5.事件スタート
彼ら特別機動係は基本的に通常の犯罪が起きたとしても動員はされず、異能犯罪が発生した場合にのみ動くことになっている。通常の犯罪でも場合によっては出動することもあるが、滅多にそのようなことはない。彼らは万が一のために待機し続ける必要があり、猟犬は猟犬に相応しい獲物のみ狩るよう命令される。
従って、暇な時は本当に暇なのも先ほどまでの緩い時間が許されている理由の一つだ。
だが、彼らが動く必要のある事件が起きたならばそうはいかない。超常の力を持つ犯罪者を捕獲、あるいは――殺害するため、全力を行使しなくてはならない。たった今出動要請を知らせるサイレンが鳴ったということは、彼らに動いて貰わなければならないことが起きたということなのだから。
よって、そう、迅速に特別機動係は異能犯罪の撲滅にあたらなくてはならないのだ――。
「あちゃぁ、初日からついてないね藤咲くん。おーい浅間ちゃーん、目覚まし鳴ったよー」
「この本は今日中に読んでしまいたかったんだが……仕方ないか。リーダー、何が起きたのか事の詳細はわかりますか? ああそれと、冷蔵庫空いてます? 菓子類が余ってしまって」
「んーちょっと待ってね。今資料が送られてきてるとこだから。プリンなら適当に放り込んでおいて」
「浅間のヤツはまだ寝てやがんのか。ああ、まあいいだろそのうち勝手に起きるだろうし。放っといて泡末は念のために準備しとけ」
……ならないのだ!
「……はい、注目!」
パン、と手を叩く音に皆が視線を集める。無は五人……四人が注目したのを確認すると、手首に装着された腕輪型万能機に送られてきた事件のデータを簡潔に読み上げていく。
腕輪から宙に画面が表示され、そこには今回の事件について一先ずわかっていることが纏められている。送られてきた情報を元に、彼らはこれからどう動いていくかを判断するのである。
「発生したのは殺人事件、被害者は男性、自室の中で血を流しながら倒れているのを発見される。犯人は不明だけど、被疑者は選別済み。状況の不可解さから異能犯罪と仮定したので、とりあえず見に来て判断しろ、だって」
「そのタイプ、ですか」
蓮慈が露骨に顔をしかめる。犯人が最初からわかっているなら、こちらも出撃してその犯人と直接対峙すれば済む話なのだが、わかっていないということはまずそれを確定するところから始めなければならない。はっきり言って、それが少し面倒事なのである。
対して魅波はあまりそうは思っていない様子だった。
「むしろ良かったんじゃない? 今回は新人さんもいるんだから、いきなり出向いていきなり戦っていきなり解決なんて危ないパターンじゃなくて」
「それじゃ、今回は誰が現場に行く?」
無が五人を見渡して挙手を募る。理由にもよるが、希望があればそれを優先して人選し希望しないのであれば彼女の判断で決定する。六人という少数の精鋭で構成されたメンバーだが、勿論全員で現場に行くわけではない。というよりそれは出来ない。
上からの決定で、彼らが出撃出来るのは基本として一度に二名までだと決まっているのである。
異能は種類にもよるが周囲に甚大な被害を齎してしまう場合もあり、特別機動係の動き次第でその被害が余計に大きく広がってしまう危険性は決して否定出来るものではないのだ。それを恐れた上層部は彼らに出撃制限をかけ、出来る限り必要最低限の人数、基本的な二人一組で行動するよう彼らは義務付けられている。
事件の規模や深刻度など理由如何によっては三名以上での出撃も許可されるものの、今回の場合はその許可が下りることはないだろう。
「一人は藤咲でいいだろ。過保護にしすぎるのも良くねえ、とりあえず仕事の雰囲気ってのだけでも覚えてもらわねえとな」
「なら自分は遠慮したいですね。教えるのに向いていない」
