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再誕の旋律  作者: うどんで小判
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第三章


 ふと誰かに呼ばれたような気がして、藍里は唐突に眠りから覚めた。

 目の前には、エドルスティンの端正な顔が不自然なほど近くにあって、藍里を覗き込んでいる。

「な……なんだよ?」

「眠れないのかい?」

 優しげな瞳が心配そうに微かに細められる。

「いや、十分眠ってたよ……」

 気づくと、藍里はエドルスティンに抱きかかえられるようにして横になっていた。

 他人の体温をなんとなく居心地が悪く感じて、藍里は気づかれないようにそっと身体を離そうとした。

 だが、エドルスティンは風邪をひくよと小さく呟いて、再び藍里を腕の中にひき入れた。

「大丈夫だって」

「大丈夫じゃないよ、藍里。ドーガが言っていたけど、ホーレイ山は昼間は暖かいけど、朝と夜は凍るほど気温が下がるらしい。このテントに暖房設備はないからね。こうやって毛皮にくるまって身を寄せ合うしか暖をとる方法はない。今ここで君に熱でも出されたら取り返しがつかないことになってしまう」

「もう……再誕の時間がないってことか?」

 藍里の言葉に、エドルスティンは無言で頷いた。

 しばらく目を伏せると、藍里は徐に視線をエドルスティンに合わせ、心の中で思い続けていた疑問を投げかけてみた。

「アイリーナは……どういうヤツだったんだ? なぜ自殺したんだ? 思えば前にも聞いたことあるはずだけど、俺はまだその理由を聞いていない」

「藍里……」

 胸にナイフでも刺さったかのようにエドルスティンがきつく眉を寄せた。

 苦痛に耐えているような表情だ。

「アイリーナとは……たぶん夢で何回か会っている。それこそ幼い頃からずっと」

「夢で?」

 エドルスティンの問いに、藍里は頷く。

「最初は後ろ姿だけだった。背を向けて、泣いてばかりで……。でもこちらに来てからは、少ないけど、言葉も交わした。アイリーナが『俺』だっていうなら、言葉を交わしたって言い方も変だけど」

「……アイリーナはなんて?」

「自分のことは誰も必要としていないって。愛されてもいないって言っていた。人々が愛しているのは、彼女の力だけだって。あの時……最初に宿に泊まったあの町で暴動があっただろ? あの時、アイリーナは俺の意識を乗っ取って……そう彼女の意識が叫んでいるのを俺は確かに聞いたんだ……。自分は誰にも愛されてないって。誰もが自分を利用するって」

「それはちがう!」

 エドルスティンが声を荒げ、半身を起こした。

 とたんに夜の冷気が藍里の身体をなで上げる。

 思わず震える身体に、エドルスティンは慌てて毛皮を纏い、藍里を腕の中に抱き寄せた。

「ごめん、つい」

 エドルスティンは藍里を抱きしめる腕の力を強くした。

「でもこれだけは信じてほしい。少なくとも僕は彼女を愛していた。彼女とずっと人生を共に歩むと信じて疑わなかった。それは彼女が女王だからじゃない。聖核があるからでもない。アイリーナをアイリーナとして愛していたからだ」

「でも、アイリーナはそう思ってなかったみたいだよ」

 落雷にでも打たれたような表情で、エドルスティンは目を見開き、藍里を見つめた。

 だが、次の瞬間には目を伏せ、辛そうに唇を噛みしめた。

「そうだね……。僕は彼女に信じさせる力がなかった。愛していると思っているだけじゃ何も伝わらなかったんだ。彼女の不安な心を支える力も僕の愛にはなかったってことだ。情けないよ……」

「アイリーナってどんなヤツだったんだ?」

 藍里の再びの問いに、エドルスティンは悲しげに、そして優しく微笑んだ。

「我が儘でおてんばで高慢で尊大で手がつけられないくらいのじゃじゃ馬で……そして生まれながらの女王だったよ」

「なんだそりゃ。なんか性格最悪っぽくね?」

 藍里は呆れたような声を出す。

 エドルスティンの笑みが苦笑に変わる。

「でも……。とても優しい子だった。アイリーナは人を身分なんかで区別したりしなかった。純粋に魂の正義を愛し、人の心に巣くう隠れた悪を憎んだ」

 そう呟くエドルスティンは慈しむような笑みを浮かべ、視線を宙に向けた。

「僕はアイリーナを心から愛していた。あの気位の高さも、我が儘も、不遜な態度でさえ可愛いと思うほどに。でも、もともと僕らは小さい頃からの幼なじみで、恋人同士というより、仲の良い兄妹のように周りには見えていたのかもしれない。婚約者ということも、彼女が生まれた時から決まっていたことで、僕自身は聖核のことなんか微塵も考えていなかったよ」

