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10.毒蜂 対 薄紅美刃

 浅間薫流は、チームの中で半ば切り込み隊長として扱われている。その理由は大きく分けて二つあるが、どちらの理由も特別機動係にとって非常に都合が良いということは共通している。

 一つは、彼女は戦闘しか出来ない異能者であり、そしてその戦闘力に関しても信頼が置かれているということ。直接戦闘になる可能性が高い異能犯に対して、彼女という戦力をぶつけることはまず手堅い選択と言えるのである。

 薫流は今まで何人もの異能犯と戦っているがその戦績は高く、何よりその高い個人戦闘力を買われ特別機動係に入隊した人材であるのだから。

 そしてもう一つの理由は、彼女の異能力(アビス)にある。

 執行――その一言により、特殊裁定銃(ハウンド)主要(メイン)機能が起動。


『執行申請受諾――異能犯罪者の脅威を確認しました』


 彼ら特殊機動係が(あく)に飲まれないために、異能をコーティングすることで彼らの心を守るのがこの銃の真の目的。彼らは自らの異能を開帳する際、必ずこの銃を使用しなければならない。特に、相手の殺傷が目的である場合は。

 銃とはどこまで行ってもその本質は相手を殺すためのもので、これは特殊裁定銃であろうと例外ではない。異能犯を殺すために、彼らはこの銃を手に取るのだから。

 けれど、この銃は自身の所有者の、その心を守ってくれるものでもある。それは、彼ら警察が決して犯人を殺すためにある組織なのではなく、民衆を守るために存在する組織なのだということを表しているかのように。


『脅威認定、執行・承認』


 許諾が下りて、引き金が引かれる。薫流の異能が抜剣(・・)する。


「≪薄刃紅影(うすばべにかげ)≫」


 裁定銃が粒子のように細かく解けて、それが(つるぎ)の形に再構築されていく。薄紅色の刃を仕舞う鞘はなく、抜身の剣だけが彼女の手に握られている。

 これが彼女の異能力。この薄紅色の剣を構築し、現出させること。

 彼女が重宝されるもう一つの理由がこれであり、彼女の力は大規模な破壊を起こしにくいということがこの剣を見れば分かるだろう。

 そもそも特別機動係が基本的に二人一組を強制されているのは、異能犯との戦闘が発生した際に、異能による被害拡大を出来るだけ収めるようにしたいという目的があるからだ。民衆を守るために戦うのだから、その力で逆に民衆を傷つけてしまうわけにはいかない。

 他にも理由はあるが、表向きはそうなっている。

 しかし、どうしたって建築物や道路などには被害が出てしまうもの。だが彼女の力は剣、ゆえに被害も限られてくる。被害が限られてくれば、犯人殺害に手古摺った時に三人目(・・・)の出撃要請を上に通しやすくもなるし、特別機動係にとってはまさに都合の良い異能というわけなのである。……まあもっとも、場合によっては所構わずとにかく斬りまくることもあるので必ずしも被害が少ないとは限らないのだが。


「藤咲、分かってるよね?」


「ああ。俺は後方から、あいつの虫ケラが散らばらないように注意していればいいんだろう。不服ではあるが、後光となって人を見守るのも太陽の務めだからな。任せておけ」


「君はいちいち自分を太陽に例えないと会話出来ないの?」


「何を言っている、俺は太陽だぞ。太陽が自分を太陽と呼んでおかしなところは何も無いだろう。輝くあの光に、染みが一つも無いようにな」


「私太陽と会話したのって初めてだよ。ところで黒点って知ってる?」


 数多の蜂と相対しても、二人には余裕があった。それは今までの経験からか、それとも己の実力に自信があるからか、その両方か。

 黄色と黒の危険色が特徴的な蜂――中でも雀蜂は、この国の人間からしてみると最も危険な虫というイメージが強いのではないだろうか。凶暴な性格や強靭な顎もそうだが、何より恐ろしいのはその毒針だ。

 強烈な毒は、アナフィラキシーショックなどで人を死に至らしめることすらある。死という恐怖が染みついている生物の一種であり、一匹飛んでいるだけでそこには近づきたくないと考えるのが自然だろう。

 しかし、ここにはその蜂が数え切れないほど飛んでいる。どう見ても、常人であれば死を覚悟してもおかしくない光景だ。

 事実として、それゆえに雨羽にも余裕があった。


(どんな異能を持っているかと思えば、剣だと?)


