幼女ちゃん
この小説はとあるおしるこ嫌いな阿部さんの台詞を使いたいがために作りました(
学食を求める多くの生徒の中に僕は紛れ込む。
なんて表現を使ってしまうことが、なんとなくだけど、僕がこの学校の一部になりきれていないことが少しだけ実感することができる。紛れ込む、つまりは異物だ。
「設楽さんからすれば、それは異物というか、遺物に近いのではないでしょうか」
薬袋梢が器用に割り箸を指でくるくる回しながら、呆れたように声をかける。
そういえばこんな時間帯に学食に来ること自体が何年振りのことだろう。
「遺物、まだ卒業していないのに?」
「卒業していないことが、イコール遺物にはなりません」
僕の前を並ぶ薬袋は列に並べられたメニューを眺めながら答える。
その目は今日の定食のアルファベットのAとBを右往左往している。
無表情そうな横顔から察するにそこまで真剣に話しているわけじゃないらしい。僕も倣ってメニューのサンプルを眺める。
やがて順番が来て、僕は薬袋と同じメニューを注文する。
「設楽さんは、なんで私と同じメニューを頼むんですかね」
「特に意味はないけど」
明るい木目調のテーブルに向き合うようにして、同じメニューが並ぶ。
「私がAを頼めば、てっきりBを頼むかと思ってたのに」
「AでもBでもどちらでもよかったけど」
「それです。では何でAにしたのですか?」
「薬袋がAを頼んだから」
「ふーむ」
薬袋はよく心情を読み取れないような深いうなり声をあげてコロッケを齧る。
「普段レストランなどに行くと、友人が頼んだもの以外を頼むという暗黙のルールがあることをご存じないのですか?」
「なにその暗黙のルールは?」
「特に意味はありません。強いて言うのなら余計な派閥を作らないためでしょうか」
「派閥? ごめん言っている意味がわからない」
どうして友人が頼んだものとは違うものを頼まなければならないのだろう。
よく理解できない。
「つまり三人でレストランに入った時に、二人が同じもので一人が違うものを頼んだ時に気まずくならないようにです」
「別に食べるもので席が変わるわけないだろう」
薬袋の言っていることはなんとなく理解はできた。理解はできたけど、すとんと腑に落ちない感触が残る。
「そうですね。ですが、せけんてーを守るために必要なことです」
「必要ではないだろう」
薬袋のいうせけんてー、つまり世間体を守るためにメニュー選びまで繊細なチョイスを求められるのならばそもそも付き合わなければいいと思ってしまう。
だけども現実的にその些細な選択で、日常生活に飛び火し兼ねないということだろうか。
それって結局のところ、世間体を守るというよりも自分を守るといった方が正しいのかもしれない。
でも僕はちょっと待てと立ち止る。
「世間体を守るってどういうこと? 友人なんていなくてもいいんじゃない?」
「ここでは友人を例に引き出しましたが、私たちが将来大人になって働く上で人との関わりは決して回避できません」
「だからメニュー選びにも、考えて選べと」
「そういうことです。つまり和風きのこ雑炊を被って頼むと最悪な目に」
私の友人の友人の話なんですけどね、といらぬ補足をする薬袋。実体験の話なのだろうか。
何故和風きのこ雑炊かのチョイスはさておき、結局のところ詭弁だ。
「例えば社会に出てからの話をしましょう。上司と食事に行ったときに、上司よりも高いものを頼むのはご法度なんですよ」
「まぁ、なんとなく理由はわかるけど」
「他にも書類の判子を押すときには、必ず部下は斜めに押すそうです」
「どういう意味だ?」
「つまり、お辞儀をしているように見せるためですよ」
「面倒だな、それ」
だけど好きなものばかりを選んでいても、うまくはいかない。たまには嫌いなものも選んで、もしくは選ばされて生きていく。その場における最適解なんて、事が済んだ後となってはどっちが正解なんてわからない。
だって過去に戻ることなんてできないのだから。
「でもさ、薬袋」
だけどこれだけは言っておかなければならない。
「なんですか?」
「二人の場合、同じものだろうが違うものだろうが関係ないよな」
