8.色別
「ただいま~」
「おかえりー。そっちはどうだった?」
「どうも何もないよ。証拠の一つも落としとけって感じ、犯人も気が利かないよね」
証拠を残さぬ犯人に対して不満を言い始める薫流。わざわざ犯行現場に自分の名前を書き記す犯人がいたら、警察も苦労はしないだろうが無論そんな人物いるわけはない。
捜査は足で稼げとも言うように、犯人を追い詰めるためには基本的に地道な調査が必要なのだ。
「警察に喧嘩売ってるような人しかいないでしょ、自分からメッセージを残す犯人なんて。もしくは自信過剰なおバカさん」
「でもそういう奴っていたらいたでちょっとムカつくよね。警察舐めんなー! って感じで。私たちって基本的には数が少ないけど、捜査に関しては他のとこと連携するわけだからその辺りで後れを取るわけじゃないし」
今回の事件も先に鑑識の人たちが調査を行っていたように、いくら異能犯罪とはいえ何でもかんでも彼ら六人だけで事件に当たるわけではない。刑事部の刑事との協力なども当然行うし、指紋などの常識的な証拠であれば決して見逃すはずもない。
彼ら異能刑事に求められるのは、その時々の判断を行うことや異能犯罪特有の手がかりを見つけること、そして何よりも異能犯罪者本人との対峙など彼らにしか出来ないことなのだから。
「それを加味しても捕まらない自信があるから、自信が過剰なのよ。相手の実力をちっとも把握出来ないからおバカさんなわけでしょ」
「いくら頭が良くても、お猿さんは人じゃないからね。というか泡末、まだお菓子食べてるの? いい加減控えないと太るよ」
「いいもーん。余分な栄養は全部胸に行きますから。浅間ちゃんと違って」
魅波はそう言いながら自分の胸を指でピンと弾くと、豊かに膨らんでいる胸は衝撃でぷるりと揺れ、その戦力の大きさを見せつけている。薫流も決して貧しいわけではないが……比較すればその力の差は明白だった。
ただいるだけで男を誘うようなその膨らみが揺れれば、十人中九人の健康的一般男性は目を惹かれることだろう。胸とは母性の象徴であり、女性としての魅力が最も分かりやすく表れた部分なのだからそれに男が惹かれてしまうのは何らおかしい話ではなくむしろ当然のことと言える。
なお、十人中の一人がこの場にいるのは些細な話である。
それに、もっと貧しい者もいる。彼女の名前は無乳の無では無いのだ。
「あはは泡末ったらもう。――表出ろそのでけえ風船今すぐ破裂させてやる」
「嫌でーす」
煽るように甘味を口に含む魅波だが、はっきり言ってこんなものの何をそんなに羨ましがっているのかはさっぱり分からなかった。
社会活動における武器としては魅波自身の容姿もあって確かに強力かもしれないが、戦闘における機能性は皆無だろう。特に薫流のような者にとっては、無い方がむしろ良いはずである。
「というか浅間ちゃんはおっぱい要らないんじゃない? あっても邪魔でしょ、戦い方の関係上」
「要らないよ別に! でもそんな風船二つの大小で比較されて女として下に見られるのが最強薫流ちゃん的にただただ屈辱なんだよ!」
「いつから浅間ちゃんが最強になったのよ」
女同士、薫流と会話を続けていた魅波がそこで火純へと視線を向ける。パチリと瞬きをしてから、じろじろと彼の全身を眺め回して。
「……藤咲くん、ちょっと雰囲気変わった?」
ここを出る前はいかにも普通の青年といった風だった彼だが、今彼女の目の前に座っているのは朝の彼とは似ても似つかぬ雰囲気を纏う別人のような彼。容姿が同じなだけに、そのギャップは凄まじいように感じる。
それは朝出かけて行ったヒヨコが帰ってきたら孔雀になっていたような、人格が変わってしまったのかと錯覚してしまうかのような変わりっぷりだ。
「いいや、俺は何も変わっていない。お前たちの凡庸さが変わることはあっても、俺が変わることはない……いつ如何なる時も天頂に昇る太陽の輝きが変わらないのと同じようにな。朝のは……ああ、そうだな、ちょっとしたイメチェンというやつだ。お前たちも忘れていいぞ」