「でもアイリーナはお前に愛されていないって言っていた」

「それは……。彼女がそう思いこんだのは、僕がいたらないからだ……。アイリーナは悪くない。何も……悪くない」

「エドルスティン……」

「僕のせいで、むざむざ彼女を死に至らしめてしまった。僕は……間に合わなかった」

「でも……愛されてないって思いこんで死んだんなら、何かきっかけがあったんだろ? お前に愛されてないって思いこむような何かが」

 それはエドルスティンにとって聞かれたくないことなのだろうと容易に想像はできた。

 だが、藍里は聞かずにはいられなかった。

 その自殺が衝動的にしろ、そうでないにしろ、何か要因は必ずあるはずなのだ。

 決定的に婚約者に愛されていないと思いこんだ何かが。

 死を決意したほどのことが。

 だが、エドルスティンはきつく唇を噛みしめ、目を伏せた。

 閉じた瞳からは涙が溢れ出す。

 大きな肩がまるで叱られた子供のように震えていた。

 藍里は無言のまま、エドルスティンの身体を抱きしめた。

 苦しんでいる。

 言えない何かのために苦しんでいる。

 そして取り返しがつかない過ちのために自らを責めている。

 何も言わなくても藍里にはわかった。

「言いたくないなら言わなくていいよ」

 もう無理に追求するつもりはなかった。

「お前は苦しんでいる。それだけでもう十分なんじゃないか? 俺の中のアイリーナだって、いつかはお前の苦しみはわかるはずだよ。今はまだお前の気持ちまで考える余裕はないっぽいけど」

「藍里……」

「少なくとも俺にはわかるから。お前が本当に婚約者を愛していたってことが」

 エドルスティンの長めの髪を藍里は優しく撫でた。

 いつも彼が藍里にしてくれているように。

「誓えるんだろ、自分の気持ちが真実だって」

「ああ……」

 エドルスティンは大きく頷いた。

 濡れた瞳がどこか儚げな笑みを浮かべ、腕の中の愛しい半身の生まれ変わりを縋るように抱きしめた。




■  ■  ■




 ふと目が覚めると、テントの中はまだ薄暗かった。

 設置された淡い光を出す光石が、かろうじてテントの中の様子を微かに浮かび上がらせている。

 幾重にも光を遮る布に覆われたテントの中では、夜明けを迎えたのかどうかわからない。

 あの後、エドルスティンはまるで泣き疲れた子供のように藍里の隣で寝息を立て始め、つられるように藍里もまた眠りに入った。

 エドルスティンはまだ隣で眠っている。

 藍里はゆっくりと体を起こし、音を立てないようにテントの出入り口へと向かった。

 厚い布をめくり、外に出ると、ほんのりと薄明るい赤い空が目に入った。

 気温はふるえあがるほど寒い。

 視線の先に、ドーガがまるで彫像か何かのように微動だにせず立っているのが見えた。

「何見てるんだ?」

 側へと歩み寄ると、静かにドーガがつぶやいた。

「あまり側に寄ってはいけませんよ。この下は絶壁です。落ちたらひとたまりもありません」

「みたいだな。すげー景色だ。夜へらへら出歩いたら間違って落ちそうだな」

「ここは自然に作られた砦です。ここに上ると、地平線の果てまで見渡せます。戦の折にはここを拠点とし、敵の動向を探ったといいます」

「砦ね」

「敵はこちらへ上る手段がないのです。あまりに険しすぎて」

「確かにロープを投げて頂上にひっかけて上るっていう高さじゃないもんな。城へ降りる道はあるのにな。地球にもロッククライミングってスポーツがあるんだけど、さすがにこんな高さは上れないだろうな。何メートルくらいあんだろ」

