第二章
漆黒の闇の中にぼんやりと浮かび上がる一筋の光。
そこに佇む少女がゆっくりと顔をあげた。
腰まで流れる美しい紫の髪。
そしてまっすぐに見つめてくるその顔は、藍里と瓜二つだった。
やっぱり。
「君が……アイリーナなんだな」
藍里の問いに、アイリーナは無言のまま頷いた。
その表情は機械的で、とても空虚だった。
「何か俺に……言いたいことがあるのか? 言いたいことがあるなら、なんでも聞いてやるよ。……君は……俺なんだろ?」
アイリーナの表情が微かに変わる。
眉を寄せ、深い悲しみに囚われているような赤い瞳。
少女は俯くと、静かに語り始めた。
『たとえ王族がこの星の生け贄のための存在だったとしても、私はそれでもよかった』
声は、直接藍里の頭の中に響いた。
柔らかく、可愛らしい少女の声だ。
『たった一人の人から愛され、その人がそばにいてくれれば……』
そう言うと、アイリーナは目を伏せる。
長い前髪が、彼女の表情を隠し、苦しげに閉ざされた小さな唇だけが見えた。
「愛されていただろう? 君には婚約者がいたって聞いた」
藍里の言葉に、アイリーナの肩がぴくりと動く。
『愛されてなんかいなかった……』
儚い声がかろうじて聞こえる。
『私が勝手に思いこんでいただけ……。本当に愛される人は、何も持っていなくても愛される……。地位も、力も、美しさだって……。何も必要ない……。コランダムの言うとおりだった。私は……私を必要としている人は……この世に誰一人としていなかった。ただ聖核が必要だっただけ』
「アイリーナ?」
『聖核を持つ王族が必要だから、アイツは私を好きな振りをしていただけなんだ……。本当はもっと大切なものがあったのに……。ずっと側にいる振りをして……二人で……私を……騙していた……』
「騙す? アイリーナ、それはいったい……?」
少女に手を伸ばそうとした瞬間、何かが自分の中に流れ込んで来るのを感じ、藍里は思わずその場にしゃがみ込んだ。
胸が張り裂け、大声で喚き出してしまいそうなくらいに、悲しくて苦しい記憶。
意識せずに鼻が痛み、目には泪があふれ出してしまう。
ぼやけた視界の先に、アイリーナの姿がゆっくり消えていくのが見えた。
「待ってくれ!」
必死に手を伸ばそうとするが、指先はただ闇の虚空を掴むだけだった。
「藍里! 藍里!」
遠くから呼ぶ声が徐々に大きくなっていく。
急激に訪れる覚醒に、身体がついていけない。
重い瞼を無理矢理あけると、エドルスティンが心配そうにのぞき込んでいた。
大の男が今にも泣き出しそうに、顔を歪めている。
「俺……?」
「藍里……。大丈夫? ずっと目を覚まさなくて……。それなのに泣きやまなくて……」
「泣く?」
藍里の問いに、エドルスティンは頷いて見せた。
おそるおそる頬に指を触れさせると、そこは確かに濡れていた。
「大丈夫かい? 気分は……?」
柔らかな布でエドルスティンが涙のあとを拭いてくる。
「だい……じょうぶ」
からからに乾いた口元を舌で舐めると、藍里はゆっくりとベッドから身体を起こした。
身体の節々が悲鳴をあげ、こめかみがずきずきと痛んだ。
「俺……、どんくらい寝てた?」
「三日間ですよ」
部屋の隅からどこか苛立ったような声が聞こえた。
見ると、額を指で押さえながら、フェルドスパーが深々と眉間に皺を刻んでいた。
部屋の隅には、ライラとオリオも控えている。
「あなたがひっくり返っている間、オリオたちが隣町まで様子を見に行ってくれたんですが……」
大げさに肩を落としながらフェルドスパーが続ける。
「どうやらあなたの正体が、なぜか早々に広まっているらしいんです」
「正体?」
「あなたの正体ですよ。あなたが聖核を持つ王だと知れ渡ると、行く先々で余計なトラブルを招き兼ねない。ここの町の連中のように囲まれて責め立てられたりする可能性もあります。まったくただでさえ、王都への帰還が遅れているというのに」
「いったい誰がそんな噂を?」
「王都にいる役立たずでしょうね。アイリーナの生まれ変わりがこの世界に戻ってきたことを察したんでしょう。コランダム殿下のそばにアイツがいるのだから、そのくらいはわかる。討伐隊を差し向けてこないところを見ると、正統な王を殺すわけにはいかないが、王都には来させたくない理由があるんでしょう」
「だから、わざと帰還が遅れるように噂をばらまいたってことなのか?」
藍里の問いにフェルドスパーは頷く。
「姑息にもね。今となっては一日帰還が遅れればそれだけ滅亡の可能性が大きくなるだけなんですけどね」
「来させたくない理由ってなんだろう?」
エドルスティンが訝しげに問う。
「何が考えられる?」
「そうですね……。今更とりつくろっても、コランダム様に聖核がないのはわかりきっている。だからいくら藍里様が邪魔でも殺すことは出来ない。聖核のない魂がこの星になければ破滅を招くことは、今回のことでよくわかったでしょうから。彼が王の座についたままでいたかったら、藍里様を懐柔して己の意のままにすることですが、これはまず無理なのはわかっているはず。それ以外の手となると……」
