おかしの部屋のおかしな魔女
「おかえり」
少女が家に帰ってきて、はじめに聞いたのは飼っている黒猫の子供のような声だった。
少女は特に驚くこともなく、家族に接するように答える「ただいま」。
黒猫は廊下を通る少女の姿をじっと見ている。金目に黒い毛。鳴けば「にゃー」と鳴く猫。首輪には青い鈴と、名前が記されている。
少女は栗色の髪で、ボブな髪型。何を考えているのか、あまり表情に出ない。首には、小さなロケットが下がっている。
少女は居間でソファーにランドセルを置き、ロケットを仏壇に供える。そして静かに目を閉じて手を合わせる。
三秒心の中で数えて目を開けた。仏壇に飾られた母親の遺影は今日も微笑んでいた。
「なぁーなぁー」
黒猫が正しく猫なで声を発しながら少女にすりよる。
「おやつ食べたいにゃー」
猫は腹話術のように口を動かさずに喋った。
あまりにあざとく、少女は白けた目を黒猫に向ける。
「なんだいその目は」
「あざとい」
「猫の処世術だよ。おばあさんに今みたいな感じですりよれば、何かもらえるんだ」
「最低だね」
少女の一言が心外だったようで、黒猫は鼻を鳴らした。
「処世術だよ!」
「その昔、人も猫も狩りをしていたんだよ。まおも見習って、おやつを自分で狩りに行きなさい」
「僕は都会派なんだ、狩りなんて野蛮な事はしないよ」
これが、都会で腑抜けた妖怪の末路か、と少女は子供ながらに思う。
まお、その黒猫は猫又である。猫又界では新猫だ。
だがこいつほど楽して生きることに執着を持った猫はいないらしい。その執着心が彼を猫又に成らせたのだ。
猫又に成る条件は、強い強い、念の力。多くの場合その念とは恨みや憎しみの念だが、稀にまおのような、私利私欲の感情で猫又に成る猫もいる。
ただし、もしその感情が薄まってしまえば、猫又は消えてしまう。
「……人間に取り入って、餌をもらうのって狩りに入る?」
「ただ恵んでもらってるだけじゃん」
少女は台所の冷蔵庫から牛乳を取り出して、棚から底の深い丸い皿とスプーンを取って、テーブルまで運ぶ。それらを置いて、今度コーンフレークを取ってくる。
「僕にはツナ缶でいいよ」
「自分で取れば」
「開けてよ」
いつ用意したのか、テーブルの下で座って少女を見上げるまおの前には、すでにツナ缶が用意されていた。
「都会派なんでしょ。頭使えば」
皿にコーンフレークを出して、牛乳をかける。
「猫に出来るのはせいぜい缶を引っ掻いてラベルを削るだけだよ。あかないよー」
あかないよー、あかないよー、とゴロゴロ転がるまお。
「しょうがないな」
鬱陶しくなった少女はツナ缶を拾って開けてやる。
「わーい」
ムシャムシャ、ガツガツ、とこぼさないのが不思議な勢いで食べるまお。少女はテーブルの椅子を引いて、座る。ようやくおやつにありつけると思ってスプーンでコーンフレークをすくい、口を開けた。
「足りない」
見上げるまおは自分の口の回りを舐める。
「はやっ。あきらめなさい」
☆☆☆
「お散歩に行くよ」
少女は仏壇からロケットを取って、まおに声をかける。まおはソファーに寝転んで欠伸をして、眠そうな声で言う。
「いってらっしゃい」
「なに言ってるの、まおも行くんだよ」
「嫌だよめんどくさい」
「まおのネコ缶がもうないの」
「パパが買ってくる、に賭ければいいじゃない」
少女は埒が明かない、とまおを抱き上げる。
「いいから行くよ。私はぼっち、友達なんてまお位しかいないんだから」
「じごーじとく、君は他の子と違うって自覚してなかったからでしょ。僕は悪くない」
少女は黙って玄関で靴に足を突っ込んで、外に出る。まおを離して靴をちゃんと履いた。
「僕は強制されるのは嫌いなんだ。ダラダラ、怠惰に楽して好き勝手生きるのが最高だよ」
これだけペラペラ喋るまおの声も少女にしか届いていない。「にゃー」という鳴き声に、多分の意味がある。
少女がまおと話していると、横や反対の歩道にいる人は大体訝しむ。
