天上院さんは初心
私が守谷くんの手を引いてやってきたのは、図書室でした。
鍵を開けて中に入り、再び鍵を閉めると、守谷くんと相対します。
――わ、我ながら、なんと大胆なことをしてしまったのでしょうか。
他に人がたくさんいる教室の中で守谷くんの手を引き、あまつさえ彼を連れて駆け出すなんて…!
まるでラブコメみたいです。少女漫画のワンシーンを彷彿とさせます…男女の立場が逆ならば。
なんで私が王子様役をしているのですか。普通逆ですよ、逆。私がお姫様ですよ!お姫様というよりは魔女みたいな見た目ですが。やかましいです。
守谷くんは未だ状況を掴めていないようで、顔面にクエスチョンマークを浮かべながらこちらを見ています。混乱して言葉が出ないご様子の守谷くんに代わり、私から声をかけることにします。
「あの、も、守谷くん。ここなら、誰にもみ、見られません」
「…はっ!て、天上院、さん?なんで図書室に?というかどうして俺のこと引っ張ってきたの?ってか、手!手が!」
我に返った守谷くんは怒涛の勢いで私に質問攻めをしてきます。
まったくもう、騒がしい人ですね。確かにいきなりこんなところに連れ出したのは私ですが、リア充なら持ち前のコミュ力、というものでこういった展開にも落ち着いて対処できるものではないのですか?
それに質問は一つのセリフにつき一つにして欲しいものです。私が処理しきれません。私のコミュ力はたったの5なのですから。ゴミです。
「えと、順番にお答えしていきますね。なぜ図書室なのかというと、私が、一応図書委員ということになっているから、です」
「図書委員?」
「です。それでその、今日はわ、私が当番なので、鍵を持っていた、ということなのです」
「な、なるほど?」
この学校の図書室は基本的に昼と放課後以外は閉め切られており、その鍵は各クラスの図書委員がローテーション制で管理することになっています。
今日は私が担当だったため、たまたま図書室の鍵を持っていたというわけです。
当然この時間、図書室に他の人はいません。人の目を気にせずにお話をできます。
私がこれからするお話は、あまり他の人に聞かれたくはない類のお話ですから。
「次は、どうして守谷くんを連れてきたのか、というとですね。それは、わ、私とあなたのここ、交際、についてのお話をしたかったから、なのです」
「こ、交際、ね」
…それにしても守谷くん、先ほどからオウム返ししかしてくれません。
顔を赤くして、チラチラと目線を下にやったりと非常に挙動不審です。まだ呆けているのでしょうか。
ちゃんと聞いてほしいものです。私、これから結構大事なことを言おうとしているのですから。
「はい。あの、もしかして守谷くんは、私とのこ、交際を、止めたいのではないか、と思いまして」
「…え?」
守谷くんは、更に呆けたような表情を向けてきました。
…私がこんなことを言い出したのは誰のせいでもない、守谷くんのせいなのに、です。
正直に言いましょう。
私は昨夜、とても舞い上がっていました。
別に私は守谷くんが好きだったわけではありませんが、あんなにも熱烈な告白を受けたのは生まれて初めてでしたし、か、彼氏というものができたのも人生初でした。
どんな風に付き合っていくのかな、とかどこにデートに行くのかな、とか。
たくさん妄想を膨らませて、自分でもわかるほど浮かれていました。
ですが、守谷くんと別れてから、私に連絡が来ることはありませでした。
普通、付き合いたての男女というものは、頻繁に連絡を取り合って、携帯の中でもイチャイチャしているものではないのでしょうか。
私はそんな甘ったるい展開を期待していたわけではありませんが、それでも話したことのない状態から付き合い始めたわけですから、連絡の一つくらいしてくれてもいいのではないでしょうか。
…私からすればいい?ふふ、面白いことをいいますね。私のコミュ力は(以下同文につき省略)。
そして今朝、教室に来てみると守谷くんは机に突っ伏したまま何やら悩んでいるご様子で声をかけづらい状態でしたし、挙句の果てには別の女の子を連れて私に会いに来やがりました!
普通付き合いたてのカップルというものは、なんと言いますか、「あ…○○くん、お、おはよう(照れ照れ)」「あ、あぁ…おはよう(照れ照れ)」みたいな甘酸っぱい感じのやりとりがあるものではないのですか?
それをお付き合い二日目から別の女を連れて話しかけて来るなんて…流石はチャラ男さんです!金ピラさんです!分かっていたことですが、あまりにもチャラすぎではないでしょうか!