そこでフェルドスパーは口を閉ざした。しばらく逡巡したあと、彼は顔をあげてこう告げた。
「とりあえず王都へ急ぎましょう。今はまだどんなことも推測の段階に過ぎない。一番やらねばならないことは、再誕の儀式を行うことなのですから」
「でも、俺の正体がばれたって言うのなら、今までのように堂々と町中を歩いて旅することは出来ないんじゃないのか?」
「そのために、コレです」
そう言うと、フェルドスパーは片膝をたてて座り込み、足下の袋を探った。
次々と取り出されるものに、藍里の顔が固まっていく。
「ちょっと待てよ。それってどう見ても」
「そう、めんどうくさいので女性になっていただこうかと」
フェルドスパーが両手に持っているのは、黒髪のカツラと、どうみても若い女性が纏いそうなひらひらの服だ。
町で見かけた女性たちが着ている物よりはずっと質もよく、色味も華やかだ。
「変装にしてはちょっと派手じゃね?」
「派手な方がいいんですよ。全身から女性ですとわかるようでないと。新しい王は男性だともう知れ渡ってしまいましたからね」
「そういうもん?」
「そういうもんです。私たちも、多少変装はしないといけないでしょうね。旅の一行は、魔導士風の男が一人、騎士が一人、双子の少年少女そして紫の髪と赤い目の王族の少年一人。バッチリばれてるようですから」
「ぼくたちはどうする?」
「そうですね」
エドルスティンの問いに、フェルドスパーは顎を指先で掴み、しばらく考え込んだ。
「どこぞの豪族の娘とそのおつきということにしましょう。エド、あなたも騎士の鎧は脱いで、少し軽装にしてもらったほうがいいですね」
「オリオ、ライラ、手配をお願いできるかい?」
エドルスティンの言葉に、かしこまりましたと返事をして、オリオたちが部屋を出る。
「起きたばかりでつらいでしょうが、本当に時間がありません。食事を終えて支度を調えたらすぐに出発しますよ」
「わかってる」
フェルドスパーに頷いて見せると、藍里はゆっくりとベッドを降りた。
すぐにエドルスティンが手を貸してくる。
素直にその手に縋りながら立ち上がると、藍里は窓の外へと視線を向けた。
薄暗い空に黒い雲がところどころに混じり、帯状の模様を織りなしながら広がっていた。
自然が作り出す美しい造形のはずだったが、それは藍里の不安を余計に煽りたてるような、不気味で、不吉な色をしていた。
■ ■ ■
セルヴァ・ゴレを出ると、荒野が広がっていた。
かろうじて道らしきものが引かれてはいたが、日本の道路のように舗装されているわけではない。
地面を削って通りやすくしただけのシンプルな田舎道。
しばらく道なりに進んで行くと、小さな山を切り崩して作った切り通しへと繋がっていた。
谷間から見える赤くくすんだ空を見上げ、藍里はつと目を細めた。
その色は昨日より明らかに濃く、どす黒くさえある。
汚染が進んでいる証拠なのだろう。
フェルドスパーたちも先ほどから不自然なほど黙り込んでいる。
本当ならもうとっくに王都についていなければならないはずなのだ。
切り通しをノーマはゆっくりと下っていく。
頭上にはやけに大きな鳥が群れになって飛びさって行くのが見えた。
鳥というより昔みた恐竜のようにも思える。
「あれも魔物?」
藍里が指さす方向にエドルスティンが視線を向ける。
「うん。町を外れた荒野には魔物が多く住んでいるからね。中には凶暴なものもいる。あれはカトリウスと言って凶暴な魔物ではないよ。かといって人になれたりもしないけどね」
「町から町の間にずいぶんと荒野が広がっているんだな。魔物を退治して、人が住めるように町を広げようという計画とかはないのか?」
「女神の教えはすべての生き物との共存だからね。必要とあれば町を広げる計画も立つけど、その分魔物たちのすみかを奪うことになる。自然が崩れることはすなわち星の衰退を招くことにもなる。安易に自然を壊すことは、女神の意志に反するんだ」
「地球とはまるで違った教えなんだな。地球なんて人間が思うがままに自然を壊しまくってあのザマだし」
「地球と違って、この星には枷があるからね」
「枷?」
「たった一人の人間がいなくなっただけでこの世界が滅びる。こんな不条理を枷と言わずなんて言うんだ?」
突然頭上から鋭い声が降り注いで来た。
驚愕とともに見上げると崖の上に、数人の人影が見えた。
だが、逆光になって顔はよく見えない。
「誰だ?」
「おやおや、こんなところまで出張ですか? 新しい王様はずいぶんとお暇なんですねえ。クリスティラが死にかけているというのに」
揶揄するようにフェルドスパーが言う。
皮肉に反応したのか、崖から次々と影が飛び降りてきた。
その数、全部で五人。
一番前に飛び降りてきた男がゆっくりと顔をあげる。
「コランダム!」
その者が、自分の見知った男なのに気づき、エドルスティンは声を荒げた。
「なぜ君がここに! まさか藍里を亡き者にするために」
「そんなことは出来ませんよね。偽物の王様。あなたに聖核が宿らないがためにこの星はこの様です。なぜ聖核が宿らなかったんでしょうねえ。たった一人の王族のはずのあなたに。髪は染めてごまかせても、目の色だけはごまかせませんしね」
