デッドロック
オチの説明は各自で調べてください
前日の雨が嘘のように今日は快晴となり、見事な天気の寝返りに僕は頭を抱えた。
「こんなことなら逆テルテル坊主でも作っておくべきだった」
「本気で文化祭やりたくなかったんですねぇ」
薬袋は呆れ顔でこちらを見る。先日までの天気予報では間違いなく雨となっていたのに。
前日の雨で濡れたコンクリートは今日の熱気で蒸発し、秋が近いのに蒸し暑い天候となっていた。ところどころに濡れたコンクリートの跡も、この調子だと午後には乾きそうだ。
「ところで逆テルテル坊主って何ですか?」
「テルテル坊主を逆さまに吊るすと、雨になるというおまじないだな」
「なるほど、でもなんかかわいそうですね」
「普通の状態だって首吊りと変わんないだろう」
文化祭は思いのほか盛況で、自分の学科のブースを残して早めの食事にしようと思ったが、どこも列を作っている状態だ。これほどまでに人が集まる理由がわからないけども、少なくとも文化的な要素はここには何もない。
「ま、そもそもテルテル坊主だって、目に見えない願いを形にしただけだからな」
「あぁ、そういうのありますよね。神社の絵馬だってそうじゃないですかね」
「あれは願いというよりも決意表明に近い気がするけど」
「確かに。でもそれならば、お祈りのときによく言われるのが、他人に教えると叶わなくなるって聞きますね」
どうだろうか。神社の絵馬についてもお祈りについても詳しくないけれども、どちらも迷信めいたものであると思うけど。
「往々にしてそういうものは、きっかけが必要なものばっかりですけどね」
薬袋が鋭く注釈をいれるけども、簡単に言えば手帳に予定を書き込みようなものなのだろう。
曖昧模糊となっていたものを具現化させる。
「しかし、誰かと来てたんじゃなかったのか?」
「私ですか?えぇ、来てましたがはぐれました」
はぐれた割にはやけに冷静な口調だった。そもそもこいつの場合ははぐれたというよりも、迷子の方が可能性が高いような気がする。
「というか、携帯で連絡取ればいいんじゃないか?」
「連絡する必要はなしですね、今頃素敵な人とエンカウントしてレベル上げしているようですし」
「よくわからんが、それならそれでいいんだが」
理由があってわざとはぐれているのなら何も言うことはない。
「話は変わりますが、設楽さんの学科は何か展示してますか?」
「してるぞ。ブレッドボードで作った温度計とかな」
「ブレッドボードって何ですか?」
「半田付けが不要な基盤っていえばいいかな。抵抗やらコンデンサやら刺すだけでできるから、誰でも簡単に電子回路で遊べる」
「へぇ、そんなものがあるんですね」
どうでもよさそうに答える薬袋だったが、来年にはこのブレッドボードを使用する講義があったはずだ。
「ところであの人だかりはなんでしょうね」
薬袋が背伸びして眺める先は確か就職課を含む西棟の入口広場だ。広場といっても大きいものではなく、普段はベンチが二組揃っているだけで閑散としている。
よく眺めてみると、広場の一部を底上げしてステージを作ってあるようだ。
「あんなところにステージ作っていいのだろうか」
「いいんじゃないですか、さすがに許可取ってるでしょうし」
人の流れに沿って歩くとやがてステージ上に乗った人間が見えてくる。奥に設置してあるドラムから演奏部が使用することが見て取れた。
「ようやく文化祭っぽいことに出会えたな」
「温度計は文化っぽくないんですね」
薬袋の冷静なツッコミには何も答えないことにする。そもそも今年の卒業生が作っているものだし、あまり出来のいいものではない。
「あ、あいつ」
「どうしました?」
「あのギター持ってるやつが、例の温度計の製作者だな」
どうやらセンターに立っているのでボーカルを務めているらしい。そういえば研究室にくるときにギターケースを抱えていたこともあったか。無駄にLEDをかませていたために、まぶしくて遠目でないと温度が確認できない温度計を作っていた。
「なんかすごく声がガラガラですねぇ、どこかのスペシャルな青春パンクなバンドを思い出します」
「思い出さなくていいから、というか普段はあんな声じゃないはずなんだが。風邪かもな」
「逆にそれを狙っていたのでしょうか、あの温度計さんは」