「こっち行くとコンビニまで遠回りだよ」
「いいの。お散歩ってのは時間を贅沢に、のんびり行くものよ」
「それもそうだ」
町外れに、空き家通りがある。少女が住む町の大人は「最も不要な場所」だと言う。
「不要なくせに、ここはいつまでも無くならないね」
少女やまおには分からない事情がある。それはもちろんまおにだって分かっているはずだ。
アパートや美容院の看板が残る建物。一戸建て、色々ある。人が住んでいる建物と、住んでいない建物。ここの閑散とした、退廃的な雰囲気は決して良いものではない。
少女はここを歩くのが好きだ。何故なら空き家は彼女の好奇心を刺激してくれる。ドキドキとワクワクはここにある。
「ぼくは嫌だなぁ。ヘンナノに絡まれるの」
「まおがなんとかしてよ」
「ぼくにできるのはせいぜい……猫なで声で媚を売るか、何もないところをじっと見つめて怖がらせるくらいだよ」
「役立たず」
「結構……んっ」
少女はとある匂いに気づいて歩みを止めた。まおもすぐにその匂いに気づいた。
「……甘い匂い」
「お菓子の匂いだねぇ。じゅるり」
「いじきたないよ。じゅるり」
「お互い様さ。じゅるーり」
小さい一階建ての家だった。この辺りの家々の中で、赤いレンガの屋根は目立つ。煙突から煙は出ておらず、かつ窓の奥は暗い。入り口の門は空いていて、その奥の玄関は半開きになっている。 匂いの発信源はこの中だ。
「怪しいねぇ。じゅるり」
「…………」
「女の子はお砂糖で出来てる。そうは思わないかい? じゅるり」
「誰の台詞だか知らないけど。据え膳食わぬは女の子の恥よ。じゅるり」
「毒かも。じゅるり」
「お菓子に毒はない。……飽きたわ」
「右に同じ。ついでに僕は甘いもの食べられないよ。まぁでも行ってみよう。コンビニに行くより面白そうだ」
うん、と少女は頷いて、先に行くまおに着いて家に入る。
☆☆☆
埃っぽいのは当然として、室内に人の気配は無い。相当長い間放っておかれているらしい。玄関には一足の靴も無い。
「立派な不法侵入だね」
「お菓子は、すべてに優先されるのよ」
「ま、いざという時はぼくのせいにするんだろう? 飼い猫が迷い混んじゃってー☆ もーいけない子! ツナ缶あげちゃう!」
「それマジで言ってるなら捨てるわよ」
「え、まさか大トロかい!?」
「捨てるわ。明日から路上暮らしよ、頑張ってね」
「ひどいや。…………あ、マカロン」
まおは駆け出した。少女もその後を追う。
そこは、子供部屋の前だ。埃まみれのハート型の札には「こころ」と書かれている。そしてそのドアの下に、赤と青のマカロンが落ちていた。
「床に落ちてるー……流石のぼくも食べたくないなー」
少女はマカロンを拾ってみる。すると少女はその感触に思わず、あっ、と声をあげた。
「これ、固い。プラスチックみたい」
「……そろそろ胸焼けしそうな、この匂いの元はここだね」
まおはドアを見上げる。
少女はマカロン?をポケットにしまい、ドアノブに手をかけ、回した。
「……ママ」
少女は胸のロケットを撫でて呟く。
この扉の向こうからは、形容しがたい、拒否感を催す何かを感じる。例えるなら深夜の音楽室。幽霊の存在を意識しているときの学校のトイレ。何か得体の知れないモノが居る気配を感じる。
「やめとけば? ふぁ~」
まおは少女の隣で呑気な声で言って欠伸もした。
「行くよ。お菓子食べたいもん」
「食えるのかねぇ。あ」
「何?」
「パンくず撒いてない」
「唐突ね。ヘンゼルとグレーテル? 魔女に捕まるのは私とまお、どっち?」
「僕じゃない?」
「私、まおの事忘れないから」
「勘弁してよ」
少女はドアを引く。ドアの向こうから光が溢れ出す。
「「まぶしっ」」
☆☆☆
どうやら少女は少しばかり意識を失っていたらしい。
朝、目を覚ますように目を擦って体を起こす。
「…………ここは」
