プロローグ
私、姫野唄の地球での人生は短かったけれど、本当に幸せだった。
芸術の才に恵まれ、歌唱・演技・絵画は世界トップクラスとして高校生の時から注目の的だった。
親友にも恵まれた。
大親友沙良は県内でも1位2位を争うほど頭がよくて、とっても美人だった。
陸も沙良に負けないほど美形で、何より周りからの信頼を得るのが上手だった。
そんな二人に囲まれて好きなことをしていた地球での人生は幸せ以外の何物でもなかった。
いつも3人で一緒にいるのが一番の幸せだった。
でも、そんな人生も唐突に終わりを告げた。
なんてことない、些細な喧嘩だった。場所も悪かった。何も屋上で喧嘩することなかった。そもそも、私がドジったのが悪かった。
私がすっころんで、運悪く柵が腐食していて、体勢が悪く柵とともにそのまま落ちてしまった。
たった24歳で死ぬなんて最悪だったけど、地球での人生は最高だった。
ただ一つ心残りなのは、喧嘩して仲直りもできない挙句、友人の死の瞬間に立ち会わせてしまった、沙良のことだけ。
私の地球での人生は最高だった。
*~*~*~*~
そのあと私は、16歳の悪役令嬢に転生した。
神様のいたずらか、私がキャラクターデザインを担当した小説だったので、顔を見た瞬間自分の末路が分かってしまった。
小説の私は、王子とヒロインの恋路を邪魔するも、ヒロインと王子は婚約してしまう。嫉妬に狂った私はヒロインの暗殺計画を企て、それがばれて王子とヒロインの目の前で斬首刑になるのだ。
一度死んでるとはいえ、私は斬首刑を避けるため、前世で好きだった音楽も絵画も封印した。
好きでもない王子に必死にアピールして、王子が好きな自分を一日中演じ続けた。
その結果、私は王子と無事に結ばれ、ヒロインは隣国に売り飛ばされた。
でも、本当の地獄はここからだった。
王子は私と結婚しても女遊びを止めなかった。
王宮には隅々に女性がいた。毎晩遊び、女性を維持するためなら、国防費にまで手を出した。それでも足りないとなれば、税金を倍にして、国民から金をむしり取った。
国内では反乱がおこり、その隙をついて隣国に攻め入られた。
隣国が攻め落とすのに半年もかからなかった。
私は戦利品として隣国に幽閉された。
完全に我が国を領土とすると、海を持たない隣国は港を所有する我が国を新たな貿易拠点とし、海の向こうの国との貿易を始めた。隣国は貿易で巨大な富を得たのだ。
しかし、貿易は海の向こうから富だけでなく、病も持ってきた。
その流行り病は恐ろしく、かかった人のおよそ8割が死んだ。
また、その感染スピードも速く、隣国の王都に病の知らせが入るころには、港は全滅し、王都での感染も広がっていた。
巨大な富を得た隣国も、病に翻弄された。
そもそも細菌という概念がないのだ、衛生状況も最悪なこの国で、病が蔓延するのも時間の問題だった。
王都の大通りには死体の山が気づかれ、国内は疲弊した。
国民の高まる不満を解消するべく、王は流行り病を私のせいにした。
私は魔女だと言われ、この病は魔女の呪いだと。
隣国の王は私を公開処刑にするといった。
これだけ、感染が速いのであれば飛沫感染する可能性が高い。私は必死に止めたが、無駄だった。
私は大通りの真ん中で火あぶりの刑に処された。
大通りには人々はひしめき合い、私に向かって石を投げた。
その人だかりの中にヒロインがいた。表情はよく見えなかったけれど、それはまるで泣いているようだった。彼女だけは石を投げなかった。
ある一石が頭に当たって意識を失った。これが第二の人生だった。
悪役令嬢ラウタ・グリーンの人生は最悪だった。
*~*~*~*~
目を覚ますと、そこは見慣れた懐かしい天井だった。
広いベッドに、隅々まで磨かれた部屋、私好みの調度品でそろえられたこの部屋は、悪役令嬢の実家の自室だ。
私はベッドから出て鏡をみると、そこにいたのやはり、悪役令嬢ラウタ・グリーンだった。
私は足元が崩れ落ちるような感覚に陥る。
また、あの地獄を経験しなければならないの!?
