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 2年ぶりに私が目覚めたとあって屋敷内は大騒ぎだった。

 

 グリーン家専属の医者が馬車をとばして駆け付け、私を見るなり奇跡だと泣き崩れるし、屋敷内の料理番から庭師まで、私の顔を見るなり目に涙を浮かべた。


 これだけの人望があるのはラウタ・グリーンは悪役令嬢といっても、決してわがままお嬢様ではないからだ。

 礼節をわきまえており、一度懐に入れた人にはとことん尽くす、小説ではそんな女性だった。


 まぁ、私が担当したアニメ版ではそれはひどいわがまま娘に書き換えられていたのだけれど。


 前世でも私が転生する前のラウタは屋敷の人間に愛されていた。母にしつけられた所作は頭の先から爪の先まで美しく、女性としての嗜みはすべて完璧だった。見た目ももちろん美しく、父親譲りの銀色の髪はゆったりと流れ、母親譲りの青い瞳はまるで深い海を切り取ったかのようだ。

 

 今は2年間も眠り続けていたせいか、銀色の髪はパサつき、瞳の色も浅瀬の海のようなのだけれど。


 私は、パサつき櫛もろくに通らない銀髪を指先でねじる。


「きっちゃおう」


 あいにく、今自室には誰もおらず、私一人だ。


 10歳の身体にはだいぶ大きい天蓋付きのベッドから降りると、自分の机の引き出しを開ける。

 前世の記憶をもとにはさみを見つけ出し、ベッドのシーツを引きはがし、鏡の前に敷いた。

 私ははさみをもって鏡の前に立った。


 まずは前髪。前世では目にかからない程度の長さだった。左側に流して、決して顔にはかからないように。

 私は鏡を見ながらゆっくりと前髪にはさみを入れる。切られた前髪はシーツの上に落ちる。


 細かい調整は後でやろう、まずは全体的に切りそろえる。

 私は鏡を見ながら顎のラインに沿ってはさみを入れる。ジョキン、ジョキン、とはさみの音が自室に響く。

 

 2年眠り続けていたというわりには、この体は意外にもちゃんと動いた。地球にいたときの知識では、人の筋肉というのは使わなければ、非常に速いスピードで衰えていく。

 きっとメイドたちがいつ私が起きても大丈夫なように、できる限り体を動かしていてくれたのだろう。

 そもそも、点滴もないこの世界で2年も生き続けられること自体が奇跡なのだ。原因不明の病か、何かの呪いか、この2年みんながどんな気持ちで生きてきたのかは、想像するに容易だ。


 しかし、私にとっても、前世の最後の二年は本当に悲惨だったのだ。

 

 私が王家に嫁いで3年で戦争は起こった。


 隣国に攻め入られ、私が隣国に捕まった際、隣国の王は私がグリーン領の公爵令嬢だと知り、私を生かすことを条件にグリーン家の港での権利をすべて押収した。


 グリーン領は前世でも国内で唯一、海に面しており、大きな港をもっていた。

 そう、あの病の蔓延により全滅した領土とは、ここグリーン領だ。

 

 隣国での最初の1年は王宮内のそれなりの部屋で軟禁状態だった。しかし、その1年で巨額の富を築いた隣国の王は、私を牢獄に閉じ込めた。食事も水もろくに与えられず、毎晩聞こえるのは同じ牢にいる者のうめき声だけ。


 そんな時だった、グリーン領で病が流行り始めたと風のうわさで聞いたのは。

 そして、その一か月後、私は家族全員が病で死んだことを知る。


 ジョキン、と最後の一房を切り終え、鏡を見る。まぁ、上出来だろう。はさみがある分ちゃんとしている。


「牢獄でははさみなんてもらえるわけないから、石と石で髪をすりつぶしていたもんね」


 しみじみと思い返すと、なんてことないはさみさえ、愛おしく感じる。

 なんてことない日常が素晴らしい。私は思わずはさみを抱きしめた。

 アンナの大声が聞こえたのはその直後だった。


「姫様!!」




 *~*~*~*~

 私は椅子に座りながら足をぶらぶらとしながら、食卓に着く。

 