「あまり前に出てきてはなりません」

 ドーガが腕で藍里の前を塞いだ。

「わかってるよ。俺もあんま高いところは得意じゃねえし」

 赤黒い空の色。

 この星を照らしているはずの恒星の姿はどこにも見えない。

 それだけ深い障気に覆われているということなのだろう。

 ふと、視線の先に、まるでクレーターのようにぼっこりと凹んでいる場所を見つけ、藍里は指さした。

「あれはどうしたんだ? なんか凹んでね?」

「陥没してるのです。この星は崩壊し始めていますから」

「崩壊?」

「前触れもなく、村が陥没する被害が突然増え始めていると、城にも既に報告が届いています。救援を出そうにも、城の中も混乱していて……」

 感情を抑え込んだようなドーガの声に、藍里はぎゅっと拳を握りしめた。

「まるで星が急に年老いたように……。ここ一月あまりで一気に崩壊がすすんでしまいました。ここ数日は特にです。王の魂が亡く、司祭も不在では、城の中も意志もひとつにまとまらず、速やかに国を治めることもできない。議会は聖核を持つことができなかったコランダム様を否定する貴族院も多く、彼の言うことには従わない。とても民のことまで頭が回らない状態です。民にとっては救援ひとつよこさない城はまるで崩壊を放置しているようにも見えるでしょう。民の不安は暴動を起こし、城まで攻め入って来ても不思議じゃないくらい高まっています」

「だろうな。途中で見たよ」

 藍里は肩をすくめた。

「なんですって? まさか貴方に無体を……?」

 驚いて身を乗り出すドーガに、藍里は笑って手を左右に振って見せた。

「それはない。フェルドスパーもエドルスティンもいたし」

 そうなる前に、アイリーナに意識を乗っ取られたのだ。

「確かに国民を守らない議会なんか彼ら民にとって存在意義はないものな。ぶち切れるのもわかるよ。まあ星全体が滅ぶかもしれない、そして聖核を持つ者しか救えないっていうんじゃ、誰もクーデターを起こしようもないだろうけどな」

「くーでたー?」

「武力によって政権を奪うことだよ。今の議会を倒して」

「そんなことはできません。聖核を持つ者がこの国の頂点に立つ、それがこの国の宿命であり、この星を作った女神の意志ですから」

「女神の意志……ね」

 そう言えば、あの時から、アイリーナと話をしていない。

 地球にいた頃は、後ろ姿だけではあったが、三日とおかず、夢の中に現れたのに。

「こちらに来てからあまり会えなくなったのはなぜなんだろう……」

「会う?」

 ふと漏れた独り言に、ドーガが訝しげに問う。

 それには答えず、藍里は振り返り、視線を王都の方へと向けた。

 ぐるりと高い壁が、大きな円を描きながら立っているのがわかる。

 王都はその城壁の中だ。

 視線を山の麓に向けると、急な細い下り坂の道が蛇行するように延々と続いているのが見える。

 その先に待ち受けているのは深い樹海だ。

 樹海の上にも、そして王都の上にも、赤黒い不吉な空が広がっている。

「本当に急がなくちゃならないんだな」

「はい」

 ドーガが静かにうなずく。

「どうしても城の中で儀式をしなければならないのか? 時間がないならここで……」

「どこでもすぐ出来るならあなたが戻ってきた段階でしてますよ」

 皮肉めいた声が背中から聞こえてきた。

 振り返ると、長い髪を山風に靡かせながら、フェルドスパーがゆっくりと歩み寄って来るのが見えた。

 いつもの裾の長い祭司用の衣装ではなく、動きやすい軽装になっていて、胸元だけを覆った鎧を纏っている。 

「アイリーナ様と同化してない貴方では、歌は歌えない。そうでしょう? それとも歌い方を思い出しましたか?」

「……いや」

 藍里は憮然とした表情で首を振った。

「セルヴァ・ゴレでのように、突然覚醒して歌われても、今度は貴方の体力が持たない。やはり順を踏んでアイリーナ様に覚醒していただき、しかるべき場所で儀式を行うしかないのです。時間はかかりますが、それが一番確実で安全だ」

「そうみたいだな」

 小さく相づちを打つと、藍里は再び赤黒い雲に覆われた王都へと視線を向ける。

 強固な壁に守られた都。

 その中心部にあるというアイリーナが生まれ育ったという王城はここからでは見ることはかなわない。

 もう一度アイリーナと話をしたい。

 藍里はそう心の中でひとりごちた。

 思えば、セルヴァ・ゴレで藍里が倒れたときに、夢の中で言葉を交わしたのが最後だ。

 愛されてないから。

 だから、彼女は命を絶ったのだろうか?

