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第八話 皇威の剣

 謁見室の扉は固く閉ざされたままだ。ラッセン達近衛騎士が出てから少しの沈黙。娘のジュオンと皇后のリングは不安そうな表情を見せていた。

 

 ただジュオンに既に涙はない。ラッセンと他の近衛騎士とのやりとりで多少は心が解れたのだろう。


 ラッセンは中々固い性格の騎士ではあったが、ジュオンはよく懐いており、近衛騎士として配属されて暫くは笑顔も見せることがなかったが、ジュオンに懐かれてからは笑顔も見せるようになっていた。


 故にラッセンに対してのジュオンの信頼は厚い。それに一緒に向かった近衛騎士たちとて実力派揃いだ。普段からラッセンとの訓練にも暇がなく、連携もよく取れている。


 そう、ラッセンと彼らに任せておけば何も心配する必要が無い……そう、信じたいのだがどうしても不安がある。何故なら騎士たちを纏め上げる総団長たるブギーマン将軍の姿が未だに見られないからだ。


 このような自体、将軍であれば真っ先に駆けつけてきてもおかしくない――まさか、とデモンズの脳裏にどす黒い靄のようなものが漂い始める。


 胸騒ぎがした、嫌な汗が頬を伝う。今もまだ静寂は続いている。実際はラッセンが出て行ってからまだ程ないが、心臓の鼓動が早まり、ジュクジュクとした血流の乱れを感じていた。


 静かだった。とにかく静かだった。静かすぎたのだ。静寂は時にそれは死の予感にも似ている。何か嫌な物が近づいている。そんな気がした。しかも足音も立てず、しかし確実に、一歩、また一歩――


「何を馬鹿な――」


 思わず独りごちる。そうだ、なんてことはないはずだ。きっと今に侵入を排除しラッセン達が――


『うわ、うわぁあぁああぁあぁああぁああ!』


 その声に思わずデモンズは玉座から立ち上がっていた。ジュオンの身が小刻みに震え、な、何? とリングの顔色も青い。


「お、落ち着け、大丈夫、大丈夫、だ――」

『くそ! この化物よくも、よくも!』

『待て! 落ち着け! とにかく先ず、な!? い、いつの間に――』


 ふたりの不安を取り除こうとデモンズが口にした直後、最初に聞こえた声は近衛騎士の一人、次いでラッセンの声が届くが、直後、ドサドサ、と何かが崩れ落ちる男、そして――


『こんな、馬鹿な、帝国屈指の近衛騎士が……だが、此処から先はこの私が一歩足りと――』


 そこで言葉は途切れた。再びの静寂。ジュオンはあまりの恐怖からか喉をつまらすような声を上げ涙を溢している。リングは絶句したまま固まっていた。


 ラッセンは一体どうなった? 近衛騎士は一体? そもそも何が起きている? 化物とは一体――様々な感情がデモンズの中で渦巻いていた。


 姿の見えない相手に百戦錬磨の皇帝と謳われしデモンズですらも不安を感じずにいられなかった。

 だが、今ここで自分までもが取り乱しては愛しの妻と娘を益々不安にさせてしまう。


 故に、お前たち――と、デモンズが二人に声を掛けたその直後だった。ドンッ! と謁見室の扉が激しく揺れた。更に続けて、ドンッ! ドンッドンッ! と扉が揺れ軋む。


 あ、貴方、とリングが不安そうにデモンズを見た。デモンズは大きく息を吸い込み、そして大丈夫だ、となんとか平静を装う。


「この扉は特別製だ。そう簡単に破れるほど軟じゃない。それよりお前たちは念の為にこっちへ――」


 デモンズはそういいつつも近くに立てかけておいた剣を手にとった。ここまできたならいざとなれば己がふたりの盾になってでも守るという覚悟があった。


 だが――その直後、けたたましい轟音、そして扉を刳り貫く不安の調べ。何かが直進してきたかと思えば――恐怖で引きつるジュオンとリングの顔を連れ、胴体だけを置き去りに背後の壁に突き刺さった。


 な――と見開いた双眸で壁に突き刺さったそれを見やった。大剣だった。そしてその柄に刻まれた紋様には見覚えがあった。


「これは、将軍の、それに、あ、あぁ、あぁあぁああぁああぁあぁああ!」


 絶叫が玉座の間に広がった。両手で頭を押さえた皇帝の目から大量の涙があふれだす。それはまるで血の涙のごとく悲しみと絶望を宿していた。


 ドサリ、ドサリ、と物言わなくなったふたつの胴体が崩れ落ちる。首からは大量の血潮が流れ赤絨毯に染みこんでいった。


 壁に突き刺さった大剣には、本来有り得ないはずの装飾が三つ追加されていた。それはどれも歪な球体だった。一つは必死に皇帝を守ろうと立ち向かったであろう女騎士の頭、その顔には任務を全うできなかった無念だけが張り付いていた。