 剣一本で、この数の虫を相手にする気なのか。その考えが、彼に余裕を齎していた。戦いとは質よりも数が大きな力となり、どれだけ強くても数に圧されてしまえばどうにもならず押し切られてしまうのが厳しい現実である。

 大規模な力であればそうとも限らないが、しかし彼女の異能は剣。小規模な力であり、この蜂の軍勢をどうにか出来るとは思えない。

 幸いなことに、もう一人の男はまだ参戦する気配が無さそうだった。ならばここは迅速にこの女を殺し、次にあの男を仕留めるべきだろう。今は目の前の敵に集中した方が良いと判断し、雨羽は薫流を注視する。

 辺りにハチミツのような甘い香りが漂い始め、それが彼の戦闘準備が完了したことを示す証だった。


(そんなものでどうにか出来るならしてみろ!)


 宙に現れるは蜂の巣穴のような黄色い六角形、直径十センチメートル程度のそれが幾つも出現。それはまるで銃口のようで、中から何かが発射される。

 一つ一つの穴から次々と発射されるそれは機関銃のようであり、全力を込められたそれは幾つも合わさることでガトリング砲のようにもなっていた。数十発、あるいは百発以上の数が瞬間的に飛び出していく。

 その何かはまさに銃弾のごとき速度であり、人の体を容易く貫通するだけの威力を持ったそれが薫流の体を穴だらけにすべく殺到していくものの、いとも簡単にそのすべてが斬り捨てられた。


「……な!?」


「ああ、おかしいなと思ってたんだよね。私も藤咲も蜂って予想はしてたけど、だったら毒殺した方が手っ取り早そうなものなのにわざわざ人の体を貫通して殺してたから。でもなるほどね、そういうことだったんだ」


 薫流は見た。自分が斬り捨てたものが何だったのか。それは蜂ではなく、ハチノコ。雨羽はどうやら成体ではなく、幼体を弾丸として射出出来るらしい。


「ちょっと硬かったし、被害者さんを殺したのもこれかあ。……ってことは、この甘い匂いが漂っている範囲が能力を行使出来る範囲なのかな? じゃなきゃ現場に匂いなんて残すはずないもんね。あの部屋に微妙に匂いが残ってたのも、匂いが無いと蜂に指示が出せないから。なぜそんなことをする必要があるのかというと、力の操作に難があるから。そして距離を伸ばせば伸ばすほど、操れる蜂の数も減っていく……どうどう? 薫流ちゃんの推理当たってない?」


 すべて正解だった。雨羽はさっきまでの自分がいかに甘かったかを痛感する。

 ハチノコ弾をすべて斬り落とされたのもそうだし、自分の異能がどんどんと丸裸にされていくのも恐怖だった。そう、彼の異能である≪蜂軍(ハグン)≫はその名の通り蜂の軍勢を操ることが出来るが、その正しい能力は『蜂の巣を呼び出すこと』なのである。そして、呼び出した蜂の巣が内包しているものを操ることが出来る。

 だが操作性が低いために、そのすべてを操るにはあの甘い香りが必要不可欠なのだ。フェロモンで意思を疎通させる蜂のように、香りを通して蜂たちに指示を出す。

 距離を伸ばせば伸ばすほど当然に操れる数は減っていくし、昼涯を殺した時は片手の指をすべて折らなくても数えられる程度の数しか操れなかった。

 その事実を一度や二度の攻撃だけで見切られたこと、脅威に思わないはずはない。情報が暴かれれば暴かれるほど、付け入る隙を隠しているベールが剥ぎ取られていくのだから。


「……さあ、どうだか」


 しかし、わざわざ肯定まではしない。無駄かもしれないが、情報は出来るだけ隠して置いた方が良い。

 だが雨羽にとってまずい状況に変わりはない。薫流は彼が使用出来る最速の攻撃を簡単に弾いてしまうのだから、それも一振りの剣だけで。何をすれば、確実に攻撃を通すことが出来るのか。


