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中編-1

 あっという間に一年が経って、私は十八歳になった。残念ながら、まだ実習生のままだ。いつの間にかジークはイーレン第一隊の副隊長にまで上り詰めていた。

 見習い仲間の女の子の中には、ジークを見かけただけで黄色い悲鳴を上げる子さえいる。遠くから姿を見られただけで、今日も一日頑張れるー、だなんて乙女染みたことを言う。

 幼い頃はずっと一緒に居たのに、随分遠い人になってしまったみたい。

 いつしか、すれ違ってもからかわれることはなくなっていた。ただ、ジークは私の頭をぽんぽんと優しく叩くだけ。

 時折、遅くまで魔法の練習をしていると、無理するなよ、なんて声を掛けられることもあった。だけどあまのじゃくな私は、無理なんてしてないし、と可愛げない言葉を返すだけだった。



 ある日、私は廊下で担当教官であるダレンと出くわし、雑談をしながら並んで歩いていた。ダレンは私よりも五つ年上の魔術師だ。私たちにとっては教師のような存在でありながらも、授業外では気安く喋り掛けてくれるので、見習いの多くがまるで兄のように慕っている。勿論私も彼を慕う人間の一人だった。

 ダレンにはクトールに住む最愛の彼女がいて、次の春に王都へ来ることが決まっているらしい。プロポーズはもうしたんですかと問い掛けたら、まだなんだ、と恥ずかしそうに言っていた。

「教官、私、護りの指輪を使ったプロポーズをおすすめします!」

 私は右手を高く上げ、大きな声で主張した。

「護りの指輪? なんだそれ」

 なんと、ダレンは護りの指輪を知らなかった。私は歩きながら、護りの指輪について力説した。無色の新しい魔石のついた指輪を用意し、その石に毎日少しずつ魔力を注ぎ込んで、自分の目の色と同じ色の石に作り変える。そうして、その指輪を愛する人に贈ることで、自分があなたを護るから傍にいてくれという意思表示になるのだと、熱く語った。女の子なら絶対に憧れるはずだから是非その指輪を作るべきだ、と。

「そんな逸話があるのか。知らなかったよ」

 俺の勉強不足だな、とダレンは恥じるように言った。私は慌てて頭を振った。

「いえ、多分知らない人の方が多いと思います。でもあの、身近にそういうプロポーズをした人がいて、それでいいなあって思ってて」

「ナーシャもそういうプロポーズに憧れてるんだ?」

 ダレンの問い掛けに、私は苦笑いを浮かべた。

「小さい頃は、憧れてました。……でも今は、そんなこと無いです」

「それって、好きになった相手が魔力を持ってなくて、指輪を作れないからか?」

 からかうように向けられた問いにびっくりして、私は大きく目を見開いた。

「な、なな、何で知ってるんですか!?」

「え、図星?」

 ダレンは少し驚いたように私を見下ろして、それからおかしそうに笑った。

「へー、そうなんだ、誰だろうなあ、その相手。俺も知ってる奴?」

「し、ししししし、知らない人です!」

 イーレン第一隊の副隊長を知らないはずなんてないと思ったけど、私は慌てて否定した。ダレンはくすくす笑いながら、そっか、残念、と零した。

 ひとしきり笑った後で、ダレンはこともなげに言った。

「でも、だったらナーシャが指輪を作れば?」

「へ?」

 予想外の言葉に、私は驚いてダレンを見上げた。

「男から女にあげなければならないってことはないんだろ?」

 私は返事をすることも忘れて、ぱちぱちと瞳をしばたたいた。ダレンの言葉は、私にとって晴天の霹靂だった。

 そうだ。確かに、言われて見ればその通りだ。私が勝手に理想を思い描いていただけで、指輪は必ずしも男性から女性に贈られるべきものではない。

 魔力の無い騎士は、魔法から身を護るために、任務の前には宮廷魔術師に防御魔法を掛けて貰っているくらいだし──。指輪があったら、ジークの役に立つかもしれない。私の魔力がジークを護ってくれるかもと考えたら、それは妙案に思えた。

