プリンどら焼き
「いらっしゃい……ま……」
来客を報せる音楽が鳴ったので反射的に入り口の方を向き挨拶をしようとしたが、僕はその言葉を最後まで言えずに呑み込んだ。
入り口には暗い表情の女の人がぽつんと佇んでいた。
長い髪がだらりと垂れ下がり、顔の左半分が隠れて見えない。
秋も深まり、夜気が肌寒く感じる頃にも関わらず、半袖の赤茶けたTシャツに、赤色の妙な水玉模様のスカートといういでたちだった。
女は入り口の自動ドアの真ん中でずっと佇んで、一向に入ってくる素振りがない。
「いらっしゃいませ。どうぞ」
あんなところに突っ立って入られたら他のお客さんが来ても入ってこれない。まあ、この時間帯のコンビニだと、そうそう来客はないのだが、邪魔であるのは変わらない。
「どうぞ。お入りください」
僕はもう一度女の人に入ってくるように声をかけると、ようやく女は体をグラグラさせながら入ってきた。
なにかゾンビを思わせる歩き方だった。
女はゆっくりとコンビニの奥へと歩いていく。僕はその女の人の様子をチラチラと盗み見した。
見るからに怪しい。
万引きをするつもりなのかもしれないと思った。
女は緩慢な歩みでパンの棚やお菓子の棚を通りすぎ、更に奥へと進んでいったが、やがて、プリンや生ケーキの要冷蔵の陳列棚で歩みを止めた。
そこでなにかを探している様子だったが、不意にレジの方に戻って来た。
僕は慌てて顔を伏せ、目を合わせないようにした。視界の片隅に女の赤茶けたシャツが入ってきた。間近で見るとシャツの地はクリーム色でそれに細かな紋様が重なりあって遠目では赤茶色に見えていることが分かった。
「…リン……焼き」
女が唸るように言った。
何を言ったのかよく聞き取れなかった。なにか泡が弾けるようなゴボゴボという耳障りな音が声に混じっていた。
「はい?
すみません。もう一度お願いできますか?」
僕は顔を上げずに聞き返す。何故か目を合わせてはいけない気がした。
「プリン、……どら焼き」
女が言ったのはそれだけだった。
プリンどら焼きが欲しいのだろうか?生ケーキの陳列棚で何かを探していたのできっとそうなのだろう。
僕は急いで生ケーキの陳列棚の行って、プリンどら焼きを探した。だが、この時間帯だと生ケーキの陳列棚の商品はほとんど売れてなくなっていた。
僕は必死になってプリンどら焼きを探した。売り切れていると言ったらあの妙な客がどんな反応をするのか想像するのが嫌だった。
(あった)
棚のすみの方に一個だけあるのを確認して僕は胸を撫で下ろす。
僕はそれを引っ掴むとレジに戻り、プリンどら焼きを女の前に差し出し、金額を伝えた。
会計を済まして一刻も早く帰ってもらいたかった。
「……違う」
女がゴボゴボと言った。
「へっ?」
意味が分からず、呆けたように聞き返す僕の腕を女はがっしと握った。ぶよぶよした不思議な感触だった。おまけに氷のように冷たい。粘度の高い冷えた油を腕に垂らされたような嫌な感触だった。
「違う、違う、違う
これはプリン生どら。私が欲しいのはプリンどら焼き、プリンどら焼き、プリンどら焼き」
女は僕の腕をぶんぶん振り、ヒステリックに叫んだ。
「ちょっと、お客さん。
ら、乱暴は止めてください。ならプリンどら焼きは有りません。申し訳ありませんが売り切れです!」
正直、『プリンどら焼き』と『プリン生どら』が同じものなのか、違うものなのか分からなかった。
女が違うと言うなら違うのだろう。
だが、そんなことはどうでも良かった。
この妙な客から一刻も早く解放されたい、それだけだった。
「プリンどら焼き買って帰らないと、プリンどら焼き買って帰らないと私、殺されるのよ。
プリンどら焼き、プリンどら焼きを出して!」
女は僕の首に手をまわすと僕の顔を強引に持ち上げた。
女とまともに目があった。
いや、正確には合っていない。何故なら、女には目がなかったからだ。
白く濁った白眼が僕を睨みつけていた。髪が揺れ、隠れていた女のもう半分の顔が露になる。
女の左半分は潰れていた。何かハンマーか何かで何度も叩かれように潰れ、赤黒く割れていた。
「うわ、うわ、うわ!」
僕は悲鳴を上げて、渾身の力で女を突き飛ばした。反動で僕もレジの後ろの棚に背中を強かに打ち付ける。バラバラと頭の上に煙草の箱が落ちてきた。
腰が砕けてしゃがみこむ。
ガタガタ震えながら、僕はレジを見上げた。今にもあの女がレジから顔を出しかもしれないと思いながら……
結論から言えば、レジから女が顔を出すことはなかった。
5分程、その時の僕には1時間にも感じたけれど、してから恐る恐る立ち上がってみると、女の姿は何処にもなかった。自動ドアが開けば音楽がなる仕組みになっているので出ていったらきっと気づいたはずだ。
女は忽然と消えていた。
後で防犯ビデオを見てみたが、その時間帯の記録には何故か酷いノイズが乗って何がなんだか分からない状態だった。
あの女が一体なんだったのか分からない。
ただ、この世の者ではないのは確かだろうと思う。
2018/10/14
2019/04/16 誤記修正しました