 もう一つは無邪気でまだまだ甘えん坊な娘の顔だ。しかしあれだけ明るく爛漫だった娘からは想像もできない恐怖を貼り付けたままその表情は固まっていた。最後はデモンズが愛してやまなかった、最愛の妻の顔だ。だがあれだけ美しかった筈なのに、今の表情は絶望に支配され見る影もない。


 絶対に守ってやる――その皇帝の想いは結局果たされることなくあっけなく打ち砕かれた。

 どうして、どうして、と悲しみがその胸中を支配する。


 だが――溢れる慟哭を喉の奥に押し込め、そしてデモンズは怨嗟と憤怒の感情だけを残し近づいてくるそれを睨めつけた。


「――貴様が、貴様がやったのだな」


 それはとてもまともといえる風貌ではなかった。頭に頭陀袋などをかぶり二つの闇穴だけがそれの視界を確保し、同時にやつを認識できる唯一の隙間でもあった。


「貴様、魔族の、あの魔王の手のものか! 答えよ!」


 ありったけの怒りを込めて怒号をその人か化物かもわからないソレにぶつけた。

 だが、奴からの返事はなかった。皇帝デモンズは悔しそうに歯噛みしながらも、剣を抜きそれと対峙した。


「答える気はないということか、ならば良かろう! この私自ら貴様に引導を渡してやる! これだけの事をしておきながら、楽に死ねるなどと思うなよ!」


 獣の如き形相で吠える。金の縁取りがされた剣の刃がデモンズの気持ちに答えるように輝きを放った。


 皇威の剣――それがデモンズの持つ剣の名称である。それは先祖代々受け継がれた皇帝になる資格を有す者のみが持つことを許されし長剣。


 ただ豪奢な装飾が施されただけの見た目だけの剣などではない。その切れ味たるや鍛えぬかれた鋼の数倍の強度を誇るとされるアダマンダイン鉱の鎧すら苦もなく切り裂いてしまう。


 かつてデモンズは皇太子の称号を与えられた後、この皇威の剣を授与され、そして初めての戦に赴いた。そしてそれが初陣であったにも関わらず千を超す敵兵を切り捨て、敵国の大将を打ちとってみせたのである。持つものに勝利を与える剣、それが皇威の剣に伝わる伝承でもある。


 そしてその伝承通り、その後も皇帝自らが出陣した戦では一度足りとも敗北を喫したことがない。

 そう、何を恐れる必要がある! この剣があれば、敗北などありえないのだ。

 目の前のふざけた姿の侵入者を認めながら何かを押し殺すようにそう発奮し、死んでいったラッセンを含めた近衛騎士達や心から愛していた妻と娘の仇を討つため、デモンズは大きく一歩踏み込み、己の剣の間合いに入ったそれの頭蓋目掛けて、裂帛の気合で刃を振り下ろした。


――パキィイィィイン!


 だが、その直後に皇帝デモンズの耳に届いたのは、これまで幾度の戦を経験し、何人もの敵を斬り殺し、それでもなお刃毀れ一つせず絶対の切れ味を保ち続けた皇威の剣が――粉々に砕けた甲高い調べであった。


「ば、馬鹿な、こ、こんなことで……」

 

 呻くように呟く。その表情は脅威に満ちていた。デモンズの振り下ろした刃は確かにそれの頭蓋を捉えていた。だが、そんなもの殺人鬼に掛かれば子供が戯れに振る小枝と何ら変わらない。

 

 その証拠に殺人鬼がほんの少し頭を上に突き出したことで、つまり絶対の自信と渾身の力が篭った剣に対して殺人鬼は何の変哲もない頭突きで応じ、そして見事に刃を破壊してしまったのである。


 バラバラに砕けた皇威の剣、その三分の一程残った刃が殺人鬼の足元に転がり、残りの破片は四方八方に飛び散っていた。

 頭に皇冠を乗せた目の前の皇帝には、申し訳程度に剣身が残った柄のみが残されている。

 

 その残骸を握りしめたまま、皇帝の目は剥き出しになり、すっかり恐怖に支配されてしまっていた。

 