 でもエドルスティンは彼女を愛していると言っていた。

 その言葉に嘘がないのなら、いったいどこで二人の思いはすれ違ったんだろう。

 それさえわかれば、藍里の中に確かに生きているアイリーナの魂と、もっとひとつになれるような気がするのだ。

「行こう。王都に」

 藍里は静かに、だが、力強く言い放った。




■  ■  ■




 曲がりくねった細い山道を降りる、それがどれだけ骨が折れることか、藍里は身をもって知ることになった。

 昇るよりは下る方が楽だろうと安易に考えていたが、人一人通るのがやっとの細い下り道を、足を滑らさず降りるのは難しい。

 岩肌はむき出しで、それでいて土は軟らかく崩れやすい。

 いつ足下が砕け、足を滑らせるかわからない。

 上からはからからと乾いた小さな石が振ってきて土埃を立て、時々視線を遮る。

 空にはどう猛な魔物の大群が飛び、隙あらば落ちる人間を捕らえようとしている。

 ヴェリルが絶えず旋回して、魔物たちを威嚇してくれているからいいようなものの、それがなければあっという間に一人ぐらいさらわれていたかもしれない。

 藍里たちは、背中を絶壁にぴったりとつけるようにして、そろそろと進んでいく。

 さすがにノーマに乗って狭い山道を下るわけにもいかず、彼らはヴェリルの背に預けた。

用心深く一時間も進むと、やっと少し歩幅が広がってきて、歩くのが多少楽になってきた。

 周りの景色に目を向ける余裕も出てきて、藍里は徐々に近くなってきた地上へと目を向けた。

 足下には暗く、深い森が広がっている。

「そろそろ麓か?」

「はい。もう少しの辛抱です」

 ドーガが答える。

「ですが、森の中は危険がいっぱいですよ。魔物もくさるほどいるでしょうし」

「大丈夫。僕が守るからね」

 からかうように言うフェルドスパーに、エドルスティンが生真面目に答える。

 二人の妙な掛け合いに、藍里も、そしてオリオとライラも思わず笑みを浮かべた。

「それより、コランダム様の一派が待ち受けていると考えた方がよろしいかと」

「でしょうね。敵としては人間の方がやっかいです」

 ドーガの言葉に、フェルドスパーが辟易とした調子で答える。

「私たちが飛龍を使って移動しているのはコランダム様も既にご存知ですから。ホーレイ山からの進入も当然予想しておられるでしょう」

「ま、誰が出てこようと蹴散らすまでです。もう手加減している余裕もこっちにはないですからね」

「容赦ねえな、オッサン」

「そんな褒めないでください」

「褒めてねえよ」

 呆れて肩をすくめる藍里に、フェルドスパーはどこか嘘くさい笑みを向けた。

 山を下りきると目の前には樹海の入り口がぽっかりと開いていた。

 岩ばかりの乾いた景色から、一転して空も見えないほど木々に覆われたドームへと変わる。

 たとえ障気で覆われていても、かろうじて光は届いていたのに、森の中はこの国では無縁のはずの闇が広がっている。

「これを、藍里様」

 フェルドスパーは藍里にランプのようなものを持たせた。

 小さな球体で、中に発光物が入っているようだ。

ろうそくの明かりというより電球の明るさに近い。

「不思議だな。こんな石ころが発光するなんて。テントの中にもあったよな」

「光石と言って発光する石なんだ。こんなに光るだけど、熱は発しないんだよ。この星では普通にどこの明かりにも使っている。特に森の中では火は使えないから光石は重宝するんだ」

 エドルスティンが答える。

「火事になったら我々もまる焦げですから。森の火事は怖いですよ。広がったらあーっというまにグリル焼き一丁って感じです」

 おのおの光石を持ちながら、一行は用心深く歩を進める。

 ほとんど道とは言えない獣道で、先頭に立ったドーガは、立ちふさがる古木の枝や葉を切り捨て、かろうじて人が通れるような通路を造りながら歩を進めていく。

そのすぐ後ろをエドルスティンが歩き、ドーガが除ききれなかった障害物をなぎ払い、一掃していく。

 時折、遠くから、そして一行のすぐ近くから魔物の咆哮らしき声が聞こえ、その度に藍里はびくりと肩を振るわせた。

 昔見た子供向け映画の中に出てきたどう猛な怪獣のうなり声のようだ。

 映画なら怖くはないが、現実のそれを間近で聞くとなると話は別だ。

 藍里の様子に気づいたエドルスティンが安心させるように笑顔を向けてくる。

「大丈夫。フェルドが魔物よけの香を持ってるからね。小さい魔物くらいなら寄ってこないはずだよ」

「小さいってどんくらいだよ?」

「最初、始めて会った時に、貴方が遭遇した魔物いるでしょう? あれは小さい部類ですね」

「あ……」

 あの頭がいくつもある魔物か……。

 あれもけっこう恐ろしげだったが、あれがたいしたことないのなら、まあ、大丈夫か……?

