第四話 スカリーの奮闘
「こんなことって――あのふたりは私達セイレーンの中でも屈指の槍使いなのに……」
残りの騎士たちの表情に怯えが滲む。口を噤み完全に歌は中断された。
だが、そこへスカリーが叱咤の声を上げる。
「しっかりしなさい! それに相手だって無傷ではない! 見てみなさい、矢は確実にあの化物を捉えて――」
スカリーの言葉がそこで途切れた。何故か? その変化に気がついたからだ。そう彼女が言うように確かに殺人鬼の胸部に矢は刺さったままである。が、しかし彼女たちの目にした光景は、とても奇怪で不気味で不安にかられるものであった。
脈動――殺人鬼のまるて極厚なプレートメイルを身に着けているかのようなその頑強な胸板が大きく波打ち、そしてその動きに合わせて胸に刺さった鋼鉄の矢が少しずつその圧に押されていき――するとより一層大きく胸部が波打つと同時に、ヒュンッ! と風を切り、音を置き去りにして殺人鬼に刺さっていた筈の矢弾がセイレーンの騎士たちに跳ね返っていく。
「ああぁああぁあァァァあぁァアぎいいぃいぃいイィイイィぁあァ!」
絶望の悲鳴がスカリーの背中に突き刺さる。弾けたように首を巡らすと、矢を射った騎士たちにお返しとばかりに矢の洗礼が降り注いでいた。
しかもその威力は彼女たちが射ったものよりも桁違いであり、右目を貫かれ眼球が刺さったままの矢が柱のオブジェと化していたり、額の風通しがよくなりそのまま傾倒する歌騎士の姿や、喉に穿たれた穴を掻き毟りながら、ひゅーひゅー、と物悲しげな情けない音を残し涙を流しながら死んでいった者もいる。
「こんなことで、我らセイレーンが、くっ!」
セイレーンの団長であり第二王女でもあるスカリーは顔を歪め悔しげに呻いた。
既にセイレーンの騎士はスカリーを含めて六名のみ。
「仕方がありません。神殿を犠牲にしてしまいますが、あれを使います」
そしてスカリーが意を決するように言うと、他の騎士たちが驚いたように目を見開いた。
「ほ、本当にいいのですか?」
「いいのです。ここで食い止めなければ、ただでさえ魔族の侵攻が近づいているのです。ぼやぼやしてる場合ではありません!」
凛とした声で返し、そして両手を広げ合図する。すると他の歌騎士達も決意の表情で頷き、そしてスカリーの声に合わせるように美声を披露した。
そしてそれぞれの声が重畳し、集束した音波が躍動し渦を巻き衝撃が一点に集まりだす。
かつてセイレーンはオークの集落が出来たとの報告を受け、オーク共を殲滅すべく討伐に挑んだ。
オークはとても悍ましい性質を持っており、人間の雌を攫っては繁殖に利用する。オークには雌が存在せずその為に人を依代とし子を生ませるのだ。
それ故、本来女達だけで構成されたセイレーンが赴くのは的確ではない。しかしそれでも恐れることなく帝国第三騎士団たるセイレーン部隊はオークの集落へと向かった。
だがそこには、彼女達にとって予想外の相手が鎮座していた。
グランドオーク――オークの中で時折生まれるオークの長、そしてグランドオークが生まれる時はオークの数も劇的に増えている事が多い。
当初の報告では集落に住むオークは五〇〇体程であるとの事であったが、グランドオークの出現によってオーク達の性欲が高まり、攫ってきた女達を容赦なく、そして休むまもなく犯し、その数は僅かな間で当初の報告にあった数の一〇倍にも上る五〇〇〇体にも増えていた。
そしてその結果攫われた女達は全員壊れてしまい、別の意味でオーク達の餌と成り果ててしまっていた。
その光景に、スカリーの怒りは頂点に達し――そしてまさに今殺人鬼に使用しようとしている究極の声撃によってグランドオークを含むオークの群れを集落ごと殲滅したのである。
そう――今まさにスカリーが行使しようとしているのはそれほどまでの威力を誇る一撃。殺人鬼は一歩、また一歩と近づいているが――
「アアアアァアアァアアァアアァアアアァアーーーーーー!」
刹那――セイレーン達の声が爆発。渦巻いた衝撃は光を帯び、一直線に突き抜けた閃光が殺人鬼を飲み込んだ。
それはまさに光と音の奔流。全てを包み込み――そして消し去る。
「これで――やったか!」
もうもうと立ち上る灰煙を眺めながら、スカリーが確信の声を発した。
煙で視界を奪われはっきりとしたことは判らないが、それでも背後にあった神殿が跡形もなく消し飛んでいたことは理解が出来る。
それによって召喚に関わった魔導師や妹であるキャリーにダグラス、ミザリーといった大事な人達の遺体をも消失してしまったが――しかしスカリーは帝国の第二皇女、いざというときには何を優先すべきか十二分に判っているつもりだ。
「済まない、だがお前たちの犠牲を無駄にしないためにも必ず魔族は、この、私が――」
「殿下危ない!」
十字を切り決意の言葉を呟くスカリーの正面に、突如三人の騎士が飛び出し緊迫の声を発した。
刹那――騎士を串刺しにしたままの槍が二本、前に踊りでたふたりの騎士の土手っ腹を貫いた。
え? と狼狽するスカリーであったが、その時にはふたりの騎士は死に絶えていた。
「あ――」
その後の、殺人鬼の動きは早かった。正確にはスカリーにも彼女を守るために前に出た残りの騎士にも理解が出来なかった。
