フライが一番美味しいと思う
キス…キス…kiss……。
「「はぁ!?キス!?」」
葵からの突拍子もない提案に、思わずラブ娘とハモってしまった。
このマセガキはいったい何を言ってるんだ。
キスって、あれだよな?魚のキスのことだよな?天ぷらにしたら美味しい、あのキスのことだよな?
「キ、キ、キスってあれでしょ?魚のキスのことっしょ?揚げたら超美味しいよねぇ?」
「…そういうのいいですから」
心底呆れたようなジト目でラブ娘を睨む葵。ごめんな、お兄ちゃんも同じこと考えて現実逃避してたよ。
キスで証明って…確かに、漫画とかじゃよくあるようなシチュエーションではあるけど、まさか実際にすることを要求される日がこようとは。
――いやいや、冷静に考えて無理に決まってるだろ!
そりゃ本当にできれば俺たちがカップルであると葵に強く印象付けることはできるだろうけど。実際のところ、俺とラブ娘は今日初対面なんだぞ!出会って数時間でキッスって、それなんて大人のビデオ?
というよりも、そもそも葵の前でキスをするって発想がもうおかしいだろ!なんで家族の前で恋人とのキスシーンを展開しなきゃいけないんだよ!あれだよ、居間で家族団欒しているときにテレビで過激なベッドシーンが流れるが如き気まずさ、恥ずかしさだよ。いや、どう考えてもそれ以上だよ!
とりあえず、葵に抗議しなければ。
「なんでキ、キスなんだよ?証明する方法なんて他にもっとこう…色々あるだろ!漫画の見すぎだって!」
「…盛大なブーメラン、とは言わないであげる。なんでって…だってキスは、お兄ちゃんが僕に絶対にしてくれなかったことだから」
「当たり前だろ!実の家族なんだし、それに俺もお前も…」
「だからこそ、だよ。僕とは当たり前にできないからこそ、お兄ちゃんとそこの淫ピが付き合っている確固たる証明に成り得るんだよ。というより、僕はそれ以外の方法でお兄ちゃんたちの関係を納得する気は微塵もないから。お兄ちゃんたちのキスを見てから、決めるよ」
「…おいそれ、見てから決めるってなんだよ。そこはもし仮に俺たちがキスしたとしたら、素直に諦めるって断言するところだろ」
「…さぁ、どうするの?お兄ちゃん?」
「おい!」
…くそっ、滅茶苦茶だ。
葵はもう言いたいことは言ったって表情をしてるし、これ以上何を言っても聞くことはなさそうだ。言ってることは全然筋が通ってないのに、自己完結してやがる。
どうすればいいんだ。
俺のファーストキスがどうとかは、この際どうでもいい。というよりラブ娘みたいな美ギャルとキスできるなんてむしろ役得…ごほん、話を戻そう。
けど、ラブ娘に関してはそうはいかない。確かに彼女は遊んでそうな見た目だし、男慣れしてそうな行動や言動もしていたけれど…さっきの反応、魚のキスのくだりを思い出すと、とてもキス経験者とは思えなかったんだが。なにせ、未経験者の俺と同じリアクションを取ってたからな!信用度はピカ一だ!何も嬉しくないけど!
現に彼女は、未だ頬を赤くし、両手を頬にあてながら「キスって…キスって…」とうわごとのように繰り返して呆けている。
もし仮に彼女がキス未経験の純情ギャルだった場合、そんな彼女の初めてに、仮の彼氏でしかない俺がなるわけにはいかない。
いや、そもそもラブ娘にはそこまでする義理なんてないんだ。これは、俺の私情でしかないんだから。彼女を、俺の問題に巻き込んでしまっているだけなんだから。
それに、彼女を…天上院さんを、裏切ることになってしまう。
俺は小声でラブ娘に話しかける。
「な、なぁ、ラブ娘?」
「ひゃいっ!?ちょ、ちょちょちょちょっと待って!ま、まだ心の準備がぁ!」
「落ち着け!何もしないから!」
話しかけただけでものすごく取り乱された。
ゆでだこみたいに真っ赤な顔であわあわしている様はとても可愛いのだが、いかんせん今はそんな場合じゃない。
「キ、キスなんてしないよ!というか、できるわけないだろ!それよりも、この状況をどうやって乗り切るか考えるから、知恵を貸してくれよ」
「は……あ、あぁ、しないんだ。できないんだ…ま、そりゃそっか…でもさ、葵ちゃんはキスしなきゃ納得しないって言ってるでしょ?」
「そんなの葵の都合なんだから無視していいんだよ!それに、ラブ娘にそこまでさせるわけにいかないだろ。キスってのは、自分が本当に好きな相手とだけするべきだ」
俺がそう言うとラブ娘はキョトンとした表情を浮かべ、その直後、腹を抱えて笑い出した。
「ぷ…あっははははははは!…守谷ぁ、そんなチャラい見た目でそのセリフは似合わないってーの!」
「お、おい、茶化すなよ!俺今けっこう真面目な話を…」
「ふふっ、ご、ごめんごめん。茶化してるつもりはないんだけどサ…」