 根拠のない安心感を無理矢理持ち、藍里はなんとかポシティブに考えようと努めた。

 そうでないと、そのうち獣の声だけで腰をぬかしてしまいそうだ。

「覚醒した貴方が歌を歌ってくれたらこんな路も楽々なんですけどねえ」

 ため息混じりにフェルドスパーが後ろを振り向きながら言う。

「歌?」

「聖核を持つ者の歌は魔物も鎮めます。どんな凶暴な魔物でもね」

「もうなんでもありなんだな」

「女神に祝福されし聖核ですからね」

「フェルド! 前!」

 エドルスティンが叫ぶ。

 突然上から振ってきた魔物に、フェルドスパーは掌を向け、気を放った。

 魔物は醜悪な悲鳴をあげながら木をなぎ倒し、勢いよく飛ばされていく。

 どこかに激しくぶつかったような音が聞こえたかと思うと、次の瞬間には再び森の中に沈黙が訪れた。

「ほんと、容赦ねえなあ」

 折れた木々をみつめながら、呆れたように藍里はためいきをつく。

「容赦してどうするんです。そんなことより早く城に着く方が大事でしょ」

「そうだけどさ」

「もう少しで、城へと続く地下道へと到着します。そうしたらそこで休憩をとりましょう。その先の道中の方が長いですから」

 倒れかかっている古木を邪魔にならないようにはね除けながら、ドーガが言う。

「そうだね、食事もした方がいい。疲れただろ? 藍里」

「疲れたっていうより腹減ったかな」

「じゃあ、ちょうどいい」

 小一時間も歩くと、光も通さないくらいに深い森が途絶え、代わりに古い石垣が姿を覗かせた。

 容赦なくこけが生え、昇ることも困難なくらい、平坦な石で覆われている。

 見上げてみると、先が見えないほど高くそびえ立っている。

「これって王都を囲んでいる城の城壁ってやつ? どのくらいの高さあるんだ? 先が見えないぞ」

 半ば感嘆して藍里が声をあげる。

「地球で言うと、高層ビル六十階だてくらいでしょうかね」

「ランドマークタワーくらいってこと? 高すぎだろ。どうやって作ったんだこれ。そんな技術この国にあんの?」

「一度滅んだ古の技術でできていると言われています。同じものを今作るのはまず不可能でしょう」

 ドーガが答える。

「で? 入り口はどこに?」

 エドルスティンがドーガへと視線を向ける。

「お待ち下さい」

 鞘に収まったままの剣を胸元に抱き、ドーガは何事か低く呟いた。

 鞘に差し込まれていた青い石が、ドーガの言葉に呼応して光り出す。

「我が主の前に路を表せ」

 声をあげ、剣をかざすと、まるでパズルが解けるように、複雑に絡み合っていた石が音を立てて動き、人一人通れるほどの入り口が現れた。

「すげ……」

「それは……?」

「ゲートキーパーのみが持つことが許される疑似聖核石を埋め込んだ剣です」

「疑似聖核石?」

「古代の技術で作られた、聖核を模されて作った石だと言われています。何度か訪れたというこの星の滅亡の際に失われた技術なので、新しく作ることは今では出来ませんが、これがあれば王都のどこの入り口であろうと入ることが叶うと言います。本来、ここの入り口も、聖核を持つ王族の歌でなければ開きません。でも、許可を得た者だけが、王族の代理として疑似聖核石を持つことが許されるのです」

