カリスマギャルvsヤンデレ
「お兄ちゃん…」
一歩。
「お兄ちゃん…」
また一歩と。
「お兄…ちゃん…」
ゆらゆらと、少しずつ近づいてくる葵。
目は据わり、鼻息は荒く、口は絶え間なく動き続け、手に持った傘は既に柄しか残っていない。夕暮れの仄かな暗さと長く伸びた木陰が重なった暗闇が葵の周囲を覆っている。まるで葵の持つ負のオーラが可視化しているかのようだ。
え、なにあれ。ホラーでしかないんだけど。怖い。
俺は葵からラブ娘を庇うように立ち、彼女もまた、俺の背中にしがみついて震えながら立っている。まさか葵がここまで怖い様相だとは思っていなかったのだろう、しきりに「え、ヤバ。なに、え、ヤバ」と呟いている。恐怖で語彙が死んだようだ。
だが彼女がそうなるのも無理はない。実の兄である俺でさえこんなにも恐怖を感じているのだ。足はガクガクだし、ちょっともう漏らしそう。頑張れ膀胱括約筋よ!
「ねぇ、お兄ちゃん?」
「ひっ」
バカなことを考えているうちに、葵は既に俺の目の前に立っていた。
俺よりも頭2つ分は小さいはずなのに、まるで葵から見下されているかのような威圧感を感じる。そして、葵の右手から目が離せない。その鉄骨の残った傘の柄は何に使うために持ってるの?その元傘じゃ雨からも日差しからも体を守れないよ?むしろ攻めるの?刺突武器なの?刺されるの?
悪寒が走り、背中がぞわぞわする。背後からは、生唾を飲む音が聞こえる。
そんな俺たちをしっかりと見据えたまま、葵はゆっくり、ゆっくりと、口を開く。
「今日のデート…楽しかった?」
どんな呪詛の言葉を吐かれるのかと身構えていたが、葵が発したのはその一言であった。
――あ、あれ?もしかして、そんなに怒って、ない?
「あ、あぁ、楽しかった、よ。か、彼女との、彼女との!デートだしな。楽しかったに決まってる!」
「そっか…そうだね、二人とも楽しそうだったもんね」
これは、もしかして…諦めたのか?
今日一日の俺たちのデートを見て、俺たちがちゃんとカップルであると、認めたってことなのか?
一筋の光明が見える。
「じゃあ、葵は、俺たちのことを…?」
「うん、認めるよ。そこの淫ピが、お兄ちゃんの彼女だってこと。今日のデートを見てたら、分かっちゃうよ」
「よしっ!」
「淫ピ!?」
よ、よかったー!なんとか認めてくれたみたいだ!
後ろで淫ピ呼ばわりされたことにショックを受けているラブ娘がいるが、そっとしておこう。淫乱ピンク、略して淫ピ…ピンクの髪に露出の激しい彼女の格好を鑑みるとあながち的外れな表現とも言い切れないため、フォローに困るからだ。
とにかく、これで一件落着ということでいいのだろう。
葵のことだからもっとキツく詰問されるのかと思っていたから拍子抜けではあったが、いい意味での誤算であるならば何も憂うことはない。素直に喜ぼう。いぇぇぇぇい!!
しっかし、よく葵の目を誤魔化せたな。確かに、ラブ娘とのデートは初めてとは思えない程しっくり来たし、自然に振舞えた自覚もあるけど、だからといって、あの葵が認めるほどうまくいっていたとは思わなかったよ。
まぁなんにせよ、これで俺は葵に困らされることがなくなるのか…この間の軟禁事件もそうだし、これまでにあった『睡眠薬入りおやつ事件』とか『SNSのフォロワー実は全員葵事件』とか、色々あったなぁ。思い返すと涙が出てきそうだ。そういったものに悩まされなくなるのは、正直ありがたい。葵が俺のことを好いてくれているのは、嬉しいことではあるんだけどね。
葵が俺に対するヤンデレを発揮し始めたのは、元はと言えば俺が原因ではあったから強くは言えなかったが、これで少しは自重してくれるだ…
「でもね、お兄ちゃんの彼女であることは認めるけど…僕が納得するかどうかは別問題だよね?」
「…はれ?」
俺の喜びをぬか喜びへと堕とす一言に、思わず間の抜けた声が出た。
――え、あれ?葵、さん、もしかして…
「…全然、諦めてない?」
「諦める?何を?お兄ちゃんを?なんで?僕が諦める必要がどこにあるの?なんで諦める必要があるの?ないよね?そんなものないよ?たまーに面白いこと言うよね、お兄ちゃんって」
そう言ってコロコロと笑い始める葵。
そうだ、そりゃそうだ。いったい何年葵と一緒に生活してきたんだよ、俺は。分かってただろ。それくらいのことで、葵が諦めないことなんて、分かってただろうに。
葵の狂気が、葵への恐怖が、蓋を開けて飛び出す。