「というわけで、明日の朝には理髪師を呼んであります。私が目を離したのがいけなかったのです、どうぞ、何なりと罰を」


 その隣でアンナは深々と頭を下げていた。

 私の髪はすっかり短くなり、まして自分で切ったのだからとても整っているとは言えない。

 父は私の髪を見た後、アンナに顔を上げるよう言った。


「ラウタ、どうしてこんなことをしたんだい」


 父がやさしく問いかけてくるも私は下をうつむいたままだ。


(隣国にとらえられてからは自分で切っていたのでつい癖で、なんて言えないわ……!)


 黙りこくる私に救いの手を出してくれたのは意外なことに母だった。


「いついかなる時も身なりに気を遣うのは素晴らしいことよ、ラウタ」


 はじかれた様に顔を上げると、母は私をみて微笑んでいた。

 

「確かに、あれだけ痛んでいれば修復は難しいわ。一度切ってしまうのは名案ね。でも自分で切ってはいけないわ」


 困ったようにやさしく微笑む母を見て、胸の奥がぎゅっとつかまれた様に感じる。

 いつもの母ならきつく叱っただろうに。せっかくの夢なら少しでもやさしく接したい。そんな母の思いが伝わる。


(お母様、まだ私が目覚めたことが信じきれないのね)


 こんなに愛してくれる両親を、前世では守れなかった。葬儀もしてやれなかった。

 

(なんて親不孝者なの、私は)

 

 自分の不甲斐なさと言ったら。

 私の手のひらにきつく爪が突き刺さる。


「姫様、旦那様も奥様も怒ってらっしゃいませんよ、お顔を上げてください」


 アンナはそういいながら、私の顔を覗き込むようにしゃがんできつく握りしめられた私の手をそっとなでた。

 不思議と両手の力が抜ける。


「さぁさ! 食事の時間は楽しくおいしくがモットーですよ!」


 そう料理番がいうと、メイドたちが次々に料理を運んでくる。

 両親にはそれぞれ前菜が運ばれ、私には細かく刻んだ野菜が入ったリゾットが置かれた。

 料理番が料理の説明をし、二人のメイドが両親のグラスにワインを入れる。

 なんてことはない、グリーン家の食事だ。

 

 料理番の作ってくれた料理からはホワイトクリームのいい匂いがする。

 一口食べると、ミルクのやさしい味が口に広がる。

 

 両親は口々においしいわ、やっぱりリックの料理が一番だ、と料理番に賞賛を送る。料理番は少し照れたように頭をかいている。

 ワインもよく料理に合っているわ、あぁうちは執事もメイドも素晴らしいな、と笑顔の両親と嬉しそうに微笑む執事やメイドたちをみて、スプーンを動かす手がとまる。


 その景色は、この5年間見たくても見れなかった我が家の光景だった。

 前世では王子とまともに食事なんてしたことなかった。とらえられた後は食事すらまともじゃなかった。


(誰かと食事するなんて5年ぶりね)


 そう思ったら目に涙がたまるのを感じる。泣かないようにとこらえても、ついに瞳から涙がこぼれてしまった。

 それに気づいたアンナがしゃがみ込み、おろおろと涙を拭いてくれる。


「姫様はまだ病み上がりですから………。でもおひとりだけ違うものなんてさみしいですよね、今すぐ姫様の分を………!」


 と的外れなことを言って厨房に戻ろうとする料理番を止める。


「ちがっ………違いますわ。なんだか、こうして食事をするのがすごく久しぶりな気がして………。私とてもうれしいんです」


 なんとか顔をあげて微笑んでそう伝えると、両親も瞳が潤んで見えた。


「そうだね、とっても久しぶりな気分だよ」


 そういった父の声は震えていた。母はやさしく微笑み、メイドたちは何人か泣いていた。

 