ムカッとして思わずスルーを決め込んでしまいました。
ですがそこで初めて、私は彼が交際をする気がないのではないか、と思い当たったわけです。
浮かれていたのも、連絡がこなくて落ち込んでいたのも、全部私の独りよがりな感情だったのではないかと、思ったのです。
だって、よく考えれば分かることです。だって、
「だって私のような地味っこと、守谷くんのようなリア充のチャラ男では、つり合いなんて到底、とれていませんから」
「そんなことない!」
暗い思考に支配されて、俯いていた私の顔を上げたのは守谷くんの発した、大きな声でした。
「つり合いなんて知ったことか!つり合っていないのなら、つり合うように努力すればいい。俺は、俺は何をしてでも、天上院さんとこれからも付き合っていきと思っている!誰に何と言われても、絶対にだ!何があっても絶対に、絶対に!君のことを離さないから!」
――な、な、な…なんてクサいセリフなのでしょう!
今どきこんなクサすぎるセリフを、こんなに真剣な表情で言い切ることのできる方が他にいるでしょうか?
まるで先ほどまで読んでいたライトノベル『根暗・オタク・ぼっちの三重苦背負った僕が異世界転生した結果ww』で主人公がヒロインに告白をするシーンみたいです。
なんですか、守谷くんはリアル主人公なんですか?ライトノベルの読みすぎなんじゃないですか?いえ、そういう類のものは読まないと前に仰ってましたね。じゃあ本当にリアル主人公じゃないですか!
なんですか、それ。これじゃあ、まるで、まるで。
――私、本当にヒロインみたいじゃないですか。
私なんかがヒロインだなんて、勘違いしちゃうじゃ、ないですか。
…私がオタクだから、なのでしょうか。
私がオタクだから、こんなクサいセリフにも、ヒロイン扱いされることにも、喜んでしまうのでしょうか。
分かりません。この気持ちがなんなのか、地味っこオタクの私には分かりません。
でも、ただ一つ。一つだけ確信できたことがあるとするならば。
これからも、そんな守谷くんと付き合っていきたいと、そう思ってしまったのでした。
「え、えと、あの。あ、ありがとうございます。す、すみませんです。つまらないことを言ってしまって」
「い、いやこっちこそ急に大声出して悪かったな」
お互いに謝り合い、顔をそむけます。
というより、なんだか恥ずかしくてまともに守谷くんの顔を見ることができません。
私、今きっと人生で一番顔を赤くしています。
わ、話題を変えましょう。こんな甘酸っぱい雰囲気、恋愛偏差値20以下の私の手には負えません。
そうです!そういえば最初の質問攻めの時、彼からされた質問でまだ一つ答えていないものがあったはずです。
「そそそそ、それでは最後の返答ですね!えと、守谷くんは手がどうのと仰っていま…した……が…?」
「あ、それはその…」
ふと、目線を下に下げると。
しっかりと握られた私と守谷くんの手が、そこにはありました。
そういえば、教室から、手、繋ぎっぱなし、でした、か?
「あ、あの、これはですね?気が動転していたといいますか、決して故意ではなくただ気づかなかっただけといいますか、ツンデレ風に言いますと別に手を握りたかったわけじゃないんだからね!という感じでして、ですからその、はい、……すみません」
「い、いや。俺もすぐに言えなくてごめん」
おずおずと手を離す私の顔は、本日二度目の人生で一番を、更新していたのでした。
「そ、そうだ!俺も天上院さんと話しておきたいことがあったんだ」
さらに糖度を増した雰囲気を払拭するかのように、守谷くんは努めて明るい声で話題を変えようとしてくれています。
もう恋愛赤点組の私にはとても手に負えませんので、ここはリア充守谷くんにお任せすることにします。
「俺と天上院さんとのこ、交際のことはさ、他の人たちには秘密にしておいて欲しいんだ」
「あ、そ、それは私からも是非、お願いしたかったです」
守谷くんの交際を隠そうという提案に、私はすぐに同意しました。
だって、私なんかがリア充の守谷くんと付き合っていると知られたら、他の方から何を言われるかわかったものではありません。
特に、あのギャル子のハルカさん。
先ほど昨日のことを謝っていただいたときには、意外と優しいお方なのかもしれないと認識を新たにはしましたが、それでも守谷くんと付き合っていると知られた日にはどんなことをされるでしょうか。
想像しただけで面倒くさいです。
それというのも、彼女は守谷くんのことを――
「そ、そっか!じゃあそういうことで、そろそろ教室に戻ろうか」
「あ、は、はい。そうです、ね」
――と、考え事をしていると守谷くんに声をかけられました。
確かに、そろそろ教室に戻らないといけませんね。私たちが教室を飛び出してからどれほど時間が経ったのでしょうか。そろそろ朝のHRが始まる時間になってしまうかもしれません…おや、これはフラグでしょうか?
「HRが始まってから二人で戻ったら、何を言われるかわからな」
――キーンコーンカーンコーン。
「「あ」」
守谷くんの言葉を遮ったそれは、無慈悲にも朝のHRの始まりを告げる鐘の音でした。