「好青年だった藤咲くんが消えちゃった!?」
「質問は受け付けない俺だが、その変わりようは何があったか少し聞きたくなるな……」
ショックだー。そう言いつつあまりショックを受けてなさそうに見える彼女は、まだ甘いものを口にしていた。
事実、あまり大きな衝撃ではないのだろう。彼が本性を隠していたことは皆にバレていたわけだ。
(……俺の演技はそんなに分かりやすいものだったのだろうか)
自分に暗示までかけて本来の自分を一時は完璧に封じていたつもりだったのだが、どうしてこうも全員にバレていたのだろうか。
そのことが不思議でならなかった火純は、そのことを素直に聞いてみると。
「え、だって藤咲くん時々言葉が棒読みになってたじゃない」
「暗示がどうのこうの言ってたけど、人の下につくのがどんだけ嫌だったの、君」
「だからわざわざ敬語は要らんと言ってやったんだが」
――どうやら、自分で完璧だと思い込んでいただけのようだった。
「…………ふっ、俺もまだまだだな……」
自分で思っていたよりも、自我をまったく隠せていなかったらしい。初めてのことだったとはいえ、そこまで演技が下手だったというのは素直にショックを受ける話だった。
きっと、自分は俳優には向いていない。どんな役をこなしても、あいつは何をやらせても藤咲火純だと評されるに違いないだろう。
「しかし、流石は俺――溢れ出る太陽の輝きは自分自身ですら抑えきれないというわけか」
「やっぱり今からでも医者を目指した方が良いと思うよ君」
火純は反省出来る男である。しかし、どこまでも前向きな男でもあった。
「はいはい、お喋りはそこまでそこまで。……それと、私も全く無いわけではないですよ。ちゃんと有りますよ?」
「帝堂さん、誰も貴女の身体的特徴には触れていないよ」
手を叩いて無が彼らの会話を中断する。彼女以外五人の視線が彼女に集中し、次の言葉を待っている。
彼らのリーダーである無が先導し、話し合いが進んでいくことになるからだ。
「えーっと、藤咲くんは私たちがどうして異能犯罪者を早いうちに裁かなきゃならないかは知ってますよね?」
それは深淵性悪説により、異能力によって罪を犯したことで心が血に染まってしまった異能犯罪者が次に犯罪を行う前にその凶行を止めなければならないからだ。起こると分かっている犯罪を前にして何も行動しない刑事など、刑事たる資格は無いだろう。
悪人となるということは、つまり放っておけばまたその人物は更なる犯行に及ぶということに他ならないのだから。
「残念ながら深淵性悪説が存在するのは事実です。少なくとも、悪いことしちゃった人たちが何らかの悪影響を受けているのは本当のこと。一度でも誰か人の命を奪ってしまった異能力者は、そこから更生することが出来ない。どれだけ理性的に振る舞うことが出来たとしても、いつか必ずもう一度罪を犯してしまう……心の強弱で個人差はありますけどね」
殺人などの重い罪を犯した直後が特に深みに堕ちやすく、つまりもう一度殺人などの重罪に手を染めやすい。
しかしこれも絶対ではなく、その人物の理性や良心、精神力など心の強さによって染まり方が違うと言われている。
具体的にどう変わってくるのかはまだ解明しきれていないが、そこに変化があるのは事実だ。
理性を失い危険を顧みずに凶行へと走り出す者もいれば、理性を保ちつつ犯罪の準備を進めてから凶行へと踏み切る者もいる。どちらにせよ罪人へ変わることに変わりはないが、だがそれによってどう対応していけばいいのかは変わってくるだろう。
「そして私たちは彼ら異能犯罪者と相対した場合、これを処理――処刑しなければなりません」
なぜなら、彼らに矯正される余地は存在しないから。捕らえて時間を置いたとしても、出所すればまた必ず罪を犯す。だから彼ら異能犯罪者に、懲役という罰はあまり意味が無いのだ。
