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ニカと戦い

 真っ暗で何も見えない。年端のいかない少女は狭い空間に縮こまり、唇を噛み締めた。

 まだ五歳にもなっていない、彼女の名前はベロニカという。兄のクックは彼女のことをニカと呼んでいた。他に彼女のことを呼ぶものはいないので、ベロニカと呼ばれても彼女は自分のことだとは思わないだろう。


 ニカには、自分がどうしてこんな目に合っているのか分からなかった。ただ、クックと一緒に風の当たらない場所で丸まって眠っていただけだった。

 二人の毎日の寝床である。二人の他にも乞食の何人かがそこを寝床としていた。


 布越しに、奇妙な笑い声や独り言が聞こえてくる。あの、赤い帽子を被った人かもしれない。

 一瞬しか見えなかったけれど、暗い色をした赤の帽子と、裂けそうなほどに口の端を吊り上げた笑みが目の奥にこびりついて離れない。そして耳にはその時の甲高い悲鳴が延々とこだましていた。きっとその場にいた乞食の誰かだろう。


 ニカにはもう自分がどこにいるのかも、これからどうなるのかも、何も分からなかった。クックはどこにいるのだろうか。

 クックがそばにいないだけで、ニカは凍えるような心細さを感じていた。クックが来て、温かい手の平でニカの小さな手をぎゅっと握ってくれるだけで、ニカは無条件に安心できるというのに。

 その手がどれだけ汚れていたって、ニカには構わない。ニカの世界は、クックにあるのだから。


 ぶつぶつ呟く声が近付いてきたと思ったら、頭の上でシュルシュル何かをほどくような音が聞こえた。光が差す。見上げれば、光の中で大きな口が黄色い歯を見せてニタリと笑った。


「っ!!」


 ニカは驚愕に目を見開いた。頭から冷水を浴びせられたかのようだ。身体の芯から震えがくる。歯がカチカチと音を鳴らした。


 帽子の下の小さな目が恐怖にそまったニカの顔を捉え、三日月に歪んだ。


「ああ。静かすぎてつまんねぇなと思ってたけどー、その顔いいねぇ?」


 開いた口が糸を引く。そのままひひひ、と引き笑いを始めたその男は、ゆらゆらとニカから離れたかと思えばまた戻ってきた。頭の上の大きなシルクハットがグラグラ揺れている。


「なあー、なんで喋んねえの? 声出せるようにしてあげてるじゃんねぇ?」


 そう言ってニカの頬をつっつく。確かにニカは口封じの類いをされていなかった。叫ばれたら困るのはこの男のはずだ。


「なあー、なんか喋ってみろよ? ほら、言ってみろ? 助けてくださいって」

「……」

「なんだぁ? 命乞いくらいしろよなぁ。つまんねー。言ってくれたら、逃がしてあげんのになぁ?」


 ヒヒヒヒ、と笑いながらまたフラリとニカから離れては戻ってくる。じーっとニカの顔を覗き込む。目が合えば、またニタァっといやらしい笑みを広げた。


「まあ? 嘘だけどなぁ?」


 イヒッヒッヒ、とまた堪えきれないような引き笑いが始まった。笑いはだんだん酷くなっていく。


 ニカは思わず後ずさった。足元の薄汚れた布がずり、と音を立てる。今の今までニカを包んでいた袋だ。さらにかかとが何かにぶつかった。

 コツ、と硬い音に振り向けば、鉄のバケツだった。サビが目立ち、黒く汚れている。中を除けば赤黒い液体が半分ほど溜められていた。


「……!」

「ヒヒ、それ、なんでしょー? 当てられる? 当てられたら、逃がしてあげてもいいかも?」


 男が言う。バケツの中の液体は男のシルクハットと同じ色をしていた。


「ま、嘘だけどー? ヒヒ、これはな、お前の成れの果て」


 言いながら男は木の枝を拾い、クチャクチャとバケツの中をかき混ぜた。そのまま枝の先をニカの頭の上に掲げ、雫を落とす。額を生温い感触が這いずった。


「たまには変わり種をと思ったけど、やっぱ老人はだめだなー、枯れ枝だわ枯れ枝。ドロドロで汚ぇし、色もわりぃ。ダメ押しで量も少ねえしなー。この通り、半分もたまらなかったわ」


