第十話 三魔将のトロマ
「トロマ様準備が整いました」
配下のオークがやってきて彼女に報告する。すると灰色の髪を掻き上げながら、三魔将が一人、ワドナーのトロマが一つ頷いた。
「三時間で配置が完了するとは、中々優秀だな。後は一斉に攻撃を行い様子を見るだけってところか――」
北門がよく見下ろせる丘の上に立ち、トロマが蠱惑的な笑みを浮かべつつ述べた。
魔王イヴから彼女は六六万の兵を預かっている。その内の四十万を二分させ、帝都の東門側と西門側へ配置し、トロマの控える丘と北門の周辺に前衛を守る守備隊と魔導部隊と合わせて二十万、そして空からは飛竜に跨った暗黒騎士達が六万、いつでも強襲できるように控えている。
そしてトロマが与えられた作戦は――街に向けての全軍による一斉攻撃。但し遠距離からの魔法や投石器、バリスタなどによる攻撃と飛竜部隊による空中からの爆撃攻撃のみでの総攻撃であり、街に近づくことはない。
目標もある程度大雑把に、但し建物などは重点的に破壊する。通常であれば非戦闘員すらも巻き込んでしまう非情なやり方だが、バースディの話していたとおりなら迂闊に近づくのは危険である。
かと言ってまるでゴーストタウンの如き様相に変化している街をずっと眺めていても仕方がないのである。
白旗でも上がっていればまた話は違ったかもしれないが、現状相手の姿も全く見えない以上、この作戦で逆にあぶり出してしまったほうが早いと、そう考えたわけである。
「……正直このやり方だとあっさりと勝負が付きそうで物足りないがな。だが仕方あるまい」
髪を掻き上げながらトロマが独りごちる。そして魔法による念話が可能な部隊どうしで状況を作戦の確認を行う。
「いいか、南門に関してはわざと開けておけ。そして、もしもそこから出て行くものがいたなら飛竜部隊で回りこみ捕らえろ。隠し通路がある可能性もあるから飛竜部隊の何名かは周辺の監視も怠るなよ!」
トロマの命令に部下たちが、はっ! と敬礼し最終確認に向かう。
そして問題ないという報告を耳にし、トロマは改めて目標地である帝都を俯瞰しながらタイミングを見計らい――
『よし! 全軍一斉攻撃開始だ!』
トロマの念による号令が発せられ、それを皮切りに四方八方から魔法や投石、巨大な矢や弓兵による攻撃が帝都へと向け発せられた。
帝都の上空が一瞬数の暴力に支配され、万を越える火炎球や氷の矢、風の刃に鋼鉄化した土塊、それに岩石や大小様々な矢に覆い尽くされた。
そしてそれらの攻撃が一斉に着弾――帝都に火の手が上がり、建物は破壊され石畳の道は粉々になり、あちらこちらにクレーターが出来上がる。
更に追い打ちをかけるように飛竜部隊が上空から迫り、竜の炎が帝都の街を蹂躙した。
容赦なしの破壊活動。それに遂にトロマも加わる。何かを呟き空を見上げた直後に両手を振り上げた。
すると空に厚みのある曇天の雲が集まりだし、かと思えば黒雷混じりの漆黒の雨が帝都を穢す。
『カオシックルインストーム――』
それがトロマの行使した闇魔法。魔族が使用する魔法の中でも最上位に位置する魔法であり、本来であれば例え魔族の魔導師達であっても数十人が陣形を組んでようやく発動できるほどの代物である。
しかしトロマはそれを一人で、しかも詠唱も陣もなく発動してしまった。流石魔族の中でも魔王に次ぐ魔力を有し最高のワドナーである。
そして――トロマの放った魔法によって生まれた黒雷が次々と帝都の街に爪を突き立てていく。飛竜部隊はトロマの魔法による余波を避ける為既に引き上げていた。縦横無尽に暴れ回る闇の雷槌は帝都にその爪痕を深く深く刻み込んでいく。
だが、この魔法の恐ろしさはこれだけでは済まない。黒雷と同時に降り注ぐ漆黒の暴雨、これこそが真の脅威であり、街に更なる恐怖を植え付ける。
漆黒の雨は腐敗の雨だ。猛毒を含み更に強い呪いの力も込められている。雷のように直接的なダメージがあるわけではない。しかし漆黒の雨によって触れた箇所が徐々に蝕まれ、どのような物質であろうが一切関係なくその全てを腐らせていく。
その為、例え建物の中に潜み続けようと無駄なのである。屋根はあっというまにボロボロに崩れ落ち、容赦なく死の雨が建物の中にまで浸透していく。一滴でも触れたならその毒と呪いは一瞬にして全身にまで及び言葉に出来ないほどの痛みと苦しみを与え続けるのである。
「いくらなんでもこれで姿を見せることだろう」
本来トロマがわざわざ手をくださなくても、最初の一斉攻撃で人間たちが姿を見せればそれで後はどうとでもなる筈であった。
一度パニックに落としてしまえば、後の占領は赤子の手を捻るより簡単な事である。
だが、帝都の三分の一程を一斉攻撃で滅したにも関わらず、帝都の人間たちが姿を見せることはなかった。
だからこそトロマは最終手段としてこのカオシックルインストームを行使したのだ。もたらす被害は絶大であり、この魔法で帝都の建物はほぼ全て使い物にならなくなり、住人たちもその多くは命を失うことだろう。
「本当に人間とは愚かだな……」
