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第一話 召喚された殺人鬼

 エルム帝国第三皇女キャリー・エルム・ジェイソルは戸惑っていた。


 帝国の栄華を脅かす魔王軍。魔王イヴ率いる六六六万の軍勢が、今まさにこの帝都に迫ろうとしているこの時。


 皇女キャリーは最後の望みを託して、皇家に代々から伝わる勇者召喚の魔法を執り行った。


 帝都にどっしりと鎮座する御父様(皇帝)の城。そこから少しばかり離れた位置に立てられた儀礼用の神殿。


 その中の一室。床一面大理石の巨大な広間。

 そこの中心にて魔法陣を展開し、そして全ての魔力を用いて伝説の勇者召喚の魔法を展開させたのである。


 召喚は――恐らくは成功した。詠唱を終えた瞬間には魔法陣が淡く輝き出し、そしてその光が大きく膨れ上がり弾けるように神殿を駆け抜けた瞬間。


 キャリーの目の前にはひとりの人物が佇んでいた。


 それはいい――だが。


「こ、皇女様。本当に彼が勇者様で間違いないのでしょうか?」


 キャリーが産まれた頃から面倒を見てくれている侍女のミザリーが困惑の声を発した。


 皇女の魔法を手助けしてくれた、皇宮魔導師の面々もどこか戸惑っている様子だ。


 だが、それも仕方ないかと皇女はその勇者の姿に再度注目する。


 一体元の素材が何かも判らないボロボロの服装。体躯は上背が高く二メートルは優にある。

 全体的に逞しく、腕はこの神殿を支える柱の如く太い。そしてその手には赤錆びた鉈。


 だが何よりも皆が畏怖しているのはその顔容であろう。

 いや、正確には顔自体は確認が出来ない。しかしだからこそ不気味でもある。


 その勇者は何故かは知らぬが、顔全体を薄汚れた茶色い頭陀袋で覆っていたのだ。


 勇者は先程から肩を上下させ、興奮しているように荒息を立て続けている。

 その被られた袋には目に当たる部分に二つの穴が穿かれ、ギョロギョロとした獣のような瞳が蠢いていた。


 その姿に皇女は戸惑いを隠せない。だが胸を押さえ気持ちを落ち着かせた。

 ここで私がしっかりしないでどうする、と。自分の浅慮な態度で、折角の勇者様の機嫌を損ねてしまってはいけないと。


 キャリーは尊敬する皇帝たる御父様の為に、少しでも協力出来ればとこの勇者召喚の魔法に手を出した。


 中には止めるものもいたけれど、帝国存続の危機なのである。そんな悠長な事はいってられない。

 臣下の中には皇帝の政策に苦言を発し、魔王がここまで勢力を拡大させたのは御父様の性だと糾弾するものまで現れた。


 キャリーはそれが哀しかった。これまでどれだけ御父様が国のために尽くしてきたか彼女はそれをよく知っている。


 そして確かに中には血も涙もない男と陰口を叩くものがいたことも承知している。

 だがキャリーは知っている。父、皇帝がどれだけ臣民たる人々を愛し、その幸せを願っていたかを。


 だからこそ時には鬼神にも思える容赦のない策に踏み切った場合もある。だがそれとて帝国で暮らす人々の事を思ってのことだ。


 そんな御父様が辛い目にあってるのを、キャリーは黙って見過ごしているわけにはいかなかった。

 どんな時でも優しく接してくれた御父様。キャリーの金色の髪を撫でながら、まるで女神のようだと褒め称えてくれた――あの温もりを彼女は絶対に忘れない。


「キャリー皇女――」


 心配そうにか細い声を発した侍女に、大丈夫です、と後光が刺すような笑顔を向け、そして決意の表情で皇女が勇者へと脚を進める。


 そして勇者の眼の前に毅然と立ち。そして恭しく頭を下げた。


「申し遅れました。私ここエルム帝国第三皇女キャリー・エルム・ジェイソルと申します。勇者様は突然の事で戸惑われてるかと思われますが――」


 頭を上げ、挨拶の言葉を投げかけたその時、キャリーの視界がぐるりと回転した。


(え? 何?)