あまりに大笑いするものだから、葵に話の内容が聞こえてるんじゃないかと思って横に目を向けると、そこにはブツブツと何か呟き続けている葵の姿があった。うん、よかった、絶賛トリップ中だ。全然聞いてない。自分で言うのもなんだが、こういうところ俺にそっくりだよな。
一通り笑った後、彼女は目じりの笑い涙を指ですくいながら言葉を続ける。
「でもさ、守谷。わたしこんなナリしてるし、わたしなら頼めばキスくらいしてくれるかもーとかって、思わなかったの?」
――それは…そういえばそんな発想は浮かばなかったな。ラブ娘の初心そうな反応を見たからっていうのもあるけど、それ以前に、
「俺はラブ娘のこと、そんな都合のいい存在だなんて思いたくない。たった一日だったけど、ラブ娘と一緒に過ごした時間はとても楽しかったし、君も楽しんでくれてただろ?そんな相手を貶めるようなこと言えないし、思いたくないよ」
それが、俺の素直な気持ちだ。
偽善から出た言葉かもしれない。見栄かもしれないし、ただのヘタレかもしれない。チャラ男っぽくは、ないのかもしれない。
それでも、これが俺の素直な気持ちなんだ。俺の根っこの部分は中学から何も変わらない、ヘタレオタクでしかないのかもしれない。
ラブ娘にキスをお願いすれば、もしかしたら万事解決したのかもしれない。
――でも、できない。この気持ちを曲げることはきっとできない。この信念を曲げることはきっとできない。
なぜなら、俺は隠れオタクだから。
オタクの矜持は、そう安々と折れないものなのだから。
俺の言葉を聞いたラブ娘は「そっか」と短く呟くと、しばらくの間目をつむり、何かを思案している様子だった。
やがて彼女はゆっくりと目を開き、俺の目を見ながら、言った。
「うん、いいよ………シよっか………キス…」
上唇を軽く舐めながらそう言った彼女の姿は、あまりにも妖艶で、蠱惑的で、魅力的で、
「…………………………………は?」
今日何度目か分からない、間の抜けた声を出してしまった。
そこからは考える間もなかった。
ラブ娘に両肩をがっしりと掴まれ、俺は彼女と真正面から対面する。俺とラブ娘の身長はさして変わらないため、必然的に彼女の顔が目の前にくる。
それと同時に、彼女は葵に声をかける。
「おーい葵ちゃん!戻ってきて!今から、する、から」
「……………はっ!は、え、な、ほ、本当に…!?」
「…確認なんだけど、本当にキスしたら、これから守谷に過剰なちょっかいはかけたりしないんだよね?」
「…それは……」
「狡いことは止めて、はっきりさせて」
「わ、分かり、まし、た…自重し、ます……くっ」
「オッケー。それともひとつ。わたしが無理やりキスしたなんて、難癖つける気はないよね?」
「大丈夫、です。お兄ちゃんは、本当に好きな相手じゃないと絶対にキスなんてできません。どんなに迫られても全力で拒絶するはずです。ソースは僕の経験と、今までずっとお兄ちゃんを見てきた僕の推測、です」
「…オッケー。ならもう、問題ない、ね」
――問題大ありだろぉぉぉ!!やっと思考が追い付いた!!
え、なんでラブ娘は急に乗り気になってるの?俺のちょっといい話聞いてた?聞いてないよね?聞いてたらこんな展開にはならないもんね?
とにかく、ダメだ。今からでもラブ娘に反対を――ラブ娘の唇、小さいな――しなければ大変なことに――艶やかで、綺麗だ――なってしま――柔らかそう、だな――あああああん!考えがまとまらない!!
完全に思考がラブ娘に持っていかれてる。彼女の口元から、目が、離せない。
――ダメだダメだダメだダメだダメだ。働け、理性。爆ぜよ、煩悩!パニッシュメント、ザット、ディザイア!
「ま、待て待て待てって!ラブ娘!どうしてこんな…」
「大きな声出さないで…しょうがないっしょ、こうすれば納得するって言ってんだから、するしかないっしょ」
「わ、悪い…でも…」
「あんたがまたあの子にちょっかいかけられたとしたら、その度に結愛が悲しむでしょうが。わたしが何のためにあんたと今ここにいると思ってんの?」
「――っ!」
そうだ。ラブ娘は、天上院さんに頼まれてここにいるんだ。
天上院さんが、俺のために。
なら俺は、彼女の思いに、応える必要が…。
「じっとしてて。すぐに、終わるから」
そう言ってラブ娘は肩に置いていた手を俺の首に回し、俺たちはさらに密着する。
彼女の顔が、瞳が、唇が、すぐ目の前にあった。
彼女の吐息が頬を撫で、動悸はより一層激しくなる。
気恥ずかしさから目を閉じると、瞼の裏に浮かんだのは、一人の地味っこの姿だった。
それは、俺の彼女の姿。
本当の彼女の姿。
天上院さんの、悲し気な――。
――やっぱりダメだ!
目を開き、静止の言葉をかけようとして――
「―――――」
――ラブ娘が何かを言った。気がした。
ふわりと揺れた彼女のサイドテールから溢れたシャンプーの香りが、鼻腔を擽る。
静止の言葉は飲み込まれ、
「………んっ」
俺たちの距離は、ゼロになった。




