最終話
そして最後のバイトが終わった時。
例の近道を通ると、突風が自分の帽子を吹き飛ばした。慌てて拾うと紙切れがついている。誰のものかは直ぐ判った。
「きのう れんしゅうしたら うまくいったの はやくきて」
言われるがままに店の前まで行くと、窓の奥で象牙色のピアノが待っていた。自分は反対側の街灯に倚り懸かる。
やがて歌が始まった。
Even today we hear love's song of yore .
(今日も心に響く はるか昔の愛の歌)
Deep m our hearts it dwells for evermore
(永遠に我らの心に 深く染みてゆく)
そういえば、と自分は思った。あの時あげた楽譜に、歌詞はついていただろうか。あれこそ一番味わってもらいたい部分なんだけど。
Footsteps may falter, weary grow the way
(へとへとの帰り道 足取りふらついて)
Still we can hear it at the close of day
(一日の終わりに この歌を聴くのだ)
聴きながら歌の意味を思い出す。
そうだ。君とマスターのーーお父さんとの事だけじゃない。今までの自分と君の事も、この歌に入ってるんだ。自分があの「月光ソナタ」をどんな思いで聴いたかも。君のピアノが教えてくれた事も、全部。
So till the end, when life's dim shadows fall
(人生が最後まで 暗いものであっても)
Love will be found the sweetest song of all
(愛はきっと全て 優しい歌の中に)
ずっと暗闇で眠り続けていても、君はピアノが大好きだったから。もしそうでなければ自分が出会う事も無かった。
大丈夫。優しい歌の中に、君の探しているものはきっと全部見つかるさ。
演奏が終わった。風の音に混じり、啜り泣く声が小さく聞こえた、気がした。
「弾いてくれて有り難う。大好きな歌だから、嬉しいよ。いつかまた来る」
窓辺に置かれた最後一枚のメモを取り、自分は一礼してその場を後にした。ちゃんと気持ちが伝わっている事を祈りながら。
帰りの電車で中身を見た。
「やさしい わたしのおきゃくさん
いつも かえりにきいてくれたの とても うれしかった
あなたがくるまで ずっと ひとりぼっちだった
あなたが おしえてくれたうた とても すきになった
わたしもずっと くらいかげのなか
でも あなたのきもちが うたのなかにこもってた さびしくなくなった
こんどはもっと うまくなってるね
たくさんのひとに ひいてあげたいの
またきてね」
吊り革をぎゅっと握り、自分は最寄り駅まで泣くまいと懸命につとめた。
大学に入ってからは、もう象牙色のピアノと顔を合わせる事はなくなった。あの店は通学路と反対側だったし、そっち方面にあった歯医者も引っ越してしまったからだ。
ただ、午後九時半に聞こえるピアノ曲の噂は、前より広く耳にするようになった。一つは「月光のソナタ」、もう一つは「Love's old sweet song」。
もしかして病院の眠り姫は、もっと音楽でつながりたいのかもしれない。いつか呪いが解ける日を夢見て。
〈おしまい?〉
沙猫です。この度はこんなダラダラとした話を読んでくださり、有り難うごさいました。ブクマまでしてもらって泣きそうです。
元々新聞の見出しで、ピアノがどうたらとかいう小洒落た文句がありまして。それに感銘を受けて書いたのが拙作でございます。
劇中使った曲は、私自身も気に入っていて、是非CD借りるなりYouTubeで聴くなりしていただきたいものです。
なお、Love's Old Sweet Songの歌詞は下記ウェブサイトを参考にし、和訳は著作権も切れてたので自分で行いました。
Love's Old Sweet Song Lyrics." Lyrics.net. STANDS4 LLC, 2016. Web. 22 Feb. 2016. <http://www.lyrics.net/lyric/29014917>.