「ゴルヴォ・ダスタ執政官の差し金ですね。あの狸親父は無事でいるのですか?」

 フェルドスパーの言葉に、ドーガが頷いた。

「執政官殿は今身動きがとれません。コランダム様の一味に囚われ、牢の中へ……。私はかろうじてこれを預かり、アイリーナ様と合流し、その身をお守りするようにと」

「なるほど……」

「へー、いつの間にそんなことしてたんだか。いやにおとなしく牢に入ったかと思ったら、ほんと食えない親父だよな、あいつは」

 突如城壁の中から揶揄するような声が聞こえてきた。

 一同は身を固くし、おのおの武器へと手を伸ばす。

「ま、聖核を持つ王族がいなくなるとなれば、それにあやかって生きているヤツは必死にもなるか」

「コランダム!」

 藍里とうり二つの端正な顔を醜く歪め、コランダムが闇の中からゆっくりと歩いてくる。

「貴方も十分必死だと思いますけど?」

「まあね。こっちもそんなに悠長にしてるほど、余計な時間はないからな」

「それは奇遇ですね。こっちもです」

 フェルドスパーとコランダムが不遜に笑い合う。

 コランダムの後ろには数十名の鎧騎士の姿が見える。

 ドーガのものとよく似た白銀の鎧だ。

「アイリーナ。こっちに来るんだ」

 目の前の敵からは用心深く視線をそらさず、コランダムは低く言う。

 だが、エドルスティンは庇うように藍里の前に立ち、後ろに下がっているように言い含める。

 コランダムの顔がぎりりと歪む。

「アイリーナを死においやった張本人のくせに、いつまでも婚約者面してんじゃねえよ。胸くそ悪いんだよ、てめえ!」

 剣を抜き、コランダムは感情の爆発するままにエドルスティンに斬りかかった。

「たとえそれが事実でも、君にそんなこと言われる筋合いはない! この世界を滅ぼそうと荷担している者の言うことなど!」

 エドルスティンも負けてはいない。

 力任せのコランダムの剣を一歩も譲らず受け、そしてなぎ払った。

 はじき飛ばされるところを足で踏みとどまり、再びコランダムが剣を振ってくる。

 切り結ぶ高い金属音が藍里の耳を振るわせた。

 オリオとライラは庇うように藍里の前に立ちふさがっていて、襲いかかってくる騎士たちの剣をかろうじて受けている。

「頭悪いよな、エドルスティン。この人数じゃお前らに勝ち目はないだろ?」

「頭が悪いのは君の方だ。なぜ僕らの邪魔をする! クリスティラを本気で滅ぼすつもりか?」

「滅ぼす? 違うな。新しい自由な星に再誕させるのさ!」

「再誕など不可能ですよ」

 祭司だけが持つことを許される聖杖を振りかざし、フェルドスパーが言い放つ。

 彼が杖を振る度に雷土が走り、目もくらむ閃光で逃げる間もなく兵士たちを直撃した。

 悲鳴をあげながら兵士たちは大木に激突し、そして一人残らず地面に伏した。

「はい、いっちょあがり」

「オッサン、やってくれるじゃねえか」

 コランダムの顔が醜く歪む。

「何度言われても、都合の悪いことは耳を貸さない。都合の悪いことは見ない。全体を見ることができず、物事を片方からしか理解できない。よく似てますよ。貴方のお父上にね!」

「なに?」

 フェルドスパーの言葉に、敵が一瞬気をそらしたところをエドルスティンは逃さなかった。

 切り結んでいた剣を押しだし、コランダムがよろけたところを間髪入れず、再度斬りかかる。

「フラディアス! 閃光の刃!」

 コランダムが放った光の刃が頬をかすめた。 

 とっさに身体を跳躍させ、身を離して避けたが、交わしきれなかった攻撃で切れたところから血が流れ出す。

「コランダム……、君は魔術も使えるのか?」

 驚愕するエドルスティンをコランダムはせせら笑った。

「お前、俺の母親がどこの家系が忘れたのかよ?」

「貴方の魔力が強いのはお母上の影響だけではないでしょうけどねえ」

 思わせぶりなフェルドスパーの言葉に、コランダムは射るような鋭い視線を向ける。

「ぺらぺらうるせーんだよ、古狸」

「これはまた酷い言われようです。私はまだ若いつもりで」

「うるせえ! ゾルディガアス! 闇の殺毒波!」

 間髪を入れず、コランダムの口から詠唱が漏れる。

 地面にぽっかりと開いた黒い穴から、渦を巻いて障気が漏れ出す。

 呑まれそうになったところを飛び退き、エドルスティンは攻撃を避けた。

 だが、着地するより早くコランダムは跳躍し、頭上からエドルスティンに斬りかかった。

「もらったああ」

「だめえええ!」

 まさに刃を身体に受けるその瞬間、固唾を呑んで見守っていた藍里の唇からも悲鳴が漏れた。

「くっ!」

 首が宙に飛ぶ。

 いや、飛んだのは首ではない。

 白銀の鎧。

 コランダムの刃が放った衝撃波のせいで、エドルスティンの前に庇うようにたち塞いだドーガの鎧のマスクが飛んだのだ。

 明るい金色の髪が、宙を舞い、そしてゆっくりと背中へと落ちる。

 身体は大きく弧を描き、地面にたたきつけられた。

「女の……人?」

 藍里が驚きの声を上げた。

 屈強な男戦士だと思っていたドーガが、実は女だったのか?