毒気も隠そうともせずに、嘲笑を浮かべながらフェルドスパーが吐き捨てるように言う。
その言葉に、ひくりとほおをひきつらせながらも、コランダムと呼ばれた男はフェルドスパーは無視し、藍里へと鋭い視線を向けた。
思わず藍里の唇から驚愕の声が漏れる。
「なに……?」
その顔は、驚くほど藍里とうり二つだった。
そう、まるで双子と言って良いほどに。
ただ、目の色だけは違っていた。
彼の目は紫色で、藍里のルビーのような赤目にはほど遠かった。
「本当に似てるな。地球とやらの下等生物の遺伝子を受け継ぎながら、王族の魂は死なずというところかよ。本当にお前は……どこまでも哀れなヤツだ」
顔を歪ませながら、コランダムは剣を抜いて藍里へとつきだした。
「オリオ! ライラ!」
フェルドスパーに名を呼ばれ、二人が藍里を守るようにノーマの前に飛び出し、素早く小刀を構える。
エドルスティンもノーマから降り、ゆっくりと大剣を抜いた。
「コランダム。藍里を傷つけたら許さない」
「この世が滅ぶからか? その割にはお姫様が帰ってきたっていうのにちっともこの世は回復しねえな」
「あなたが限界まで滅びを導いたからですよ、コランダム殿下。アイリーナ様の魂を宿した彼をこの世界に連れてきたからと言って、瀕死になった世界がすぐに元通りになるわけじゃない。一刻も早く我々は王都に戻ってそれなりの準備をしなくてはならない」
「そう、この世界は本当に危うい。たった一人の魂にすべてがかかってるんだからな。そんなのは本当にばからしい、不自然なことだ」
頬を引きつらせ、嫌な笑みを浮かべながら、コランダムが憎々しげに言う。
「だが、根本からそれを変えられれば、この世界にとっても一番いいことだと思わないか?」
「変える?」
訝しげに問うエドルスティンに、コランダムはニヤリと口の端をあげた。
「そうだ。聖核なんてものが宿らなくても、そんなものを持つヤツがいなくても、この世が滅びない、そんな世界にするんだ」
「不可能ですよ」
コランダムの言葉が終わらないうちに、フェルドスパーが容赦なく切って捨てる。
「星のプログラムは誰も変える事が出来ない。変えられるとしたら、それは女神の意志だけです」
「その女神の意志が変えられるとしたら?」
「不可能です」
「不可能だと思ったらそこで本当に終わりだろ」
剣を肩にかつぎながら、コランダムは顎をしゃくった。
「アンタの優秀な弟さんがその方法を見つけるってさ」
「不可能だって言っているのに、あなたも大概ですね。出来るものなら長い歴史の中、とっくに先人たちがやっている。過去何人の人物が王に取って代わって聖核を手に入れようとしたと思っているんです? 私の愚弟ごときにそれが見つけられるとは思えない」
呆れたようにフェルドスパーは肩をすくめた。
「だから聖核なんてものを根本から消滅させるのさ。そうすれば、女神の意志とは関係なく、この星は生き続ける。クリスティラの呪いからこの星は解き放たれる。いちいち王族を縛る物はなくなり、生まれ変わったアイリーナ様も星の運命なんか関係なく自由に生きることが出来る。こんないいことはねえだろ?」
「妄想としてはおもしろいですが、残念ながら笑えません。さ。そこをどきなさい。私たちは王都に急がねばならない」
「悪いが、お前らに王都に今行ってもらっちゃ困るんだ。邪魔されると面倒だろ? んでもって、アイリーナは俺と共に来てもらう」
じろりと藍里をにらみつけ、コランダムが言う。
「そんなことは許さない!」
藍里の前に立ちふさがるように、エドルスティンが剣を構えた。
刃先がうす紫色に光り出し、その光が徐々に大きくなっていくのが見える。
「契約を果たせ、いかずちの女神よ!」
エドルスティンの声とともに、刃先から激しい火花が飛び散る。
いつもの穏やかさは影を潜め、視線は鋭くとぎすまされ、全身からは燃え上がる闘気が蜉蝣のようにゆらゆらと立ち上っている。
「藍里には指一本触れさせない!」
そんな昔なじみの姿をちらりと見ると、コランダムは鼻で笑った。
「どのツラさげてそんなことが言えるんだ? なあ、エド。お前もけっこう神経図太いよな。アイリーナをあんな目にあわせといて、何食わぬ顔をして、再びまた側にいるなんてな」
あざけるように目を細め、コランダムは続けた。
「だいたいアイリーナが死んだのは、お前のせいじゃねえか」
「な……」
「お前がアイリーナを殺したようなもんだろ?」
コランダムの言葉に、エドルスティンはぎりりと唇を噛みしめた。
手にした剣の闘気が一瞬にして跳ね上がる。
「そこまでです!」
コランダムの足下に紫色に光る陣が浮かび上がる。
舌打ちをしながら飛び退ると、今までコランダムがいた場所に、閃光が襲いかかった。
「おやおや、逃げ足だけは早いんですね」
「そうかもな!」
フェルドスパーの皮肉を皮肉で返し、コランダムは跳躍した。
立ちふさがるエドルスティンを飛び越え、そのまま藍里の乗るノーマへと飛び移る。
「なっ?」