二人のうち一人は火純、であれば自然に蓮慈は候補から外れることになる。質問に答えられないという性質は確かに、とことんまで新人研修には向いていない。
彼はこの大事な時であっても、質問は受けないという独自のスタイルを崩すことが出来ないから。
「なら私が行こうか? さっき教えるって言ったし、何かあっても私ならサポートも……」
魅波がそこまで言ったところで、隣で今まで無言を貫いていた一人がすっと立ち上がる。
「……私が行く」
肩に届く程度の黒髪を揺らし、薔薇のように赤い眼を開く薫流。小さな顔は可愛らしいという印象を人に与えつつも、しかし同時に刃のような鋭さも感じさせる。大きすぎず小さすぎもしないほどよく育った胸部を反らして腕を伸ばし、残った眠気を吹き飛ばしていた。
さっきまで眠りこけていたとは思えないほど真面目な表情は、とても寝坊助女とは思えないほど絵になっている。女性陣の中で唯一スカートではなくパンツスーツを履いており、スラリとしたモデル体型をしているのもよくわかる。
「この中で一番出撃回数が多いのは私だし、後輩を補佐するならどう考えても適任は私でしょ。泡末は万一のために残っておいて、いつも通り最初に行くのは私の方が、その万一で融通が利きやすいし。氷常呂は無理に教えなくてもいいけど、でも後詰めの準備はしておいてね。というわけで、私で良いですよねリーダー?」
「うん、良いよ良いよ。なら浅間さんは藤咲くんを連れて現場に直行、私たちはこっちで色々と纏めておくから、今回の事件が異能犯罪かどうかの判断はそっちに任せるね」
「了解です――行くよ藤咲」
「え、はい」
無が許可を出すと同時、薫流は壁に描かれた四角い枠に手を置く。すると壁が横に崩れるよう開き、中には大型拳銃が六挺取り付けられていた。
「はい、これが君の特殊裁定銃ね。緊急時には一応、誰のものでも起動できるようになってるけど、それでも緊急用は緊急用だから間違えずに自分のものを使うこと。私たち六人の情報は登録されてるから、さっき私がやったみたいにそこに手を置けばいつでも取り出せるよ」
薫流は火純のハウンドを彼に手渡すと、自分のものも取り出して腰に装着する。大型であるため、椅子に座りにくそうだなと火純は思ったが気にしないようにするしかないのだろう。同じように装着すると、彼女の後に続く。
「……ねえリーダー、やっぱり銃じゃなきゃ駄目ですか?」
「駄目。早く行ってらっしゃい」
何かを無に否定された薫流は渋々と頷くと、行ってきますと言って部屋を出ていく。行ってらっしゃーいという魅波の声を背に受け、二人が向かったのは駐車場だ。登録生体情報によって鍵の解除された車に二人は乗り込むと、ハンドルの中心に薫流が手を置くことで車にエンジンがかかる。静かに震えだした車のカーナビに目的地を入力し終えた彼女は、シートベルトを締めて椅子に深く腰掛ける。
『目的地の、入力を、確認しました。これより出発、いたしますので、シートベルトを締めて、しばらくお待ちください。発車、いたします』
自動車がゆっくりと動き出す。完全自動機能によって法定速度を順守したまま危なげなく搭乗者を入力した目的地まで運んでくれる。これにより、ハンドルを握る必要もなくなった運転者は車に乗りながら別の作業も行うことが出来る。もっとも、物事に百パーセントはないため最低限の注意は必要だが。
「やっぱり自動運転は楽で良いな、緊急の時以外はこうやって車に任せるに限るよね」
腕輪から宙に表示される資料に目を通しながら、薫流は藤咲に話しかける。
「あ、はい、そうです、ね?」
「……いやなんでそんな片言で疑問形? 私変なこと言った?」
「いえ、意外とハキハキしているんだなと……」