なぜなら、倒した筈の殺人鬼がいつの間にか女騎士の前に立っており、その両手で頭を掴み、ギュルリッ! とその首を一回転半捻じ曲げてしまったからである。
当然スカリーを守ろうとした女騎士はわけも分からないままにその生命を奪われ、あっけに取られたままの顔相は本人の意志とは関係なくスカリーへと向けられていた。
「こ、この化物め、ならば!」
一瞬の出来事に思わず思考が停止するところであったが、そこはセイレーンの団長たるスカリーである。即座に意識を切り替え、またもや仲間の命を奪い去った殺人鬼に向け、新たな歌を奏でようとする。
それは呪歌――使用者や周囲の者にも呪いを振りまく可能性のある諸刃の剣。だが今は四の五の言っている場合ではない。
とにかく、このあまりにも理解を超えた化物を倒さなくては――が、しかし、そんな姑息な手が殺人鬼に通用するはずがない。なぜなら彼らは殺人鬼にとってはなんの問題にもならない、ただの獲物でしかないからだ。
「ぐぃあ!?」
一瞬にして、殺人鬼の腕がその巨大な手が、スカリーの口に伸びそして掴んだ。呪歌を歌おうにもこうしっかりと押さえられていては、その美声を披露することも叶わない。
そして殺人鬼の膨張した腕と手は、スカリーの上顎と下顎を掴み、メリメリと開け広げ続けている。
「あ、ぐぉ、ぐぉ、ぐが、ぁ、ぎぃ」
美しき女騎士の身体が小刻みに痙攣する。それでも必死に、涙を流し鼻血を垂らしながらもなんとか声を発そうと抵抗を試みる。だが、彼女の口は、ふがふが、とまるで歯を全てなくした老婆のごとく情けない声を漏らすのみ。
だがそれすらも彼女は不可能となった。形の良い顎がありえない程に開け広がれ、骨が外れ、それでもなお限界を超えて広げられるその痛みに、とても精神を保っていられない。
「あ、ぎゅ、ぐ――」
あまりの痛みに彼女の下半身が湿り始め、ビチャビチャと糞尿をまき散らし始める。
だが殺人鬼の力は緩まない。寧ろ込める力がより強くなる一方だ。
ピリッ、という何かの裂ける音。それは口だ。口が裂け始めた音だ、その裂傷は徐々に広がり始め対には耳にまで達した。
舌はだらし無く口外に伸ばされ、目玉が半分ほど眼窩より飛び出し――
そしてついには顎ごとその顔を引き千切った。
ドスンと力なく糞尿の中に崩れ落ちる膝。残された下顎の断面には、綺麗に生えそろわれた残歯と赤黒く伸びる舌のみ。
その姿を見下ろした後、殺人鬼は残った上半分を興味なさげに放り投げた。
「ひ、ひぃいぃいい」
「あ、いや、いやぁあ」
殺人鬼の足元にはかつての仲間と皇女の容赦無い死を目の当たりにし、すっかり戦意を失いお互い身を寄せあって震えるだけの子羊がいた。
彼女たちは涙ながらに、助けて助けて、と訴えるのみである。
その姿を認めた殺人鬼は――その細い首根っこを捕まえ、両手でふたりまとめて空中へと持ち上げた。
「いや、何するの、お願い助けて! せめて、私が無理なら彼女だけでも!」
「な、何を言ってるの! お、お願いです、私はいいですから、か、彼女を――」
頭陀袋の中でぎょろりぎょろりと蠢く獣のような眼球が、ふたりを交互に見やる。
そして、ほんの少しの間をおくと――二人の顔を、いやその小さな唇を無理やり重ね合わせた。
「うぐぅ!」
「はぅ!」
突然のキスを強要されたような形に、ふたりは思わず目を見開いた。だが、直後もしかしたらこの化物はそういうことに興味が有るのかもしれないと思い至った。
そしてそれはふたりにとっては一つの光明。ここでこの化物が満足すればもしかしたら助かるかもしれない。
そう思い至った直後、ふたりの女騎士は互いの唇を激しく求め合い始めた。それはこのふたりにとっては決して難しいことではなかった。
なぜならこのセイレーン部隊において、彼女たちはそういう関係であったから――女のみが所属する第三騎士団セイレーンではこういったことは決して珍しいことではなかった。
故に、ふたりはこの状況にも関わらず、いやむしろこの緊張感のなかだからこそ、より興奮してしまったのかもしれない。
だが――そんなことは殺人鬼には関係がない。ふたりがその変化に気づくまでさして時間は掛からなかった。
「む、むぅ、むぐぅぅう、うぅうう」
「ぐうぅぅ、あぅうう、ぐ、ぁ」
殺人鬼がふたりを押し付ける力は徐々に強まっていく。互いに求め合い熱い接吻を続けていたふたりの表情にも余裕がなくなっていく。
接触した鼻がゴキゴキと嫌な音を奏で、ぶつかり合う歯が次々と砕けていく。重なりあう唇は無理やり押し付けられたことで砕けた歯の破片が入り込み、ズタズタに裂けそれでもなお殺人鬼の力は弱まらない。
「ぐうぅううううぅうううう!?」
「ひゅぎゅぅうぅうぅううう!?」
そしてついに尋常でない力で押さえ続けられた二人の顔は、その怪力によって圧着し、ベキベキ、と互いの顔面の骨を砕きあい、二人分の顔が見事一つに纏まった。
ぶらんぶらんと力なく揺れる四本の足と腕からは勿論既に生気は感じられない。
それを認めた殺人鬼は結果的に一緒になれたふたつの骸を地面に投げ捨てた。ごろんと転がったその顔は既に両面とも裏である。
そして、既にその場には己が殺すべき対象がいないと判断した殺人鬼は次の獲物を目指して再び歩み出す――頭陀袋から蠢く眼球は、巨大な城に向けられていた……。