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前世でのヒロインとの関わりはあまりなかったと思う。
ただ覚えているのは小説とは異なり、ヒロインがジェラード王子の暗殺を企てて国外追放になったことと、売り飛ばされた先の隣国で、彼女は確かに自由の身だったこと。
そして、ずっと疑問だった。なぜヒロインは私ではなく、ジェラード王子の暗殺を企てたのか。
もし仮に小説にない設定がヒロインにあるとしたら、考えられるのは隣国からのスパイだという疑惑だった。でもこうしてヒロインはこの国の、グリーン領の教会で孤児として保護されている。
急に黙った私を不思議に思ったのか、草むしりの手を止めてリサはこちらを向いた。
ラウタ様?と私の名を呼ぶも、私もどうしていいかわからなかった。
(まさか、こんなところでヒロインに会うなんて)
「ラウタ様、こんなところでいつまで拗ねてらっしゃるつもり?」
教会の裏口からマリアが出てきて、私の頭をポンとたたいた。
私はマリアを見上げるも、マリアはスッと目をそらした。その表情はどこか悲しそうに見えた。
私に向かって怒鳴ったことを後悔しているのだろう、私が悪いのに、マリアはどこまでもお人好しだ。
「マリア様、ごめんなさい。どうしても今日の練習には身が入らなくて」
「いいのよ、私こそごめんなさい。あなたにそんな思いをさせる気はなかったのよ」
私が先に謝ると、マリアは本当に申し訳なさそうに眉を下げた。
マリアの言う、『そんな思い』に心当たりがない。私がそう聞き返すと、マリアはまた私から目をそらした。
「あなたが今日一日練習に身が入らなかったのは、私が渡した詩のせいでしょう。私だってわかっているわ、私にそういう才能がないぐらい。それで下手とも言えず、どうしていいかわからなかったのでしょう。でも、露骨に距離を置かれて、その遠回りのアピールにさすがの私も腹が立ってしまったのよ」
そういうマリアの瞳は少し潤んでいて、私は慌てて否定した。
「違う!違いますわ!マリア様の詩はとてもよかったです!今日の練習に身が入っていなかったのは本当に、私的なことですの。決してマリア様のせいではありません」
それを聞いたマリアは「そうならそうと言ってくださいな!」と頬を膨らませて怒った。
ごめんなさい、と謝る私にマリアはいじけたように顔をそむける。
それを見ていたリサがくすくすと笑い始めた。
「相変わらず言葉少ななのね、ラウタさまは」
「相変わらず?」
私がそう聞き返すと、リサはバツが悪そうに視線を逸らす。
あー、うー、とうなったのち、恥ずかしそうに頬を染めた。そして「ずっと聖歌隊を見ていたんです」と小さな声で言った。
「あら、じゃああなたも聖歌隊に入ればいいじゃない」
マリアは嬉しそうに言った。
しかし、リサは少し考えた後、首を横に振った。
「いいえ、私とても音痴ですから。以前教会のシスターを真似して歌ったことがあるけれど、あまりにも下手すぎて、シスターを1人泣かせてしまいました」
人を泣かせるほどの音痴は逆に気になるが、私の横でマリアが固まっていた。
「別に音痴でも練習すればどうにかなると思いますよ」
マリアにそう耳打ちすると、彼女はらしくなく大きく首を振って否定した。
彼女の長い髪がブンブンと音を立てそうなぐらい懸命に否定する彼女を見ると、彼女もまた音痴の犠牲者なのだろう。
「リサ様がそういうなら、無理にとは言いませんけど………」
私はしぶしぶそう答えるも、実際はリサには聖歌隊に入ってもらいたいと思っている。
せっかくこうしてヒロインとの縁ができたのだ、身近に置いておきたいという思いもある。それに、ずっと見ているほど憧れているなら、別の形でも聖歌隊に入れてあげたい。
んー、と私が考え込んでいると、マリアが「いいこと思いつきましたわ!」と両手を合わせた。
「あなた、教会にいるなら必要最低限の読み書きと計算はできますわよね?」
