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エピローグ 1

日がほとんど沈みかけ暗くなった公園に、一人取り残される。


自分の唇をなぞりながら思い出すのは、先ほどのキス。


正確には、その直前のこと。


あの時、俺は本気でキスを止めようとした。


天上院さんの顔が脳裏に浮かんだ時、反射的に声を出そうとした。


だが、それは叶わなかった。




――思えば、天上院さんはいつも猫背だった。


それは彼女の外見的な特徴ではあったが、この二ヶ月ほどですっかり慣れてしまった俺はそのことをすっかりと忘れ、身長がそこまで高くないと錯覚してしまっていた。



そしてラブ娘のサイドテールから漂ってきたシャンプーの香り。


紛れもない、バニラの香り。



極めつけは、キスの直前にラブ娘が口にした言葉。


いや、もしかしたらそれは、彼女自身でさえ口にしたつもりはなかったのかもしれない。


声量はおろか、口の動きでさえ最小限で、普通なら到底気づかないであろうその言葉。


きっとラノベの難聴系鈍感主人公なら気づかなかっただろう。それどころか「え、なんだって?」と聞き返していたかもしれない。


だが、俺は気づいてしまった。気づけてしまった。


ラノベの主人公には、なれなかった。



『――ごめんね、()()()()



と。


彼女は確かに、そう言った。そう言った、気がした。





――本当は、最初から気づいていたのかもしれない。


けど、無意識のうちに気づきたくないと、頭が理解を拒んでいたのかもしれない。



だって、俺は中学のあの時に決めたんだ。もう三次元の女に恋をすることはない。もうあんな思いはしたくない、と。


だけど、それなのに。


いつかの光景を思い出す。


天上院さんと、廊下でぶつかったあの日。



『もしかして、俺は彼女を…い、いやいやいや。そんなことあるわけない。


だいたい俺はギャルっぽい子がストライクゾーンなのであって、天上院さんみたいな地味っこは球種で例えるならカーブ寄りというか――』



そんなことを、思った。


好きになるわけがない。天上院さんのような地味っこを、好きになるわけがない。俺はギャルが好きなんだ、と。


じゃあ、天上院さんが地味っこじゃなくなったら?ギャルに、なったなら?


いつか見た天上院さんの素顔が、今日一日ずっと見続けていたラブ娘の顔に重なる。


そうだ、俺は結局、ラブ娘のキスを止めることができなかったじゃないか。


心を押しとどめていた防波堤のようなものが、瓦解したかのような感覚。


俺は頭を抱えながら、その場にしゃがみ込んだ。




――俺は、ラブ娘が…天上院さんが、好きだ。




その事実が心にストンとはまり込んだと分かった時、俺はぐしゃぐしゃと頭を掻きむしった。



―――――



「はぁ、はぁ、はぁ。」



もう、どれくらい走ったか分からない。


ピンク色のサイドテールを揺らしながら、わたしは人目もくれず、ただひたすらに走り続けていた。


頭をよぎるのは、さっきの、キス。


――守谷との、キス。


頬に熱が集まる感覚を振り切るように、わたしはさらに足を速めた。



そうして走って、走って、走って。


もう足が動かなくなったころ、わたしは家に辿り着いていた。


家の戸を開けると、ゴールデンレトリバーの『ワンチャン』がわたしを出迎える。


いつもなら一通り撫でまわすところだが、今のわたしにそんな元気はなく、わたしはワンチャンの頭を一撫ですると自室へと向かった。


本棚に囲まれたベッドの上に倒れこみ、足をバタつかせながら悶絶していた。



「キスしちゃったキスしちゃったキスしちゃったキスしちゃった…」



口に出し改めてその事実を思い出し再び羞恥に悶えるという、なんとも頭の悪いことをしながらわたしは葵くんに言った言葉を思い出していた。



『わたしは、ね。守谷が、守谷が好き』

『違うの、多分葵ちゃんが思っているも、きっと、もっと、ずっと好きなの。アクセサリーなんかじゃない。誰でもなんてよくない。守谷郁男のことが、好きなの』

『――それをスルーできるほど、わたしの好きは浅いもんじゃない!』



それは、わたしの本心であり、どうしようもないほどの本音であって、嘘偽りのない真実だった。



そうだ、わたしは。私は。守谷くんが、好き。守谷くんのことが、好きです。


だから譲りたくありませんでした。


今日のデートを、ハルカさんに譲りたくなかったんです。


心がポカポカするような、そんな気持ちが湧いてきます。ですが――。


私は体を回して横を向き、姿見に映る自分の格好を見ました。


そこに映っているのは、ド派手な髪の色をして、チャラチャラとした服装をした、私の姿。


守谷くんに告白された日の、あの日の言葉が、私の気持ちを押しとどめます。



『そうだよ!ギャルなんて全然好きじゃないぜ、うん。――』



心が、チクリと痛みます。


ほんの少しなんかじゃありません。チクリと棘のように刺さったその言葉は、わたしの心を執拗に痛めます。


ズキズキ、ズキズキと。



もしも、バレてしまったら。


もしもバレてしまったら。守谷くんにバレてしまったら。


()()()()()()()()()()()()()()()ではありません。


()()()()()()()に、気づいてしまったならば。



ふと、枕元に置いてあるライトノベル、『根暗・オタク・ぼっちの三重苦背負った僕が異世界転生した結果ww』の表紙が目に入りました。


大きく描かれた卑猥な格好をしているヒロインの横に、小さく写る主人公の佐藤くん。


昨今のライトノベル主人公の例に漏れず、難聴系鈍感主人公である佐藤くんを見て、私はこう願うことしかできませんでした。




――あぁ、守谷くん。どうか。どうかあなたも、ライトノベルの主人公でいてください、と。


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