更に問題となるのが、収容施設の不足問題である。強力で特殊な能力を有している彼らを安全かつ確実に捕らえたままにしておける刑事施設は数少なく、大きく不足しているのが現実的な問題だった。
異能力者の異能力を封じるような都合の良い道具は現状存在しないために、その異能力が強力であればあるほど収監するのは難しくなっていき、脱獄される可能性も高まっていく。
ゆえに、いっそのこともうその場で殺してしまうのが一番確実で簡単な解決策だったのだ。
そのために特別機動係へと、特別に与えられている権利こそが現場執行権。目前の異能犯罪者をその場で、現行で、死刑を執行しても構わないという超法規的権限。
「理解している。そのための覚悟がどうのという話をするなら、余計な心配だが」
「ええ、それは心配していません。ここで大切なのは、だからといって犯罪者を全員誰でも彼でも殺しちゃうのは流石にまずいということです。……人権派団体の人たちとかうるさいし」
最後の一言は小声だったが、妙に実感の込められた一言だった。……苦労しているのだろう。
彼ら特別機動係には、人を殺す覚悟以外にも別種の覚悟が必要となる。それは、深淵性悪説というルールを前にしてそれでも尚進むことが出来るかどうかというもの。下手をすれば自らも悪人となり、そして昨日まで仲間だった者たちに殺されるかもしれない――そういう覚悟だ。
そう、深淵性悪説により彼らも自身の能力で犯罪者を執行すれば当然心が血に染まる。だがここで登場するのが、彼らに支給されている特殊裁定銃の存在。
この特殊裁定銃の持つ最も大きな役割は、裁定銃というクッションを挟むことで自分の心が直接相手を刺し殺すのを防ぐことなのだ。
それはあたかもレインコートを着ることで雨に濡れるのを防ぐように、裁定銃を媒介すれば彼らの心も血に濡れず銃が代わりに濡れてくれる。警察庁開発局が作り出した渾身の作品であり、これがあるおかげで彼らは正気のまま元の心を保ちながら職務に従事することが出来ている。
もっとも、民衆のために血を流し彼らの平和と秩序を守る――という刑事としての使命に殉ずる心を持っていなくてはならないが。異能力はその人物の心が形となったものであるため、心の持ちようが極めて重要となるからだ。
よって当然に、裁定銃が犯罪者の手に渡ってしまうことだけは絶対に避けなければならない最優先特記事項として定められている。相手に奪われるくらいなら破壊せよ――可能であれば奪還せよ、それが絶対の掟となっているのである。
彼らが今朝、自由に休息を取っていたのも自分たちの精神を安定させ、深淵性悪説を少しでも掻い潜るためだった。
「そして、相手を執行するのかしないのか、その判断基準の一つとして定められているのが危格色別等級というわけなのです」
危格色別等級――別称危格色別等級。
警察局によって定められた異能犯罪者の脅威度、危険度を段階的に分けたもので、等級が上であればあるほどその異能力者は危険ということになり、その逆もまた然りとなる。その段階とは以下の通り。
特級――数例程度しか確認されていない、極めて希少なそして強力な特殊能力者。数えられるほどしか確認されていないので、考える必要があまりない。いわゆる例外的存在。
壱級――特級が例外であるために、ここが実質的な最優先抹殺対象。とは言えこちらも珍しいことに変わりはなく、もしも遭遇してしまえば最悪と言えるほどの異能力者。
弐級――壱級と比べて遭遇する可能性が比較的高く、かつ強力な異能力者と呼べる段階。要警戒対象であり、一人で大量虐殺も可能な危険性を持つ。
参級――超人とそれ以外を区分けする一種の境界線。参級以上が絶対処刑対象となる。目には目をと言う通り、異能力者によって制するべき段階。
肆級――近代兵器が通用したり、銃殺も可能な場合が多い。危険であることに変わりはないが、一般警察による対処も可能な段階。所有する異能によって生死はその都度協議される。
伍級――何でわざわざ異能なんて使ったの?