 すると殺人鬼は素早く脚を進め、そして皇帝デモンズの頭に手を伸ばす。


「な、何をする気だ!」


 抵抗を試みて皇帝が暴れまわったことで、頭の冠が零れ落ちた。すると殺人鬼は皇帝の長めの髪と髭をそれぞれ掴み、かと思えば筋肉の膨張した腕で大きく振り回し始める。


「ひっ、や、やめ、ぐぁ、い、いだい! 髪が、髭が、ああぁああぁあぁああ――」


 自らも回転し、皇帝をぶんぶんと振り回し続ける。するとメリメリと何かの剥がれる音が回転音に混じり始め、それにあわせて皇帝の悲鳴が更に大きな物へと変わっていく。


 しかしそれでも殺人鬼の行為が緩むことはなく、寧ろ激しさを増すばかり。

 そして遂に、ベリベリベリッ! という音と皇帝の絶叫と共に皇帝の身体が壁に叩きつけられ、殺人鬼の手の中に皮膚のこびりついた髪と髭のみが残された。


 壁から床に落下したデモンズはそのまままるで生まれたての子鹿のように蹲り、皇帝としての威厳など最早見る影もないほどにガタガタと震えていた。


 殺人鬼はその手に残された髪と髭をゴミのように放り捨て、そして剣の破片と皇冠を手にし皇帝へと近づいていく。


 豊かだった皇帝の髪も髭も既に消失し、代わりに真っ赤な色の髪と髭が生えてきていた。千切れた髪と髭が皮膚ごと持っていかれた為、ジュクジュクとした生肉が顕になっている。


「ぎひぃ、ご、ごれ以上何を――」


 殺人鬼は皇冠を一度床に置き、そして赤黒い皇帝の頭に左手を置き、無理やり起き上がらせる。

 

「わ、わだじは、この帝国の皇帝だぞ! ごんな、ごんなごどじで、い、今ならまだ、この私の権限で――」


 痛みからから酷く淀んだ声で、しかし権力という唯一残された切り札を盾になんとかこの場を逃れようとする。


 だが、殺人鬼にとって相手が皇帝だろうが王様だろうが関係がない。そのような肩書などは殺人鬼に対してはなんの効力も持ちはしない。

 

 なぜなら殺人鬼は命あるものに対して別け隔てなく平等だからだ。そう、そこに生きている者がいたならば、どんな相手だろうと差別することなく殺していく。それが殺人鬼だ。


「ぎひぃ! い、いだい、いだいいだいいだいいだいだいいだいぃぃいぃ!」


 殺人鬼は左手で皇帝の頭を強く固定させたまま、右手に握りしめた剣の破片を深く頭蓋に食い込ませた。


 そしてそのままギリギリと頭の形にそって破片を滑らせていく。破片は強い力で骨まで達しており、右の頭頂骨から前頭骨を切り裂き左から後方の頭頂骨に切れ目を入れていく。


 その間、じたばたと暴れ回り絶叫を続ける皇帝であったが、殺人鬼の腕力の前では抗うこと叶わず。


 こうして頭蓋を一周させた後は、出来上がった溝に指を食い込ませ、瓶詰めの蓋を持ち上げるように頭蓋骨の上側を取り去った。

 骨の蓋の中には無数の皺が刻まれた薄紅色の物体――そう脳味噌だ。


 そして殺人鬼は先ず剥き出しになった脳に手を添え、そして指で軽く握ってみる。皇帝の身体がビクンッと跳ね上がり、ア"ァ"ァ"ア"ア"ァ"ァ"ァ"ア"ア"、という狂った声を吐き出した。


 そして殺人鬼はひとしきり脳の感触を味わった後、一旦床に置いておいた皇冠を手に取り剥き出しになった脳に被せようとする。だが、当然そのままではサイズが合わない。


 それ故、殺人鬼は丁度脳味噌が輪の中に収まる位置まで冠を持って行き、万力の如き握力で強く締め付けた。

 その驚異的な怪力によって皇冠のサイズは強制的に縮んでいく。輪の部分がしまり遂には剥き出しの脳にピッタリと嵌った。


 だが、それで終わりではない。殺人鬼の力は更に強まり、皇冠がが脳味噌にぐいぐいと食い込んでいき、そのたびに皇帝デモンズは狂った獣のような声を発し胸部が上下左右に跳ねまわる。


 殺人鬼の手により、遂に皇冠は直接脳に装着された。すると今度は皇冠ごと脳味噌を引き抜きに掛かる。


「ぐぁぎぃぐぇ、ぎひゅへ、ほ、へ、は、び、ゅ――ア"ア"ァーーーー――」


 ブチブチブチブチッ! とその中身が引き抜かれる直前、皇帝デモンズは気狂いの声で叫びあげ、すっぽりと中身が抜け落ちると同時に黒目が上を向き虚空を見つめながら――皇帝の命は果てた。


 帝国の発展に尽力し、圧倒的に不利な状況に置いても決して希望を捨てずにいた皇帝の最後の表情は、威厳も尊厳も何も感じられないあまりに醜い狂った笑顔であった。


 そして殺人鬼は皇冠と一体化した脳を一瞥すると、それを床に落とし感情なく脳味噌ごと踏み潰した。


 数多くの国を属国として取り込み、栄華を極めたエルム帝国――だがそれもたった一人の殺人鬼の襲来によって今一つの歴史が終わりを遂げようとしていた……。

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