 いや、でも、ジークにプロポーズする勇気なんてない。大体、付き合っても無いのに護りの指輪だなんて、かっとびすぎだ。護りの指輪のプロポーズの逸話を知らない振りをして贈ることも、不可能だろう。なぜなら、ジークは私が護りの指輪について知っていることを知っている。ジーク自身も当然、知らないはずはない。何せ、自分の父親が母親に送ったものなのだから。

 あげる機会なんて、絶対にない。

 そう思いながら、何故か私はその晩、無色の魔石を買いに行った。作るだけ作るだけ、自己満足だと言い聞かせて、私は何故か護りの指輪を作り始めたのだった。





 指輪を作り始めて数日後の夕方、城の中庭を歩いている途中で、少し先を歩くジークの姿を見つけた。声を掛けようかと思ったけれど、何を言えばいいのかもよく分からない。どうするべきか暫く躊躇ったものの、気付いているのに無視をするのも不自然だ。近寄って声を掛けようと意を決した瞬間、向こうから誰かが走ってくるのが見えた。

「──……!」

 遠いから、声が良く聞こえない。だけどどうやら、彼女はジークを呼んだみたいだ。藍色の騎士見習いの制服を身につけた可愛らしい女の子が、満面の笑みを浮べてジークに走り寄る。肩の上で切り揃えられた蜂蜜色の髪が、ふわりと揺れた。

 女の子の騎士なんて珍しいな。まだ十五、六歳くらいの子だろうか。焦げ茶色の瞳はくりっとしていて、とても愛らしい顔立ちをしている。

 女の子が何かを伝えると、ジークは彼女の頭をぽんぽんと優しく叩いた。彼女は殊更に嬉しそうに顔を綻ばせる。私は思わず、足を止めてしまった。

 ジークが、女の子の頭を優しく撫でている。私にするのと同じように、優しい仕草で頭を撫でている。それだけでも胸が苦しくなったのに、彼女を見下ろす優しい表情に気付いた瞬間、心臓がぎゅっと掴まれたように痛くなった。

 ──幼い頃、ジークはいつだって私に甘かった。わがままばっかり言う私に、うんざりした様子を見せながらも、最後には結局私の願いを叶えてくれた。「しょうがないな」って優しく笑いながら、小さな手で私の頭を撫でてくれた。

 今じゃもう私に向けられることは無くなった、優しく穏やかな瞳。

 ジークは私に対して特別な感情を抱いていない。そんなこと分かっていたはずなのに。

 ジークの彼女でもなんでもないくせに、見知らぬ女の子に嫉妬して、胸が苦しくてたまらなくなる。ただ優しい笑みを向けて、頭を撫でている姿を見ただけなのに。……馬鹿みたいだ。私にはやきもちを焼く資格なんて、ありはしないのに。この恋が実らないってことは、分かり切っていたはずなのに。

 それなのに、どうしてこんなに苦しいの?

 私は踵を返すと、迂回して部屋へと戻ることにした。親しげに笑い合う二人の横を通り過ぎていくのが怖かったのだ。

 そんなこと、もうずっと前から分かっていたことだ。ジークはいつか、私じゃない女の子に騎士の誓いを捧げるんだ、ってことも、優しい瞳で穏やかに笑いかけられることなんて、もう二度とないんだってことも。

 私はこうやって、ジークが他の女の子と親しくなっていくのを、遠くから見ているしかないんだってことも──……。



 それ以来、その騎士見習いの女の子とジークが一緒にいる姿を見かけることが多くなった。彼女はいつもジークに纏わりつくように、ジークの後を追いかけている。ジークは迷惑がる素振りもなく、いつも駆け寄って来る彼女に優しい表情で笑い掛ける。その姿を間近で見るのが嫌で、私はジークに会いそうな場所を避けるようになった。それでも、同じ王城の中に暮らしている以上、時々は遭遇することもある。私はジークの姿を目に留めると、気付かれる前に道を変えるようになった。