 皇女の脳裏に短い困惑。そして回る視界が固定されたその時、己の首のない胴体が血しぶきを上げながら大理石の床を汚し、倒れていく様を目撃する。


(そんなどうして、勇者様――)


 ジェイソル帝国第三皇女キャリー・ジェイソルの意識はそこで完全に消失した。





 殺人鬼は誰にも従わない。殺人鬼はただ殺すだけだ。殺人鬼の行動原理は殺意にこそある。

 そこに殺せるものがいればただ殺すだけだ。


 そしてその殺人鬼にとってこの場所は天国であったことだろう。理由はきっと殺人鬼にも理解できていないだろうが、突如目の前に広がった空間には獲物が大量にいる。


 そして先ず一人、随分と線の細い女が殺人鬼の前までやってきた。

 そして己を皇女だとのたまった。

 

 だがそんな事は殺人鬼には関係がない。

 目の前に獲物がいれば女子供だろうとその手を振るう。


 哀れな皇女はそんなことも露知らず、殺人鬼の殺意の間合いに入ってきた。

 そして何も知らない女は安易に無防備な自分を曝け出し、その細い首を差し出した。


 振るわれた赤錆びた鉈は、淀みなくキャリーと名乗った皇女の首を水平に撫で付け、その瞬間には頭が見上げるほど高い天井にぶつかり、鮮やかな断面をその視界に収め、紅色の溜まりを床に讃え、その靭やかな肉体が傾倒した。





◇◆◇


「きゃあああぁあああ! いやああぁあああ! 皇女様ぁああぁあ!」


 天井で跳ね返り、己の足元をゴロゴロと転がる歪な球体をその眼にした侍女ミザリーが、この世のものとは思えない悲鳴を上げた。


 何が起きたのか暫く理解ができていなかった。皇女が大丈夫といって単身勇者の近くにより、頭を下げて挨拶しその美しい顔を上げた瞬間には、首から上が無くなっていたのだ。


 そしていま目の前に転がる彼女の成れの果てを見るまで、ミザリーは瞬き一つできないでいた。


 だが足元のそれが伝える事実。笑顔の美しかった皇女の表情は、驚愕を貼り付けたまま固まっており、優しかったあの面影を一切感じさせない。


 皇女は誰にでも優しかった。臣下のものでも街の臣民でも分け隔てなく慈愛の心で接していた。


 ミザリーはそんなキャリー皇女に仕えられた事を誇りにさえ思っていた。

 そして決して言葉には出せないが、まるで本当の家族のようにも思えていた。


 ミザリーが常にその着衣に身につけている輝石の施されたブローチは、皇女がミザリーの誕生日にとわざわざ街へと足を運びプレゼントとして寄贈してくれたものだ。


 あの時にいってくれた、ミザリーはまるで本当のお姉さまのよう、その台詞を彼女は一生忘れないだろう。


 自分には勿体無いほどのお言葉だった。皇女様に仕える事こそが彼女の生き甲斐だった。

 そのおかげですっかり婚期も逃し、眉目が良いのに勿体無い等とも囁かれたが、皇女様の為なら生涯独身でも構わないとさえ思っていた。


 その恵愛すべきキャリー皇女の首が足元を転がる。

 ミザリーは両手で顔を覆い咽び泣いた。


 何故私は皇女様の後を追わなかった?

 何故私が皇女様の代わりにまず確認に向かわなかった?

 何故私は皇女様を引き止めなかった。


 渦巻く後悔。だがいくら後悔したところで奪われた時は二度と戻らない。


 だからこそ、その後悔は湧き上がる怨嗟で憎悪に変わる。自分に今出来ることは惨たらしく命を奪われたその敵を取ることだけだ。


 いざというときに皇女様をお守りできるよう、侍女として剣術は嗜んでいる。

 だからこそ彼女の腰には常にレイピアが挿し持たれていた。


 前に一度、皇女の乗る馬車が盗賊に襲われた時には、その撃剣で群がる暴漢共を次々と切り伏せていったほどである。


 皇女様が必死の思いで召喚したもの。それを失敗とは思いたくないが、現実にキャリー皇女に手を掛けたのだ。

 

 それは絶対に許しておけるものではない。

 ミザリーは腰のレイピアに手をかける。お慕いする皇女の無念を晴らすために。

 

 あの勇者、いや! 悪魔にその一撃を叩き込むため、そのレイピアをぬ――


「ぐぎぇ!」


 風が縦に駆け抜けた。その瞳は不気味な布袋のみ捉えていた。その剣を抜く暇など与えてくれなかった。

 

 いつの間にか肉薄していた殺人鬼は、彼女の決意事、その細身を頭から股下まで一刀両断に切り伏せた。


 ミザリーの身体が左右に裂ける。虹彩に恨みの色だけ残しながら。

 だが殺人鬼にはそんな事は関係がない。


 目の前に立つものなら容赦ない。グチャリ――左右の耳に飛び込む快音。

 床を這う大小様々な臓物。


 血に混じって溢れる排泄物の匂いが、辺りに充満する。


 その残滓をどこか満足そうな雰囲気を漂わせ一瞥した後。


 殺人鬼は残った魔導師達にその顔を向けた。



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