薬袋のいう温度計さんはメンバーを順番に紹介していく。
「あ、ボーカルは違うんだな」
やはり喉の不調なのか舞台そでから肩を組まれた男が紹介とともに出てきた。事前の打ち合わせをしていなかったのか、男はかなり戸惑っているようだ。こちらまで聞こえないが、どうやら聞いていないと主張しているのが分かる。
「わお」
ふと、横を見ると薬袋が少し驚いた顔をしている。
「どうした?あの少年と知り合いか?」
「えぇ、同じ学科の人ですね。名付けるならば電波少年でしょうか」
「色々な意味で危険な名前だな」
メロディが流れ始めたからかどうやら電波少年は吹っ切れたらしく歌い始める。
「なんか聞いたことありますね、この曲」
「そうだな、確か携帯電話のコマーシャルで使われていたような」
こういった場で流すのだから、割と誰でも知っているような曲を流すのが定石なんだろう。次第に周りの観客も曲名を思い出しては、会場の周りに人が集まっていく。どうやら選曲はよい方向へとなっているようだ。
「さ、人も多くなってますし行きますか」
「聞かなくていいのか?」
「えぇ、代わりに聞いてくれる人がいるようなので。この盛り上げりのおかげか、逆に出店の並びは減ったようですし」
「なるほど」
薬袋の指摘通りにこちらへ流れた人が増えた分、屋台に並んでいた人数は減っているようだ。
「今のうちに買いこんで、籠城戦と行きたいところだ」
「本気で文化祭を楽しもうという気はないようですね」
「ない」
薬袋のいう代わりの人間というのは誰か分らないけど、電波少年の声を背中に僕と薬袋は出店の方へと踵を返す。
「こういう非日常的なものは求めてないから」
「枯れてますねぇ」
果たしてこれが枯れているということなのだろうか。注文した焼きそばが詰められるのを眺めながら考えてみるが答えは一向にでない。
「この雑なのかよくわからない看板たちがいかにも文化祭って感じがしますね」
薬袋は即席テントの屋根にぶら下がった看板を見ながら、同じく焼きそばを注文する。確かに看板を見ると当人のセンスだけで色分けされたポップ調な文字が並べられている。とても食欲をそそるような色づかいではないのだけども。
それでもこの手作り感が文化祭という形を作っているのは分らなくもない。中には最近流行のドラマやアニメのキャラクターの似顔絵が描かれていたり、段ボールで作られた巨大な食品サンプルが店頭に並んでいる。
「どことなく似ている似顔絵が微かな笑いを誘いますね」
確かに完璧に似ているよりも、どことなく似ているチープさがかえって笑いを誘う。悪意があって描いたつもりではないだろうが、あまりにも絵心がなく、下にキャラクターの名前が書かれているものもある。名前を見ても、あまり似ているとは思えない出来だけども。
買った焼きそばが入った袋をぶら下げて学科棟へと戻る。
「やっぱり学科棟の中の方が快適ですね」
棟の中は若干エアコンが効いていて、外に比べるとかなり涼しく感じる。一階には休憩スペースなどがあり、在学生なのか他校生なのかは分らないが割と席は埋まっていた。
学科別の展示物も飾ってあるけれども、特に閲覧しているような人間はいなかった。
「とりあえず研究室に戻るか」
「私は研究室に所属してないですが、大丈夫ですかね?」
「もう知れてるし、大丈夫だろ」
「はて、いつ知られたのでしょうねぇ」
白々しくとぼける演技には特に反論を出さない。そもそもの発端は野球大会のせいだけれども、むしろその打ち上げが原因だったと確信している。こうなるのだったら素直に自宅に帰っておけばよかった。
エレベーターホール付近には人は誰もおらず、各階ごとの展示物案内が寂しく張り付けられていた。
「どちらまで行きましょうか」
「見るもんないだろ、これ」
案内に書かれていた内容はどれもマニアックなものばかりで、興味を惹かれるようなものは何一つなかった。
「いや、私が高校生の頃にこれを見ていたら、きっとこの学校には来なかったでしょうね」
「オープンキャンパスとか来てなかったのか」
「えぇ、どこだろうと何とかなると思いましたし」
「お前はそうだろうな」
なんだかんだ言っておきながら、薬袋はどこだって一人でやっていけるような気がした。それはどちらかというと確信に近い結論だったし、実際に見てきたから思えることだったりする。