 地に伏したドーガの額からは、夥しい血が流れている。

 額を割られたのだ。

 だが、驚愕したのは藍里だけではなかった。

「クリソベリル……シトロン」

 エドルスティンもまた震える声で名を呼び、倒れているドーガを、いや、幼なじみでもあり、婚約者の侍女でもあったクリソベリルを抱き起こした。

「申しわけ……ありません……。エド様」

 苦しい息の中、クリソベリルがかろうじて言葉を紡ぐ。

「クーティ。どうして君が?」

 昔から呼び慣れている愛称で、エドルスティンが呼ぶ。

 惚けたようにその様子を見ていたコランダムが、突如顔を歪めた。

 哄笑が響き渡る。

「こりゃ驚いた! アイリーナを裏切ってなお昔の女を片時もはなさず侍らすか? それも藍里のすぐ側で!」

「違う! 僕はアイリーナを裏切ってなんか」

「違います、コランダム殿下。……これは……」

「この期に及んで見苦しく言い訳なんかすんな! 醜悪なんだよ、おめえら!」

 噛みつくように言い放つと、コランダムは驚愕の表情のまま固まっている藍里へと視線を向けた。

「これでわかっただろ、アイリーナ。聖核を持つがゆえに、他の女を愛する男と結ばれなければならなかったお前の運命のおぞましさを。不幸を! 聖核なんてものがあっても、愛する男一人にすら愛されない。それどころかお前を始め、すべての人間を不幸にする忌むべき力」

「違う! 僕はアイリーナを! アイリーナだけを!」

 悲痛なエドルスティンの言葉は、突如吹き荒れた突風の中にむなしく消えた。

 コランダムの言葉に共鳴するように、何かがぞわりと藍里の中で動いた。

 どす黒い感情だ。

 深くて、暗くて、悲しくて、そして恐ろしい。

「だめ……だめだ。……アイリーナ」

 藍里は膝をつき、なんとか沸き上がってくるまがまがしい力を押しとどめようとした。

 両手で固く自分の身体を抱きしめる。

 だが、押さえきれない。

 突如あたりが闇となり、藍里だけがそこに取り残された。

 身体がまるで石になったかのように動かない。

 目の前に、紫色のつややかな長い髪が流れた。

「アイリーナ!」

 腕を掴もうと藍里は手を伸ばした。

 だが、伸ばしたはずの腕は一ミリたりとも動いてはいなかった。

 暗闇の中、アイリーナの周りだけ微かに光っている。

 そしてその姿は、振り返ることなく徐々に小さくなっていき、そして消えた。

「藍里様! 大丈夫ですか? 藍里様!」

 フェルドスパーが藍里にかけより、苦しげに伏せている身体を抱き起こした。

 だが、その手は乱暴にはね除けられた。

 驚愕に目を見開いているフェルドスパーを押しのけるように藍里は立ち上がった。

 だが、その姿は。

 腰まで流れる美しい紫の髪。

 深く、鋭い紅色の瞳。

 顔立ちこそ藍里のままだったが、表情はまるで違っていた。

 虚無。

 その表情はまるでからっぽだった。

 感情を一切写さない乾いた瞳。

「ア……イリーナ……」

 震える声でエドルスティンはかつての婚約者の名前を呼んだ。

 だが、アイリーナは視線を向けない。

 目に見えない何かを見つめるように、まっすぐ前を向いたままだった。

 その先には王都への入り口がある。

「アイリーナ。俺と来い」

 コランダムが手をさしのべた。

「お前は俺とともにあるべきなんだ。俺だけがお前の囚われている深い闇を理解できる。同じ血が流れる俺たちだからこそ」

「コ……ランダム……」

 アイリーナの唇から掠れるようなつぶやきが漏れた。

「俺だけがお前を孤独から救ってやれる」

 その言葉に誘われるように、アイリーナがコランダムの方へと歩を踏み出す。

「アイリーナ! 行っちゃいけない!」

 負傷しているクリソベリルをオリオたちに任せ、エドルスティンはアイリーナへと駈け寄ろうとした。

 だがその腕に婚約者を取り戻すことはできなかった。

 アイリーナの指先がつとあがり、容赦なくエドルスティンの身体を浮遊させ、大地へとたたき落とした。

「エド様!」

 ライラが悲鳴をあげる。

「私に触れるな」

 乾いた瞳でアイリーナはエドルスティンを見つめた。

 その目からは、かつて恋人に注がれた情熱は一切感じられなかった。

 まるで転がっている石を見るような視線を向けられ、エドルスティンは絶望と共に言葉を無くした。

「アイ……リーナ」

 迷うことなく、アイリーナはコランダムの手をとり、その腕の中に収まった。

「アイリーナ!」

 エドルスティンは悲痛な叫びをあげ、縋るように婚約者に手を伸ばしたが、愛しい者の腕を掴むことはできなかった。

アイリーナの姿も、一緒にいたコランダムも一瞬にしてその場から消えてしまったのだ。

むなしく宙を掴んだ手を、エドルスティンは驚愕のまなざしで見つめた。

「何が起こったんです?」

 オリオが尋ねる。

「瞬間転送ですね」

「瞬間転送?」

「聖核を持つ王族のみに与えられている力です。祭司でも使うことは叶わないシロモノですよ。コランダムの意を汲んでの移動なら、たぶん、この星の中軸、儀式の場へと転送していったのでしょう。さすがアイリーナ様といったとこでしょうか」