「えぇ、その通りですね。私があわよくば両方の定食のデザートを食べたいだなんて、そんなこと、おほほ」
「お前の身なりで『おほほ』なんて、お飯事にしか見えないだって」
それに言えばB定食を頼むことも吝かではなかったのだけど。
「仮にその思想を僕に対して当てはめるのは意味ないし」
僕はA定食のデザートを薬袋の方に押しのける。
開いたスペースに薬袋はトレードとばかりにお味噌汁を僕のトレーに乗せる。
そういえば薬袋はあまり汁物を飲まないんだったか。
「お前の中の評価なんて最下位なんだから、どうあろうと揺らぐことはない」
「ひどい!」
「変な遠慮される方がやりにくい」
「そうですか。だったら家に押し入るのも設楽さんは吝かではないと」
「やっぱ嘘。揺らぐわ」
「手のひら返し早すぎですね」
というか、嘘といったところで薬袋が家へやってくることは間違いないだろう。
それを受け入れている自分がいることも既に消化しきっていることだ。
「そういえば、お飯事って母親のママから来てるんですよ」
「さらっと嘘を言うな。食事の”まんま”からだろう」
「この間のアニメでは不倫相手と鉢合わせになったお飯事をやっていましたよ」
どこの埼玉のリアルお飯事だよ。
「そういえば私が子供の頃にお飯事をした記憶がありませんね」
「むしろテレビアニメに夢中になって、ヒーローごっことかかな」
「飯事というよりも、真似事といったほうがいいかもしれません」
まぁ、子供の遊びというのは何かを真似る遊びが多いような気がする。それが憧れだったりするわけだけど。
「うまくないよ」
僕は薬袋からもらったお味噌汁に手を出す。さすがに二杯目になると少し辛いものがある。
「ここにきて二年目ですが、そろそろ学食にも飽きましたね」
「とりあえずあと二年は我慢しないとな」
「ま、三年になれば講義も減りますので、外に食べにいける時間があると思います」
三年になれば必須科目の講義も少なくなる。そうなればわりかし自分の時間も増えてくるだろう。
「そうだな。薬袋って結構単位取ってるんだっけ?」
「そうですね。開いてる時間は全部埋めてますので」
だとすれば、三年になれば薬袋は自由な時間が増えるだろう。
「でもですね、空白の時間ができるのも確かなんですよね」
「空白の時間?」
「一限目と四限目に講義が入った場合です」
「あぁ、なるほど」
どうしてもそういった時間がでてくるのは間違いない。
僕はどうだっただろうか、よく思い出せない。
「だから、設楽さんにはまだいていただかなければなりませんね」
「ま、当分研究室にお世話になるつもりだよ」
とは言ったものの、確約できるわけではない。
特に研究室と僕を紐付けておくようなものはないし、極論今日にでも退学することはできるのだ。
それは僕に限ったことではなく、薬袋もそうなんだけど。
「というか、薬袋が同じ学科で友人を作ればいいだけだろう」
「まぁ、前回も言いましたが友達はいるにはいますよ。というかですね、この時期にはもうグループというものは決まりつつあるものです」
「ま、そうだな」
「それに義務教育でもあるまいし、半ば強制的で疑似的な集団行動なんて私はいやです」
薬袋の言っていることは正論だ。
だとしても学食の入り口で話したメニューの話とは真逆の理論を展開していないだろうか。
今はまだその時ではないといったところか。
「大学はあくまで学ぶところであり、他人とおしゃべりするところではないですから」
と言いつつも、僕と話すことは薬袋の言葉に反していないのだろうか。
もちろんその疑問は薬袋に問うことはなかったのだけども。
「だとしたら文化祭はなんであるんだろうな」
今期の文化祭は何をやるのだろうか。
四年間全て不参加だったので、大学の文化祭の要綱が全く掴めていない。
「そりゃ大学の宣伝みたいなものですよ。それに生徒も自由参加ですし」
「ふーん」
文化祭が大学になるのか幾何かの疑問は残るけれども、祭りなのだろうから一定の効果は発揮されるのだろう。
「むしろ私は強制参加でした」
「薬袋ってサークルに入ってたっけ?」
