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「よくある話」と言われたけれど <連載版>  作者: りすこ


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エピローグ ~フィン視点

ラストです!

お読みくださってありがとうございます!

 夏は、ヘレンさんを思い出す。

 太陽みたいな華やかな人で、僕を見出してくれた恩人だ。


 サマーバカンスで客足が落ち着いた頃に、ヘレンさんは僕の事務所に来ていた。

 扇で顔を仰いでいる彼女に、僕はエルダーフラワーのゼリーを差し出す。

 ガラスの器にのった、透明感のあるクリーム色のゼリーだ。

 夏を閉じ込めたような爽やかな味がする。


「あら、ありがとう。このゼリー、お母様のレシピでしょ?」

「一番、うまく作れるものです」


 ヘレンさんは銀のスプーンでゼリーを掬い、ひとくち、口の中に滑らす。


「いい味ね。お店に出せそうよ」

「光栄です」


 ヘレンさんは笑顔でゼリーを食べきる。僕は彼女の好きなブラック・コーヒーを出した。


「ほんと、あなたって、気が利くのね」

「ヘレンさんがブラックじゃなくちゃ嫌と言ったんじゃないですか?」

「そうだったかしら?」


 そんなことを言いながらも、ヘレンさんはすべてを分かっているような笑みを口元に浮かべている。

 真意を掴ませない人だとも思うが、裏表のない人だとも感じる。

 それほどまでヘレンさんという人は、人を引き付ける魅力がある。

 彼女がコーヒーを飲んだところで、僕は話を進めた。


「今日のご依頼はなんですか?」

「プライベートな依頼よ。あなた、確か友人に私立探偵がいたわよね?」

「います。口の固いのが」

「その人に、ベラ・クロージットという名前の女の素性を調べさせてほしいの。彼女の住所はこれね」


 ヘレンさんはそう言って、紙のメモを僕に渡した。


「クロージット……貴族名鑑に乗っていない名前ですね……」

「その方の息子とわたしの孫がね、お付き合いをさせていただいているらしいの」

「素行調査をしたいのですね」

「そ。一度、会ったけど、全体的にダメな男だったから」


 ヘレンさんは目を据わらせた。

 よほど腹に据えかねる相手らしい。


「ヘレンさんが嫌なら、お孫さんに言ってあげたらいいじゃないですか」

「言ったわよ。でも……あの子、雨に濡れた子犬のような目をわたしに向けてきたのよ」


 そう言って、ヘレンさんは頭を抱えてしまった。

 どうやら孫に強く言えなかったらしい。


「まだ付き合って一か月らしいのよ……それじゃ、何を言っても無駄でしょう。親のいうことなんて聞かないわ」

「頭が痛い話ですね」

「そ。だから、頼んだわ。これは前金ね」


 ヘレンさんは封筒を手渡す。中身は紙幣だった。


「金額が多いです」

「継続的に調査してほしいの。一か月に一度、結果を聞きにくるわ」

「承知いたしました」


 その後、僕は知り合いの探偵に依頼し、彼から調査結果をもらった。

 それをヘレンさんに渡すと彼女は柳眉を吊り上げていた。


「これは全体的にダメね……付き合いを認められないわ」

「お孫さんを引き留めますか?」

「……もう少し、様子を見るわ。恋に恋するときだろうし」

 

 彼女は嘆息し、ふと僕を見た。


「フィン、あなた。ボクシングはまだやっているの?」


 唐突な質問に、苦笑いをこぼす。


「たまに。シャドーボクシングですが」

「じゃあ、まだ強いの? あなた、大男殴っていたんでしょ?」

「……昔のことです」

「そう。強いのね」


 ヘレンさんが何かを企んでいるように、口の端を持ち上げた。


「孫娘にはあなたのような人がいいわ。優しくて、クールだし」

「僕で釣り合いますか?」

「あなたたち次第でしょうね。でも、これはあなたに託すわ」


 ヘレンさんはふいに調査票を僕に突き返してきた。

 驚きながらそれを受け取り、彼女は鞄の中から、もう一通、封筒を出した。

 奇妙なことにその封筒には【ひとりでは決して見ないこと】と書かれてあった。

 

