腰を折った。
「顔を上げたまえ」
態度だけは立派なジェラード王子の顔を相像しただけで吐き気がするのに、顔を上げろと言われて顔が見えないのをいいことに、聞こえない大きさで舌打ちをした。
(顔を上げた瞬間につばでもかけてやろうかしら)
しぶしぶ顔を上げると、美しいと評判のジェラード王子の顔が近くにあった。
こうして顔を寄せて頬を赤らめなかった令嬢はいないのだろう。
私の無反応に耐えられなくなったのか、わざとらしく咳払いして顔を話した。
「僕のために、こんな素晴らしい曲を用意してくれて本当に感動したよ。わざわざ君が書いてくれたのだろう?」
言わなくてもわかるさ、と得意げになる王子に思わず目が点になる。
「今日の曲がすべて王子のために書き下ろしたものだと思ってらっしゃるのかしら………」
マリアがひそひそと耳打ちしてくる。
そんなことするほど聖歌隊は暇ではないが、聖歌隊の持ち歌や仕事内容などジェラード王子にとってはどうでもよいのだろう。
大きなため息が出そうになるのを必死にこらえて、「そんなわけないでしょう馬鹿ですか」といってやろうかと正面をむくと、視界の隅で父が「落ち着け」と身振り手振りしているのが分かる。
「なんでよ」と思った瞬間、会場のざわつきが変わった。
「いやいや、実に素晴らしい歌だった。噂以上だな」
貴族の集団が裂けて道ができる。そこに現れたのは現国王だった。
貴族に続くように聖歌隊メンバーも頭を下げる。
現国王が現れたら少しばかり分が悪い。周りは貴族に囲まれている。国王は気づかなくても周りの貴族は私の態度を厳しく見ているだろう、粗相一つでもあったら不敬罪になりかねない。
(まだ首はとばしたくない)
頭を下げながら深呼吸する。
(演じなさい、国王に忠誠を誓う貴族を)
王の「頭を上げよ」という一言でその場の全員が頭を上げた。
後ろで聖歌隊メンバーが緊張しているのを感じる。
当たり前だ、一国の王がこんなに近くにいるのだ。ミス一つで首が飛びかねないこの状況に緊張しない方が無理というもの。
私は自分の背で隠しながら、後ろのメンバーには「控えて」と合図を送る。
今回ばかりはその合図を見て、マリアも一歩下がった。
「国王陛下から直接お言葉をいただけて、みんな感動で言葉を失っていますわ」
鍛え上げた営業スマイルで答えると、王は満足そうに笑った。
「しかし、事前に言っておいたのにマリア嬢の後でに回るようではいけないな」
王の目がふっと暗くなったように感じた。
王が言っているのは婚約のことであろう。
(ダンスも自分から誘ってくるぐらいの気概を見せろってことね)
つまりは私にテオが居ようが居まいが関係ないということ。父がいるときに言えば品がないと言われるのを避けて、わざわざこのタイミングを選んだというわけだ。
こんな場でなければ、正々堂々と喧嘩を買ったというのに。
周りの貴族の目はぎらぎらと私の貴族としての価値を見定めてくる。
目の前の虫はコバエでも、それを餌とする奴らは周りにたくさんいる。さらにそれを餌にしようとするやつらまで。
王は愚かでも、貴族は強かで賢い。それだからこそ、この国は成り立っているのだ。
「私のような身のものが見境なく殿下に近づき、それを陛下が許したとなれば問題になりますから」
ちらりとジェラード王子をみてから物憂げに視線を降ろす。
「好意を鵜呑みにして身を滅ぼすことはしないと」
「殿下にはほかに素晴らしい方がいますわ」
(ヒロインとかね!)
頑なに会場にはいかないと言って今も控室にいるリサをここに呼びつけたい衝動に駆られる。
しかし、今となってはリサも大事な人の一人だ。こんな奴のところに嫁がせるつもりなどない。
前世ではヒロインが王子にあうずっと前から王子に積極的にかかわる、もといアピールすることで好意を全て奪い去ったが、今回ばかりは小説の悪役令嬢よろしく思い切り邪魔するつもりだ。
小説のラウタとは目的は異なるけれど。
「陛下、そろそろ」
執事の一人が陛下に耳打ちすると、陛下は「素晴らしかった」と一言添えてからその場から去った。
私たちは控室に戻り、聖歌隊の衣装からドレスに戻る。
戻ると言っても、ドレスも着るのに時間がかかるため会場に戻るころにはもうだいぶパーティーは終わり掛けになっていた。
「ラウタ嬢」
後ろから声を掛けられ振り向くと、そこにはジェラード王子が立っていた。
それを見たマリアが「ライナー様にご挨拶してきますわ」といって席を外した。
「なんでしょうか、殿下」
私はなれた手つきで腰を折ると、ジェラード王子は私の肩をつかみ、強引に顔を上げさせた。
その暴力的な行為に思わず眉間にしわが寄る。
「痛いですわよ、殿下」
自分から出た声は驚くほど冷たかったが、ジェラード王子には通じない。
「今は気づいていないかもしれないが、ラウタは必ず僕を好きになる。僕は知っているんだ。だから、強がらないで、邪魔者は全員消してしまえばいい。君は気にの気持ちに素直になって」
突如となくこの上ない侮辱をされて思わず固まってしまった。
私が自分の気持ちに素直になるなら間違いなく、その左頬にストレートを決めているところだ