「いえ、学科の出し物の手伝いで。女性の方が良いそうなので」
「もはや性別で採用しているだけだな」
十中八九理系の男性ばかりというイメージを少しでも抑える為なんだろう。
「ま、笑顔で突っ立ってるだけで、時給千円だったので良しとします」
「結構高いんだな」
安くても誰もしないだろうし、お金で釣る目的も含まれているのだろう。
「そこそこ盛り上がってましたよ、学科の出し物はさておき」
「学科の出し物って、どんなのだったんだ?」
「電子回路と、はんだ付け体験コーナーです」
「……」
電子回路で盛り上がる学生が果たしているのだろうか。
もっと面白い企画考えられなかったのか。
「熱々に熱せられたはんだが並んでいるのに、会場は冷えてましたね」
「二重の意味で面白くないわ」
「夕方頃になると、私がはんだ付けで遊んでましたね」
「今年も不参加にしておこう」
「どうでしょうね、院生であれば何かしら参加するのでは?」
「わからん」
そこは研究室の方針に従うまでだ。
「ただオープンキャンパスは参加するのでは」
「あぁ、そっちは出るかもな」
オープンキャンパスといえば学生向けの出し物になるので、自然と学科や研究室が主体となる。特に物づくりの学科に関して言えば、展示物などがよく利用される。どれだけ言葉で説明した所で、やはり実物を見た方が実感もし易いからだろう。
「ただオープンキャンパスで大学を決めるようなことはなかなかないだろうな」
「どうしてです?」
「そこまで見るような内容がないからな。というかもう受験する意思の再確認だろ」
それかとりあえず流れで行ってみるか。
「設楽さんはこの大学のオープンキャンパスは参加したのですか?」
「いや、してないな。もうここに入ると決めてたから、来ても時間の無駄だと思ってた」
「時間の無駄って。まぁ、入学後の参考にはなるでしょうが」
「そんなの入ってから考えればいい」
決めていることに再確認は不要だ。決めかねているのであれば、必要だけども。
「ちなみに家からそこそこ遠くて、一人暮らしできるからこの大学を選んだ」
「ひどい理由ですね」
もちろん志望する学科があるというのが一番の理由だけども。
「ちなみに隣の駅にも大学がありますけど、そこにも同じ学科ありますよね」
「あるな。でもあの駅は快速が停まらないからな」
「あぁ、うん。なんか、すごいですね」
薬袋の言いよどむ気持ちもわかる。
「最低でも四年間は通うんだから、そういったことも重要だろ」
「否定はできませんね」
それに隣の大学よりも偏差値が高かったのも一応の理由だ。
これが逆だったら多少は迷ったかもしれない。
「でもそれだったら大学の近くに家を借りればよかったのに」
「大学の近くだと溜まり場になるだろ?」
「賢いですが、理由がひどいですね」
今では誰かさんの溜まり場になっているのだけれども。
「まぁそれに電車通学も本を読む時間にあてれば、そう苦痛でもないしな」
「あぁ、それは分かりますね」
逆に学校の近くに家を借りると本を読まなくなりそうだ。本さえあれば、待ち時間もそんなに苦痛じゃない。
「ただ、読む本を忘れてしまったときの絶望感は半端じゃない」
「携帯を眺めるしかないですね」
もしくは寝るかだ。
「後は読み終わりそうなくらいの本を持っていくときに、もう一冊持っていくかどうか迷う」
「それも分かります。目的駅の途中で読み終わったら手持無沙汰になりますね」
電子書籍でもあればと思うが、やはり紙面じゃないと読んだ気がしないのは僕だけだろうか。
「私は講義中も読んでいたりするので、日によっては二冊は必須ですね」
「講義受けろよ。まぁ、やってたけど」
特に大きな教室で実施される講義などは出席を取ってしまえば、単位を貰えるものも多く、携帯電話で遊んだり、漫画を読んでいる生徒は多々いた記憶がある。仕舞には代返を使っている生徒もいたくらいだし。
「まだ、講義に出席しているだけ褒めてほしいですね」
「何故上から目線なんだよ」
薬袋が二つ目のデザートに差し掛かった。
「そういえば、設楽さんは小学校の頃って給食でしたか?」
「給食だったな」