 別に、今まで通りにすればいい。ただ、なんてこと無い顔して「おはよう」って声を掛けて、そのまま通り過ぎればいいだけだ。そんなこと分かっているのに、それができない。

 いつまでこんなことを続けるんだろう。同じ王城に暮らしている以上、いつまでもこんな風に避けているわけにはいかないのに。

 ジークを避け出したのと同じ時期から、私は段々と夜の自主練習の時間を増やすようになった。私がいつまでも見習いなんかしているからいけないんだってことに、気が付いたのだ。早く一人前と認められて、任務を与えられさえすれば、私は王城から離れることが出来る。

 元々はお父さんと同じ、陛下の身辺警護をするデイラートに憧れていたけれど、この際もうデイラートじゃなくたっていい。寧ろ、どうせなら地方に派遣されるような──もうジークと会わなくて済むような、そんな配属先がいい。会わなくなれば、この胸を切るような苦しさからも解放されるはずだ。そう信じて、私は少しでも早く一人前と認められるように、一心に魔法の練習に打ち込んだ。


 その日も、私は練習場で魔法の練習をしていた。広くて何も無い練習場には、魔法が一定距離以上飛ばないようにする結界が張り巡らされているから、暴発の心配をせずに好きなだけ練習することが出来る。夢中になって自主練習を続けていたら、あっという間に真っ暗になってしまっていて、気付いたらもう練習場には私以外誰も残っていなかった。

 しまった。夢中になりすぎたせいで、晩御飯を食べ損ねてしまった。私は小さくため息を吐きつつ、ポケットから指輪を取り出した。練習の終わりに、部屋に帰る前に魔力を注ぎ込むのが毎日の習慣なのだ。

 私には、ジークに想いを伝えるつもりはない。護りの指輪の逸話を知らない振りをして、指輪を贈るつもりもない。だというのに、こんな風に毎日魔力を注ぎ込んで、一体何になるというんだろう。私は手元の指輪をじっと見下ろした。

 透明だった魔石は、少しずつアメジストの色に染まってきている。ジークの瞳よりもずっと淡いこの色合いは、私の瞳と同じものだ。幼い頃はジークの瞳も今よりずっと色が薄くて、私の色合いと近かったから──二人で遊びに出掛けたら、兄妹とよく間違われたっけ。そんなことを思い出して、一人で寂しく笑った。

 淡く色づいた魔石を指で撫でるようにして、私はそっと目を瞑った。ジークは今、何をしてるんだろう。もう夜も遅いから、自分の部屋に帰っているだろう。さすがにまだ眠ってはいないだろうけれど……。

「……ナーシャ?」

 ふいに、ジークの声が聞こえて、私はぎょっとして指輪を取り落としそうになった。一体どこから聞こえたのかと辺りを見回すけれど、周囲には人影は無い。こんな時間の練習場に残っているのなんて、私くらいのものだ。

 気のせいだろうか。ううん、そんな訳が無い。確かにジークの声がした。もう一度辺りを見回した後で、私ははっとして手の中を見下ろした。手の中の指輪の魔石は、微かに光を放っている。

 ──しまった。石に触れたままでジークのことを考えてしまったから、ジークに繋いでしまったんだ。こんなに小さい魔石を連絡用に使うことが出来るとは思わなかったから、完全に油断していた。

