第十七話 姑息ではない作戦だ
小躍りしながらハチェットは大層喜んでいた。何せあのトロマとヴェラですら倒せなかった化物を上手く罠に嵌めてやったのだ。
正直ふたりの将軍に対し、小狡いや小賢しいなどと言っていた割にハチェットのやり方もかなり小細工に過ぎると思われるがそんなことは既にこの男は気にしていない。そう結局のところ戦はどんな手を使おうと勝てば正義なのだ。
ハチェットは今になって、この見事な戦術をあのふたりにも見せてやりたかったとその顔をニヤけさせた。散々馬鹿だ脳筋だ牛頭だと小馬鹿にしていた連中だが、期せずして頭の良さを露呈させてしまった見事な戦術を見たならば、きっとその考えも変わっていたことだろう。ふたりそろって股の一つや二つ開き自ら交尾をせがんできたかもしれない。なんとも惜しいことをした。
そんなことを思いながらも、ハチェットは部下の何人かに命じて大量のマジックアシッドスライムが蠢く落とし穴の確認に向かわせた。
酸性が強く鋼鉄の装備品であろうと溶解させるアシッドスライムは有名だが、マジックアシッドスライムはそのアシッドスライムを魔族の手で品種改良した最強のスライムだ。体内に含まれた魔力との結合によって酸はよりいっそう強力な超酸へと変化し、オリハルコンでさえ溶かしてしまうという結果が報告されている。
勿論生物などは一溜まりもなく一級危険生物として取り扱いには十分注意するよう喚起されているほどだ。それだけの魔物をこれだけ集めるのにはハチェットも苦労したが、結果的にそれを利用した罠が功を奏した。
勿論それだけ強力な酸を含むスライムである。普通は運ぶことさえ困難に思えるが、魔族に寄る改良をなされたことである程度の命令は聞いてくれる。
それ故今回の罠として採用できたのだ。ちなみに落とし穴に溜めたマジックアシッドスライムに命じたのは、あらゆる生物は触れた瞬間に溶かせである。その為、今となっては仲間でさえ落ちてしまえば命の保証はない。尤も自ら罠に嵌まるような無能ならば自業自得とも考えるが。
とは言え――唯一残念な点は化物の顔を拝むことが出来ないことか。これだけ強力な酸であれば当然あのふざけた頭陀袋の下の素顔もドロドロに溶けてしまっているのは自明の理。
尤も顔だけではなく、肉体だってまともに残ってはいないだろうが、とハチェットが口角を吊り上げる。
すると確認に向かわせた部下たちが落とし穴の前にたどり着いたのが確認できた。
「よし、じゃあふざけた姿のあれがどうなってるか確認してみろ。尤も確認できる部分なんてこれっぽっちも――」
にやにやとした笑みを浮かべながら語るハチェットであったが、その瞬間落とし穴を覗き込んだ部下たちが引きずり込まれるようにして穴の中へと落ちていった。
「……は? おいおいふざけるなよ。全く本当に罠に嵌まる馬鹿がいたなんて――」
「ち、違いますハチェット将軍! 確かに今腕が、腕が伸びて兵達を穴に!」
部下の何人かが叫び、周囲にざわめきが起こる。ハチェットが、まさか? と眉を顰めた。
「あのスライムの中で生きられるはずが――」
しかしその瞬間、穴の中から間欠泉のごとくマジックアシッドスライムの酸が吹き上がり、戦場に超酸の雨が降り注ぐ。
「ギャ、ギャァアアァアァアア!」
「身体が、おでの身体がぁあぁああぁあ!」
思わずハチェットが目を剥いた。それは明らかにスライムの中身。相手を取り込む為に動き出したマジックアシッドスライムだ。本来ならば触ることすら叶わない、筈なのに――マジックアシッドスライムの本体が無事なのは、唯一中の超酸でも溶けない特殊な膜で覆われているからである。これが命令によって溶かすか溶かさないかを決めることが可能な要因ともなっており、溶かせと命令した場合には触れた瞬間に膜がゼリー状に変化し対象物を取り込み溶かしてしまう、筈なのに――
それはまるでちょっとした海水浴でも楽しんできたかのような、平然とした姿でびちゃびちゃとスライムの残り液を地面に垂れ流しながら穴の中から這い上がってきた。
「こ、こいつ、あのマジックアシッドスライムの中で生きていたばかりか、逆にあれを殺したというのか! 全てを溶かすあのスライム達を!」
驚愕するハチェット、怯える魔物たち。だが、当然だろう。そう、そもそも殺人鬼にこのような小細工が通用するわけがないのだ。
そして全てを溶かすスライムであろうとそれが生き物であることに変わりはない。相手が生き物であれば殺人鬼にとってはただ殺すべき対象でしかない。そんな捕食対象に殺されるほど殺人鬼は愚かではないのだ。
こうして這い上がり何事もなかったかのようにハチェットや兵たちを見回す殺人鬼を認め、ぐぎぎ、と歯噛みしつつハチェットは次なる命令を兵たちに下した。
「お前ら何をボケっとしてやがる! さっさと全員で掛かれ! そしてあの化物をまた穴に落とせ!」