目の前の格子はト○ポ。テーブルはマカロン。座布団はビスケット。本棚はウエハースチョコ。窓はマーブルクッキー。
まおが入っている釣り鐘状の鳥籠は、光を反射してキラキラ光る飴細工だ。
冷蔵庫みたいな扉の付いた大きなタケノコ型のチョコ。淡い光を放つ照明はア○ロとキノコ型のチョコ。板チョコ模様の床に無造作に置かれた手鏡はペロペロキャンディ。
「お菓子の家だ」
ただ一ヶ所を除いては。
狭い部屋の中は甘い匂いが支配している。それはもう、甘いものが好きな子供でさえ胸焼けして嫌になりそうなほど。
少女の後ろにはドアがある。白い板チョコのドアに飴細工のドアノブ。少女はドアノブに手をかける。回そうとしても回らない、お飾りだった。手がベタベタになった。
「おはよう」
幼い声だった。ヒッヒッヒ、と無理に魔女っぽく笑う。
「いやしーこむすめめ、私のおうちをたべにきたんだね」
「そうだよ、お菓子ちょうだい」
「だめっ! ここにあるのはぜーんぶ、こころのだもん!」
「ケチー。で、私を捕らえてどうすんの? 煮るの? 焼くの? 食べるの?」
魔女はキョトンとする。
「……ふぁ~~~。よく寝た。うわ、体がべたつくよ……」
「ねこさんがしゃべった!!」
魔女は目を輝かせて、まおの入った鳥籠を勢いよく持ち上げた。中のまおはシェイクされて格子に顔や背中をぶつけた。
「ひどいや」
「ほしー! しゃべるねこさんほしー!」
「僕は売り物じゃないよ」
「チョコたべるー?」
「いきなり僕を殺す気かい?」
まおは絶体絶命だった。
「君はなんなんだい?」
「おかしのまじょだよ!」
「おかし"な"まじょ、ね」
魔女は頬を膨らませて「おかし"の"!」と訂正を求めた。
「魔女さん魔女さん、檻に閉じ込められた私は一体どうなってしまうの?」
「どうもしないよ。遊んで! ここであたしと遊んで!」
「オセロでもする?」
「おせろ? お絵描きの方がいいなー」
「いいよ」
☆☆☆
少女は体育座りのままぼーっとしていた。檻の中で。
少女はペンシルチョコで紙に絵を描いている。
「どーして私を出してくれないの?」
「できた! とらわれのおひめさま!」
絵にはドレス姿の少女が、檻に囚われている。
「すごいねー、うまいねー」
「ぜんぜんそーおもってないでしょ!」
「当たり前でしょーが。せめてこっちにも紙とペン渡しなさい」
「そうだよ、遊んでるのは君だけじゃないか。僕は退屈だよ」
「次はねこさんかくねー」
「聞いてないし」
十枚描いて、疲れたようだ。魔女はうとうとしていた。少女も退屈がピークを越え眠気が襲う。ここは、春の陽気や冬の朝の布団の中のような暖かさがあって、余計に眠気を誘う。
「……ふぇ、おふとんでねないと……」
魔女のおもむろな発言で少女は飛びかけた意識を取り戻す。
魔女は目を擦ってノロノロと体を起こし、このお菓子の部屋の中で唯一場違いな場所に向かう。
それはボロボロなベットだ。魔女は布団の中に潜り込み、しばらくしてピクリとも動かなくなった。
「まお」
「脱出作戦だ」
少女は格子のト○ポを折る。もちろんト○ポだから少女の力でも簡単にパキパキ折れる。
「食べられると思う?」
「ト○ポだし」
少女は折ったト○ポを食べる。外側のプレッツェルの食感、中のミルクチョコ。正しくト○ポそのものだ。
「……もぐもぐ、うん、最後までチョコたっぷり」
少女は頬を綻ばせる。
「よかったね。適当なとこで僕を助けて」
「一本食べたら満足したわ」
何せ甘い匂いだけでもうお腹一杯だ。
まおが入れられている釣り鐘状の檻はオレンジ色の飴細工の鳥籠だ。少女が力を込めても格子は折れない。
中の鳥を出すための入り口には鍵がかかっている。黄色いレモン味を連想する南京錠、これも飴細工だ。
「手、ベタベタ」
少女は顔をしかめて鳥籠を床においた。
「僕は全身ベタベタ。鍵を見つけてよ」
「まお、頑張って舐めて自力で出なさい」
「勘弁してよ。うっ……そろそろ胸焼けが」