 無表情のまま、フェルドスパーは淡々と答えた。

「それって……」

「かなりまずい状態ですね。この星のプログラムにはたぶん強固なセキュリティにまもられ、パスワードがかけられている。それは代々祭司にも伝わっている秘事ではあるのですが、そのパスがどこにあるのかまでは伝わっていない。でも私は十中八九聖核の中にあると思っています。愚弟も解析の最中にそれがわかったんでしょう。だから、最初は我々の到着を遅らせようと姑息に妨害していたのに、途中からコランダム殿下は明らかに藍里を狙って来た」

「星のプログラムを書き換え、世界を変えるために?」

「世界を滅ぼすためですよ」

 フェルドスパーの言葉に一同は口を噤んだ。

「今は詳しい話をしている暇はありません。とにかく、アイリーナ様たちの後を追いましょう。たとえ人類の滅亡が決まっていることだとしても、何もせずに指をくわえて見ていることだけはできない」

「わかった」

 エドルスティンは剣を鞘に戻すと、クリソベリルの方へと視線を移した。

 夥しい出血が彼女の額を流れ、白い鎧を濡らしていたのだが、気を失うこともなく、それどころか痛みに顔を歪めることもなく、惚けたように己の傷へと指先を這わせている。

「そう言えば血止めをしなくちゃなりませんね。やれやれ世話がやける」

 座り込んでいるクリソベリルの元へとフェルドスパーが億劫そうに歩み寄っていく。

 だが、クリソベリルは顔をあげると、フェルドスパーへと首を振って見せた。

「大丈夫です……。傷はふさがってます」

「なんですって? あれだけの傷、治癒術でもそんなに早くふさがるわけが」

 フェルドスパーは驚愕の声をあげると、クリソベリルの言葉が正しいのかどうか確かめるために走り寄った。

「本当です……」

「そのようですね……。でも、どうして?」

 そう呟いてから、フェルドスパーはつと目を細めた。

「まさか」

「たぶん……。アイリーナ様が。こんなことがおできになるのは、アイリーナ様しかいません」

「あの一瞬の時間で……回復術を……」

「憎んでおられるだろうに……。私など捨ておけばよろしいのに」

 震える声でクリソベリルは身を折った。

 とめどなく溢れ出る涙が白い鎧を濡らしていく。

「それでも君はまぎれもなく彼女の大切な侍女で……友達なんだよ。だから見捨てられなかった……」

 静かな声でエドルスティンが言う。

「そんな……。私は……アイリーナ様をお守りできなかったのに。それどころか……! アイリーナ様を苦しめ……」

「クリソベリル・シトロン。あの日言いそびれた言葉を、今この場で言っておきたい」

 言葉を遮り、エドルスティンはクリソベリルをまっすぐに見つめた。

 嘘、偽りなど一切感じられない真摯な視線。

「エド……様」

「僕はアイリーナを愛している」

 静かだが、きっぱりとした声でエドルスティンは言い募った。

「クリソベリル、君は大切な妹で、幼なじみで、親友だ。長い間ずっと自分の想いを殺してまでアイリーナに仕えてくれて……深く感謝している。だけど……、僕が愛しているのはアイリーナだけなんだ」

 そう言うと、エドルスティンは深々と頭を下げた。

「すまない。もっと早く言うべきだった。中途半端な優しさで、君をずっと苦しめてしまった」

「そんな……。そんなこと言わないで」

 涙で濡れた顔をあげ、クリソベリルは声をあげた。

「私こそ、お二人の人生をめちゃめちゃにしてしまった。自分の身分も立場もわきまえず、最後の最後で自分を制することができませんでした。そのせいでアイリーナ様は……」

「そう思うのなら」

 フェルドスパーは視線を王都の方へと向けた。

「一刻も早く出発しましょう。懺悔ごっこはその後でいいでしょう。事態はこんなところでセンチメンタルになってる暇なんかないくらい切羽詰まってるんですよ。謝罪も後悔もその後でたっぷりなさい」

 冷たく言い放つと、身を翻し、城壁へと歩を進めた。

 そう、後悔も謝罪も生きていればできることなのだから。


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