デートの締めはいつもと違って
よく小説なんかのキスをする場面で『一瞬にも永遠にも感じられた』、なんて表現をすることがあるけど、あれはよく言ったものだと、心の底から思った。
目前に広がるのは、濃いめに塗られたチークよりもはるかに赤く彩られた頬をした、ラブ娘の顔。
グロス越しに伝わる唇の熱。鼻中に広がるシャンプーの香り。
耳を汚す無粋な雑音など一切聞こえず、夕陽の暖かさと静寂だけに包まれている。
時の流れは遅々として進むことはなく、過活動を起こす心臓の鼓動がこの刹那に幾度胸を打ったか分からない。
永遠に続くと思われたその行為は、しかし、横から聞こえた何かが落ちる音によっていとも容易く終焉を迎えた。
突然の物音に慌てて距離を離した俺たちは視線を合わせるなんてことができるはずもなく、お互い、無理矢理に背景に目を凝らす。
木陰の角度にも、公園の時計の長針にも一切の変化は見られず。唯一変わっていたのは、葵の持っていた傘だったものがその手から離れ、地面に横たわっていた点だけだった。
暫くして、ある程度落ち着きを取り戻したラブ娘は、葵に対して指をさしながら言った。
「こ、これで満足、したでしょ?わたしたち、こういうことだから。だからもう、守谷に過干渉することは止めてくれるよね?」
葵は、何も答えない。
ただ黙って下を向き、肩を震わせているだけだ。
ずっと、ずっと。
木陰は徐々に背丈を伸ばし、どこからか車のエンジン音が聞こえる。
――流石に、返事くらいしたらどうなんだ?お前が言いだしたことだろう。
いつまでも顔を上げない葵に業を煮やし、俺は声をかけることにした。
「…おい、葵。何か言ったら――」
「――お兄ちゃんは!」
俺の声を遮るように、葵は慟哭し、顔を上げた。
その顔は涙でぐちゃぐちゃで、丸くくりっとした目も、小さく整った唇も、歪な形に歪み切っていた。
久しぶりに、随分久しぶりに見てしまった葵のその泣き顔は、あの日見た顔と違うことはなく。それが俺の心に、鋭い杭となって突き刺さる。
葵は、さらに続ける。
「お兄ちゃんは、僕じゃダメなの?僕とじゃ幸せにはなれないの?僕とは、一緒にいてくれないの?」
真剣なまなざしで俺を見つめる葵。
俺は、ちゃんと答えなければならない。兄として、天上院さんの彼氏として。
「…葵。俺はこれからもお前と一緒にいるよ。お前と一緒に幸せに過ごしていくよ。約束する。ずっと、一緒にいるよ」
「なら…!」
「…でも!でもそれは、家族として、だ。葵は俺にとって大切な家族だ。大切な兄弟なんだ」
「――っ」
「俺は葵が好きだよ。でも、それは家族としてなんだ。俺が好きなのは、俺が恋愛的な意味で好きになったは、お前じゃないんだよ」
家族として。
その言葉を、繰り返すように葵に突きつける。
お前は、違うんだと、葵に現実を突きつける。
心が張り裂けそうだ。昔の葵を、嫌でも思い出してしまう。
俺がこんな顔をさせてしまったのだと、とめどない罪悪感が押し寄せる。
でも、言わなければならない。それが、今日という日をセッティングしてくれた天上院さんへの、誠意だと思うから。
「――僕じゃダメなのは、家族だから?」
「…あぁ」
「僕じゃダメなのは、お兄ちゃんが、お兄ちゃんだから?」
「…そうだ」
「僕じゃダメなのは…僕が、僕が、弟だから?」
「…そう――」
「おとうとーーーーーっ!?」
――ふぁぁ。俺にしては頑張って保っていたシリアスな空気が途切れちゃったよ。
原因はもちろん、ラブ娘から発せられた大声だ。
見ると彼女は、目を見開いて葵のことを凝視している。口からは「そういえば妹とは一度も…え、でも…え?」と困惑が零れている。
何をそんなに驚いて…あぁ、そういえばさっきは空気を壊さないように余計な横やりは入れまいと黙ってたけど、そういえばラブ娘は勘違いしてたっけ。
「葵は妹じゃなくて、弟。正真正銘の男だぞ?」
「おとこのこーーーーーっ!?」
今度は手を組みながら叫び出したラブ娘。その目は先ほどまでと違いキラキラと輝いているように見えた。
そして、ラブ娘は葵の周りをぐるぐると周りながら「ムフフフフフ…」と口に出しながらニヤニヤし始めた。