「……半分以上の等級に‟殺せ”と書いてある気がするが」
絶対に殺さなければならないわけではなく、生かして捕らえても良いとされている肆級すらわざわざ一度生か死かどちらにするか話し合って決めなければならないことを考えれば、出来る限り殺して欲しいと上にどれだけ思われているかがありありと想像出来る。
「まあ、私たちも全員殺してるわけではないんですよー、どうしようもない場合だけ殺してるんですよー。って言うためのポーズみたいなものですからね、それ」
「要するに建前というわけか」
建前は大切だ。外部の人間に説明する際、あれこれと馬鹿正直に話しても良いことなど何も無い場合だって多いのだから、それらの衝突を上手く回避するためにもこうして表向きの文言は必要になる。
それに特殊能力者専用監獄には多くの肆級異能力者が収監されており、彼らも敵対した犯罪者を皆殺しにするような集団ではないことも確かなのだ。
「それと最後のこれは何だ。ふざけているのかこれは」
だが最後の一文だけはふざけているとしか思えなかった火純だった。
「冗談ですよ冗談。そこはどちらかというと、異能力で法を破った犯罪者というより異能力を持っていた犯罪者って意味合いが強いのよ。銃で人を撃っても、返り血で濡れるのは自分の体まででしょう?」
異能で殺せば自分の心も血に塗れる。だがそれは逆に言えば、異能で殺さない限り自分の心は血塗れにならないということでもある。普通のナイフで人を刺しても、濡れるのは当然ナイフだけだ。
簡単に言えば人を殺すのにナイフを使わなければならない程度の、さほど強力ではない能力ということであり、犯人がこの段階であれば殺さずに捕まえなければならない。つまり、普通に逮捕せよということだ。
「透明人間殺人事件って知ってます? あれの犯人が確か伍等級……いや、あれは確か凶器に使ったナイフにも透明化が及んでたんでしたっけ? なら能力の厄介さも加味して肆等級ですか」
透明人間ですらが、生かしたまま捕らえても構わない肆級程度の能力者でしかない。見えなくなるのは厄介だが、それだけと言えばそれだけの能力でしかないからだ。
もっと最悪な異能犯罪者に比べれば可愛いものであり、彼らからしてみても比較的対峙しやすい相手だろう。というより、これは対峙出来るまでが面倒な能力にあたる。
「そういうわけで、これから相手の異能力やその等級がどの程度か、被疑者が本当に犯人なのかどうか、これから話し合って突き詰めていこうというわけなのです」
「理解した。概ねそんなところだろうとは思っていたが、説明には感謝しよう」
なら良し。笑いながら頷いた彼女は自分の定位置に戻っていくと、改めて他五人に向き合った。
「それじゃあ、これから――」
話を始めようとした矢先、そこで電話のコール音が響く。「ちょっと待っててください。……もしもし。あ、飛文字くんですか?」そう言って無が電話に出ると、どうやら相手は既知のようだった。
「誰だ?」
「飛文字さん。ほら、私たちの仕事って裁判とかすっ飛ばしてるから……司法の方にこっちだけ一方的に足突っ込んでるのは良くないってことで、私たちが間違った判断をしていないかとか、その辺りを見張る仕事をしてる監査検事さん」
こっそりと魅波が耳打ちで教えてくれる。
電話はすぐに終わり、無がこちらへと戻ってくる。どうやら捜査の進捗を確認するために連絡をしてきたらしい。
「お待たせしました、皆の方にも飛文字くんからの連絡事項を送信しておきますね。……それではこれから、異能犯罪者対策会議を始めます。第一被疑者は雨羽荒箭さん三十二歳独身、誕生日は四月十二日血液型はA型好きな食べ物は……」
「帝堂さん帝堂さん、そんな細かいプロフィールまで説明しなくていいんだよ」
「あら、そうですか? それならここはカットしましょうか」
放っておくといつまでも語られそうだった雨羽の細かな情報は、狛摩の進言ですべて飛ばされる。もしかしたら必要な情報が混じっているかもしれないが、今は必要ないだろう。
「これから彼がどうやって被害者を殺害したのかを追求していくわけですが、その前に彼が被疑者であることに異議がある人はいますか?」
無の質問に、薫流が手を挙げる。
「意義ってほどではないですけど、この人の殺害動機って金銭のトラブル……ですよね? 私たちは被害者宅まで行きましたけど、荒らされてる形跡はありませんでした。そこに少し違和感があります」
昼涯の家にはおかしな様子が一切見られなかった。つまりそれは、強盗が入った様子など家から物や金が盗まれたような跡も無かったということである。
金銭問題からの怨恨が殺害した理由であるなら、何も盗られていないのは少しおかしいのではないだろうか?