手綱を操り、コランダムは藍里を落とさないようにきつく抱き寄せたまま、ノーマを疾走させた。
「お前は! コランダムだかなんだか知らないが、どういうつもりなんだ!」
すさまじい勢いで走り出すノーマの背に激しく揺られながらも、藍里は気色ばんで叫んだ。
「いいから口閉じてろ。舌噛むぜ」
「舌なんてどうでもいい! 止まれ! 誰も一緒に行くなんて言ってない!」
「わからねえヤツだな! 暴れんな! 俺ごと転倒すんだろうが!」
「知ったことかよ! 離せ!」
「別に命を奪おうってわけじゃねえんだよ! 俺は前世のお前の兄貴なんだぜ! お前を助けようと……」
「兄貴なんか知るか! さっさとおろせ!」
後ろから抱きしめている腕をなんとかふりほどこうと、藍里は男の腕に爪をたて、暴れた。
「てめえ! 突き落とされたいのか?」
「離せって言ってんだろ! こっちはただでさえわけわからないこの星の都合とやらで巻き込まれてんだ! この上無理矢理拉致なんかされてたまるか!」
「死んでもなおその鼻っ柱の強いところは治ってないってわけか」
「てめえに言われる筋合いなんかない!」
言い争いながらも、二人を乗せたノーマは暴走していく。
その後ろに、いつの間にかすさまじいスピードで追尾してくる者がいた。
服装からして、エドルスティン達ではない。
二人分の重みに加え、藍里が暴れるせいで手綱をうまくとれず失速したノーマに追いつくのは、さほどむずかしい事ではなかった。
コランダムが気づいた頃には、追尾者は彼らの斜め後ろにぴったりとついて来ていた。
「誰だ? いつの間に」
見知らぬその姿に初めは敵の手下かと思った藍里だったが、コランダムが苛ただしげに舌打ちをしたところを見ると、どうやらそうではないようだ。
追ってきた者は、全身白銀色の、顔まですっぽりと隠した鎧を纏っていた。
その大きさからして、かなりの大男だと思われた。
「てめえ、何者だ!」
「契約を受諾せよ」
鎧の中からくぐもった男の声が聞こえた。
「てめえ、アイリーナ派の騎士か! 誰の差し金で!」
「風の女神よ。風の鎧となりて、わが宝珠を守りたもう」
剣を振り回し、斬りかかって詠唱を邪魔しようとしても既に遅かった。
焦ったコランダムの腕の中から、ふわりと藍里の身体が浮き上がり、鎧の男の元へと円を描いて落ちていく。
重みがその分なくなったせいか、加速が一気に増したコランダムのノーマは、あっという間に鎧の男から遠ざかってしまう。
慌てて手綱を強く引き、走り続けているノーマをなんとか止めると、コランダムは方向転換しようとした。
だが、ノームを向けた先には、主を失ってゆったりと走っている無人のノーマしか見つけられなかった。
いや、違う。
不意に頭上に気配を感じ、コランダムは空を仰いだ。
「あれは!」
遙か上に大きな白い翼を広げて魔物が飛んでいる。
その背には、確かに例の鎧の男と、藍里の姿が見えた。
「飛龍か!」
賢く、気高い飛龍は、簡単には人には懐かない。
その飛龍を易々と操るあの鎧の男は一体何者なのか?
だが、深く考える暇はなかった。
「くそっ!」
コランダムは悪態をつきながらも、遠ざかっていく飛龍をにらみつけることしか出来ない。
このまま戻っていっても、部下たちは既に使い物にはならないだろう。
「体勢を立て直せってことか」
苦々しく呟くと、コランダムはノーマを駆り、荒野の果てを走り去っていった。
一方。
「アンタは? もしかして俺を助けてくれたのか?」
飛龍に飛び乗った鎧の男の傍らで、藍里はおそるおそる尋ねた。
男からは敵意は感じないが、目を見て話せない相手というのはなんとなく落ち着かない。
かといって、この場で鎧を脱げというわけにもいかないが。
「あなたがいなければこの世は滅びる。もうこの星の人間なら誰でも知っていることです」
「だから俺を?」
「時は一刻を争います。とりあえずは、あなたをエドルスティン様たちの元へお連れいたします」
「すまない。……それでアンタは? エドルスティンかフェルドスパーの友達か何かなのか? あんたも王族を守る騎士ってやつ?」
藍里の問いに、鎧の男は答えずしばらく沈黙を続けた。
「ええっと……」
何か悪いことを聞いてしまったのかと藍里が焦り始めた頃に、男はぽつりと呟いた。
「いえ……。私は王族をお守りする騎士の中でも末端の者。アイリーナ様はもちろんエドルスティン様とは遠くからお姿を排することしか出来ない身分の者でございます」
「そうなんだ……。じゃあ誰かに頼まれて?」
「アイリーナ様が異世界からお戻りになられたことは、密かに城内で囁かれておりました。エドルスティン様たちがアイリーナ様をお迎えにあがったことも。コランダムの目がありますから、公にはされておりませんでしたが、かつてのアイリーナ様の配下のものでしたら、誰もが知っております。私はゴルヴォ・ダスタ執政官殿の命を受け、アイリーナ様を無事に王都までお連れするために参りました」
「アンタの名前……。教えてくれないか?」
「ドーガとお呼び下さい、アイリーナ様」
「それなら俺は藍里だ。アイリーナじゃない。様はいらないから。藍里って呼んでくれ」