正直なところ、もっと物事を面倒くさがるイメージが勝手についていたので積極的に行動する姿が火純にとっては意外だったのだ。失礼な話だが、一応は職務中ということになっている時間に堂々と寝ている姿を見ればそのようなイメージが付くのもおかしな話ではないだろう。
そう言われた薫流は心外だという気持ちを顔で表し、自分は別に怠け者ではないと否定する。
「失礼な。私が朝に睡眠時間を多く取るのは、それが一番落ち着けるからだよ。瞑想みたいなものって言えばいいのかな、泡末が甘いものをよく食べるのとおんなじ。あと、泡末と氷常呂にも言われただろうけど、敬語は辞めて。いざという時に先輩だから後輩だからって変な遠慮を出されても困るから、そんなつまんない理由で怪我をするのも嫌でしょ」
あの二人が揃って敬語を辞めるよう火純に言い聞かせたのは、つまりそうした理由があるからだった。どうせ歳も近いのだから、入った順番で互いの優劣を簡単に決めるのは良くないことだとしているのだ。もしもそんな理由で生まれた躊躇が原因となって、事故に繋がってしまうことほど馬鹿な話もないだろう。階級は重要かもしれないが、しかしこれも大して差はないのだから無視してしまえと、少なくとも特別機動係の若年間では決めていた。
事故に繋がるようなことが、ほぼ確実に起こり得る仕事だからだ。
「でも九頭城さんと帝堂さんには使ってね。あの二人は私たちよりも明確に偉いから、そこは線引きするように。どうしても嫌ならそこは二人に頼むこと。けど一先ず私たち三人には、素で接して良いから。無理してるでしょ? それ」
それはそうだろう。警察官となって長いだろう人物と、自分たちのリーダーなのだから。どれだけここが無礼講でも、この二人には敬意を払わなくてはならない理屈はわかる。
火純は驚いていた。ここに来て、同年代である先輩たち三人の中で最もまともそうな人物が、この居眠り女だったことが判明したからである。
そして、驚きはもう一つ。自分が新人としてのキャラを作っていたことも、どうやらバレていたようだ。眠っていた女がいつ察したのかは疑問だったが、まさかこの短い会話だけで見抜いたのだろうか。確かに、無理をしていた。へりくだるのは好きじゃないからだ。
「ま、言葉遣いの話はこれで終わりね。今から現場に向かうわけだけど、今回の場合まず私たちがしなきゃいけないのは、この事件に異能が使われているのか使われていないのかを判断すること。まあ、ほぼほぼそうだとは思うんだけど、一応は専門である私たちの目でも見て確実にそうだと決めなきゃならないから。仮に違ったら、私たちはすぐに引き払ってそこでお仕事お終い! 無駄足お疲れさまでしたってね」
彼ら特別機動係は異能犯罪以外の事件に関与する権利を基本的には持たない。それは通常警察官の管轄であり、自分たちは大災害にも繋がりかねない異能犯罪に備えていなければならないからだ。
ゆえにもしも今回の事件がそうでなかった場合は戻って無に報告するだけで済む。
「だが、ほぼほぼ確定しているんだろう?」
敬語を取り払った火純は、まるで長年付き添った相手であるかのように薫流に問う。
「うん。状況から見てほぼ間違いないね。はい、これが資料……あ、まだ連絡先交換してないか。ちょっと待って、今画面大きくするから。それと私のアドレスも隅に書いておくから、君のアドレスもこっちに送って」
宙に浮かぶ画面を彼女が操作すると、すぐにそれは彼の目にも見えるほど大きくなる。彼はすぐ隅の方に追記されていたアドレスを打ち込むと、そこに向けて自分のアドレスも送る。すぐに来た返信には特別機動係用のSNSグループが張り付けられてあり、あとで参加するようメッセージも書かれている。彼は一度そこでメールを閉じると、再び薫流の画面に目を通す。
被害者の名前は昼涯 屍人。簡単に纏めると、先に無が説明した通りのことが書かれている。