「いや、おかしな話ではないだろう。殺された男は借りた金を無為に失ったと聞いている。そんな男が少しでも財産を所有しているわけはないし、殺すだけが目的なら盗む必要はない。誰かが侵入した形跡も無いという話だしな」
薫流の疑問に蓮慈が答える。最も不自然なのは殺され方であり、部屋が荒されていないのはその不自然さの一部に過ぎない。
部屋に入らなければ何も盗めないのだから、誰も侵入した形跡が無ければ何かが盗まれているはずもない。
「あ、そっか。なら動機がはっきりしてるこいつがやっぱり一番怪しいね」
「では、彼が被疑者第一候補のままということで。大丈夫ですよ浅間さん、間違っていたらごめんなさいして次に行けばいいだけですから」
火純はそれで良いのだろうかと思ったが、会議の内容には何の関係もなかったのでスルーすることにした。
間違えないために、これから真偽を掘り進めていくのだから。
「――と、いう風に進めていきますので、藤咲くんも何か思うことがあれば遠慮なく仰ってくださいね?」
どうやら今の一連の会話は、すべて火純に見せるための具体例だったようだ。打ち合わせしたような気配はなかったが、それでも打ち合わせていたように自然な会話を繋げることが出来るのは、流石に阿吽の呼吸と言ったところか。
その程度のことならば、脚本の必要もなくやってのけるらしい。
「それでは昼涯さんがどうやって殺されたのか――犯人の異能力がどういうものか、みんなで推理していきましょうか」
これが今回の本題だった。現状、謎に包まれている被害者の殺され方。争った形跡も荒らされた様子も何も無い部屋の中で一人倒れていた彼が、一体どうやって殺されたのか。
まず、魅波が口を開いた。
「普通に考えたら、テレポートする銃弾みたいな能力? 家の外から撃って、被害者を殺してからまた銃弾を外に移動させたとか」
家屋内部に怪しいところが存在しないというのなら、犯人は外部から被害者を殺したと考えるのは自然な話だ。
普通は家の外から家の中にいる人間をどう殺すのだと一笑に付される考えかもしれないが、異能犯罪においては何もおかしな話ではない。恨みある人物を遠くから呪い殺した――なんて犯罪例もあるくらいなのだ。
「真っ当に考えればそうだろうねえ。僕も似たようなことを考えていたよ。だが、正確に対象の背後へと弾丸を転移させ一瞬で相手を殺害、そこから更に弾丸が部屋の中を傷つけないうちに再び外へと転移させる――暗殺に適した恐ろしい精度だ。いやいや、怖い怖い」
犯人はいっそプロの殺し屋であるという可能性すら視野に入れたくなるほど、犯人は恐ろしい異能を持っているということになる。
つまり、ここすら安全であるとは言えなくなるのだ。もっとも、犯人がどこからでも、どこへでも弾丸を飛ばせると仮定したうえでの話だが。
「しかしそれほど精密な操作を行うというなら、犯人は思っていたよりも犯行現場の近くにいた可能性もある。だとすれば、現場近くにそれらしき痕跡が残っているかもしれない」
「氷常呂くん、鑑識の人たちから近くから弾痕が見つかったとか、そういう報告は入っています?」
「いいえ、消防は呼ばれていないですね」
質問に答えるのが苦手な蓮慈は、頓珍漢なことを返す。
「……ごめんなさい。泡末さん、どうですか?」
「いえ、それらしき報告は無かったと思います。あれば目につくと思いますし……」
「別に精密な操作が要求されるからって、近くからでないと操れないとは限らないでしょ。薫流ちゃん的にはそういうコソコソした相手って苦手だけど」
「……」
もしも本当に犯人の異能力が“銃弾を任意のタイミングで転移させる”ことならば、犯行現場の不自然さも腑に落ちるだろう。
部屋の中に入ったのが銃弾だけであるのなら、誰かが部屋の中に侵入した形跡や逆に部屋の中から脱出した痕跡が無いのも当然の話だ。何せ、人は誰も入っていないのだから。
被害者を背後から一撃で殺したのなら、争った形跡が無いのも頷ける。
「おじさん的には、なぁんでわざわざ一ヶ月も待ったのかが気になるけどねえ。ただの狙撃能力なら、すぐに行動に移ってもいいはずだ。鉄は熱いうちに打てと言うし、動機が相手憎しならなおのこと、普通はパパッとやっちゃうんじゃないかな」
「わざわざ待ってあげたんじゃないですか? 一ヶ月以内に謝れば許してやるー、みたいな。ほら、友達だったみたいですし」
