第14話 揺れる境界線
違和感は、朝からあった。
いつもなら聞こえるはずの音が、少し遅れて届く。
冷蔵庫の稼働音。
階段を踏む足音。
窓の外の、鳥の鳴き声。
まるで、この家だけが、現実から半拍ずれているような感覚。
「……変だな」
リビングに出ると、すでにカナデがいた。
ノートパソコンと、見慣れない簡易端末。
表情は、いつも以上に硬い。
「……起きてたか」
「おはよう……って空気じゃないな」
「……結界が揺れてる」
即答だった。
*
昼前には、全員が揃っていた。
レイナは腕を組み、天井を見上げている。
エイルは黙って床に座り、気の流れを感じ取っている。
セラフィナは、耳を伏せるようにして落ち着かない様子。
ルシアですら、いつもの軽さがない。
「霊の通りが……おかしいね」
レイナが言う。
「流れが、勝手に曲がってる」
「……回復、追いつかない」
エイルの声は小さい。
「森の気配も……混ざっています」
セラフィナの耳が、ぴくりと動く。
ルシアが、珍しく真面目な顔で言った。
「ねえ。
この家……前から、こんなだった?」
沈黙。
全員の視線が、カナデに集まる。
*
「……想定より、早い」
カナデはそう言った。
「本来、この規模の揺らぎは、数年単位で進行する」
「じゃあ、なんで――」
「……ここに、集まりすぎた」
言葉は淡々としているが、内容は重い。
「現世、霊界、異界。
休息、定着、回復、停滞」
端末の画面に、複雑な波形が映る。
「全てが、この一点に引き寄せられている」
そして――
彼女は、こちらを見た。
「……原因は、家だけじゃない」
空気が、張り詰める。
「この家は“器”」
「……じゃあ、中身は?」
「……錨」
その言葉を、俺はもう知っていた。
だが、改めて言われると、胸がざわつく。
「……精神状態が安定と不安定の境界にある人間」
カナデは、視線を逸らさず続ける。
「強くない。
壊れていない。
拒絶しない」
条件を、一つずつ並べる。
「……珍しい」
それが、俺だった。
*
「え、つまりさ」
ルシアが言葉を噛み砕く。
「この人がいるから、みんな集まってきたってこと?」
「……正確には」
カナデは少しだけ言葉を選ぶ。
「“この状態”だから」
否定でも肯定でもない。
ただの事実。
レイナが、小さく息を吐いた。
「なるほどね……だから、ここは居心地がいい」
「……離れたくない」
エイルが、ぽつりと呟く。
セラフィナも、何か言いたげだったが、言葉にしなかった。
*
「……警告する」
カナデが、管理者の声に戻る。
「このまま放置すれば、境界はさらに薄くなる」
「どうなる?」
「……戻れなくなる者が出る」
はっきりと言った。
「世界の“どこにも属さない”状態になる」
それは、救いでもあり、
罰でもあった。
「……対策は?」
俺が聞く。
カナデは、少しだけ間を置いた。
「……まだ、確定していない」
「ただし」
一拍。
「中心が変わらなければ、結末はひとつ」
それ以上は言わなかった。
*
その夜。
家は、いつも通りだった。
笑い声もある。
夕飯もある。
だが、全員がどこか、無意識に“距離”を測っている。
境界線が、確実に揺れている。
そして――
この家には、
まだ語られていない秘密がある。
そんな予感だけが、
静かに広がっていた。




