一人目 幻影剣士
牢のような部屋で剣を抱えて俺は座り込んでいた。
帝国の闘技場に据えられた三等選手控え室で、ここは奴隷闘士や罪人等が収容され次の試合を待つ場所だ。つまり、俺もそのように扱われている。
元々は迷宮を攻略する冒険者であったが、俺にも分からん理由でハメられたらしい。分かるのは十勝で自由の身となるぐらい。
だが、俺はモンスター相手に戦ってきたが、人間相手は初めてだ。対戦相手はいずれもこの闘技場で鎬を削ってきた上級闘士で、人間相手にはなれていると来ている。さらに魔法を使うらしい。むしろ俺が今時珍しい純戦士なのだが、ここに至って少し後悔している。
だが、覚悟を決めねばならない。長年ダンジョンで戦ってきた経験を元に、戦うのだ。
薄暗い地下に足音が響く。石造りの通路を金属製ブーツが叩く足音だ。呼び出しの兵士だろう。つまり出番だ、ということだ。悩むのは終いで、こっからは考えろ。戦い方を。
ナレーターが何か言っている。選手のランクと名前の紹介か。都合良く相手の魔法を解説とかはしてくれないらしい。戦って見極めねば。俺は目の前の相手に注目する。
優男に見える若い青年だ。剣を右手にもっている。剣は距離もあって具体的には分からないが、ロングソードの類いだろう。切っ先が地面に撒かれた砂に埋もれているようだ。
男の口がなにやら動いた。呪文だろうか。変化はないようだ。何を言っているのかは、距離と観客の歓声により分からない。注意しながら、俺は一歩前にでる。
何もしてこない。
二歩、三歩。彼我の距離は縮まるが、相手は何もしない。構えようともしない。
顔がよく見える距離になった。軽薄そうな若者だ。口元には笑みすら浮かべている。情報量が違うのだろう。恐らく、俺が手に持った剣と盾で戦うことを知っている。自分がどう戦うかを知られていない。それと、自信があるのだ。自身の魔法に。
俺の心に不安と恐れが浮かぶ。震えを抑え、盾を前にだす。愛用のヴァンファーレン工房製ラウンドシールド。頑丈なこの盾を取られなかったのは幸いだ。重いが、体の半分を隠す丈夫な盾は、相手の行動を見るのによく役立つ。
だが、何もしてこない。
歓声が次第に静かになってくる。審判とやらもナレーターも何も言わない。織り込み済みということか。
相手の間合いにはまだ遠い。が、闘技場の広さが安心させない。武器鎧を外して端から端まで走っても100は余裕で数えられるだろうか。剣や槍以外にも馬や魔法による遠い間合いも想定しているのだ。
だが、俺の頼みはこの剣一本。近づかなければ、攻撃もできない。
相手は何もしない。観客は既に静まり返っている。観客席に視線を向けたいが、目の前の相手から目を離すわけにも行くまい。
変わらず軽薄そうに微笑み、剣をぶらぶらさせている。腕を曲げて切っ先を地面から離したのか。
いやまて。短くなっている? 短くして、どうするのだ。剣の長さが変わる魔法か、それともそう見えているだけか。
俺は剣だけに注目せず、全体をみる。特に変わった様子はない。
「どうしたんです? かかってこないんですか?」
剣を持っていない方の手で呆れたようなポーズを取り、対戦相手が言う。挑発のつもりか。
このまま攻めあぐねても、良い結果にはならない。攻めなくては。
砂地の上を擦らせるように少し前に出る。
「安心してください。一撃では終わらせません。観客にウケが悪いので」
軽薄な顔でエンターテイナーなことを言った。ウケがどうのこうので戦い方を変える訳にもいかない。ダンジョンで戦うなら、まずは観察し、できる限り少ない手数で体力消費を抑える。これが俺の戦い方だ。およそ観客には受けるまい。
が、観客のために戦うわけでもなし。これでいい。いつも通りだ。
隙だらけで誘っているように見える相手に、俺はさらに近づく。間合いまで後一歩。相手はこの距離になってもまだ何もしない。カウンター狙い……、いや違う。一撃で終わらせないのなら、リスクが高すぎる。
「行くぞ?」
俺は極力感情を出さないように声を出した。
「ご自由に」
軽薄に返ってきた声に、俺は前に出ながら剣を振る。敵を間合いに入れ、右肩から左脇に抜ける様に斜めに切りつけた。
直後背中から衝撃を感じ、推されるように前に転がる。手応えは無かった。倒れ込む先に相手はいない。沸き立つ歓声。
地面に盾を突き、前転するように受け身を取りながら背後に振り返ると、ヤツがいた。
観客が待っていたのはこの瞬間か。
「はっずれ~。残念だったね」
軽薄な声に熱くならず、周囲を見る。地面に撒かれた砂は荒れていない。目にもとまらないような速さで回り込んだわけではないようだ。相手の足元も、多少崩れてはいるが激しい動きの後はない。ならば、何故?
「不思議そうな顔だね?」
表情に出ていたか。俺は立ち上がって盾を相手に向けて構える。
「でも答えは教えてあげない」
魔物よりは説明が多かった。
ヤツはくるりと剣を一回しし、「じゃあ今度はこっちだ」と言いながらゆっくりとした動作で近寄ってくる。
俺は盾を構える腕に力を込め、相手の動きに注視した。が、剣を見て違和感を感じる。剣の長さが、短い気がするのだ。
そして音がない。ヤツの足運びにより、砂と靴が擦れる音が極端に少ない。
隙だらけの男は大きく振りかぶり、盾にたたき付ける様に剣を振り下ろしてきた。それに合わせて後ろに飛び退く。
剣を振り下ろした対戦相手は俺を見ていない。彼から左の方を見ていた。すぐに涼しい顔に戻ってこちらを見る。
間違いない。幻だ。
「怖じ気づいたのかい?」
男は何でも無いように言う。
ゆっくりとした動作は幻と自分の動きを合わせるため、そして地面の砂の動きで今居る場所を悟られにくくするためだろう。だが、咄嗟の行動には対応出来ないようだ。外したとき、本当にいる場所から俺の方を見た。つまり俺の右から切りつけ、俺は相手から左に逃げた。そういうことだ。
運がいい。幻を見せるタイプとしてはレベルが低い。戦いにくいが、方法はある。砂を撒けば当たるが、そのくらいは流石に対処しているだろう。
俺は盾を捨て、駆けだした。この作戦には体力がいる。男の幻に向けて走り、横を駆け抜けがてら剣を振った。
もちろん手応えはない。
走りながら顔だけは対戦相手に向けて観察を続ける。相手の幻はこちらをみず、左の方を見ている。今、俺は相手に向かって左の方にいるということだ。
狭い範囲を方向転換を繰り返しながら走り続け、相手の顔の向きを観察する。幻は体を俺に向けたり、顔をきちんと俺がいる方に向けたりするが、ズレがある。そのズレから、推測し、さらに観察を続けた。
方向転換を続けるうちに、地面に落ちる影に気付く。幻と思わしき対戦相手の影と、もう一つ。何も無いところに影があった。気付いて、すぐに消えた。
もう一度方向転換をして走ると、影があったところを通過した辺りで再び影が出た。先ほどの場所から少しだけ動いている。影の処理が追いついていない。
俺はもう一度方向転換をする。影が出現していた場所だ。今は何も無いその場所に向けて剣を振った。手応えと共に「ぎゃっ」悲鳴、斬った。
見えるものから情報を得れば良い。それだけだ。