「もしくは時間をかけて発動するタイプの条件、ですか。しかし、それだけ長い期間を空けたにしては起こせる現象が小さすぎる気もしますね」
今回のように犯人の姿も、そして異能力も分からない場合、その正体について話し合うことも多い。事前に相手の能力が何なのか読み切っていれば、後から犯人と対峙した時に対応のしやすさも変わってくるからだ。
もっとも、協議したからといって必ずしも相手の能力を読み切れるとは限らないのだが。
異能力は千差万別十人十色、一人一つの一人一種。異能力者の数だけ異能力が存在し、簡単な力から複雑な力までその種類は多岐に及び、機械仕掛けのように複雑な効果を持つ力が相手であった場合は、まず間違いなく一度の話し合いで能力を突き止めることは出来ない。
だが命を懸けた仕事である以上、出来ることはしておくに限るだろう。無駄な時間だったとしても、もしもその無駄で命を拾えたならば安い買い物なのだから。
「今のところ、みんなの意見は“自由に転移出来る弾丸を撃つ”異能。被害者は部屋の中で死んでいたことから見えない場所に弾を送ることも可能、種別は恐らく遠隔操作型――ということで良いのかしら」
誰も否定しない。懐疑的な者もいるが、現状、それが考えられる最有力な異能だと思えるからだ。
部屋中央には消えたり現れたりを繰り返している弾丸の三次元情報モデルが表示され、無が皆の意見を総括する。
「――ですが違いますね。この予測はボツ、です」
だが無は、彼らの考えをあっさりと否定した。犯人の能力は、自由に転移出来る弾丸を撃つことではないと言う。
「まず今回の事件は計画殺人ではありません。いえ、仮に計画殺人であったとしても、犯人にとっても予想外なことが起きたうえでの殺人であることが予想されます」
そして彼女は自らの推理を語っていく。これがもし計画的に起こした犯行であるのなら、不自然な部分があるのだと。
「まず犯行現場が被害者の部屋であることからしておかしいのです。彼らが仮にも友人同士であったのなら、被害者をどこか人目のつかない場所まで誘い出してから殺しても良かったはず。ですがそれをせず、わざわざ見つかりやすい場所で殺しています」
彼らが喧嘩をしてから一ヶ月も経っているのだから、被害者の警戒心だって多少薄れていてもおかしくはない。友人を秘密裏に呼び出すくらいのことは出来たはずだ。
連絡をすれば足がつくかもしれない、だから呼び出さなかったという可能性も勿論あるだろう。しかし、だとしてもなぜわざわざ被害者の部屋を選んだのか。
「アリバイを作りやすい異能です。能力が及ぶ範囲にもよりますが、呼び出した場所から離れたコンビニのカメラにでも自分の姿を映してから被害者を殺害し、後は知らぬ存ぜぬで押し通せば、それだけでこちらからの追及をしばらくの間は撥ね退けられたでしょう。ですが現在、被疑者はまるで自分を疑ってくださいと言うかのように姿を隠しています。これではこちらも彼を疑うしかなく、躱せたはずの糾問を躱せなくなってしまうやもしれません」
だが雨羽はそれをしなかった。それは今回の事件が、それだけの計画を練ってから行われたものではないということになる。
突発的に行われてしまったがために、慌てて自らの身を隠してしまったと考えるのが自然だ。であれば、転移する弾丸という能力にも疑問が生じる。
それだけ暗殺に向いた力を持っているならば、やりようは他にもあったはずだからだ。
「なら、射程距離が予想よりも狭いんじゃないですか? だから、被害者の家の近くで撃ったとか」
魅波の意見を受け止めた無は、しかしやんわりとそれを否定する。
弾丸を、極々限られた距離内でしか転移出来ない――程度の能力。それでは少し、弱過ぎるように思える。
あり得ないとは言い切れないし、肆級伍級であればその程度にもなるだろうが……。
「ええ、その可能性も否定出来ません。ですがそれならなおのこと、自分の目で見えない場所にいる人間を殺そうとするでしょうか。不確定すぎますし、近隣の方からの目撃証言が一つあるだけで簡単に怪しまれてしまいます」
もしも被害者を生かしてしまえば、彼はきっと雨羽の仕業だと言うだろう。確実に殺さなければならないのに、不確実な殺し方を選ぶわけにはいかない。
銃弾は小さい。動く対象の急所へ正確に弾を当てるのは難しく、銃を日頃から携帯している刑事ですらそれは簡単ではない。
対象に命中するまで何度も銃弾を転移させられるなら、部屋が少しは荒れたり、被害者も気づいて少しは抵抗する様子を見せていてもいいはずだ。