「ふーん。ま、いいやどっちでも。――――今から殺すし」


 ゾッと走った悪寒を拒絶するように、雨羽はハチノコ(だんがん)を発射。次々に道を穴ぼこにしていくが、薫流には当たらない。もはや斬り落とすことすらせず、回避しながら彼女は雨羽に近づいていく。

 雨羽も照準を合わせながら撃ち続けていくが、猛獣もかくやという速度で走る薫流には当たらない。すべて見切り、回避している。

 その身体能力は間違いなく自分よりも遥かに上だと雨羽は確信し、彼も後ろへと下がろうとするが速度の差は歴然だ。剣を手に前へ出て戦う者と、後ろから指示を出して戦う者と、これは当然の格差だった。

 子で駄目ならと、今度は成体である蜂たちが動く。

 ハチノコは弾丸ゆえに直線にしか飛べないが、蜂は弾丸のような速さでは飛べないものの自在に飛び回る。一匹一匹が猛毒を持つそんな蜂が薫流に襲い掛かっていくものの、しかし。


「……面倒くさいなあ」


 斬られる、斬られる、斬られていく。本来なら、彼の異能は彼女との相性が悪くはないはずなのだ。いや、むしろ良い。

 数で圧すことが可能な≪蜂軍≫に対し、彼女の≪薄刃紅影≫は剣一本。その数の差は圧倒的であり、普通に考えれば雨羽の異能が負ける要素はほとんど無いように見える。

 だがそんな予測を覆すことが出来るのもまた異能なれば、この現状もあるいは当然と言えるのだろう。

 異能を扱い始めてそう日が経ってない雨羽に対し、特別機動係に所属する薫流は歴戦の異能使いだ。今までの経験に加え、同じ異能使いである同僚と日常的に訓練を重ねている彼女からすれば、少しばかり相性が悪い程度のことなど臆する理由になりはしない。

 数による圧殺――ああ、とっくの昔に経験済みだ。


「く、糞っ!」


 状況を打開すべく、雨羽は敵ではなく周囲の家に標準を向ける。これで薫流の動きが止まれば良し、民衆を守るために行動を変えても良し。

 悪であることの利点を存分に活かし人質作戦を決行しようとするも、飛来してきた弾丸によって六角形(じゅうこう)は破壊される。彼は戦闘に手出しはしていないものの、何も見物しているわけではないのだ。

 民衆に被害が及ぶようなら、それを最小限に抑えるよう努力するのが火純の仕事である。


太陽(おれ)の前で、そんな真似が通ると本気で思われていたなら見縊られているようで腹立たしいな。……本当に便利だなこれ、俺のエネルギーを使って弾丸に変えているのか」


 もはや男に残された道は一つ。真正面から、薫流を打倒することだけだった。


(それが出来れば苦労なんてない……!)


 だがやらなければならない。手持ちの札を使って、この歴戦の女剣士を倒さなければ自分に明日は無いのだから。


(――と、思っているのかもしれないが、実際のところ浅間に残っている余裕は果たしてどの程度のものなのか)


 民家に被害の出そうな攻撃だけを撃ち落としながら、火純は戦況を見つめている。今は薫流が雨羽に接近し、その刃を振るうところだった。

 雨羽は自分の前に人の頭ほどもある蜂の巣を形成。これは言うなれば爆弾の盾であり、巣を攻撃した者を攻撃する蜂の習性を利用した彼なりの防御だ。薫流の剣が巣に触れた瞬間、中から蜂が飛び出せば薫流はそれを回避するため雨羽への攻撃を中断せざるを得ない。