「皆さん、泣いていたらお料理が冷めてしまいますわ」


 私はそういって場を仕切りなおした。料理番にもしっかりとおいしいと伝えた料理番の顔は今まで見たことがないくらい嬉しそうだった。




 *~*~*~*~

 アンナとともに自室に戻ると、ベッドのサイドテーブルにははさみが置きっぱなしだった。

 アンナが部屋の明かりをつけている間に、私は自分ではさみを引き出しにしまう。

 それを見ていたアンナが真剣な顔で言った。


「姫様、どうしてそこにはさみがあることをご存じなのでしょうか」


 私の身体に緊張が走る。アンナがそう言うということは、()()知っているはずないのだ。はさみの在処なんて。


「そこにはさみをしまったのは姫様が倒れた後です。もう一度問います。どうして姫様ははさみがそこにあることをご存じなのでしょう」


 アンナの声が冷たく自室に響く。


「今日一日姫様の様子がおかしいことと関係あるのですか」


 アンナの質問は続く。でもどれにだって答えることはできなかった。答えたと言って混乱を招くだけだろう。私だって混乱しているのだ。転生した挙句、その転生した人生を繰り返しているなんて。


「私アンナでは姫様のお役に立てないのでしょうか」


 アンナの目には涙がたまる。私はアンナに近寄り、少し背伸びしてその涙に触れる。


(今後、変な目で見られるかもしれないわ。まぁでもその方が楽かもね)


 私はそう決意をして話し始めた。


「私、ずっとひどい悪夢を見ていたの。それはそれは長い悪夢よ。聞いてくれる?」


 アンナは頷き、私の言葉を待った。

 私はまずアンナを椅子に座らせ、自分でお茶を入れた。

 立ち上がろうとするアンナを座ってて、とたしなめる。アンナの前にもお茶をおいて、私は前世の記憶を長い悪夢として話し始めた。


 自分が王子に一目ぼれしたこと、婚約までたどり着くもその結婚生活は最悪だったこと、王子の浪費により国内は荒れ、その隙をついて戦争が起きたこと。我が国は敗戦し、私は他国でとらわれとなったこと。そして、このグリーン領で病が蔓延し、一家は全滅したこと。そのあと私も処刑されたこと。


 これは悪夢だと釘をうっておいたのに、話を聞き終えたアンナの顔は真っ青だった。


 お茶が冷めるわ、とアンナにお茶を進めると、なんとか一口飲んでアンナはとても悲しい顔をした。


「姫様、とてもつらかったでしょう」


 そういって席をたち、私をそっと抱きしめた。

 

 アンナの心臓の音が聞こえる。それに私はひどく安心して、私は暖かいその身体に手を回した。


 アンナは私の侍女として私が結婚しても一緒に城に入った。毎晩遊びにふける王子やほかの嬢から必死に私を守ってくれた。

 あの敵軍隊が城に攻め込んできたときも、私を守ってアンナは死んだのだ。


「姫様は、そんな未来を回避したいと思ってらっしゃるのですね」

「でもこれは夢よ。10才の子供のただの夢」


 そういって顔を背けると、アンナはこっちを向いてください、と私の顔を強引にも元に戻した。


「私には今の姫様は本当に24歳のように見えます。言葉遣い、所作、思考。そのすべてが10才のそれとは思えません。はさみの件もそうです。夢にしてはまるで、本当に未来を経験してきたようです」

「じゃあ、こんな戯言を信じるの?」

「私が信じなくて、誰が姫様を信じるのですか」


 アンナはそういってゆっくりと立ち上がると、一歩下がり、ひざをついた。


「アンナは、いつでも姫様と共にあります」


 その言葉は、前世でのアンナの最後の言葉と同じだった。


読んでいただきありがとうございました。

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