「ご、ごめん、間違えた」

 間違えたって何だ、って感じだけれど、他に言い様が無いのだから仕方ない。まさか、魔石に触れたままジークのことを考えてたら繋いじゃった、なんて、言える訳が無いし。

「間違えたって、何だよ」

 案の定、怪訝そうな声が返ってくる。

「ごめんってば。じゃあね」

 もう一度謝って、通信を終えようと指輪をポケットに戻そうとした瞬間、ほんの少し大きくなったジークの声が私を呼び止めた。

「ナーシャ! ちょっと待て」

 私はびっくりして、指輪を戻そうとしていた手を止めた。

「な、なに……?」

「お前、今どこにいる? 大部屋じゃないよな」

 なんでそんなことを聞くんだろう。辺りが静かだから、見習い魔術師の寝起きする部屋じゃないって、気付いたのかな。一瞬悩んだけれど、私は正直に答えることにした。

「練習場だよ」

「はあ? こんな時間に?」

 ジークは驚いたような声音で言った。こんな時間って言っても、まだそこまで遅い時間じゃない。そう反論したけれど、ジークはそれを無視して別の問いを投げてきた。

「他に誰かいるのか?」

「いない、けど」

 だから、なんでそんなことを聞くの? 怪訝に思いながら答えを返すと、ジークは小さくため息を吐いた。

「すぐ行くから、そこを動くなよ」

「え?」

 すぐ行くって、ここに!? なんで!?

「いや、なんで? 私もう部屋に戻るよ」

 暫く避けていたというのに、いきなりこんなところで二人っきりになんてなったら、困る! 大体、今からわざわざ練習場に来るって、なんで!?

「いいから。練習場の中にいろよ」

 戸惑う私をよそに、ジークは有無を言わさぬ口調でそう言うと、勝手に通信を解いてしまった。私は光を失った指輪を見下ろして、呆然と立ち尽くした。

 ──え!? なんで? なんでジークが来るの? 大体ジーク、魔術師の練習場の場所なんて知ってるの?

 私、どんな顔をして会えばいいの? ずっと避けていたのに、いきなり二人きりになったりしたら、どうしたらいいの!?

 一人で大パニックを起こす私をよそに、ジークは幾許もしないうちに姿を現した。練習場の中に入ってきたジークは、練習場の真ん中に立ち尽くす私を見て眉根を寄せた。

「ナーシャ、お前こんな時間まで一人で何やってるんだよ」

 ジークは私服姿だ。多分もう自室に戻って、のんびりしているところだったんだろう。

「な、何やってるって、魔法の練習に決まってるじゃん。他にここで何するっていうの」

 私はポケットの中に指輪を押し込みながら言った。自分でも可愛げが無いなあ、と思うけれど、咄嗟に口をついて出てしまうのだから、仕方がない。

「練習熱心なのはいいけど、せめてもっと早い時間に戻るようにしろよ。危ないだろ」

「危ない?」

 怪訝に思って聞き返したら、ジークは呆れたように嘆息した。

「人気の無い時間に一人で外出歩いて、何かあったらどうするんだよ」

 どこかぶっきらぼうに告げられた言葉に、心臓がどきりと音を立てた。もしかして、もしかしてジークは私の心配をしてくれているの?

「な、何かって、何。ここ、王城の中なんだから、何も起こらないよ」

 なんだか恥ずかしくなって早口でそう言ったら、馬鹿か、と一蹴された。

「ナーシャのことだから、どうせ裏道通って帰る気なんだろ」

 な、なんでばれてるんだろう。練習場からは広場を通って帰るよりも、練習場の裏側にある、細い道を通って帰った方が早い。暗くてちょっと気味の悪い道だけれど、見習い用の大部屋まで殆ど直通だから、凄く便利なのだ。

 というか、王城の中にある道だ。危ない訳がない。

「王城の中って言ったって、あんな人気の無い場所一人で歩くような真似するなよ」

「なんでよ」

「ここにいる人間が全員善良な人間とは限らないんだよ」

 ジークはいささかうんざりしたように言った後で、私の腕を掴んだ。

「……もういい。さっさと帰ろう」

「う、うん」

 なんで、腕を掴むの。私はドキドキしていることに気取られないように、何気ない風を装って、頷いた。歩き出したジークの隣に並ぶ。ジークは、さっきあれだけ否定した裏道への道を歩き出した。