 持っていた枝を捨て、その手で別の柄を持つ。


「枯れ枝はもうこれっきりだなー。やっぱ若い方がいい。キレイだもんな?」


 男は血のこびりついた大きな鎌を手にかけ、高く振り上げた。ニカに影ができる。


「でもせっかく半分溜まったわけだし、ガキ混ぜれば解決するだろ? なあ?」


 逃げないと、と頭では分かっているものの、恐怖はニカの足を竦ませていた。到底、動くことなどできるはずもなかった。鎌がニカの首目掛けて振り降ろされる。


 その時だった。


「ニカっ!!!!」


 ーー大好きな、兄の声が聞こえた。



 〇◎〇



 レッドキャップとクックの妹らしき姿が見えたと思ったのもつかの間、クックは妹の名前を叫んでキャラバンを飛び降りた。


「クック!」


 チルが呼び止めるが聞こえていないようだ。二人は慌ててクックを追う。

 見れば、レッドキャップは小さな少女目掛けて鎌を振り上げたところだった。が、クックの叫び声に反応したのかゆっくりと顔をこちらに向ける。


「ああ?」


 駆けてくるクック、そしてチルとロイを確認したレッドキャップは、大きな口の端を歪に吊り上げた。


「ガキが大漁じゃねえか。 バケツ、もいっこいるなぁ? ヒヒ」

「ニカ!!!」


 クックがそのままニカに駆け寄ろうとする。


「クック! 止まって!」


 チルが叫ぶ。

 追いついたロイが後ろからクックを抱え込んだ。


「は、離せっ!」


 クックが暴れ、ロイが吹っ飛ばされる。子ども相手でもカカシは力で勝てないらしい。

 そのままニカの元へ行こうとしたクックを、今度はチルがはばんだ。


「クック、お願い、聞いて」


 両手を広げて立ち塞がる。


「あたしに任せて。大丈夫だから」


 クックの茶色い瞳が揺れ、全身から力が抜けた。だがすぐにその瞳はニカへと向けられる。何よりも大事な妹へ。肩にぽん、と何かが乗っかった。ロイの手だ。


「任せました」


 クックの肩に手を乗せたまま、チルに言う。チルは大きく頷いた。


「なんでカカシが動いてんだぁ?」


 とうに鎌を降ろしていたレッドキャップはそう独りごち、ロイを見ていた。


「まあどうでもいいけどー」


 だがすぐにロイから目を外す。血のないやつに興味はない、とでも言いたげだ。そして、今度はニカ、クック、チルを順番に見やった。


「さーて。誰からヤろうかなー?」


 ニタニタと笑いながら舌なめずりをする。


 そんなレッドキャップの前に、チルが大きく歩み出た。


「レッドキャップ! その子を返しなさい! 」


 ビシッとレッドキャップを指さして声を張る。そして一段階声を低くして言った。


「……じゃないと、痛い目合わせる」

「イヒっ、ガキがどうやって痛い目見せてくれるんだー?」


 レッドキャップは笑いながら、器用に片手で斧をくるくると回した。チルなど相手にもならないと示すかのようだ。


「あたしは魔女で一番になるんだもん。あんたなんか、敵じゃない」


 そう言ってチルもにやりと笑い返した。片手でフードを下へ引っ張り、片手を前に掲げる。


「魔女かー。どんな血が、採れるんだろなっ?」


 レッドキャップが鎌を振り上げる。そのままチルのほうへ突進してきた。

 予測していたかのように、チルの手の平から炎が吹き出す。炎は一直線にレッドキャップに襲いかかり、その身体を包み込んだ。と思いきや、レッドキャップが鎌を振った途端にそれは二つに裂けた。


「!?」


(鎌で炎を薙ぎ払った!?)


 裂けた炎はやがて力なく空中で消えた。


「まさかーー」


 言い終わらないうちにレッドキャップが再び突進してくる。チルは自分に浮遊魔法をかけ、高く飛び上がった。真上から、今度は鋭く冷気を放つ。

 触れたものを凍らせる、絶対零度の息吹。それがレッドキャップに襲いかかる直前、またも巨大な鎌が切り裂くように振られた。途端、冷気は霧散した。鎌は凍っていない。

 着地したチルはすぐさま相手の鎌に魔法をかけようとするが、跳ね返されてしまった。


(魔力持ちか……)


 炎も冷気も魔力も跳ね返す鎌には恐らく魔力が託されている。レッドキャップは魔力保持者だ。彼らの中には、魔女や魔法使いでなくとも武器に魔力を託して戦う者が少なくない。レッドキャップもその内の一人なのだろう。


(めんどうだ)


 チルはあまり運動神経が良くない。戦う手段は魔法一筋だ。故に、魔力が切れたら終わり。

 それでも、相手が非魔力保持者であればこちらに分があると思っていた。短期決戦で魔力が切れる前に決着をつければいいのだ。それができる自信があった。


 だが、相手が魔力持ちなら話は別だ。魔法には自信があるが、チルの方は切れたら終わりだ。無論、運動神経では確実に劣るだろう。


(どうしようか)


 目線はレッドキャップから離さず、勝つための方法をチルは考える。魔女や魔法使いならともかく、普通の魔力保持者は相手を攻撃出来るほどの魔法は使えないはず。

 レッドキャップの攻撃手段は鎌だ。魔力が流れている分厄介だが、それを奪ってしまえば相手は攻撃が出来なくなるはずだ。


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