「お兄ちゃんにそんな淫ピ、全然つり合ってないよ。確かにお兄ちゃんの好きそうな下品な格好に意味わかんない髪の色してるけど、そんなものに惑わされちゃだめだよお兄ちゃん。お兄ちゃんのギャル好きは一万歩譲っていいとしても、だからってそんな外見にしか価値のないような女に靡いちゃだめだよ。さっきまでのデートでも長ったらしく解説したり、ゲームセンターでは彼氏であるお兄ちゃんのことを放置したりして、仮にも彼女なんだよね?僕からしたら到底信じられないよ。彼女ならもっとお兄ちゃんのことを思って、お兄ちゃんから3メートル以上離れることもなく、お兄ちゃんが他の女と話すようなふしだらな真似をしないようにしっかりと見ていてあげるような、そういう姿勢が必要なんじゃないの?そこの淫ピは所詮彼氏っていうアクセサリーが欲しいだけの雌豚でしかないんだよ。お兄ちゃんじゃなくたっていいんだ。だってお兄ちゃんじゃなきゃダメなら、もっともっとお兄ちゃんを愛する姿が見て取れるはずだもの。それがないなら、お兄ちゃんじゃなくてもいってことと同じだよ。お兄ちゃんは誑かされてるだけなんだよ。確かに僕の今の姿はお兄ちゃんの好みではないかもしれないけど、そんなの、きっとどうにでもなるよ。思い合っていれば外見の好みなんて気にならなくなるよ。だから僕の元に戻ってきてよ。僕と一緒にいてよ。僕だけと一緒にいてよ。また、僕のヒーローになってよ。僕だけの、僕だけの、僕だけの僕だけの僕だけの僕だけの僕だけのお兄ちゃんに!!!」
葵は目を剥き、口を割き、そう叫んだ。
支離滅裂で、自分本位で、一方的な押し付けでしかない想いの丈。論理と倫理が欠如した、歪で汚い思考。狂気で彩られた、愛の告白。
ラブ娘を貶されたことに、あまりにも身勝手な言葉に怒りが湧いているはずなのに、葵の狂気に圧倒された俺の心は、脳は、言葉を発することを許さないでいた。
俺が情けなくも沈黙を貫いているうちに、いつの間にかラブ娘が俺の横に立っていた。怒っていると思ったが、彼女の横顔に浮かぶ表情は、怒りではなかった。
無表情。朗らかに笑う姿がよく似合う彼女がするとは到底思えないような、そんな表情だった。彼女は静かに葵に語り掛ける。
「ねぇ、葵ちゃん」
「淫ピが僕に話しかけないでください」
「…じゃあ聞かなくてもいいよ。勝手に話すから。お兄ちゃんの彼女とまともに対話もできない、独りよがりな妹なら、わたしが負けることなんてないもの」
「ちっ…なんですか、いったい?」
やっぱり結構怒ってるっぽいラブ娘と、挑発に乗った葵は俺の眼前で向かい合う。
「わたしは、ね。守谷が、守谷が好き」
「…そんなこと」
「違うの、多分葵ちゃんが思っているも、きっと、もっと、ずっと好きなの。アクセサリーなんかじゃない。誰でもなんてよくない。守谷郁男のことが、好きなの」
「だからなんだってんですか!?そんなこと、僕には一切なんの関係もないじゃないんですよ!」
「関係ある!関係あるに決まってるじゃん!あんた、いい加減にしなよ!」
「何、を…あなたに何の関係が」
「だって、守谷はわたしの恋人で、あんたは守谷の妹なんでしょ!?だったら関係あるに決まってるじゃん!」
「だから、僕はあなたが恋人だと納得してないと…」
「あんたの納得なんて、それこそなんの関係もないんだよ!わたしが守谷の彼女なのは、わたしと守谷の勝手なんだから!関係あるのは、わたしの、わたしの彼氏が、あんたから行き過ぎた束縛を受けてるって、その一点だけ。それをスルーできるほど、わたしの好きは浅いもんじゃない!」
ラブ娘は、言い切る。やっぱり滅茶苦茶怒ってた。
そして、す、好きとまで言われた。演技、なんだよな、当然。そうだ、演技だ、演技のはずだ。たとえ自然に見えたとしても、上手な演技でしかないはずだ。
彼女たちの言い合いはまだ終わらない。
「でも、あなたはお兄ちゃんに相応しくない!」
「相応しいとかつり合ってるとか、そんなのどうでもいい!第一あんたに決めつけられることじゃないでしょうが!」
「でも、お兄ちゃんは…」
「それに、つり合っていないのなら、つり合うように努力すればいいんだよ!そう気づいたんだ、そう気づかれたんだ。だから、私は今、今のわたしには、守谷と一緒にいる権利がある!」
「何を、何を言ってるんですか!意味が分かりませんよ!何を言ってるのか、ちっとも理解できません!」
「こんなチャラ男につり合うのなんて、同じくらいチャラチャラした女しかいるわけないでしょ?どう考えても、あんたよりもわたしの方が、絶対に絶対に守谷に相応しいってことだよ!」
「は、はぁ?ふざけるのも大概にしてください!そんなの、そんなの愛があれば…」
「なんとかなるって?思い合ってれば外見なんて関係ないって?そりゃ、思い合ってればそうでしょうよ。でも、実際に守谷が好きなのはわたしで、わたしが好きなのも守谷なんだよ。それが事実なんだよ。いい加減現実を見ろよバカ!」
「――――っ!!!」
葵は悔しそうな表情で、ギリギリと歯ぎしりをする。
怖くて、俺が今まで言うことができなかったことを、ラブ娘は何の臆面もなく葵に突き付ける。
俺ができなかったことを、彼女はやってのけたのだ。
――情けない。情けさすぎる。
言わなければ、俺だって。
ラブ娘にすべてを任せてはいけない。葵をここまで放置してしまったのは、俺なのだから。
俺は一歩を踏み出して、口を開い――
「…じゃあ、本当に好き合ってるっていうなら、見せてください。愛し合ってる証拠を、見せてください。キスしてるところを、見せてくださいよ」
――おや?そういう展開になっちゃうの?俺のこの意気込みは果たしてどうなるの?