 だが、構うことなく彼女の剣は男を裂いた。


「あ、あぁぁっ!?」


「チェ、浅かった」


「……浅間だけにか?」


「私が狙って言ったみたいな反応の仕方辞めて!」


 蜂が邪魔で深く踏み込めなかったのだろう。攻撃は男を撫でる程度に傷つけるだけで終わってしまい、薫流はその場を離脱する。その場に止まっていれば蜂の反撃を受けてしまうからだ。

 雨羽の頭を占めているのは痛みよりも疑問だった。彼女の攻撃は、彼が呼び出した蜂の巣を素通り(・・・)して彼の体を裂いたからである。だがその疑問こそは、彼の異能に対する知識の浅さを物語っていた。

 まさか、彼女の異能がただ薄紅色の剣を呼び出すだけなんてことはないだろう。勿論、この剣には特殊な力が秘められており、それを考えなかったのだから傷つくのは当たり前の結果なのだ。


「――私の剣はね、血が好物なの」


 薫流の紅影は影と似た性質を持っている。常に誰かの傍に在り、どこにでも入り込む影の性質を。


一度(ひとたび)振るえば血に飢えて、一度斬れば血を啜る」


 であるがゆえに、彼女の≪薄刃紅影≫とは『敵の防御概念をすべて無視する剣』を呼び出すもの。防御行動(ガード)防御之盾(シールド)防御障壁(バリヤー)防御異能(プロテクト)、ありとあらゆる“守り”に類するすべてを無視(・・)する。


「次に斬り裂き血に濡れて、その()は赤く血に染まる。そして最後に相手の命を吸い尽くして、完全な赤に戻る。まるで、自分は殺し合う敵が居ないと生きていけないんだって言ってるみたいに」


 雨羽が呼び出した蜂の巣は爆弾のようなものではあったが、その目的は彼女の攻撃から自分の身を守るためのだった。ゆえに防御と判断され、剣は巣をすり抜けたのだ。


「血だけを求める妖しい刃――それが紅影。(おまえ)の血に飢えている、私の可愛いツルギちゃん。ねえ、次は何処を斬られたい?」


 火純は内心で彼女を少し舐めていたことを自覚し、彼女に対する評価を上方修正する。流石は音に聞こえし特別機動係の切り込み隊長と言ったところか。動きのすべてが凡百の異能者と一線を画している。

 優勢なのは薫流。それは確かだが、しかし実力差がありながらすぐに決着をつけられていないのは、それだけ相性の差があるということだろう。

 雨羽の周囲を飛ぶ蜂が邪魔で、彼女は一度攻撃を当てたらすぐに離れるということを繰り返さなければならない。これを削り合いで優位に立っているのだから勝つのは時間の問題だと見るか、それとも一度でもミスをすればたちまち逆転される綱渡りと見るのか。

 防御を無視する剣と言えば聞こえは良いかもしれないが、その本質は言ってしまえばよく斬れる剣(・・・・・・)と大差ない。彼女の武器がその剣一つだけなのは変わりないのだから、数の優位は変わらず雨羽の側にある。

 だがその優位を、彼女は驚異的な剣速で埋めている。どころか追い越してすらいる。

 どこまでが本当に余裕なのか、そう見た火純の予想を超えて、彼女は全く焦っていない。この程度ならば今まで何度も経験しているし、訓練でもいつも熟していることだから、焦る理由が存在しない。

 特別機動係の切り込み隊長と、そう揶揄われているのは伊達ではないのだ――主に魅波に。


(どうする、どうするどうする。考えなければ、考えなければ)


 ハチノコの連射を走って躱しながら近づく薫流に、どうすれば勝てるか雨羽は考える。力の差は歴然でこのまま普通に戦っても勝てないだろうことは明白なのだから、考えなければ勝つことは出来ない。

 だがいくら考えても如何ともし難いことだってこの世にはあるもので、そもそも並外れた身体能力で次々に攻撃を重ねてくる敵を前にして悠長に考えてる暇など持てるはずもない。