中心にいる葵はシリアスをぶち壊されたからか、はたまたラブ娘の表情と奇行に恐れてか、泣き顔から引き顔に変わっていた。ちなみにお兄ちゃんも引き顔です。
暫くそうしていたラブ娘はやがて立ち止まり、疑問を口にした。
「え?葵ちゃ…葵くんは男の子、なんだよね?」
「…そうですけど?なんで気づけないんですか、鈍感な人ですね」
「でも、お兄ちゃんの…守谷のことが、恋愛的な意味で、好き?」
「…そうです。そうですよ。あなたなんかより、ずっと前から好きだったんですよ。何かおかしいですか?」
「そっか…あ、いや、別にそれについてどうこういうつもりはないよ。私的には全然ありというかむしろ美味しいというか…って、そうじゃなくて!」
ラブ娘は未だ興奮した面持ちでこちらに目を向ける。
「でも、守谷は…」
「俺は女の子が好きだ」
「言い方」
「…うん、ごめん。俺は今の彼女が好きなんだ。だから、葵の気持ちには答えられない。分かってくれ」
再三の、拒絶。
だが、今度は葵の顔が暗くなることはなかった。
葵は大きくため息を一つつくと、俺たちに向けて呆れたように言った。
「分かりました、分かりましたよ。キスすればもう余計な手出しはしないって言ったのは、僕ですから。もう、邪魔しません。でも――」
今度はラブ娘だけを見ながら、
「僕の、大切なお兄ちゃんです。真剣に向き合ってくださいね」
「…うん、約束するよ」
ラブ娘も、葵の目をしっかりと見ながら答えた。
その答えを聞いた葵は満足したかのように目を伏せると、フリフリのスカートの裾を摘み、優雅に一つお辞儀をすると、
「それじゃ、お兄ちゃん、淫ピさん。どうかお幸せに。僕はこれで失礼させてもらいます」
そう言って、小走りで走り去っていってしまった。
ちなみに傘だったものはしっかりと持って行った。偉い。
それにしても…葵の奴、案外あっさりと引いたな。
いつもの様子からして、もっと食い下がったり、最悪の場合は実力行使もあるかと身構えていたんだが…。
まぁ、平和的に解決できたならよかったよかった。
…ラブ娘にも、お礼を言わないとな。
そう思って彼女を見ると、彼女もちょうど俺の方を見たようで、偶然視線が交差した。
さっきのキス以来、初めて目が合った。
キスを思い出し、思わずそっぽを向くと、ラブ娘も同時に顔を逸らした。
――こ、ここは男である俺から声をかけるべき、だよな。うん。流石に、これ以上男らしさの欠如を、見せてはいけない。
鼻の頭をポリポリと掻きながら、ラブ娘に声をかけた。
「…あのさ、ラブ娘。さっきはその、ありがとう」
「…別に。わたしが思ったことを言っただけだし、キ、キスだってわたしが勝手にしただけだし」
「でも、初めてだったんだろ?」
「――!?は、はぁぁぁぁ!?ななななんでバ…いや、なんでそんなこと言うのさ!」
ラブ娘を気遣って謝ろうと思ったら、とても動揺された。
まさか、あの態度で気づかれないとでも思ってたんだろうか。
「だって…」
「わ、わたしを誰だと思ってんのサ!数多の雑誌の表紙を飾ってきたスーパーウルトラカリスマギャルのラブ娘様だぞ!それが、は、初キス、とか…ありえねーだろ!」
「いや、セリフも表情もすっごい嘘くさ…」
「と・に・か・く!あんたはそんなこと気にしなくていいから。それよりも、これでとりあえず一件落着ってことでいいんだよね?」
「…あぁ、多分もう大丈夫だと思う…多分。葵のことだから完全に大丈夫かは分かんないけど…」
「そ。んじゃ、わたしはもう帰るから。結愛にもわたしから簡単に説明しとくよ。もちろん、さっきのは二人だけの…三人だけの内緒、ね?」
そう言って俺の唇に人差し指を当てるラブ娘。
本来ならドキドキするところなのだろうが…いや、現にドキドキはしているが、それ以上に真っ赤な顔をしたラブ娘を見ているとそこまで動揺することはなかった。
「そんじゃ、ばーい!あ、今日のデート、けっこー楽しかったよ♡」
早口気味にそう言ってラブ娘は小走り、どころか全力疾走で走り去っていった。
こうして、俺たちの嘘のデートは幕を閉じたのだった。