トロマが憐憫の眼差しを向けつつ独りごちる。先の戦いでも似たような事があった。主要都市の一つを落とすべくトロマはやはり多くの兵を引き連れ進行し、魔族を打倒さんと攻めこみ、守り、必死に抗う人間どもを全て駆逐し、そして今のように魔族の軍が都市を完全に包囲した。
だが、そこで都市を任される幹部たちが取った行動はあまりに愚かで救いのないものであった。
連中は外側を非戦闘員である住民で固め彼らを肉の壁としたのである。
恐らくこうすることで魔族とはいえ攻めこむのを躊躇する筈、とでも考えたのだろう。だが魔族にとって人間の命を奪うことなどアリを踏み潰すのとなんら変わらない。
故に――その際もトロマは見せしめにこのカオシックルインストームを行使し、住人たちを殲滅させた上で、あっさりと都市を占領した。
ただ、いくら魔族にとって虫けらに等しい命とはいえ、本来臣民の命を守ることを真っ先に考える立場であろ幹部たちのこの行為には若干腹も立ったので、都市を占領後は容赦なく、それでいてじっくりと痛みと苦しみを与え続けた上で残りの幹部たちを静粛したが――
そして今回の様相もそれによく酷似していると、最初はトロマも感じていた。所詮そのような幹部に都市を任す皇帝などは結局同じように性根が腐っているのだろうと。
何せこれだけのことをしても全く反応を見せないのだ。尤もそれならそれで構いはしない。本来であれば戦後処理が難しくなるこのやり方は望ましいものではないが、ここは帝都、陥落させてしまえば帝国は魔族の手に落ちたといって間違いない。
だからこそここは躊躇などせず徹底的に叩き潰す道を魔王は選んだのだろう。そしてそれは正しいとトロマは信じて疑わない――筈だったのだが……。
「……おかしい、やはりこれはおかしすぎる――」
眉間に皺を寄せ、その表情が酷く歪んだ。整った顔が台無しにすら思える様相だが――しかしやはりこれはどう考えてもおかしいのだ。
何故か、それは未だに一向に人間の姿が見えないことにある。勿論最初の攻撃とトロマの魔法による黒の雷槌によって叫ぶまもなく多くの人間が滅せられたというのも考えられる。
しかし帝都には三千万もの人間が暮らしている。確かに魔族による攻撃は凄まじいが、それでもその全員を殺すためのものではない。トロマの行使した魔法とて、ただ都市にダメージを与えるというだけではなく、むしろ雨によって苦痛を与えることの方を優先している。
そうすることで帝都に潜んでいる人間達をある程度あぶりだせると思ったからだ。しかし一斉攻撃からそれなりの時間が経っているはずなのに、全く反応がないのである。
正直トロマは己の放った魔法に絶対の自信があり、だからこそ断言できる。この死の雨を受けて耐え切れるものなどいはしないと。
だからこそ――去来する。胸に何かじゅくじゅくとした、不気味な予感。
一体それはなんなのか――判然とはしないが、とにかくこれ以上の攻撃は無意味と判断した。
故にトロマの魔法を残し、各地に配置した兵士たちの攻撃は一旦中止させようとする――が、その時ふとトロマは気がついた。
(西門側の攻撃が止んでいる? 一体どういうことだ?)
トロマはまだ各部隊に攻撃中氏の命令は出していない。それに東門側への攻撃は今も断続的ながら続いている。これは途中で一度トロマが攻撃の頻度を抑えるよう命じた為――しかし西門側に関しては完全に攻撃が止まってしまっているのだ。
『トロマだ。攻撃中止の命令は出していないが一体どうなっている?』
念話でトロマが問いかける。だが――反応がない。
『聞こえているか? 第十二魔団団長、聞こえているならすぐに返事をしろ。繰り返す、攻撃命令の中止は出していない。どういうことか今すぐ説明するのだ』
何度も何度も呼びかける。だが、やはり反応は見られなかった。
「……どうなってる? くそ!」
意味がわからないと奥歯を噛み締めつつ、仕方がないので続く念話で飛竜部隊の幾つかに様子を見に行くよう命じた。
すると黒騎士を乗せた何体かの飛竜が西側の部隊の様子を探りに飛び立った。
そして状況を確認するように兵士たちが配置された場所付近を旋回する飛竜たちであったが――
『と、トロマ様! た、大変です! 第十二魔団が、団長も、兵も、す、全て皆殺しに――』
その念側が届いた直後、地上から何かが次々と飛竜に向けて投擲され、飛竜の頭を、翼を、胴体を、容赦なく穿ち、そして墜落させていく。
「な、なんだ? 一体何が起きた!」
あまりに一瞬の出来事にトロマの思考が追いつかない。ただ飛竜が落ちた辺りから、黒騎士達の断末魔の叫び声が念として彼女の脳裏に飛び込んでくる。
「馬鹿な! 魔王軍屈指の黒の飛竜部隊だぞ! それなのに、こんなにあっさり――」
「と、トロマ様あれを!」
トロマ率いる部隊の兵から、緊張した声とざわめきが起きた。
トロマは弾かれたように兵士の指が示した方向を目でおったが、そこは帝都の中心部の真上にあたり、そこを何やら人型の影が横切ったのである。
そう、つまりその影は西門近くから跳躍し――帝都を飛び越え東門側へと映ったのだ。
三千万人もが暮らす巨大都市を飛び越えてである――