「……それは……」
躊躇したように口を噤むドーガに、藍里は微笑んで見せた。
「いいんだ。つい数日前まで、俺は単なる地球の一高校生だったんだ。いきなり王族でございますなんて言われても、人間そう簡単に偉くなんかなれないし、どっちかって言うと友達みたいに呼ばれた方が気が楽なんだ」
「かしこまりました。それでは恐れながら藍里様、と呼ばせていただきます」
「様はいらないってーのに」
「私にも立場がありますゆえ。どうかご容赦を」
「めんどくせえんだな」
「藍里様は、聖核を持つ正統なこの世界の主。末端の騎士の私とはあまりにも身分が違いすぎます。本当ならこうやっておそば近くに寄ることさえ許されないのです」
「そんなの関係ない。俺がいいって言ってるんだから。助けてくれて、ありがとな。感謝してる」
「もったいないお言葉でございます」
柔らかな口調に、初めて鎧で隠された顔が微笑んだような気がして、藍里は嬉しげに口元をほころばせた。
■ ■ ■
地上を見下ろすと、残されたノーマを駆り、藍里を追いかけてきたのだろう、すさまじいスピードで荒野を駆けるエドルスティンを見つけた。
「エドルスティン!」
藍里の叫びに気づいたのか、エドルスティンが頭上を見上げ、ノーマを止めた。
エドルスティンの元へと飛龍が静かに降りていく。
「藍里! 無事かい?」
「エドルスティン!」
ドーガの手を借りて飛龍から降りると、藍里はエドルスティンの元へと走り寄った。
「どこか怪我は? 本当によかった……。心配したよ」
「大丈夫だ。この人が……、ドーガが助けてくれた」
「ドーガ?」
つと前に踏み出し、ドーガが片膝を折った。
「ドーガ・ハーレイ・アイトルガと申します。かつて生前のアイリーナ様付きの部隊の末席を汚しておりました。事故により全身を二目と見られるほどにやけどをおい、やむを得ずこのような鎧を纏い皆様のお目汚しにならぬようにと努めている次第です。どうか直にご尊顔を拝謁出来ぬご無礼をお許しいただきたく存じ上げます」
「構わない。藍里を助けてくれてありがとう」
「フェルドスパーたちは?」
「あとから来る。なんたってノーマを一匹奪われてしまったからね。足で走って追うには分が悪すぎる」
「それでは飛龍で皆様の元へと合流いたしましょう」
ドーガの申し出にエドルスティンは顔をほころばせた。
「そうしてもらえると大変助かる」
「飛龍にノーマも乗れるのか? 暴れたりしない?」
藍里の問いに、エドルスティンは笑顔を向けて見せた。
「大丈夫。賢い子だからね。大人しく座っているよ」
「それではすぐに参りましょう。アイリーナ様」
「アイリーナじゃないだろ」
藍里の言葉に、ドーガは恐縮して頭を下げる。
「……失礼をいたしました。藍里様」
ドーガに促されるまま、エドルスティンと藍里、そしてノーマも飛龍の背に収まった。
大の大人なら十人くらいは乗れるであろう、大きな龍だ。
龍と言っても日本の昔話に出てくるような形ではない。
どちらかというと、西洋のファンタジーに出てくるような形に近い。
長いクビと太い胴体。
だが、全身は白く長い毛に覆われていて、その背はまるで絨毯のように心地よい。
「毛に捉まっていて、藍里。飛龍の毛は丈夫で、手綱代わりになるんだ。知能の高い飛龍はなかなか人には慣れないけど、一度心を通い合わせれば、生涯友でいてくれるという頼もしい魔物なんだよ」
「その通りでございます。藍里様」
「この龍の名前は?」
「ヴェリルと申します」
「いい名前だな」
藍里の言葉に応えたのか、飛龍が大きく首を反らし、一声鳴いた。
外見からは想像がしにくい、鳶のように高い声だ。
「あ、あそこにフェルドが!」
エドルスティンの言葉に頷き、ドーガがヴェリルを操る。
まるで滑るように下降したかと思うと、羽根を羽ばたかせ、ゆっくりと地上へと舞い降りる。
「エド様! 藍里様は?」
フェルドスパーがノーマから降り、駈け寄ってくる。
その後ろにオリオとライラも続く。
「フェルド! 藍里は取り戻した」
「よかった! 藍里様!」
「藍里様!」
髪を靡かせながら、オリオとライラも半ば泣き出しそうな顔をして見上げている。
「ごめん、心配かけて」
ドーガとエドルスティンの手を借りて、藍里は慎重に荒野へと降り立った。
鎧の男も飛龍から降り、藍里たちに向かって膝を折った。
「異世界よりのご帰還、お待ち申し上げておりました。私は王都から密使として送られた騎士、ドーガ・ハーレイ・アイトルガと申します。つきましてはフェルドスパー様にご報告が」
「聞こう」
「今王都は封鎖されており、正面からは入ることはかないません。フェルドスパー様の弟君、メノー・レ・サードニックス殿が命じられ、市民が自由に外に出ることも禁じられております」
「なんだって?」
「このまま行っても、メノー・レ殿の息がかかったものに捕らえられ、アイリーナ様、いえ、藍里様は幽閉されるでしょう」
「正面からは行けないならどこから? 城は高い山脈に囲まれてるんだぞ」
