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最終話 今日も境界線はゆるい

 朝は、突然やってくる。


「……うるさい」


 それが、目覚めの第一声だった。

 キッチンから、金属音と水音と、明らかに人為的な事故音が混ざって聞こえる。


「ちょ、ちょっと! それは鍋じゃなくて――!」

「え? でもここ、火にかける場所だよね?」

「違う! それは装飾用だって言ったでしょ!」


 セラフィナの声と、エイルの素朴な疑問。


「……あー、もう。朝から騒がしい家だなぁ」


 布団の中で、そう呟いた瞬間。


「おはよー! 起きてるでしょ!」


 勢いよくドアが開き、ルシアが顔を突っ込んでくる。


「起きてるなら早く来なさいよ。今日の朝ごはん、なんかすごいことになってるから!」

「それ、嫌な予告だよな?」

 リビングに出ると、

 そこにはいつも通りの光景があった。

 焦げかけのトースト。

 謎のハーブティー。

 妙に整列した食器。

 レイナは壁にもたれて浮いているし、

 澪は呆れた顔で後片付けを手伝っている。


「……はい、これ」


 澪が、俺の前にマグカップを置く。


「普通のコーヒー。“普通”が一番でしょ?」

「助かる」


 そう答えると、少しだけ笑われた。

 カナデは、いつもの席でタブレットを操作していた。

 結界の数値。

 波形。

 警告は、出ていない。


「……安定してる?」

 

 俺が聞くと、彼女は一瞬だけ考えてから言う。


「“安定しているように見える”」

「それ、微妙な言い方だな」

「でも」


 カナデは画面を閉じた。


「危険域ではない。今は……問題ない」


 それで十分だった。

 朝食後、それぞれがそれぞれの準備を始める。

 澪は学校へ。

 カナデは仕事へ。

 レイナはどこかへ――多分、霊界。

 セラフィナは今日も“人間界の服装”に悩み、

 エイルは窓辺で日差しを浴びている。

 ルシアは、なぜか俺の後ろをついてくる。


「ねえ」

「なんだ?」

「今日、元気じゃない?」


 その言葉に、少し考えた。


「……そうか?」

「うん。前より、空気が軽い」

 理由は、分かっている。

 何も解決していない。

 何も終わっていない。

 でも――

 逃げてはいない。

 過去は消えないし、

 未練も、まだある。

 それでも、ここに立っている。

 それだけで、十分だった。

 昼前、洗濯物を干しながら空を見上げる。

 結界は、見えない。

 けれど確かに、

 この家と、世界の間に存在している。

 霊と人。

 異界と現実。

 孤独と、誰かといる時間。

 全部を分ける線は、

 今日も、ゆるい。

「ねえ」


 背後から、エイルの声。


「今日も……ここ、いい場所だね」

「ああ」

「ずっと、こうだといいな」


 願いではなく、希望としての言葉。

 俺は、少しだけ考えてから答えた。


「……そうだな」

 夕方、また全員が集まる。

 ドタバタして、

 くだらないことで言い合って、

 いつも通り、騒がしい。

 でも、それが嫌じゃない。

 むしろ――

 少し、好きだ。

 夜、電気を消す前に、俺は思う。

 物語は、終わらない。

 ただ、

 今日が、今日として終わるだけだ。

 明日も、

 その次も。

 境界線は、たぶん揺れる。

 でも、今は――

 ここにいる。

 それで、いい。


―完―


(そして、きっと明日もこの家では、少し不思議で、少し騒がしい日常が続いていく。)


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