演技だ。とはいえ、猫に甘いものを与えてはならないのもまた事実である。肥満になる。ただでさえまおは精神的に肥え太っているのに、肉体まで太ってしまったらもうだめだ。
少女はマカロンのテーブルの上や、ウエハースの本棚を三段全部調べる。
「赤ずきん、シンデレラ、白雪姫、あかいくつ、桃太郎……」
今少女が述べた名前の絵本だけしか本棚には無かった。後はスカスカだ。
「ヘンゼルとグレーテルは?」
「無いよ」
「うそだー」
「無いよ」
「じゃあなんでお菓子の家なんだろう?」
「さーね」
本棚に鍵が無いことを確認して、今度はタケノコ型冷蔵庫を開ける。中は予想通り冷蔵庫で、アイスクリームが入っている。白い渦巻きソフトだけが六つ。
「……こう、コーンとアイスの間とか……」
言っては見たものの、実行する気は起きない。なぜなら素手でアイスとコーンを外せば間違いなく手が汚れるし、もしこのアイスをあの魔女が食べるなら、勝手に触れて汚すのは気が引ける。
「もう手は汚れてるんだから、気にしなきゃいいのに」
まおは欠伸をした。
「そーいう問題じゃないの」
「いいけどね」
「…………あっ」
少女はポケットの中のマカロンを取り出す。そして鳥籠の前に来て、南京錠をつかむ。
「何をする気だい?」
「叩いて壊す」
「力業だなぁ」
「じゃあ舐めて出る?」
「破片がこっち飛ばないようにね」
まおは気持ち少し離れる。少女は南京錠のU字型の掛け金を勢いよくマカロンで叩いた。字面は妙だが、この異様に固いマカロンならば。
ガッ、ガッと四回ほど叩いたところで掛け金は折れた。入り口を開けて、まおが出てくる。
「水浴びがしたいよ」
「同じく。さ、帰るわよ」
ト○ポの檻の中、ホワイトチョコのドア。少女はドアノブに手をかけて回す……が、やっぱり回らない。
「…………」
「本当にただの飾りなんじゃないの?」
「押し戸?」
押しても。
「引き戸?」
引いても。
「うんともすんとも言わないね」
「鍵穴も見当たらないし」
「詰んだ」
「調べてない物無い?」
「手鏡とか」
まおは檻の外、マカロンテーブルの下に落ちていたペロペロキャンディの手鏡の持ち手をくわえて持ってくる。
表の面は普通の鏡だ。裏面は普通の渦巻きペロペロキャンディだ。
「まぁ、強いて言うなら、ぺロッ、甘い事位かしらね…………うぷっ」
「胸焼けかい?」
少女にとって、人生初の胸焼けだった。
☆☆☆
「はぁ……」
少女はマカロンのテーブルに背を預ける。
「万策尽きたね」
「不思議なのは、窓と固いだけのマカロンテーブルよ」
窓は開かない、ドアノブ同様お飾りだ。
「もっと不思議なものがあるじゃん」
「まぁ……」
少女とまおは同じ場所に視線を向ける。
「そうだけど……」
「いや~な気配するよね」
ボロボロのベットはピクリとも動かない。魔女が寝ているはずだが、寝息は聞こえない。
「どうする、調べる?」
「そうね……もう後調べてない所、無いもんね」
「そうそ」
もぞ、もぞもぞ。二人の心臓が跳ねる。いやまおは跳ねなかったかもしれない。
ベットの布団が動く。そして布団から脱皮するように魔女が出てきた。
「…………ふぁぁぁ、よくねた」
魔女は大きな欠伸をして目を擦る。
「おはよう」
少女とまおを認識した魔女は笑顔で寝起きの挨拶した。
「おはよう、魔女さん」
「僕たちそろそろお暇したいんだけど」
「おいとま?」
「帰りたいの。また来るから」
「やだ、あそんで!」
二人は同時にため息をついた。どのみち逃げられないなら覚悟を決めるしかない。
「なにする?」
「んーと……って、ああ! ねこさんにげだした!」
「今更。猫は縛られたり、閉じ込められたりするのが嫌いなんだ。僕は特にね」
「自ら狭い箱に入ったりするじゃない」
「自分から入るのはいいのさ」
☆☆☆
三人でお絵描きをすることになった。
「え、へただなぁ」
「余計なお世話よ」
少女に絵心は無い。お題はウサギ。少女が描いたのはウサギではなくUMAだった。