「私の飛龍で王都の北側、ホーレイ山まで飛び、抜け道を使い進入する方法を進言させていただきます」
「ホーレイ山か……。確かにあそこには城へ通じる抜け道があると聞いている。でも、ただの噂だと思ってたけれど」
「わざわざホーレイ山まで行って確かめる人はいないですからね。人が上るには少々過酷な山ですし、王都への道は長い間封鎖されているはずです。誰も使わないという意味でね。でもホーレイ山は古の戦のおり、砦と使われた山ですし、城からホーレイ山に行く道は確かに存在するでしょう。ただ砦と言われるくらいですから、外からホーレイ山に登り、王都に入る術はないでしょうね。それこそ飛龍でも使わなければ」
「私がご案内させていただきます」
深々とドーガが頭を下げる。
「おまえはその道を知っているのか?」
「私の生家は代々、城の設計に関わった家系でございますゆえ」
「そのアイトルガ家ですか。確かにシトリン家と並んで、古の時代から王都築城から城の設計および、城下の開発に関わったと聞いています。ならば信頼してもよさそうですね、エド様」
どこか揶揄するように言うフェルドスパーに、エドルスティンはきまじめにうなずいた。
「そうだな」
「恐縮です」
「では、すぐにでも出発しよう。藍里、疲れてるだろうけど、もうあまり時間がない」
エドルスティンは藍里へと視線を向け言った。
「わかった」
「きついようなら僕によりかかって眠ってもいいから」
「そんなに甘やかさないでも俺は大丈夫だ」
藍里は強がって言い放った。
正直すべてが初めてづくしの冒険で体は疲れ切っていたが、かかる労力は平等なはずだ。
幼いライラたちも文句も言わずについてきているのに、自分だけ特別扱いはいやだった。
だが、エドルスティンは優しく藍里の髪を撫で、小さく首を振った。
「いいんだ。無理しないでもいい」
エドルスティンはかすかに眉をよせ、つらそうな表情をして、藍里をじっとみつめた。
「ほんの少し前は平和な地球で普通の学生をしていたんだ。この不自由な旅がきつくないわけがない……」
「それでも泣き言を言ってる暇はないんだろ?」
「その通りです」
フェルドスパーが声を上げ、皆を促した。
「急いで飛べば、夕方にはホーレイに着きます。そこで夜を明かし、明るくなったら出発しましょう。闇の中、魔物だらけの道を進むのはさすがに危険ですからね」
「わかった」
皆が乗り込むと、ヴェリルはゆっくりと宙を舞い上がった。
高くあがればあがるほど、空気中を汚染する障気で景色が赤黒く染まっている。
急激に温度が下がり、冷たい風が藍里の頬を鋭く撫でる。
体の奥まで凍ってしまいそうで思わず己の肩を抱き、身震いをする。
身に纏っているものは変装のために着た女性ものの薄衣なのだから無理もない。
すかさず後ろから柔らかくだきよせられ、藍里は振り向いて腕の主の顔を見た。
エドルスティンが優しくほほえんでいる。
「眠って、藍里。少しは体が休まるから」
そう言って、ライラが荷物から出した厚手の毛布を藍里の体にまきつけ、再び胸に抱えるように抱き寄せる。
暖かな体温に包まれ、急激に眠気が襲ってくる。
逞しい胸に体を寄りかからせ、藍里は素直に目を閉じた。
■ ■ ■
数時間後、あたりが薄暗闇に包まれた頃、一行はホーレイ山の麓についた。
オリオとライラ、そしてドーガがなれた手つきでテントを張る。
飛龍の暖かな毛皮の上で死んだように眠っている藍里をエドルスティンが抱き上げ、テントの中へと運んだ。
「お疲れなんですね」
藍里の寝顔をのぞき込み、心配そうにライラが言う。
「立て続けにいろんなことがあったからね」
藍里の乱れた髪を優しくかきあげながら、エドルスティンがつぶやく。
「でもよかった。アイリーナ様が戻ってこられて……。きっと何もかも元通りになりますね」
オリオの言葉に、エドルスティンはどこか悲しげな表情で小さくほほえんだ。
本当に何もかも元通りになれれば……。
それはエドルスティンの悲願でもあった。
星の復興だけではない。
かつてアイリーナとともに過ごした時間も取り戻せるなら……。
だが、その願いは叶わないこともエドルスティンにはわかっていた。
たとえ同じ魂であっても、彼にアイリーナとしての記憶もない。
同じ容姿をしていても、その姿は地球人の親からもらったものだ。
藍里は藍里であり、アイリーナではない。
失った時間は、女神クリスティラでも取り戻すことはできないだろう。
見張りをかってでたドーガ以外は、全員テントの中へと引きとった。
薪が燃える堅い音を聞きながら、ドーガは静かにテントの前に座っていた。
時折大きく揺らぐ炎の明かりがドーガの白銀の鎧を赤く染め、蜉蝣のように浮かび上がらせている。
「なんのつもりでアイリーナ様の元へともどってきたんです? まだエド様に未練があるというのですか?」
唐突に背中から投げかけられた言葉に、ドーガの大きな体が微かに揺れた。
みると、休んだはずのフェルドスパーがいつの間にかテントから出ていて、ドーガのすぐ後ろまで迫っていた。
「何をおっしゃられているのでしょう? フェルドスパー様。私には意味がわかりません」