好きでもない男に媚を売り、好きなこともできずに、最後は恨まれながら死んでいく。
そんな地獄のような人生をもう一度送るなんて嫌だ。
思わず自分の首に手を伸ばすも、思うように力が入らない。
私は自分の手のひらをみると、それはまだ子供の手だった。
もう一度鏡をじっくりと見つめる。その姿は私が転生した時よりずっと幼い。それになんだか髪も伸びっぱなしだ。
私は鏡に向かいながら、伸びっぱなしの銀色の前髪をいじる。
「姫様!?」
女性の悲鳴に近いような声と同時に何かが割れる大きな音がした。
音がした方を見ると、ひとりのメイドが足元で割れている陶器とこぼれた水には目もくれず、私を凝視している。
どうしたんですか、と廊下の方から声がする。
もうひとり、メイドがドアから入ってくると、同じように私を凝視した。
大きな瞳が零れ落ちるぐらい、目が大きく開かれると、しばらくして我に返ったのか、後から来たメイドはドアから出て行った。
「私、奥様と旦那様をお呼びしてきます!」
それはそれは猛ダッシュで廊下を走る姿はあまり優雅とはいえない。
「グリーン家のメイドがはしたないわね」
そうつぶやくと、残ったメイドがゆっくりと私に近づき、私の伸びた前髪に触れる。その顔をじっくり見ると、前世で私の侍女だったアンナだと気付いた。その姿はやはり私の記憶より、少し若い。
「アンナ?」
「良かった、覚えていてくださったんですね」
アンナの顔は泣きそうにゆがむ。
「こら、私の侍女がそんな不細工な顔しないで頂戴」
めっ、と私は頬を膨らませ、怒ったようにアンナの顔を手のひらで挟み込むと、私の手の上にアンナは自分の手を重ねた。
アンナの顔は下を向き、時折吐息が漏れる。きれいに磨かれた床にはぽつぽつと小さな水たまりができていた。
私の両手はがっちりホールドされていて、涙を拭いてあげることもできない。
困ったな、とそう思っていると、廊下からバタバタと複数人が走ってくる音がする。
はしたなく開きっぱなしのドアから、この世界での両親とメイドが走りこんでくる。
父の口はみっともなく開かれ、母はその場に泣き崩れてしまった。
「皆さん何事ですか、そんなバタバタと廊下を走って。はしたないですわよ」
私は思わず、顔をしかめる。
なんだなんだこの騒ぎは。たかが私が起きたぐらいで涙を流すようなことは今まで一度だってない。そりゃあとてもとても愛されて育った。ラウタ・グリーンはグリーン家の一人娘だ。でも、だからってその愛娘が起きただけでこの騒ぎってことはないだろう。少なくとも前世16歳の私にはなかった。
「姫様は8歳の誕生日を迎えられた夜、突然倒れてそのまま今日までの2年間一度も目を覚まされなかったのですよ」
落ち着いたアンナがゆっくりと立ち上がり、自分の涙を拭いながら言った。
私が2年も眠り続けるなんて、前世の記憶にはなかった。もちろん小説にだってそんな記述はない。
前回と今回じゃ何かが違うのかしら。
そもそもなんで私はまたラウタになってしまったのか。
「ラウタ、本当にラウタなのかい?」
そういってお父様はぼろぼろと涙を流しながら私の頬を撫でる。
「せっかくのお顔が台無しですわよ、お父様」
そう笑顔で答えると、父はその腕で私を包み込んだ。
母は涙が止まらず、声も出ないのか、私の頭をいとおしそうになでて、その頭にそっとキスを落とした。
考えたいことは山ほどあるけれど、今はこの家との再会を喜ぼう。
両親やメイドにとっては2年でも、私にとっては5年ぶりだ。あの地獄の中、会いたかった人たち。
いつでも優しい父と、しつけは厳しいけれど誰より私を愛してくれる母、そして、いつでも私をサポートしてくれる家の者たち。
そうだ、前世だって小説の結末を変えられた。
なら今回だって前世の結末をかえられるはず。
私は父と母の腕の中で決意した。
今度こそ、悪役令嬢ラウタ・グリーンの人生を最高にして見せる!