「なんだかんだ言いつつ、ジークも裏道で帰るのね」 

 思わずそう漏らしたら、ジークは私の方を見もせずに言った。

「俺はいいんだよ」

「意味わかんない」

 ジークは私の腕を掴んだままで、部屋への道を辿っていく。

 練習場を出ると、ジークは急に黙り込んでしまった。そうっと見上げた横顔は、何だか考え込んでいるように見える。考え事の邪魔をしたら悪いかな、とも思ったけれど、沈黙がいたたまれなくなって、私は口を開いた。

「で、でも、ジーク魔石持ってたんだね。びっくりした」

 覚醒には足らないとは言え、ジークは魔力を全く持っていない訳じゃない。よく考えたら、ジークが魔石を使えたって何の不思議も無いのだろうけれど、そんなこと考えたこともなかったから驚いてしまった。

 ジークは私を見下ろして、片眉を上げた。

「持ってることも知らないで繋いだのか?」

 だから、繋ぐつもりは無かったんだってば。私がそう口にするより早く、ジークは片側の唇の端だけを吊り上げて、ちょっぴり意地悪な笑みを作った。

「ああ、そうか。間違えたんだっけ」

 なんか、意地悪だ。

 昔はこんな意地悪じゃなかったのに。ジークはいつも、優しかったのにな。

 少し前までは、意地悪を言われることさえも嬉しかったのに、今は胸が苦しくてたまらなくなる。

 あの騎士見習いの女の子には、こんな風に意地悪言ったりしないんだろうな。優しい瞳で見下ろして、頭を撫でてあげてるんだろうな。そんな風に、余計なことばかり考えてしまう。

 暫く俯きがちに歩いていたら、ジークがふいに口を開いた。

「……ナーシャ」

 不思議に思って顔を上げると、ジークは苦笑を浮べて私を見下ろしていた。

「お前さ、なんか怒ってんの?」

「え?」

 どうしてそんなことを聞くのかと思って小首を傾げると、ジークはふいと目を逸らした。

「最近、俺を避けてるだろ」

 ぎくっとして、無意識のうちに肩が跳ねた。ジークはそんな私を一瞥して、小さく息を吐いた。

「な、なんで? そんなことないよ」

「嘘吐け。お前、俺に気付いたらすぐに道変えてるくせに」

 ば、ばれてる。なんでだろ。気付かれる前に道を変えていたつもりだったのに。

「俺、お前に何かした?」

 ジークが紫紺の瞳で、じっと私を見下ろした。私はぶんぶんと頭を振って、俯いた。ジークと目を合わせていられない。

 何かしたのは、私の方だ。怒っていていいのも、ジークの方だ。

 ジークは十年前のことなんて、無かったかのように私に接してくれる。何事も無かったみたいに、私の名前を呼んでくれる。

 私が怒っているなんて、そんなことあるわけない。

 勝手に意識して、勝手に苦しくなって、勝手に避けていただけだ。ジークは何ひとつ悪くない。

「ごめん、別に避けてるつもりは無かったんだけど」

 私はぽつりとそう呟いた。

「ふうん」

 まだ疑わしげに、私を見下ろしている気配がする。私は話題を変えようと、大きく息を吸い込んだ。

「えっと──、ジーク、最近よく騎士見習いの子と一緒にいるよね」

「え?」

 突然話題を変えた私を、ジークは怪訝そうな目で見下ろした。私は顔を上げて、紫紺色をしたジークの目を見つめた。

「あの、蜂蜜色の髪をした子」

「……ああ、ルカのことか。よく見てるな」

 その言葉に、私はどきりとして口を噤んだ。しまった、余計なことを言ったかも。避けているつもりはないと言ったくせに、常にジークを意識していたことに気付かれてしまうかも。