「そうですか、その頃ってデザートなんて何かの記念日とかじゃないと出なかったですよね」
「そうだな。よく覚えてるのは七夕とクリスマスだったかな」
「あぁ、ありましたね。そして休んだ生徒のデザートを掛けて骨肉の争いが行われるのですね」
骨肉の争いとまではいかないけれども、壇上に集まってじゃんけんをしていた覚えがある。
「というか、牛乳とかもしょっちゅう余ってたし、何時だって給食は争われてたな」
「私もちゃんと飲んでたんですけどねぇ、牛乳」
「いや、牛乳飲んだからって背は劇的には伸びんだろ」
自分の身長の事を気にしているのだろう。
牛乳を飲めばというのは効果はあるだろうけど、個体差にも依るだろう。
「そうですね、牛乳に相談しても無理な話でした」
「何を言っているのか」
「ただこう、定食に当たり前のようにデザートが付いてくるようになってからは、デザートのありがたみが薄れてきましたね」
「その薄れたありがたみを二つ頂いてるのは誰だろうか」
「誰でしょうね」
薬袋の胃袋に二つ目のデザートが入っていくのを見ながら、僕は嘆息する。
「いやー、こうしていろいろなものを分け与えれるのは素敵なことですね」
最後の一口を終えて、薬袋は満足そうだ。次の講義も近くなってきたことから、トレーの返却口には生徒が多く滞留している。
「おぉ、すごいことになってますね」
「次の講義の席取りがあるからな」
講義の席順は決まってないので、いつも早い者勝ちになっている。つまり、後方の席を取りたい生徒は早めに移動するのが鉄則となっている。
「むしろお前も参戦しなくていいのか?」
「えぇ、次の講義は聞く価値があるものなので、席は前の方でも構いませんし」
「なるほど」
「それに―――」
「それに?」
そこで意味深に薬袋は口を閉ざす。
「いえ、こちらの話でした。ちょっと困った女子学生がおりまして」
「例の友達っぽい人か?」
「っぽい、って付けないでくださいよ。一応友達ですから」
その一応って言葉もまた推量になっているのだけれども。
「まぁ、複雑な事情がありまして、できれば隣に座りたくないなぁと」
「言いたいことは分かった」
つまり早めに講義室に向かってしまうと、必然女子同士で固まってしまうため、その友人と隣同士になってしまうのだろう。それを避けるためにわざと開始ギリギリまで粘っているのだろう。
「設楽さんも一緒に受けてくれればいいんですけどね」
「さすがに無理だろ」
「いえ、むしろ他校の生徒が講義を受けてたこともありますし。名前は田中さんでしたかね」
如何にもどこでもいそうな名前なのは偶然だろうか。
「サングラスをしていたので、印象に残ってます」
「それ不審者だろ」
「ま、話は逸れましたが、どーにもならんかったら、設楽さんに頼ることとします」
「頼られても解決できんだろ。こういうのは僕には不向きだ」
「じゃあ、むしろ何が向いてるんですか?」
「いかに一人で時間を潰す方法とかなら、教えられるけど」
「そういうのやめましょうよ。仮にも私の前で」
目元を拭って泣いているふりをしているけれども、内心絶対笑っているだろう。
「さて、そろそろ時間ですね。あでうー」
「あでうーって何語だっけ?」
「さて、英語なんじゃないんですか?」
―
「で、何の用だ。こんな遅くに」
「そうそう、あでうーってフランス語らしいですよ。しかも、長期の別れで使うらしいです」
「そうか、長期の別れであってほしかったけど」
むしろ今こそ使うときなのではないだろうか。
黙々と研究を続けて帰ろうかと支度をしていたところで、薬袋からカフェテラスに来るように電話をもらって十分。周囲の食堂は誰もいなかったし、カフェテラスも電気だけが点いていて、カウンタには誰もいなかった。遠く見える窓からはぽつぽつと学生が帰宅している光景が見える。
「で、こちらの方は」
円卓に対面する形で座る薬袋の隣にはもう一人。
「えぇ、噂の友達ってやつです」
「はぁ、それはどうも」
「こ、こちらこそ」
噂の友達さんは明らかに狼狽しているようで、この複雑な状態を説明しろと薬袋にアイコンタクトをする。