「あら、設楽さんだってそうじゃないんですかね?」
「どうだろうな」
だったら僕はどうなんだろう。どこだろうと何とかなったのだろうか。
「いや、今でも何とかなってないかもな」
「そもそも何とかなるって何でしょうね。曖昧ですね」
「生きてること自体が曖昧だ」
「ふむ」
薬袋は顎に手を当てて考え込む態勢のままエレベータが到着するのを待つ。僕はただ淡々とエレベータのドア上部に表示されている液晶を眺めているだけだった。徐々に減っていく数字を見ながら、これからの予定を組み立てていくが何も思いつかない。
「エレベータのように待ってれば迎えに来てくれて、然るべきところに連れて行ってくれたら楽なのにな」
「あら、そうでしょうか。連れて行ってもらう場所は自分が選択しますし」
結局のところ自分の選択が挟むということか。到着したエレベータに乗り込み、目的のフロアの階数を選択する。研究室は七階にあるのだけれども、途中の階から乗ってくる人間はおらず、スムーズに到着することができた。
エレベータから降りると、左右に廊下が伸びていて、それぞれの研究室が解放されている。一部の研究室を除いてはすべてドアが解放されていて見学可能な状態になっている。
「結構やってるもんなんですね」
「まぁ、研究室になると論文発表とかやるわけだから、文化祭だからといってゼロから用意する必要はないんだよな」
「なるほど、使いまわしできるってやつですね」
物は言いようだけれども、薬袋の言っていることはおおよそ合っているので反論はしないことにした。廊下を歩いて解放された扉から中を覗いてみるけれども受付の人間以外はほとんど研究室で見た顔ばっかりだった。学部内での発表会のようなものになっている。
自分の研究室に戻ると、中はもぬけの殻となっていた。
「見事に誰もいないですね」
「ま、院生の研究内容は掲示していないからな」
僕の席は入って一番奥になっている。
「ほらよ」
来客用の椅子を寄せる。普段は他の部屋の研究生と話す際に使っているものだ。
「どうも。にしても静かですねぇ」
「そうだな。と言っても、うちの研究室は留学生多いからな」
「あぁ、留学生の方はお休みですかね」
「ま、母国に帰っているわけじゃないけど。研究できないなら、近くで遊んでるんじゃないかな」
彼らが普段何をしているのか分らないけれども、同じ国から来た留学生は何人かいるので固まって行動しているのではないだろうか。
「あんまり遊んでそうなイメージはないんだけどな」
片言な日本語だが、日常会話ができないわけではないけども、にこにこと笑いながら遊んでいる想像がどうしてもできない。いつも淡々と研究を行っているような気がする。
「土日とかもたまに顔を出すんだけど、ほとんどの確率でいるからなぁ」
「へぇ、勤勉なんですね。ただ自宅よりも此処の方が快適なんじゃないんですかね」
「確かに、それは言えてるかもしれないな」
研究室にはエアコン完備だし、冷蔵庫や電子レンジ、コンロも備わっている。簡単な料理ならばできなくもない。それに加えてインターネットも開通しているから、部屋で過ごすよりも光熱費を抑えられる。
「まぁ、それでも自宅のほうが落ち着くと思いますけどね」
「そうだな。一人でいるときだって、いつ扉が開かれるかわからないからな」
「確かに施錠できますけど、鍵を掛けるというのは、対外的に印象が悪くなりがちですからね」
「閉めるという行為が、受け入れられないという暗喩みたいなものだからな」
「占めるという行為は、逆に外に出したくないという暗喩ですけどね」
「それは監禁っていうんだよ」
おほん、とわざとらしい咳を挟んで薬袋は続ける。
「冗談はさておき、つまり合鍵を渡すってのは一つ手ですよね。私に」
「確かに、留学生には代表一人にしか持たせてないんだよな」
「私にって部分はスルーですか。設楽さんはもう少し私に心を開いてもいいと思うんですよね」
”私に”って部分はもちろん合鍵をくれというアピールなんだろうけど、鍵を渡したところで今のところメリットはなさそうだ。
「例えば宅配便が届いた後に、直ぐ鍵を閉める人っていますよね。あれも嫌なイメージを与えませんか?」
「どうだろう、宅配なんて何万人って人に届けるから、気にしないんじゃないかな」