 蜂の巣爆弾を攻撃用に呼び出す――駄目だ。あれはあくまで触れた相手へカウンターを仕掛けるためのもので、そもそも攻撃のため使うことを想定していない。

 幼体も成体も斬られるだけで彼女の体に傷を負わせることすら出来ていないのに、いったいどうやって逆転すればいいのだろうか。考えなければ考えなければ、そうしなければ勝機は決して見えてこない。


(クソ、一旦逃げ――)


 ありったけの蜂を呼び出し、その隙に逃げるしかない。そう考えるが、逃げ出そうとした後方へ先んじて弾丸が撃ち込まれる。太陽は己の眼下にある光景すべてを等しく俯瞰しており、ゆえにその視線から逃れることなど出来るものか。


「逃げるなよ。浅間先輩の華麗なるご活躍だ、折角だから遠慮せずに最期まで堪能していけ」


「堪能したら死ぬんだよ……!」


「殺すんだからそりゃそうでしょ」


 少しずつ、少しずつ斬り刻まれていく男の体。だが、追い詰められていく状況が男に何か活力でも与えたのだろうか。

 蜂の動きが、まるで優秀な指揮官の指揮下についたかのように少しずつ洗練されていく。我武者羅な子供のように突撃するしか能のなかった虫たちが、攻撃するだけではなく薫流の目を惑わすかのように動いている。


(まだピンチってわけじゃないけど、これは氷常呂にでも任せた方が楽だったかなあ。私がやるって言ったことだし、途中で放り出したりはしないけどさ)


 こういう多数を相手にするのは、自分よりも適任な人物が他にいるのだからそちらに任せていればもっと速くにこの男を処刑出来たかもしれない。実際、一度あちらに戻った際に交代する機会はあったのだからそれも一つの手ではあったのだろうが、一度自分から請け負った仕事を中途半端に投げたす趣味は彼女に無い。

 長物を自在に操りながら、斬り落とした虫の残骸が粒子となって消えていくのを尻目に、大した強さではないと断じて敵の脅威がどれほどかを評していく。

 大量のしもべを呼び出せるのは大きなアドバンテージだが、所詮は小さな虫に過ぎない。その多くの虫をきちんと操るためには制限のせいで距離という限界もあり、この実力では参等級といったところか。


(虫そのものはちょっと速いだけで大して強くもないし、本人の実力も並み以下。相性の悪さはどうしようもないけど、このままいけば削り切れる程度。土壇場でちょびっと成長するなんてよくある話だし、このくらいならいくらでも――)


 いつの間にか蜂は突撃を止め、薫流の動きを封じるための動きへと機動を変えている。彼女が前へ進もうとすればそれを阻むように飛び塞がり、背後から攻撃の瞬間を狙った蜂が近づいていく。

 気づけば何十匹もの蜂が薫流の周囲を旋回し、不快な音を彼女の耳に届けている。檻の中にいる囚人のように、彼女の足が一瞬止まった。


「こんなので私の足を封じたつもり?」


 この程度、大した障害にはなり得ない。相手が強敵であれば話は違うだろうが、しかしこの程度の敵に多少足を止めたところで後れを取るはずもなし。

 だが、この群れを突破しようとした瞬間に――。


「――っ!?」


 ――ガクンと、彼女の膝が下がった。


「今だあっ!!」


 この時を待っていたのだろう男が一斉に蜂の群れへと指示を出し、指示を受けた虫は子の弾丸を彼女へ向けて射出していく。周囲から一斉に撃たれた弾は、常なら苦も無く対応してみせるのだろうがしかし今、彼女は体勢を崩している。

 油断したつもりは無かったが、しかし予想を上回られたと言っていい。ならばこれは油断だろう、自分は隙を突かれたのだ。いや、あるいはそれを狙っていたのか?

 傷を負ってまで単調な攻撃のみを繰り返し、こちらが敵の強さを測り終えたタイミングでの仕掛け。相手に触れず体勢を崩させる、そんな真似がこの弱い敵に出来るとは確かに思っていなかったし、そういう意識の僅かな空隙を狙っていたのだとしたら。


(毒……か……!?)