昼涯は仕事から帰宅後すぐに殺害されたと見られており、住んでいる小規模マンションの部屋でプライベートに使用していたのだろう自室で倒れ伏していたのを発見された。いつも通勤時に挨拶を交わしていた同マンションの住人が、今日は彼を見かけていないことに不信感を覚え管理人に相談。翌日、何度か電話をしてみても繋がらないことから何かあったのではないかと不安になった管理人によって発見されたそうだ。
これだけなら、ただ事件か事故かはともかくとして被害者の遺体が発見されただけだが、不可解な点はここからだった。
現場を先に調査していた者たち曰く、部屋に何も無かったそうなのである。何も無かったとは、つまり事故であるなら昼涯を死に至らしめた原因となる物……突起物であるとか、頭をどこかにぶつけた痕跡であるとか、そういった死因が見つからない。事件であるなら、彼を殺した凶器や犯人の痕跡……が見つからなくとも、しかし犯人の侵入経路は必ず見つかるはずである。
だが、無いのである。鍵はかけられてあり、その鍵は昼涯が所有しているものと管理人が所有する合鍵がすべてだ。窓ガラスなども割られておらず、窓の類いにもすべて鍵がかけられている。
つまりは、密室殺人――ということになるのだ。
「へえ……」
密室殺人。漫画や小説などではよくお目にかかるが、実際に完全に閉じられた環境の中にいる対象を殺すのは難しい話だ。そんなものは子供でも分かることであり、事実上として不可能だろう。例えばガスを隙間から流し込むとか、出来なくもないのだろうが今回使用された痕は無いようだ。
完全に閉じられた環境内にいる人間を殺すなど、壊さず開けずに籠の中にいるペットをそこから抜き出せと命じているに等しい。入れない場所にいる生物をどうこうしようというのは、地面の裏側にいる人間に声をかけるのと大して差のない不可能事なのである。
そもそも昼涯の死因は胸に空いた穴であり、窒息死でも服毒死でもない。だがこの不可解な状況も、異能なら簡単に生み出せる。よって異能犯罪であると仮定され、彼らにお呼び出しがかかったというわけだった。
「この管理人は? 合鍵は持っているんだろう」
だが異能による犯罪を疑うより前に、まず最も怪しいのはこの管理人だろう。何せ被害者以外で唯一合鍵を持っている人物なのだから。合鍵で堂々と入って、昼涯を殺して、そして部屋を出て再び鍵を閉めるだけで密室は完成する。
「そんなの誰が見たってわかるでしょ。だから真っ先に調べて、真っ先に容疑が晴れたらしいよ」
「それもそうだ」
本当のようだった。管理人が電子鍵を使用した履歴はなく、監視カメラにもその姿は映っていない。つまり、被害者以外は誰も扉から中に入っていないということになる。
よって管理人への容疑はあっさりと解かれ、今はただ参考人として話を聞いている状態らしい。
「だいたい分かった。それで、異能犯罪だと確定したら俺はどうすればいいんだ?」
「ん、そうだね。まずは……もう他の人たちがとっくにやってることだけど、怪しいところがないか一応確認ね。まあ、それが無いから私たちが呼び出されてるんだけど」
怪しいものがあればそもそも彼らは呼び出されていない。ごく普通の殺人事件として、異能事件の専門である彼らの手は借りないだろう。
しかし、だからといって調べないという選択肢はないのだ。同じ異能者である二人の視点からなら、また何か違うものが見つかるかもしれないと期待してのことである。
「とりあえずはそこまで。そこからは指示次第だけど、多分一度戻ることになるかな。……あ、着いたみたい」
車が止まり、二人が外に出て扉を閉めると鍵がかかる。
被害者の死んだ現場、二○七号室に向けて歩き出す二人――――彼らを遠くから観察する視線があることを、二人はまだ気づいていなかった。