 私はジークに考える時間を与えないようにと、早口で言った。

「あの子、ルカっていうんだ? 綺麗な子だよね」

「綺麗って、お前な……。言いたいことは分からなくもないけど」

 ジークは苦笑交じりに言った。分からなくも無いってことは、ジークも綺麗だって思ってるのかな。──女の子として、異性として特別な感情を抱いていたりするのかな。

 聞きたいけど、聞けない。

 聞くのが怖い。

「ルカのこと、気になる?」

 ジークの問いに、私は一瞬どきっとした。ジークとルカの関係を気にしていることが、ばれてしまったのかと思ったのだ。けれど、恐る恐る見上げたジークは、不思議そうな目をして私を見下ろしていた。そこにはからかうような素振りなんて無かったから、私の思い違いだと気が付いた。

 ただ単に、珍しい女の子の騎士見習いであるルカのことが気になるのか、って聞いているのかな。

「気になるっていうか……まあ、恰好良いなあ、とは思うよ」

 女の子なのに──それもあんなに可愛らしい子なのに、騎士を志すなんて、凄いなと思う。男に混じって剣を振るのは大変だろうに──そんな苦労を見せずに、遠くから見かける彼女はいつだって笑顔を浮べている。純粋に恰好良いなあ、って思う。私にはそんな度胸は無いと思うから。

「へーえ」

 ジークは瞳を細めた。

「お前が人を褒めるなんて珍しい」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんな言い方酷いよ。私が凄く嫌なやつみたいじゃない」

 人を褒めるのが珍しいって、どういうことだ。ちょっとむっとなってジークを見上げたら、ジークはふっと笑った。

「嘘だよ。……ほら、着いたぞ」

 気付いたら、もう魔術師や騎士の住む棟の中を突き進んで、見習い魔術師が寝起きする、大部屋の前まで到着していた。あっという間だった。そう思ったのは──久しぶりに、ジークと何気ない会話が出来た所為なのかな。

「じゃあ、俺も戻るから。さっさと寝ろよ」

 ジークはそう言い残すと、さっさと踵を返して自分の部屋の方へと歩き出そうとした。

「うん。あの……ありがとう。送ってくれて」

 思い切ってそう告げると、振り返ったジークは私を見下ろして、微苦笑を浮べた。

「あんまり遅くまで頑張るなよ」

 ぽん、ぽんと優しく頭を撫でられる。私は俯いて、黙って頷いた。

「どうしても遅くなるときは、連絡しろ。──遅番じゃなかったら迎えに行ってやるから、一人で帰るなよ」

 凄く優しい声だった。もしかしたら、私が望んでやまなかった、優しい表情を浮べてくれているのかもしれない。そう思ったけれど、顔を上げられなかった。眦に溜まった涙が零れそうで、ジークに顔を見せられなかったのだ。

 意地悪されるのが辛いと思ったのに、優しくされることすら、辛い。

 俯いたままでもう一度首を縦に振ると、ジークはくしゃりと私の頭を撫でて、そのまま背を向けて自分の部屋へと戻って行った。

 ジークが角を曲がって見えなくなったその瞬間、私はその場にずるずるとへたり込んだ。こんなところに座り込んじゃ駄目だって分かってるのに、重たくなった身体が動かない。私は溢れそうになる嗚咽を押さえ込むように、手のひらで口元を覆った。堪え切れなくなった涙が、頬を伝って手のひらを濡らす。


 ──どうして、そんな風に優しくするの。

 私のこと好きでもなんでもないくせに、優しい手つきで頭を撫でたりするの。私のことを心配しているような素振りを見せるの。

 期待したくないのに、してしまいそうになる。

 ルカにだって、同じような態度で接していることを知っているのに。私はジークにとって特別な存在でもなんでもないって、もう分かり切っているはずなのに。それでも諦め切れなくて、胸が苦しい。

 

 こんな想いなんて、捨ててしまえたらいいのに。

 どうして私は、ジークのことを好きになってしまったんだろう。

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