「はいウサギ」
まおはペンシルチョコをくわえて器用にウサギの絵を描いた。鳥獣戯画の微妙にリアルな二足歩行で……ジャンプしている(?)ウサギだ。
「こわい」
「古っ」
「ぼろくそ言うね、君たち」
魔女は楽しそうに絵を描いている。少女が描いたのよりもちゃんとウサギに見える。
「ところで魔女さんや」
まおはおもむろに魔女に声をかけた。
「ん~?」
魔女は絵に色を塗りながら答える。
「ヘンゼルとグレーテルのお話は知ってるかい?」
「ちょっとだけしってる」
「じゃあ、僕がお話してあげよう」
「ちょっと待ってねー……できた!」
魔女が掲げた絵。可愛い、ピンク色のウサギだ。何に向けてか手を振っている。
「上手い」
「どーせ私は絵心ありませんよ」
「ねこさん、おはなしして!」
「いいよ」
昔々、あるところに四人の家族が暮らしていました。
お父さんとお母さん、ヘンゼルという男の子とグレーテルという女の子です。
一家はとても貧乏で、今日食べるご飯さえ困っています。
「かわいそう……」
ある夜、寝ていたヘンゼルが目を覚すと、お父さんとお母さんの声が聞こえてきました。
もうあの子達に食べさせるだけのご飯はないわ。
いっそ子供を手放そうか、子供たちの運命を神様にお任せするんだ。
そんな、ひどいわ。
だがもう、そうするしかないじゃないか。
ヘンゼルはショックでした。貧乏で、毎日お腹が空いて空いて苦しくても、ヘンゼルはお父さんとお母さんが大好きでした。ヘンゼルはベットの中で声を殺して泣きました。
「相変わらず、録でもない親ね。……あれ、立場逆じゃない? それにグレーテルは?」
「君は黙ってて」
次の日、朝も明けきらない内に二人は起こされ、お母さんから小さな二つのパンが入ったバスケット「バスケットって?」「かごだよ」を受け取り、お父さんに連れられ森に入ります。
どうしよう、このままじゃ置いていかれる。そうだ、パンをちぎって撒いておこう。
ヘンゼルはパンを小さくちぎって、歩く道に撒いて行きます。
「あたまいー」
「とりのえ」
「君は、黙ってて」
しばらくして、お父さんは二人にここで待っているように言って、来た道を戻っていきます。
グレーテルがお父さんを追いかけようとしますがお父さんに、来るな、と怒鳴られて、泣き出してしまいました。
しばらくしてグレーテルが泣き止むと、ヘンゼルはグレーテルの手を引いて、撒いたパンくずを目印に帰ろうとします。
しかし、パンくずは無くなっていました。鳥が食べてしまったのです。
「とりさんひどい! おにだ、あくまだ!」
「鳥もまた貧乏だったのです」
「鳥のサイドストーリーはいいから続きを」
二人は森の中で迷子になってしまいました。
ふと見ると広場があって、その真ん中には一件の家が建っていました。
「おかしのいえだ!」
「その通り」
屋根はチョコレート、窓は砂糖菓子、壁はビスケット「うっ」
……お腹が空いていたヘンゼルとグレーテルはおおはしゃぎ。夢中でお菓子の家を食べ始めました。すると。
誰だい、私の家を食べるのは?
家の中からお婆さんが出てきて、二人を見ると顔を真っ赤にして怒りました。
何て子達だい! 人の家を勝手に食べてしまうなんて! 今日の夕飯にしてやる!
ヘンゼルとグレーテルは服を捕まれ、家の中に引きずり込まれました。
「そんな話だっけ? お婆さん、最初はもっと穏やかじゃなかった?」
「あれ、違ったかな? まぁいいじゃない」
「つづきっ、つづきっ!」
ヘンゼルは檻に、グレーテルはお婆さんの夕飯の支度を手伝わされてしまいます。
グズでのろまなグレーテル、かまどの中の火を見ているんだ。
お婆さんはそういってかまどに火をつけようとします。
このままでは二人共こんがり美味しく焼かれちゃう、こうなったら……!
お婆さんがかまどの中に火をつけると火はごうっ、と音を立てて燃え上がりました。
えいっ!