「今更取り繕っても仕方ありませんよ。私の能力を忘れましたか?」
フェルドスパーの問いには答えず、ドーガは沈黙を保ったまま、燃えあがる火へと視線を向けている。
だが、諦めたかのように肩を落とし、嘆息すると、つと顔をあげた。
「……王族の魂魄までをも見極め、聖核を持つ正当な王のみに仕える祭司殿……でしたね。忘れていました。あなたの力は聖核以外にも及ぶというのですか?」
「私の力はちょっと特殊なのですよ、クリソベリル・シトロン。おかげで身内からも少々疎まれています」
「……そうでしたか」
再びドーガは前方へと視線を戻した。
「聞かせてもらいたいものですね、あなたの真意を……。はっきりいって、世界がこうなったことの責任の一端はあなたにもあるといえますからね」
刺すような視線でフェルドスパーはドーガを見つめた。
ドーガからのいらえはない。
無言のまま、燃えさかる炎を見つめている。
しばらくの沈黙の後、ドーガは決心したように、ゆっくりとした動作で頭をすっぽりと覆っていたヘルメットを脱いだ。
外見からの予想とは違い、長くつややかな金色の髪を持つ、若く秀麗な女の顔が現れた。
「おっしゃる通り、私はクリソベリルです。シトリン家の娘であり、かつてアイリーナ様の侍女でもあった……」
先ほどまでの低い男の声はなりを潜め、外見に似合った美しい女の声でクリソベリルは語った。
女だと隠すために、ヘルメットに変声器をつけていたのだろう。
「でも、決してアイリーナ様を裏切るつもりはありませんでした。あのときも、そして今も……」
「アイリーナ様はそう思ってなかったようですが?」
「わかっています。アイリーナ様が自らの命を絶ったのは私のせい……。私の軽挙がすべての不幸を生み出した。だからこそ、今度こそ、命をかけてアイリーナ様をお守りしたいのです。そうでなければ、生き恥をさらしてまで生き伸びていた意味がない」
「とか言いながら、エド様のそばにいたいだけなんじゃないですか? 恋は盲目と言いますしねえ」
嘲笑するように、フェルドスパーが言う。
その言葉に傷ついたように眉を寄せ、クリソベリルが顔をあげる。
だが、その表情も、フェルドスパーの心を揺るがしたりはしなかった。
あいかわらず目の前の祭司は、容赦ない視線でクリソベリルを見つめている。
戦士に扮した元侍女は、力なくうつむき、唇を噛んだ。
「信じていただけなくても仕方ありません。でも私はもうエド様の前にこの女の姿をさらすつもりはありません。あくまでも私はドーガ。戦士のドーガなのです」
一際高い音を立てて薪が割れ、炎が舞い上がる。
「あの時、私が自らの命を絶つことをしなかったのは、何も命が惜しかったからではないのです。私の命など消えてもこの世界は何も変わらない。ならば、再びアイリーナ様がこの世界に戻った時に、私のすべてをかけてアイリーナ様をお守りしようと……。この世界をもと通りにするために、今度こそこの命を捧げようと……。そう誓ったのでございます。それくらいしか、私の罪を償うすべが思いつかない」
闇の中、沈黙が静かに横たわる。
「……いいでしょう」
フェルドスパーはうなずいた。
「ここはあなたを信用して、あなたの正体は皆には黙っていましょう。はっきり言いますとね、私ももうトラブルはごめんなんです。特に色恋沙汰はね。面倒でかなわない」
ひらひらと手を振りながら、フェルドスパーはきびすを返した。
「もうすぐ見張りの交代の時間です。誰かに見られる前に、顔を隠した方がいいですよ。オリオとライラだってあなたのことはよく知っているでしょう?」
そう言いながら、フェルドスパーはテントの中へと消えた。
無言のままヘルメットをかぶると、クリソベリルはふたたび屈強な戦士、ドーガとなった。
だが、炎に浮かび上がったその後ろ姿は、小さく、昼間とは比べものにならないほどはかなげに見えた。
■ ■ ■
同じ頃、同じように燃えさかる火を見つめている人物がいた。
藍里と瓜二つの容姿をしている、彼の兄と称されているコランダムである。
彼は頬杖をつきながら、目を細め、険しい表情をしてじっと火をにらみつけている。
藍里の拉致に失敗した彼は、体勢を立て直し、再びチャンスを狙うため、城内にいったん戻った。
部隊を編成し直し、外から侵入し得るあらゆる入り口に兵をおいた。
そしてコランダム自身は、城の北側にあるホーレイ山への通路に、精鋭部隊を率いてやって来た。
飛龍を使うならホーレイ山から侵入してくる可能性が高いだろう。
十中八九彼らはこの道を使う。
自分の任務はアイリーナの確保だ。
他の奴らはどうでもいい。
先ほどから、いろいろな思いが彼の心の中を駆けめぐり、ざわつかせては霧散していく。
アイリーナの魂を宿し、同じ容姿で現れた藍里。
それなのに、彼は元の魂の記憶は失っているらしい。
彼とアイリーナが最後に会ったのは、アイリーナとエドルスティンの結婚式の前夜、つまりアイリーナが自らの命を絶ったその日だ。
あの日のことは今でも鮮明に覚えている。
あれからまだ二年しかたっていない。
忘却の彼方に葬り去るにはまだ浅い年月だ。