「それに、近くで銃声はしなかった。それらしき音を聞いた方は、一人もいなかったそうです。ですよね、浅間さん」
こくりと薫流は頷く。向こうで聞いた話によれば、銃声はおろか怪しい人影を見かけたという目撃情報も聞くことは出来なかったという。
更に、目で見えない場所にいる人間を殺そうとはしないはずだという意見を通そうとすれば、無の話には矛盾が生じてしまう。
「そして、これでは私が先に話した、どこかへ秘密裏に被害者を呼び出してから遠く離れた場所で相手を撃てばいい、という話と矛盾してしまいます。困りました、犯人はどこで銃を撃ったのでしょうか」
もしもこの犯行が計画殺人であるのなら、一ヶ月待った理由は射撃の腕を完璧にするためなのではないかとも予測出来る。
しかし、それでもよほど才能がない限りは完璧とはいかないだろう。
「では、銃弾だけでなく人も転移させられるテレポート能力で、まずは自分が部屋の中に転移してから被害者を撃った、ならどうでしょうか?」
「ならなぜ、被害者の遺体も転移させて事件の発覚を遅らせていないのでしょう」
部下の反論を次々に論破していく無。淡々と、彼女は自分の考えを話し、そしてチームを納得させていく。
「そして何より……つい先ほど連絡があったのですが、被害者の傷跡に違和感があったそうです。私は今確信しました、それは弾痕ではないと。恐らくは銃弾に似せて作られた、何か別のものなのでしょう」
それはさっきの電話で伝えられていたことだった。伝えられていた時点ではただの違和感でしかなかったそれが、考えを纏めていくにつれて確信へと変わっていった。
これは恐らく、銃弾ではなく――。
「以上、証明は終わりです――さあみんな、他に何か反論がありましたら遠慮なく仰ってください。無ければ、ええ、次に行きましょう」
誰もその言葉に反論することはなく、議会は振出しに戻る。その後も幾つかの予想は出るが、どれも確信には至らない。僅かな情報から複雑怪奇な異能の正体を暴くのは難しく、それは色のくすんだパズルのピース一つから完成後の絵を想像することに等しい。
だが、ここでいつまでも無理に考え続ける必要は絶対的には存在しないのだ。
彼らの成すべきことは、あくまで犯人の確保である。能力の解明はその成功率を上げるためのものに過ぎず、拘り過ぎて犯人を逃しては元も子もないのだから。
そしてここで、再び無が口を開く。
「――――藤咲くん。もうそろそろ、口を開いても良いのではないでしょうか」
無の言葉に、視線が火純に集中する。
今の今まで、彼は何一つ言葉を発していない。緊張していた? それはない。何を言っていいのかわからなかった? あるかもしれない、だが違うだろう。
彼はただ、自分以外の彼らを見ていたのだ。
「……ああ。俺が言ってしまっても良いのか?」
「ええ、構いませんよ」
なぜなら彼は、もう既に犯人の異能を見破っていたのだから。
「高名な特別機動係といえど、やはり人の子か。地上の太陽たる俺と比べれば、どうしたところで見劣りもしよう。人が太陽の高みには決して昇れないように、誰も俺と同じ視点は持てないようだな」
唯我独尊。どこまでも自信過剰な火純は、自分の結論が間違っているなど露ほどにも思っておらず、その答えに確信を抱いている。
まず間違いなく、今回の犯人が持つ異能はこれであると。
「え、何藤咲くん。もしかして何か自分だけが持ってる情報とかあったの? いやそれで自信満々に何か言われても困るんですけど。条件がまず私たちと同じじゃないし」
「いいから早く話せ。俺たちの会話は何だったんだと殴られたいかお前」
「黙れ俺は何も間違っていない。俺が法だ、太陽がわざわざ人に合わせて視点を変えるか」
――それに、俺がこれを黙っていたのにも理由がある。火純はそう思い、二人と言葉を交わしながらチラリと捜査で同行した女を見た。
一つは、さっきまでの段階ではだから何だと切り捨てられてもおかしくない程度の情報だったこと。不確かで、ともすれば気のせいではないのかと思われても仕方のないものだった。彼も確信を持てたのは、今しがたのことだったのだ。
そしてもう一つは、視線の先にいる女のこと。単純に、後輩として先輩を立てようとしただけなのだが……まあ、あちらがその気ならば今回は自分が話すとしよう。
「話してやる。簡単に言えば、敵の異能は――――」