グレーテルはお婆さん向かって勢いよく体当たりをしました。
お婆さんは火の中に。
グレーテル! なんてことを……!
こうするしかなかった、早く逃げましょう!
グレーテルは檻の鍵を見つけて、檻を開けてヘンゼルと共にお菓子の家を出ようとします。
待って!
ヘンゼルは大きなダイヤモンドを見つけて、慌ててポケットに詰めました。
グレーテルも金の杖を抱き抱えて、二人はお菓子の家から逃げ出しました。
「この親にしてこの子あり、ね」
「ヘンゼルもグレーテルもひどいー」
二人はまた、森の中で迷子になりました。
途方に暮れていると、一羽の鳥がやって来て二人に、ついておいで、と尾っぽを振ります。
鳥の後を着いていくと、なんと森から出て、二人の家の前に出ました。
鳥さん、ありがとう!
二人は鳥にお礼を告げて家に帰ります。
「まさかパンくず食べた鳥?」
「善い行いは返ってくるものさ。逆もしかりだけど」
「いいとりさんだった!」
お父さん、お母さん!
ヘンゼル! グレーテル!
よかった……! ごめんね、私たちがどうかしていたわ。もう二度と、こんなことしないからね。
それから、ヘンゼルとグレーテルが持ち帰った大きなダイヤモンドと金の杖を売って、ヘンゼルとグレーテルの家は少しだけ裕福になりましたとさ。
ちゃん、ちゃん。
まおは欠伸をして伸びをする。
「おもしろかった! ねぇねぇ、このねこちゃんちょーだーい?」
「それよりも魔女さんや、そろそろおねむの時間じゃないのかい?」
魔女は少し目がとろんとしている。そして少しだけ輪郭が、存在がぼやけていた。
「……そうだ、おふとんでねなきゃ」
「お休み」
「お休みなさい」
「うん……おやすみ」
魔女は布団に潜り込む。
ギィィ…………
「…………あっ」
少女がハッとすると、もう甘い匂いは消えていた。そして――――
「さて、出ようか」
カァ、カァ。風化して曇った窓から西日が差す。部屋の中は、暗く、そこら中に紙が散乱している。紙には魔女が描いたであろう可愛らしい絵が描かれている。
ちらほらと、お菓子の包みもある。
ベットはピクリとも動かない。
「…………うん」
少女は複雑な、処理できない感情を胸にしまって、部屋から出ていくまおの後を追った。
☆☆☆
空き家街にある小さな広場。少女はベンチに腰掛け、まおはその隣で寝そべる。
「まお」
「なんだい」
「なんだったのかな、あれ」
「夢じゃなかった証拠はあるだろう? 持ち帰ってしまった物と」
少女はポケットから取り出す。
赤と青のマカロン。の食品模型。
「僕の胸焼けと体のベタつき。そして鼻が曲がりそうな、君と僕から発する甘い匂い」
「胸焼けなんてしてないくせに」
「まぁ、気分は悪いよ」
まおは起き上がり少女を見つめる。
「あの場所と魔女さんは、僕みたいなもんさ。強い願いの結晶。あの魔女さんはヘンゼルとグレーテルを読んだことがあるはずだ。もしあの部屋にあるとすれば布団の中だったかも。そして、あの子は魔女に憧れたんだろう」
「そもそも、あの話の登場人物誰一人として、憧れを抱けそうな人物いないじゃない。魔女なんて人食いよ、人食い」
「でも、お菓子の家の主だ」
まおの声色から、きっと人間であればニヤリ、としているかもしれない。
「君だって、お母さんにヘンゼルとグレーテルを初めて読んでもらったときは、お菓子の家に住みたいー、とか言ってたじゃんか」
「……覚えてないわ」
少女はばつの悪そうな顔をした。
「まぁ、想像は後でいくらでも。帰ろう、とっととね」
「そうだ、猫缶」
「それよりもこの匂いを落とす方が先さ
」
まおと少女は帰ることにして、来た道を戻る。
途中すれ違う人は、どこから甘い匂いがするのかと視線や顔をしきりに動かしていた。
「ところで、どうしてマカロンだけ食べられなかったんだろう?」
「食べたこと無かったんじゃない?」
☆☆☆