「こちらは」

「孫への遺言書」


 ひゅっと息を呑んで、真剣な目で彼女を見やる。

 その視線の意図を察したのか、ヘレンさんはくすくすと笑った。


「別にどこも悪くないわよ」

「ではなぜ」

「もう年だからね……わたし、主人が亡くなった年齢をとおに過ぎているの。それに息子夫婦もね⋯⋯いつ何が起こっても、おかしくはないわ」


 それから孫への相続の手配をつらつらと述べていた。

 正直言うと、用意周到すぎる。

 ここまで細やかに相続を残す人はいないだろう。

 たいてい、遺産整理というものは、哀しみを置いてけぼりにして、手続きだけをこなす日々になる。

 ヘレンさんはきれいに相続の手配を整えて、それを僕に託した。


「遺言書を見たら、あの子は泣くわ。助けてやってちょうだい。頼んだわよ」


 まるで犯罪者に自首を促すような誠実さをもって、彼女は僕に託した。

 その鬼気迫る顔に、僕は疑問を口にした。


「どうしてここまでなさるのですか?」


 そう尋ねると、彼女は艶然とほほ笑んだ。


「可愛い孫には、できうる限りのものを残したいのよ。――よくある話では、ないかしら?」


 彼女の笑みに、底知れぬ愛情を感じた。

 僕はしばし、言葉を失ってしまった。


 僕がセリアさんを気にかけたのは、間違いなくヘレンさんの影響だ。

 あの時の不動の眼差しは、忘れがたい。


 ヘレンさんの思いを胸に刻むため、僕は彼女をイメージした太陽のマークがある木箱を買い、それらを大切に保管した。


 

 あれから、一年。

 彼女は亡くなってしまい、僕は彼女の墓標の前で祈っている。

 隣には彼女の孫娘、セリアさんがいて、僕は彼女の恋人となった。

 

 祈りながら、ヘレンさんに声をかける。

 もう聞くことは叶わない彼女の声を探した。



 ヘレンさん


 あの時、あなたは「よくある話」と言いましたが、あなたの「よくある話」は特別なものです。

 それを引き継ぎます。


 僕は生涯をかけて、セリアさんを守ります。

 彼女を愛していますから。



 そう心が祈ると、彼女の周りで咲き誇るアジサイが青々と光輝いた。


 ――死ぬまで、守りなさいよ。


 大地に根を張り、生い茂るアジサイが、そう言っている気がした。


 

 ***



 夏の週末、僕はセリアさんの家で、エルダーフラワーのゼリーを作ろうとしていた。


 小さな白い花がたくさんつくエルダーフラワーを摘んできて、レモンの果汁がたっぷり入った砂糖水につけて、濃縮シロップを作るところからはじめている。

 

 セリアさんの家の庭には、エルダーフラワーがたくさん花開いていて、ふたりで花摘みをしていた。

 そんなことをしていたら、青空の下で笑っていた母の姿を思い出してしまった。

 カンカン帽を被り、母は籠いっぱいにエルダーフラワーを摘んでいた。


 ――フィン! 今日のおやつは、エルダーフラワーのゼリーよ。


 鈴のような声まで聞こえてくるようだ。

 長く思い出さなかった記憶が、ありありとよみがえる。

 手を止めて、顔を上げると、セリアさんが声をかけてきた。


「どうかされましたか?」


 僕は感傷に浸りながら、止まっていた手を動かす。


「母もこうして、エルダーフラワーを摘んでいたなって思い出してしまって」


 そう言うと、セリアさんは穏やかにまなじりを下げた。


「すてきな思い出だったんですね。フィンさんの目が優しいです」


 ほほ笑みながら言われ、懐かしい思い出が、今に溶けていく。


「ええ。いい思い出です」


 彼女と一緒だから、母との記憶を清々しい思いで語れる。

 セリアさんは幸せそうに笑い、僕も同じような笑顔をしているんだろうなと思った。


 一日経って、シロップができたら、ゼラチンと水を混ぜて、ゼリーを作る。

 できたクリーム色の柔らかいゼリーを見て、セリアさんはパッと花開いたような笑顔になった。


「きれいな色になりましたね」


 ガラスの器に乗せて、スプーンを添えて彼女に差し出す。


「どうぞ。召し上がってください」


 彼女は目をきらきらさせながら、スプーンでゼリーを掬う。ひとくち。小さな唇に滑り込ませると、うっとりとした顔になり、目を伏せて味わってくれた。

 瞳を開いて、僕に花束みたいな笑顔を向ける。


「フィンさん、美味しいです! お店に出せる味ですね!」


 弾けるように言われて、僕は幸せすぎて笑ってしまった。ヘレンさんと同じことを言われたのが、また楽しい。


 セリアさんも、ヘレンさんのように迫力のある美女になるのだろうか。

 それとも今の可憐さを残したまま、年を重ねるのだろうか。

 

 老いた彼女も見たい。近くで。

 

 とろけた笑みをするセリアさんを見ながら、僕もエルダーフラワーのゼリーを口に含む。

 

 夏の味がした。



 

 ――「よくある話」と言われたけれど END

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― 新着の感想 ―
うおおおおおおん!!!!(ブワッ)
りすこさんのお話、いつも楽しく読ませていただいてます。 言葉の紡ぎ方とか、タイトルの回収とか凄く上手くて素敵で、ふぁぁぁぁ…と、語彙力足りず打ち震えています。 短い遺言にお祖母様との思い出を巡らせると…
改めて、完結おめでとうございます! 短編だとやはりザマァばかりに目がいってしまうので、長編にしていただけて良かったです。 大切な人の死で失った心が恋を通してゆっくりと再生していく。優しく沁みこんでくる…
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