幼い頃からコランダムは、閉じられた格子から、外で遊ぶアイリーナやエドルスティン、そして侍女のクリソベリル、従者のオリオやライラの姿を見つめていた。
決してそこに自分が交わることは許されなかった。
それどころか、幽閉された屋敷から外に出ることすらできなかった。
生まれた時からコランダムは、母とともに王城の片隅に建てられた屋敷に閉じこめられていた。
記憶に残る母は、いつも窓際に座り、悲しげな表情をしながら、外を眺めていた。
時折優しくコランダムの髪を撫でながら、それでも瞳は窓の外へと向けられていた。
なぜ、母と自分が屋敷に閉じこめられなければならないのか、誰に言われずとも、コランダムは薄々勘付いていた。
人の口に戸は立てても、自ずと言葉の端々から真実は漏れる。
母は既に対外的に死んだことになっていたのだ。
そして、息子であるコランダムの存在は最初からなかったことにされていた。
だから生まれた時からこの屋敷に幽閉されていたのだ。
母は、王妃でありながら、誰にも会うことも叶わず、外にも出られず、狭い屋敷の中で一生を終えた。
既に死んだものとして……。
同じ時期に子を産み、すぐに亡くなった妹と、生きながら同じ扱いを受けていたのだ。
なぜ、母がそんな目にあっているのか、真実を母親に問うことはどうしてもコランダムにはできなかった。
コランダムは周りを謀るために、聖核を持つ王族がなるという紫色の髪に染めてはいるが、本当は薄い灰色だ。
母親の髪は金色。
王の髪は紫に変わる前は黒髪だったと聞く。
ならば、自分は黒か金に生まれてこなければおかしい。
灰色の髪の人物は、自分の周りには一人しか思い当たる者はいなかった。
幼い頃からいろいろと自分と母の面倒をみてくれていた祭司の家系の男。
今、聖核の消滅を促すため、星の中核にまで降りてプログラミングをしている人物だ。
王族に代々仕える祭司、サードニックス家の次男。
コランダムは額に指を当て、思考を止めた。
たとえ自分が王家の血を引こうと引くまいと、もう今となっては関係がない。
この星のプログラムは変更され、聖核などなんの役にもたたなくなるのだ。
そうするのが自分の役目。
失意のまま寂しい心を抱いて死んでいった母のための復讐なのだ。
コランダムはアイリーナと初めて交わした会話を思い出した。
アイリーナはコランダムという存在がこの世にいることすら知らなかった。
偶然にも同じ日に生まれた不遇の兄の存在を知り、哀れに思い、牢獄のような屋敷から出してくれたのもアイリーナだ。
腹違いの兄が生まれてからずっと屋敷に閉じ込められていたわけも知らず、自分の父親が禁忌を犯して妃を二人娶ったことも知らず、屋敷に閉じ込められてひっそりと死んだもう一人の王妃の存在も知らず、今までのうのうと暮らしてきたのだ。
父王の寵愛を独り占めして。
いや。
コランダムは小さく首を振った。
父親への恨み言をアイリーナに向けるのは間違っている。
すべての元凶は、聖核の力を振りかざし、自分勝手に己の我を通した父、そして、聖核なるものに頼らなければ生き延びることすらできないこの星のシステムなのだ。
父王はとっくの昔に死んだ。
単なる不運なのか、天罰なのかはコランダムの知ったことではない。
だが、コランダムにはどうしても知らなければならないことがあった。
聖核というものにとらわれた王族という名の奴隷の正体を。
聖核がなければこの世に生きる価値もないと見下される存在の意味を。
だが、反対に、聖核さえ持てば何でも許されるのだ。
たとえ人の心を踏みにじり、己の欲望のみを追求して生きたとしても。
聖核があるからこの世が不幸になる。
たぶんアイリーナはそれに気づいたのだろう。
最期の日、コランダムがアイリーナに投げかけた言葉をヒントに、その真実にたどり着いたのだ。
あいつは妙に賢い女だったからな……。
コランダムは一人ごちて、目を伏せた。
だから、自らの命を絶った。
聖核がなければ、たった一人の男に愛される価値もない自分に気づいて。
でも普通の人間は、何もなくても愛されるのだ。
何も持たなくても、何もできなくても、美しくなどなくても、賢くなくても。
少なくとも、コランダムを無条件に愛してくれている人間は存在する。
いるだけで生き甲斐になる存在。
聖核を持っているアイリーナには永遠に得られない存在を。
コランダムはそう思うと、少し溜飲が下がった。
だがそれと同時に、聖核に振り回され若くして命を絶った従姉妹を哀れにも思った。
聖核が存在する限り、従姉妹の、いや、王族そのものの幸福はない。
だから俺がぶっつぶす。
母を、俺を、そして従姉妹を不幸にした聖核とこの星のシステムを。
不可能だとあの祭司は言った。
だが、信じるつもりはない。
たとえ不可能なら、変えられないというのなら。
滅びてしまえばいい。
だってこんな世界は間違っている。
たった一人の人間の生死で星の運命が決まってしまうなんて。
暗い目をしてコランダムは呟いた。
お前もそう思うだろ?
……アイリーナ。
暗闇へと手をさしのべ、コランダムは小さく呟いた。