少女とまおは家に帰ると真っ直ぐお風呂場に入った。少女は一人でお風呂をためて、入ることができる。飼い猫を洗うのも彼女の役目だ。
「適当に乾いたら僕はまた出掛けてくるよ」
「何時ごろ帰ってくる? 夕飯は?」
「君が寝る前には帰ってくるさ。夕飯はいらない」
少女に玄関を開けてもらい、まおは一匹、夜のご近所を走る。
都会派を自称する彼はわざわざ大通りを通って、他の猫が同じ目的地に行くよりも倍の時間をかけて目的地に行く。
急がず焦らず、時間を贅沢に使って目的地に行く。時間がないとぼやく人間を見下し、焦る人間を内心バカにしながら、一切優越感を損なうことなく目的地に到着する。
そこは一件の普通の民家だ。縁側の雨戸は天気が悪くない限りいつでも開いている。この家に住む老夫婦が飼っている猫のために開けている。
心無い泥棒に何度も侵入されている。だがそれでも開けているのだ。
「まおじゃねぇか、どうした」
なぁ~お、低い唸り声にそういう意味がある。 縁側に寝そべる尻尾が二股に別れた、ボスの風格漂うぶち猫。
「いいや、空き家街のお菓子の部屋についてなんだけど」
「そりゃあ、あれだな。今日成仏した、餓死した子供の幽霊だ」
「やっぱり?」
「とある若い夫婦があの部屋に子供を置き去りにして、自分達はどっか遠くに行っちまいやがった。あの子に残されたのは、数冊の絵本とクレヨンと紙とチョコ菓子の詰め合わせだけ」
まおは、だからかー、と一人納得する。
「詳しいんだ」
「猫の情報網なめんなよ。特に人の不幸は蜜の味、ってんで、そういう話は酒が進む。お前さんもそうだろう」
「まぁね」
「で、お前さん、いつ死ぬんだ」
「あの一家が絶えて、他に僕を飼ってくれる所が無かったら適当に消えるよ」
「分かってるとは思うが、化け猫はカタギの猫に手ぇ出すんじゃねーぞ」
「僕はああいう、縄張り争いには興味がないんだ。血沸き肉踊る争いとは無縁に、あくびを絶やさず退屈に生きていたいんだからね」
「つまらん奴だ」
どうも、とまおは頭を下げた。
「そうだ、退屈して生きるんだったらついでにあの娘っ子に、あんまし怪異に関わるな、って言っとけ。いつか痛い目に逢うぞ、と」
今日、あの部屋に惹かれたように、少女はああいう怪異に生まれつき惹かれる質らしい。本当であれば、空き家街なんて場所に近づいてはならない。怪異に惹かれ、行ってはならない場所に入ってしまうかもしれない。
まおには、惹かれたという表現は少女に限り適切ではないと知っている。
少女は怪異という、正体不明で好奇心を刺激する物に惹かれているのではなく、自ら怪異に関わろうとしている。
「僕には関係ないよ。あの子が頭からムシャムシャ食べられても、僕は自分に危機がなければ欠伸をしてるつもり」
まおは非情で冷酷だ。自分の堕落しきった生活以外に興味はない。その生活に人間は必要不可欠であるが、まおにとり、人間であれば老若男女誰であろうと構わない。言葉を解せる少女がいる分、今の家がもっとも居心地がいいというだけである。
「冷てぇな。ご恩とか感じねぇの」
「感じるだけ無駄さ。 ……さて、それじゃあ。お菓子の魔女が質の悪い地縛霊化しなかったのは僕のお陰だ、って言いふらしといて」
「やなこった」
まおは民家を後にした。
車の通りも人の通りも少ない。 まおは行きと同じく、時間をかけて家に帰る。
☆☆☆
カリッ、カリッと窓を何かで引っ掻くような音がして、少女は宿題をする手を止めた。
窓にはまおがいて、肉球でタシタシと窓を叩いている。
「おかえり」
少女は窓を開けてまおを招き入れる。
「ただいま」
まおは、にゃー、と普通な調子で鳴いた。
「ノミは?」
「大丈夫さ、今回は」
前回のお出掛けの時は、数匹もらってきていた。
「パパに見てもらって」
「潔癖かい?」
「誰だっていやでしょ」
「ちぇー」
その後、パパに見てもらったら一匹だけ居た。
「ほら、取れたぞー」
「まおが「ありがとう」だって」
「どういたしまして」