「そうかもしれないですね。ちなみに設楽さんはすぐ鍵を閉める人は心を開いている人と思いますか?」
なんだか不思議な質問だけども、心理テストの類だろうか。
「どうだろう、直ぐ閉めるってことは、心は開いてないんじゃないか?」
「そうなんです。私にもそう思ってた頃がありました」
いつ頃だよ、それ。
「でもよくよく考えると、郵便局の人が帰った後に鍵を閉める人って、要するに対外的に悪い印象持たれたくないってことですよね。つまり他人に悪く思われたくないって気遣いが見えませんか?」
「そりゃわかるけど」
「つまり、他人に対して予防線を張っているってことじゃないですかね。すぐ鍵をかける人って、悪く印象持たれようがどうってことないって考えですよね。それってノーガードっていうか、私はこういう人間ですってオープンしてるって解釈ができると思うんですよ」
薬袋の理論は確かに分からんでもない。
「けど、鍵をすぐ閉める人って、他人に付け入るスキを与えたくないっていう心の表れかもしれないんじゃないか?」
「そうかもしれませんが、ただ単純に部屋に戻りたいから、直ぐ鍵をかけたってことは考えられませんか?」
なるほど、その意見は出そうで出なかった。対人ではなくて、対自分の都合で鍵をかけるということか。
「それって、自分の事しか考えてないってことだよな」
「えぇ、それでも郵便の人を待って閉める方が、心を開いていない人な気がします」
「結局多数決じゃないか」
「心理テストのようなものですしね、ちなみに設楽さんはどちらですか?」
「一応気にかけるから、待って閉めるタイプかな」
「ほう、ということはやはり心を開いてくれてないんですね」
「分かった、じゃあ今度から薬袋が家に来たら、速攻で鍵を掛けるか」
「いえ、やはりそれちょっと悲しいんでやめてもらえますか?」
「結局、どちらにしても心開いてないってことだな」
「どいひーですね」
いまどき、”どいひー”なんて死語だと思っていた。
心理テストだから、本気にはしていないけれども、結局双方の受け取り方次第ではないだろうか。
「という、薬袋だって心開いてないんじゃないか?」
こいつの場合は、何時だって裏で打算的な考えが漂ってそうだ。
「なに言ってんですか、私はいつだってオープンリーチですよ。それも裸単騎」
「何がリーチかかってんのかよくわかんないけど」
「安心して下さい、当たり杯は既に河にありますから」
「何がってのは、当たり杯を聞いてるわけじゃないんだが。というか、裸単騎ならツモって変えとけよ」
「ま、つまりは、何も裏が無いってことですよ。油断させておいて振込詐欺みたいな真似はしません。無償の愛ってやつです」
というか、薬袋が麻雀を知っていることは割と意外だった。やってるようなイメージが全くない。
「無償の愛ねぇ。本当に存在するのか、それ」
「じゃあ、打算の愛にしときますか」
まるで打開策を提案するような感覚で言ってるけど、字面通り受け取ると、嫌な印象は拭えない。
「うん、まぁ、その通りなんだけど。けど、愛するということは、やっぱり打算があるからだろう」
「そうですね、愛されたいから、愛す。愛すから、愛されたいとかよく言いますね。アイス食べたくなってきました」
「アイスはねぇよ。やっぱりそこには意思ってもんがあるからな」
「でも意思が有償とは限らないですよね。無償の意思ってのもあると思いますよ。たぶん」
「たぶんって、無償の意思って何だ? 無意識?」
「なんかちょっと違う気がしますけど、無意識ってことにしておきましょう。つまり無意識に意識して愛すってことですね。それが無償の愛」
「それ、矛盾してるだろ」
無意識に相手のことを意識する。なんだか分かるような、分からないような。自分が言っておいてなんだけども、意思と意識ってのも違うものだし。
「意思を曲げて、私に対して心をオープンしてもいいんですよ。私みたいに」
「曲げてるのは、お前の牌だろ」
「うまい! さすが設楽さんの突っ込みはかゆいところまで手が届きますね」
決して孫の手ではない。
「いや、これ絶対麻雀知ってる人しか伝わらないから」
「設楽さんの合鍵まで、あと何向聴でしょうか」
「もう麻雀ネタはいいから」
こういうのは、そう、流局してしまえばいいのだ。