 それ以外には考えられないだろう。蜂の持つ最も恐るべき武器が彼女に対して牙を剥いているが、しかしなぜいつの間に自分は毒など受けたのかという疑問が湧く。

 自分は未だ一撃も貰っておらず、毒なんてものが注入されるわけはないはずなのに。


(そう、毒だ! 毒が、針以外では打てないなんて誰が言った!)


(そうか撒いたんだ、空気中に、周りの虫は私の動きを止めるためじゃなくて、私に毒を吸わせるためのものだった)


(苦労したのはそのために複雑な指示を蜂たちに出さなければいけなかったこと。だけどそれも、あんたとの戦いでコツを掴ませてもらったぞ!)


(確か毒を散布できる蜂もいるんだっけ、でも毒液なんて吸った覚えはないし大体そんなのをこの数で空中に撒かれたら普通に気づけるはず――)


(初見でわかるものか、この能力は蜂の巣が溜め込んでいるものすべてを操ることが出来る。当然! 花粉(・・)もだ!)


何か(・・)に毒を混ぜて? ――花粉か! 花粉を毒粉にして、風に乗せて飛ばした? それとも、毒液を霧状に変えたのかな)


 ミツバチなど、花粉を集める蜂がいる。その特性も利用出来る雨羽は、花粉に毒を混ぜて空気中に散布させることも出来た。目に見えぬ毒の粉は空気を一緒に体内へと侵入し、吸い込んだ者の肉体を麻痺させる。

 原液を直接打ち込むわけではないので毒の効果は弱まるが、それでも相手の動きを一瞬鈍らせる程度のことは出来た。そこを狙われたこのタイミングでは回避も困難、さりとて迎撃するのも容易くはない。

 花粉という、普通なら武器にはなり得ないだろうものを利用して意表を突く一手。だが花粉症という例もある通り、花粉だって人間に有害な影響を与えることは出来るのだ。

 ならばこれもまた、立派な武器の一つなのだろう。異能力を応用し、発展させ、成長する。異能力をそのまま使うだけなら猿にだって出来ることであり、異能力者としてどこまで伸びることが出来るかは自身の異能力をどこまで伸ばすことが出来るかも重要な要素となる。

 雨羽はこの窮地に、自らの力を一つ進歩させたということ。それは勝利に近づくための、確かな成長に他ならない。

 ……まあ、もっとも。


「――――刺せ、紅影」


 一歩や二歩の進歩が、十歩二十歩先にいる人間に追いつけるほどの成長なのかと言えば、それは虚しく否なのだが。

 相手より強いということは、つまり相手より強いということだから。成長していない強者など、この世のどこにもいやしない。応用も、発展も、成長も、してきたからこそ彼らは強い。

 ああ、毒もとっくに(・・・・・・)経験済みだ(・・・・・)。この程度の毒ならば、呼吸を整えて耐えることは可能である。


「ば、かな……! どうやって……!?」


 だが、先の攻撃が躱し切れるものではなかったこと、それは確かなはずなのに、どうしてまたすべてが斬り落とされたのか――!


「この差は、この違いは何なんだ!? 同じ、同じ異能の使い手だろう!!? なのにどうしてこんなに、敵わない……!」


「猿と人を一緒にする君の価値基準はどうでもいいけど、そんなの決まってるでしょ。君と私じゃ――」


 そうしてついに斬撃が雨羽を捉え、宙に鮮血が舞い飛び散る。血に濡れた刃が、怪しく赤く染まり行く。


「――格が違うんだよ」


 それが、決定的な差なのである。

 彼と彼女は同じ召喚使役型の異能力者だ。召喚使役型とは、生命や武装を召喚――というよりは創り出して、操ったり、共に戦うという種別の異能力。

 雨羽は生命を召喚し、そして後方から指示を出して戦うタイプ。そして薫流は武装を召喚し、手に取って直接自身が戦うタイプ。互いに正反対の力を使うが、二人の最も大きな差は単純に経験の差……使い手本人の、純粋な実力の差と言う他ないだろう。