そういい、瞳を輝かせリサに詰め寄るとリサは戸惑いながらも「できますけど………」と答えた。
「でしたら、ぜひ経理を担当していただきたいのです。今はミサの収入がメインになりますけれど、これからはもっと収入源を増やしたいと考えておりますのよ! それこそ、グリーン家からの多額の助成なしに成り立つほどに聖歌隊を大きくしていきたいと思っておりますの。聖歌隊を公共事業ではなく、自立した職業にしたいのです。そのためには経理は必要不可欠です。将来的には会場や集客の規模、曲数に応じて金額を変えて、庶民でも気軽に、貴族は豪勢に音楽を楽しめるようにして、もっと音楽を身近なものにしたいんですの!」
この聖歌隊で!と熱弁するマリアはさすがは商家の娘といったところか。
マリアがここまで聖歌隊のことを考えているとは知らず、思い付きで事業化した聖歌隊を大切にしてくれようとしている人がいることに胸の奥が暖かくなる。
私はベンチから立ち上がり「じゃあこうしましょう」と二人のほうを見る。
「マリアは聖歌隊の経営者。私は技術担当者。リサは経理担当よ」
こうして聖歌隊は事業としてようやく形態を持ち始めた。
*~*~*~*~
思いもよらない形でヒロインを聖歌隊に取り込めたのは、聖歌隊にとってもいい変化だった。
リサが聖歌隊に入って真っ先に指摘したのは、人件費についてだった。現在ミサの収入源のほとんどを人件費として消費している件だった。
「このままでは聖歌隊の人件費以外の経費が払えません。現在楽譜の紙代はラウタ様のグリーン家が、ミサの時の制服はマリア様のフロトー家が負担していらっしゃいますが、それは本来聖歌隊の経費として、ミサの収入から出すべきです。現在、練習では一日60ペゼ、ミサ時には100ペゼ支払っていますが、正直給料として払いすぎではないかと思うのです」
リサの指摘はもっともだった。今現在の聖歌隊には収入を得る力というのはほとんどない。
「でもそれでは聖歌隊の人数は減ってしまいます。ただでさえ12才の平均見習い代の100ペゼは週に一度しかもらえないのに、それからさらに下げてしまうなんて」
「そうですわね、ラウタ様の意見に賛成ですわ。給料を下げるというのは従業員からの信用を失う行為ですもの」
マリアと私が給料を下げることに否定的であると分かると、さすがのリサも黙ってしまう。
しかし、このままでは自転車操業であることに変わりはない。実際にはグリーン家からもフロトー家からも『かわいい愛娘のわがまま』援助を得ているので、実際には自転車操業ですらないのだけれど。
3人が考え込む中、沈黙を破ったのはマリアだった。
「でも一つ考えていることがありますの。それはミサとは別に広場で毎週2日程度、公開練習をするのです。今まで練習場所が教会でしたから、聖歌の練習ばかりでしたけれど、広場でしたら何を歌ってもよいでしょう? 入金ボックスでも置いておいたらきっといくらかの収入にはなりますわ。あと2か月ほどでニシンの漁が終わって一時的に多くの漁師がこの町に滞在します。きっと取れたニシンを売り切って懐には余裕ができるはず。物珍しさでいくらか入れてくださいますわよ」
確かに、マリアの意見は聖歌隊としてだけでなく、歌唱隊としての面も持ち合わせたい私たちにとっては必要な第一歩だ。いつまでも教会に依存していくわけにはいかない。
「いいですね、ミサより広場の方が多くの人が通るでしょうし。一定の金額を入れた方には曲をリクエストする権利もつけませんか? 知らない曲より、知っている曲のほうがいいでしょう」
リサもこの意見に乗り気のようだった。
三人の意見が一致したところで、マリア様は私ににこりと笑って言った。
「ではラウタ様、あと4曲ほど大至急作ってくださいませ」
私はなんという悪魔を経営者にしてしまったのだろう。
お読みいただきありがとうございます。
ついに10話を迎えました。
次はちょっとした番外編を入れようと思います。