「牛乳に相談できるわけもなく、設楽さんに相談しようと思いまして」
「あ、その話まだ続いてたんだ」
もうすでに終わった話だと思っていた。終わってないにしても、まさか当日に相談されるとも思っていなかった。
「まぁ、紹介しておきますか。一応匿名希望なので、Kさんとお呼び下さい」
Kさんは微かに頭を垂れて会釈する。釣られるようにして僕も会釈をする。
襟付きの白いシャツに薄いピンクのカーディガンを羽織った彼女は、やや困り顔だ。確実に相談内容に困っているわけではなく、いまの状況に困っているという様子だ。僕も困ってるし。
「匿名の意味あるのか」
「それなりに。で、趣味は手洗いとうがいです」
それはただの習慣ではないだろうか。
どこかの一話で聞いた気がするボケだけども、突っ込むのはやめておくこととした。
「いろいろと帳尻合わせるの大変なんですよ」
「何を調整してるのか分からないけど、昼間言ってたこと?」
「えぇ、何故友達いない歴イコール年齢の設楽さんでも相談できる内容ですね」
「そのプロフィールいらないだろ」
それにKさん苦笑いしているし。
「で、相談内容って?」
ここまでくれば取り敢えず聞くしかないだろう。
「えぇでは、よ……じゃなかった、Kさん」
既に匿名性に綻びができているけど、大丈夫だろうか。Kじゃないことから、下の名前の先頭は「よ」ということがうかがい知れる。
「そうだね、幼……じゃなかった、梢ちゃん」
「よう?」
「シッ!」
鋭い目で薬袋はこちらを睨む。薬袋の下の名前は梢だから、「よう」なんて呼ばれる要素がどこにもなさそうなんだけど。なにかニックネームで呼ばれているのだろうか。
「これは友人の友人の話なんですけど、割と大人しかった男性の友人がいるんです。普段からあまり喋らなくて、いつも周囲とは距離を置いてるような人なんです」
「まるで設楽さんですね」
「うるさいよ」
「それが、急に豹変したみたいに、こう自己主張し始めたといいますか」
「自己主張」
「えっと、例えるなら、クラスで大人しかった子が急に生徒会長に立候補するような感じですかね」
なるほど、今の喩えならわからなくもない。
「で、それからというものの、声を掛けづらくなってしまって」
「一応状況は分かったけど、相談のポイントが分からないんだけど」
「要するにですね、設楽さんもそういった時期があったのかお聞きしたくて」
「なんか、先日の反抗期の話をしているようだ」
「うーん、近いですね。ただ男性ってそんなことあるのかなーと。というわけで年上の男性を募集していたところ見事当選したという次第です」
宝くじみたいに例えているけど、あまり光栄とは言えない選出方法だ。
「当選しておいて申し訳ないけど、普通はないんじゃないかな」
「そうですよね」
Kさんはしょんぼりと肩を落とす。
「ま、何となく予想してましたけど。世の一般男性が皆そうだとすれば、今時期の子は戦々恐々としちゃいますしねぇ」
薬袋の言う通りだ。
「そもそも、その男性に何かきっかけがあったんじゃないの?」
「それがまったく掴めなくて」
「遅れてきた中二病でしょうか」
「痛い系の豹変なのか?」
「痛いと言われると……そうでもないような。ただ今でも信じられなくて」
自分に当てはめて考えてみると、自分が生徒会長を目指すとかそういった辺りだろうか。確かに自分で自分を信じられなくなりそうだ。
「設楽さんが生徒会長を目指す辺りでしょうかね、信じられませんね」
偶然にも薬袋と同じことを考えていたが、本人ならまだしも、他人が言うのは失礼じゃないだろうか。
「やはり、中二病でしょうかね」
「お前はただ言いたいだけだろ」
「ところで、ちゅうに病ってなんでしょう? 何かの病気でしょうか?」
僕と薬袋は沈黙してしまう。こういうときだけ息が合ってしまうのも悲しくなってしまう。
「あー、えっと、まぁ、情緒不安定みたいなものですかね」
言い得て妙な例えだ。
「それって治せるの?」
「時が来れば」
しんみりと薬袋は答えるが、間違ってはいないので、僕も静かに首を縦に振った。
「もしくは誰かが目覚めさせればいいかもな」