ジェラード王子の後ろから父がこちらに向かっているのが見える。
この状況を見ようものなら発狂しかねない父の姿を想像して、父のためにもジェラード王子の手を強くつかんだ。
「離してくださいますか」
凍てつく冬のような声にジェラード王子の身体が一瞬こわばる。しかし、彼はそれでも私の肩を離さなかった。
もういっそ偶然を装って背負い投げでも決めてやろうかと思った時だった。
「ラウタ様に何か御用ですか」
リサが今までに見たことないほど敵意に満ちた顔で殿下をにらみつけていた。
「今すぐ、その手を放していただけますか。ラウタ様に跡でも残そうものなら、たとえ自分が斬首刑になってでも、今この場であなたを刺し殺しますよ」
本当にその服の下にでもナイフを仕込ませている口ぶりのリサに、さすがのジェラード王子も怯んだのか、一瞬手の力が緩まる。
その隙にパッとジェラード王子から距離を置き、私が自分の肩をぱっぱと払っていると、やはり肩をつかまれているのを見てしまったのだろう。近づいてきた父の顔は怒りに満ちていた。
「冗談が過ぎるのではないですか、殿下」
私とは違い殺気に満ちた父の声色にジェラード王子はビクリと肩を震わせた。
父は私と殿下の間に立ち、今にも殺さんばかりの殺気を放つ。
リサと父を止めなくては、本当に何をしでかすかわからない。
お父様、と声をかけようとした瞬間、父を呼んできたのであろうマリアが泣きそうな顔で私の両頬に手を当てた。
「大丈夫ですの? お怪我は?」
「大丈夫です、肩を掴まれただけですから」
なんてことないように笑って話す私に、マリアの眉はさらに下がる。
その大きなルビーのような瞳から涙が零れ落ちるのは見たくなくて、私はちょっと茶化すように笑った。
「マリア様はいつも私を守ってくれるのね」
それを聞いたマリアは悲しみから一転、怒ったように口を尖らせた。
「当り前でしょう! 私の大切な方ですのよ!」
そういってマリアは私を抱きしめた。その身体は小さく震えていて、こんな思いをさせてしまった申し訳なさに胸が痛んだ。
そっとその背に手を回して優しく抱き返す。すると、少しだけマリアの震えがおさまった気がした。
その瞬間会場の隅から黄色い声が上がった。
黄色い歓声のほうを見ると、私とマリアは隅から見つめていたご令嬢がたが、嬉しそうに口を押えていた。
(あぁ、また誤解を広めてしまった)
あまりにも大きな歓声だったため、会場がざわつき始める。
そのざわつきに、父は自分を取り戻したのか、真っ先に私の安否を確認しなかったことを申し訳なく思ったのか、少し戸惑ったように私を見た。
その父ににこりと笑うと、父は肩の力を抜いた。
「抱き合うほど、聖歌隊の成功がうれしかったようだね」
あくまで、ジェラードの件は隠すように父はさらりと事態をごまかした。
私はマリアの肩をやさしく叩くと、マリアはすっと私を離した。
私はマリアのもとを離れてリサに近づく。
まるで周りなんて見えていないかのように、ただジェラードをにらみつけていた。
「リサ、私は大丈夫ですから」
そう横から声をかけても、聞こえていないのか、ジェラードをにらみ続ける。
こんなリサを見たことがなくて、どうしていいかわからないでいると、マリアが怒ったようにリサの頬を軽くつねった。
「ラウタ様は大丈夫ですわ、だからその怖い顔を止めなさい」
リサは目をぱちくりさせて、私を改めて視界に入れると、申し訳なさそうに小さい声で「大丈夫ですか?」と聞いた。
それはきっとジェラードにされたことではなく、マリアに言われた『怖い顔』のことだろう。
私はそれに微笑んで返すと、リサも普段通りの優しい笑顔をかえしてくれた。
「素晴らしい友情だな」
自分の行いなど無かったかのように、ジェラードが忌々しそうにそういうと、私はキッと彼をにらみつけた。
そして、さっきのジェラードの言葉を思い出す。
『邪魔者は全員消してしまえばいい』
テオだけじゃなくマリア、リサまで傷つけようというのか。
そのジェラードの自分勝手な愚かな脳みそを叩き潰してやりたくなる。
「何があっても、絶対に手放しませんわ。もちろん、この場にいない人も」
これは戦線布告だ。誰もあなたごときに傷つけさせないという、傷つけようものならすべてをもってしてでも罰を受けてもらうという。
これは私の決意表明だ。もう好きなことだけしてればいいなんて甘いこと言わない。大切な人を守って、この国を守る。そのためなら斬首でも火あぶりでも、なんでも受けて立とうという。
私はしっかりとジェラードを見据えて、そのきれいな顔を目に焼き付ける。
「彼女たちを傷つけるなら、たとえすべてを投げうってでも容赦しませんわ」
そういうと、ジェラードは怯むわけでもなくあざ笑うように、私たちを見下すように顎を上げた。
「ラウタ嬢、君は必ず僕を好きになる。これは決められた未来だ」
そういうと、満足げにジェラードは踵を返してこの場を去った。
「なんですの、あれ」というマリアのつぶやきと妙な薄気味悪さだけが私の胸に残った。
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