 なぜなら、薫流の異能は本当に“弱い”のだ。

 一振りの剣を呼び出しても、しかしそれを使うのはあくまで彼女自身なのだから。猫に小判を与えても意味が無いように、武器という使い手本人が弱ければ宝の持ち腐れにしてしまいかねない力を、鬼の持つ金棒に変えることが出来るかどうかはまさしく本人次第である。

 もしも薫流が弱ければ、防御を無視出来る刃もただ斬れ味が鋭いだけの鈍らに終わってしまうし、それでは例え子供の頃から力を持っていたとしても雨羽に勝つことは出来なかっただろう。小さな群れのすべてを斬り落とし、無傷で敵を制覇したのは偏にすべてが彼女の実力に他ならない。

 ゆえに召喚使役型、特に武装召喚能力は使い手の実力が最も顕著に表れる力だと言ってもいい。この結果は、その実力の差がすべてなのだ。

 剣一振りで勝ち続けてきた実績があるからこそ、彼女はその信頼を勝ち得ているのだから。

 先ほど彼女が気づいた事実は、毒粉の他にもう一つある。急に統率の取れ始めた蜂の動きをどうやって雨羽が制御していたのか、それを毒より先に気づいていた。

 彼はハチミツのような香りのフェロモンを介してしもべに指示を出しているが、今まですべての蜂に指示を出していたからこそ操作が非常に不得手だった。一匹一匹にいちいち指示するわけにもいかないし、なので全体へと一斉に指示を出していたからである。

 しかし、彼は力を発展させた。自分ではなく、代わりに指揮官のような蜂を生み出せば良いのだと。つまりは、女王蜂の誕生。女王蜂が雨羽より受け取った指令を、更に細かくフェロモンを通して蜂たちへと伝える。

 薫流は蜂の中に動きの鈍く、他の蜂から守られているような隠されているような個体が何匹かいるのに気づいた。よってまずはそれを斬撃し虫を再び烏合の衆、もとい虫合の衆へと変えることで弾丸射出のタイミングを僅かにブレさせたのだ。

 よってここに毒蜂は倒れ、この戦いは薄紅美刃の完全な勝利に終結する。


「さ、とどめトドメ……っと…………――ッ!?」


 が、薫流がそこで男にトドメを刺そうとしたところで、二人は危険な気配を察知した。


「浅間、上だ!!」


「わかってるッ!」


 ほぼ同時に、それ(・・)に気づいた二人。一人は警告の声を発し、もう一人は言われなくても気づいているとその場を飛び退いた。

 そして次の瞬間、薫流の立っていた場所を襲ったのは、上空から飛来した雨羽のそれとは比較にならない暴力(パワー)だった。アスファルトが砕け、瓦礫が周囲に飛散する。

 無防備にこれを受けていれば、如何に薫流が優れた身体能力を持つ異能力者と言えど間違いなく粉々に粉砕されていただろう圧倒的破壊力。落下速度と重力だけでは説明のつかない力が、彼女を襲撃したのだ。

 薫流は一人敵を倒しただけで残心を忘れるような者ではなく、いきなり上から殴り掛かられたにも拘らず焦ることなく躱している。そして、自分を襲った犯人を睨み付けいつでも応戦出来るよう身構えた。

 だが、薫流に睨まれているその人物は、そんなこと気にも留めてはいなかった。その偏執はいつも、いつでもいつまでも、どこまでいっても彼だけに。

 濛々と上る土煙の中心に、誰かが一人立っている。――女が一人、立っている。


「やあ」


 女が声をかける。その視線の先には、一人の男しか立っていない。

 その瞳の中には、一人の男しか映っていない。男だけ、男だけ。男だけ、男だけ男だけ男だけ。

 男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男だけ男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男男彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼がいる彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼が彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼彼。


 …………会いたかったぁ……。


「久しぶり、藤咲火純。君の、邪魔をしに来たよ」


「……霏宵(ひなづき)帰冴(きさき)


 悪なる竜となった女が、太陽の男だけを見つめていた。

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