「え? でもそれは効かないのでは?」
「馬鹿野郎! 一度ぐらいで諦めるな! 一度でダメなら二度! 二度でダメなら三度落とせ! 何れはあれだって溶ける!」
部下の視線が冷たいが、怒気を荒げるハチェットの姿に、このままでは化物より先に将軍に殺されかねないと悟ったのか、兵たちは覚悟を決め、とにかく無我夢中で殺人鬼を落としに掛かる。
だが、しかし――
「あ"ぁ"あ"あ"あ"あ"ぁ"あ"! がらだがーーーー!」
「あずい、あずいよぉおぉぉおお!」
「だずげてぇ、ハジェッドざまぁああぁあ!」
ハチェットの目の前ではただただ惨劇が積み重なっていくだけであった。何せ相手は突撃してくる相手をちぎっては投げちぎっては投げを繰り返し、逆に穴の中へと落としていく。
そして当然穴の中にはスライムの残滓も大量に残っており、穴に落ちた兵たちの最後はあまりに無残なものであった。
「く、くそ! いよいよ俺一人ってわけか……」
こうして迎えた最終局面。二百五十万いた兵は全てどろどろに溶解され、残すは三魔将最後の一人、牛頭のハチェットと殺人鬼のみ。
するとハチェットは巨大な両刃の戦斧を構え、声を爆発させた。
「この、この俺様を舐めるなよ! 三魔将一の怪力を誇るこの俺を! グモオォオォォオォオォォォ!」
荒ぶる鼻息は吹き出す度に地面を刳り、土煙を周囲に巻き起こす。
それを繰り返すと煙幕によってハチェットの姿が見えなくなった。
しかし殺人鬼は構うことなく獲物目掛けて足を進めた。だがその時、ギュルギュルと激しい回転音。迫るは巨大な戦斧。
どうやらハチェットが投げつけてきたもののようだが、殺人鬼はそれを難なく受け止める。
「馬鹿め! それは囮よ!」
しかし、その瞬間、斜線を描くようにハチェットが飛び出し、その角を更に鋭利に逞しく変化させた状態で突進してきた。
「この煙幕の中では俺の攻撃は見切れまい! これで最後だーーーーーー!」
勝ち誇ったように声を滾らせ、ハチェットの突進が殺人鬼に炸裂した。ハチェットの持つ技の中で最も破壊力のあるこの一撃は鋼鉄の厚い壁であったとしても問答無用で破壊する。
それだけの突撃だ。いくら殺人鬼といえど――言うまでもなく効くわけがない!
そう効かぬ、通じぬ、殺せぬ。そもそも落とし穴といい煙幕といい、そのような小賢しい手が殺意のみで生きる殺人鬼に通じるわけがないのだ。
「ば、馬鹿な! 俺の突進を、う、受け止めただとぉおぉおぉおぉおお!」
汚らしい涎を撒き散らしながら、驚愕の声をハチェットが周囲にばら撒いた。
信じられないといった様相。だが、それが事実だ。しかも殺人鬼は片手だけでそれを行っている。
「……くっ、まさかここまでとはな。完敗だぜ、俺のな。なぁあんた、俺と組まない、ぎゃぁああぁあぁああ!」
寝言は寝てから言え、とでも言わんばかりに殺人鬼はハチェットがわざわざ進呈してくれた巨大な斧を利用し、その角と両腕を切断した。
あまりの激痛に地面をのたうち回るハチェットだが、殺人鬼は構うことなく両足も切断。
四肢を完全に無くしたハチェットは正にまな板の鯉状態だ。
「ち、畜生、なんで、何で俺がこんな目に、テメェ! この俺をどうする気だ!」
聞くまでもない。殺すのだ。殺人鬼にとってはそれが全て。仲間などいらぬ。自分以外は全て獲物。それが殺人鬼だ。
故に殺人鬼は、ハチェットから手に入れた斧を器用に扱い、なんとその身体を捌き始めた。
「ブモオォオォオォオオ! て、てめぇ、俺の斧を使って、何を、ひぃ、やめ、やめて下さい、い、いたい、いだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいだいィイィイイィイイイイ!」
しかしそんな泣き言など気にすることもなく、殺人鬼は巧みな斧さばきでハチェットの身体をヒレ、サーロイン、ランプ、ロース、金玉、ハラミ、サガリと言った具合に見事切り分けていった。
しかしそれだけの状態になってもまだ息をしていられるこのタフさは、流石三魔将の一人といったところか。
「あ、おでが、このおでが、こんな、惨めなすがだに――」
腹も掻っ捌かれ内臓も顕になったハチェットが涙ながらに訴えた。
だが、そんなこと気にもせず、殺人鬼は最後の仕上げと言わんばかりに落とし穴からマジックアシッドスライムの体液を組み上げ、そして――見事ハチェット牛のアシッドソース掛けを完成させた。
「ぎゃぁあぁああぁあ! 溶けるぅぅぅぅ、俺の部位が、内臓が、脳が、全て溶け、りゅ、うぅ――」
ハチェットの声が段々か細くなり、そして最後には全てがどろどろに溶解され、そして三魔将最後の一人が絶命した。
それを認めた後、殺人鬼は落とし穴を覗き込んだ後、全ての生を狩り尽くしたことを認め更に先へと進みだす。
目指す先は魔王軍の本陣、そう、残る獲物は――魔王だ。