要は自分が痛い子だと分かれば、それで治るかもしれない。そもそも中二病限定の話だけど。
「そうですか……」
「そう! Kさんが治せばいいんですよ!」
テーブルを叩いて薬袋が声高に宣言する。
「また、無茶苦茶な……」
「そうだね。私、ナースになる!」
「えっ?」
ちなみに、この疑問符は薬袋のものだ。まさか自分の案に乗るとは思わなかったのだろう。
「確かに私、この大学に来て将来の目的とかなかったんですよね。ナースっていいですね」
「あのー、その」
止めようとした薬袋の手は行き場をなくしている。
「どうもありがとうございました。やっぱり、人に話してみると違いますね。では、お邪魔になるので、私はこれで」
深々とお辞儀をして、荷物を纏め始めるKさん。
「じゃあね、幼女ちゃん」
「ちょ」
ようやく再起動がかかったようで、行き場のなかった掌で彼女を掴もうとするがもう遅い。
小走りで消えっていったKさんの残滓を掴むように、薬袋の手のひらは宙に浮いたままだった。
「まぁ、あれだ。Kさんはアホの子なのかな?」
「いえ、決して……。理性的な方だったのですが……」
こうも呆けた薬袋の姿を見るのは初めてかもしれない。それだけ彼女にとっても驚きの展開なんだろう。
「帰るか」
「えぇ、ま、何となく容姿がナースに似てますし」
「後付けの設定は要らないから」
僕も席を立って荷物を纏め始める。果たして僕は当選された必要があったのだろうか。
あれ、そもそも友達の友達の話だった気がするけど。
―
「にしても、いらぬ責任を負った気がします」
「ま、発言したのは薬袋だしな」
「えぇ、反省しています。まさかボケをマジレスで返されるとは」
がっくしと肩を下す横で、僕は考える。
例えば、誰かが彼女に提案したとする。その提案の結果が失敗だったとして、それは提案者の失敗だろうか。よくレールを敷いた人生なんて言葉があるけれども、レールを敷いたのは誰だろうか。
「まさしく、”いらぬ責任”なのかもな」
「どういう意味ですか?」
「言葉の通りだよ。薬袋が勝手に責任を背負っているだけで、決めたのは本人なんだから」
「正論ですけどね。でも言葉と気持ちは乖離するものなのです。それが人間ってもんじゃないですかね」
間違っていない。でも間違っている。理屈通り進まない犯人はどこにいるのだろうか。その犯人を有体に言うのであれば、世間体という言葉だろうか。
「理屈通りに事が進めば、きっと苦しいとか悲しいなんて感情は起きないのでしょうかねぇ」
「どうだろう。でも、理屈通りに進むかどうか不安になる気持ちはあるだろうな」
「ですね。もしもすべてが約束されて理屈通りに進むのであれば、私たちはロボットのようなものになるのでしょうね」
ロボット。例えとしてそれが正解かどうかは判断がつかない。
「でも、その”いらぬ責任”を背負うのは、友達だからって理由じゃ駄目でしょうかね」
「今まで薬袋と喋ってきて、一番関心した言葉ナンバーワンだわ、それ」
「素直じゃないですね」
少し恥ずかしがりながらも、薬袋は肩の荷が下りたようなすっきりとした顔になる。
いや、そうじゃない。荷物はきっと残っていて、ただしっかりとそれを整理して持ち直したのだ。
友達だったらしょうがない。なんて、詭弁にどこまでも近い理由だけども、不思議と納得してしまうものだ。悪くないと思う。
「さて、そろそろお別れのようですね」
電車の中のアナウンスが目的の駅名を告げる。薬袋の自宅はもっと向こう側になる。
「ツァイチェン!」
「今度は中国語かよ」
「えぇ、漢字で書くと”再”び”見”ようですからね」
まぁ、中国語なので漢字で書くしかないのだけれども。
電車が駅のホームで停車し、ドアが開く。僕は駅のホームに降り立って振り返る。
「じゃあな、幼女ちゃん」
「きーっ!」
飛びついた時には既にドアは閉まっている。
「覚えてろよー!」
まるで、二流の悪役のような台詞だ。そのまま電車は走り出して直ぐに夜の帳に消えていく。
残ったのは、微かに揺れる線路の振動と、遮断機が上がって走り始めた車の音だ。
「ま、忘れるわけないけどな」